今日も少し泥酔しながらのアップです。
私はデザイナーとしてもう7年近く勉強と仕事をしているのですが、以前は自分の作品を残すという行為自体があまり好きになれず、出来上がったものはかまわず捨てていた。しかしデザイナーが仕事を探す際はいろいろと作品を持参するというのが習わしみたいなもので、その度に私は作品を作っていたのだ。それはそれでけっこう重労働だというのに最近気づいた。(気づくのが遅すぎる)そうなるとやはり制作したものを必然的に残すようになってきたのである。
すると、意外なことに自分のデザインがうまくなっていることに気づくのである。(逆を言えば昔の作品は見られない)もちろん、今のデザインがスゴいなんて思わないが、進歩している自分の技術は少し誇れる気もして楽しく思えるのだ。
そこで定期的に作品を作る機会を探すようになる。架空のデザインはあまり面接の際などには見る側はピンとこないので、身近なモノをデザインするのが一番説得力を持つのである。そこで年賀状をデザインすれば自分のデザインを宣伝出来るし、もしかしたら仕事がくるかもなんてことも思う(あまり仕事以外のデザインではお金は取らない主義)
去年、初めて年賀状デザインをして20枚程配ったのだが周囲の反応は「えっありもののハガキだろ?」と言われてしまった。(下の画像が去年の年賀状)いつもデザインのことをメタクソ書いてるのであまり作品を載せたくはないが、それも卑怯な気がするので掲載しました。
この時期になるとやはり年賀状のデザインを少しながら考え始める。そして厚かましくも配るつもりだが、今年は真面目に制作しないことを決めた。デザイナーとして少しは違うものを自分なりに考えて作るようにしたいと思う。2年目の年賀状のアイデアは「dog year」です。戌年なので当たり前だが、見た人がすこし頭を悩ませるデザインで勝負!!今年は「あの年賀状の意味は?」という質問が来ることを期待しながら新年を迎えることにする。
皆さんはどんな年賀状を送りますか?
nenga
寒さが本格化してきて寒がりの私にはキツい。実家からの通勤にも少しづつ慣れて来週からは朝のマラソンができそうだ。来年の夏に向けてダイエットしなくてはサーフィンがうまくくならない気がする・・・。
今日の帰りには定期を買う予定があったのだが、朝はレオカード(私鉄専用のカード)を使用して改札をくぐる。しかし一枚目のカードは残金160円、よってもう一枚を購入しました。しかし問題はJRとの乗り換えの時に起きたのです。
改札には”二枚(JRと西武線)のカードを入れて下さい”との表示だけれども三枚入れないと金額的には通れないので試しに三枚を改札に三枚を通すと「ピュー」と見事に三枚を吐き出し”ピーコンピーコン”と通過不可の警告音が鳴る。頭をかしげながらも”もう一度入れれば認識するはず”と思い、再度入れるとまたも「ピュー」と吐き出し”ピーコンピーコン”と通過不可の警告音が鳴る。後ろにならんでいた人は明らかに「迷惑だよ」という顔。私は間違ったことはしてないのに・・・.すると見かねた駅員が飛んで来て「こちらの改札でどうぞ」といいながら違う改札を指差す。同じ三枚を通すとすんなり通る。
ここで気づいたのは2点。まず「駅員はあらかじめそこの改札の調子が悪い」ことをしっていたのでは?そして「同じ機械でも個体差があるかもしれない」ということだ。
どちらの推測が当ってるにせよ”機械にも個体差”があるということなのではと思いました。
量産品はそれなりの専門家が集まり、設計・製造の課程を模索して、検査もそれなりの回数をこなす。そして検査合格のハンコを押され出荷。しかし市場に出回った商品にも必ず欠陥はある。(というか無い方がおかしい)というより機械にも個性が生じるのだ。これはまず間違いない。それは偶然の連続であり、必然でもある。しかし人間にしても個性なんてものはそもそも生まれながら持つものではなく(個人の見解として)環境遺伝子による影響の方が強く、アインシュタインのDNAで肉体的に同じ人間を作ったところでアインシュタインのような人間は決して生まれない。機械も使う場所の環境遺伝子によって個性が生まれるのではないかと思う。
分かり易いところでは車が良い例で、同じ機械なのに「今日は速い」とか「機嫌がいいね」なんてあからさまに思う時がある。車を乗る人なら経験したことがあるだろう。
人間に関していえば個性を尊重せよみたいなことがしきりに叫ばれる時代にあって、それを形成する家庭環境を大事にして欲しいと思う。子供が親を刺したり、親が子供を殺したりする世の中で、いかに子供たちが育つ環境が個性を生み、その後の人生に大きな影響を与えるのではないかと思う。日々、両親に感謝する機会が増える毎日である。
ちなみに私はSUICA反対派です。ただなんとなく・・・。
KAISATU
昨日は本当に死にました。週末だというのに引越で終わり、一晩グッスリ休んだが週末のような疲労感。なのに仕事は山ほど依頼がきている。泣きたいけどヤラなければ・・・。なんだかんだでどうにか終えてきました。
仕事終わりで歯医者へ。この前銀歯が入らなかったので”リベンジ”へ。しかし医者が歯をはめようとするとまたも困り顔。よからぬ不安が頭をよぎる。案の定またも入らない。いや、正確には入るのだけど神経がむき出しなので入れたとしても必ず痛みがでるとの説明を受け、担当の院長は深々と謝るばかり。
しょうがないのでまたも大人のオモチャ色した粘土の親戚を口の中に。さすがにお金は取られませんでしたが、実家の駅につく頃には21時。自転車に乗って走り出すと「寒い;へ;」けど新宿に住んでいたときには見えなかった星が夜空にチラホラ。地元に戻ったことを実感して少しホッとしました。
ってなわけで、雨が降ろうが曇ってようがいつでもキレイな星が見れるプラネタリウム、なかでも世界一の性能を誇る「MEGASTAR-Ⅱ」について書こうと思います。このプラネタリウムが表現出来る星の数は世界最高の500万個(みんなが知ってるプラネタリウムで数千個から2万個程度)と驚くべきもの。しかしプラネタリウムなんて公共の施設ぐらいにしかなく、どこかの専門業者が作ってそうだが、このメガスターはなんと個人で製作したものである。製作したのは大平貴之さんで現在ネスカフェ ゴールドブレンドのCMで唐沢寿明と共演しています。少し前にはフジテレビにて堂本剛主演でドラマ化もしましたので御存知の方も多いかも。大平さんは小学生の頃から自作のプラネタリウムを製作。若干29歳の1998年に発表した「MEGASTAR」は約170万個の星を表現。しかも大人一人が軽々持ち運べる大きさ。その後、改良を加え2003年に「MEGASTAR-Ⅱ」を発表して、いっきに410万個の星を表現出来るようになりました。2004年にはマイナーチェンジによって500万個まで表現出来るようになりました。
「実際これを見たい!!」と思った人はお台場の日本科学未来館もしくは川崎青少年科学館で公開中です。(私は川崎に行って見損ねた)
しかし普通のプラネタリウムでも相当キレイなのにその約250倍とは想像を絶するものだと思います。

megastar
早めに引越しを終えてアップしようと朝の5時から動き出すものの、結局12時をこえたところでやっと回線が使えるように・・・・。「疲れてしもうた」
今日(11/27分)は臨時休業です。
昨日ブログをサボってしまったので、今日2度目のアップとなります。日中、高田馬場で引越の準備をして姉と一緒に帰ってきたのが16:00。もうその頃にはあたりは真っ暗になる準備をはじめている。匂いが冬の感じになってきたと肌で実感する。
大晦日は紅白?それとも裏番組?私は毎年家にいませんけど。子供の頃の大晦日は、いつもより早めの時間に年越しそばを食べ、紅白を見て、11時くらいになると小腹が減るので”日清カップヌードル”を食べて近くの神社に行くというのが恒例行事でした。普段あまり食べさせてくれなかった(あとは夏、海に行った時くらい)あの美味しさは忘れられません。
そんなわけで今日はカップヌードルについてです。日清から1971年に発売され、インスタントラーメンが当時25円の時代に100円という高価なものでした。ちなみに一番最初のお客様は”自衛隊”で、給油車と火だけで調理できるというのが購入の理由。当時なかなか売上げが上がらないのに”あさま山荘事件”で、立てこもった赤軍と対峙する機動隊がカメラの前で食べるシーンが放送され、一躍全国に知れ渡ったのです。今でこそ世界80ヶ国以上、累計200億食を売り上げ、世界の食事情を変えたといわれる商品にもそんな時代があったのです。
デザイン的には発売当時のままのデザイン(日本万国博シンボルマークデザインの大高猛)を変えず使用してブランド・アイデンティティーを保ち続けています。ちなみにパッケージの「カップヌードル」の”ド”の文字が若干小さいの知ってます?理由は”ヌード”という言葉を連想させたくないとのことだそうです。
CMでは現在放映中の「NO BORDER」もなかなか好調ですが、1992年放映の「hungry?」シリーズではカンヌ国際CMフェスティバル(有名なカンヌ映画祭の後に開催)で日本人初のグランプリを獲得。(翌年もグランプリ獲得)世界に一躍その名を広めました。(3年目に受賞出来なかったのは日清の都合でCMをやめたため、世界の広告制作者から猛反発をくらった)ちなみにこのCMを見たスティーブン・スピルバーグは映画「ジュラシック・パーク」の制作に踏み切ったとまで言われるほどの影響を与えた。制作は大貫卓也というアートディレクターで他にもLaforetや豊島園など有名な広告をたくさん制作しています。彼の作品集である大貫卓也全仕事はデザイナーの私にとって今もバイブルとなっています。
nudle
今日で(11/25時点)東京生活最後なので同居者(姉)とまたも恵比寿の「たつや」(今週2回目)に行き泥酔。不覚に爆睡してアップできませんでした。よって朝の6:30起床して執筆開始です。
私は東京に出てきて多額の借金をしました。(およそ100万円)そのお金で結局買ったものと言えば”ノートパソコン”と”DVD数本”、”かけがえのない夏の思いで(プライスレス)”くらいなもので、こんなにお金があれば一食5・6万のフレンチ食えたり、液晶テレビ買えたり、だいたいの欲求なんて今にして思えば解消できるのですが、そんなこともできない自分の許容がいかに狭いものかを知ってしまいました。「もっと有意義なお金の使用方法」なんてものはいくらでもあり、暇つぶしの為にスロットへお金を費やしていた日々が情けない・・・。「人生をやり直したい」や「バラ色の人生を送りたい」なんて願望は誰にでもありますよね?人生経験の中で「if」なんて思うこともしばしば。
そんな時には是非「人生ゲーム」(このHPはかなり面白いので是非!!)なんてどうですか?高度成長期の最中、1968年に初代「人生ゲーム」が発売。それまでのサイコロを振る”すごろく”とは違いルーレットを回し、就職や結婚など人生に関わるさまざまな出来事を疑似体験し、そこに繰り広げられる波瀾万丈なもう一つの人生に一喜一憂することができるのです。いわば単純ながら人生の「if」を経験できるのです。
しかしマス目のコピー誰が考えるのでしょう?「家具を買う$3,000払う」って1$=100円で計算しても30万の家具を買うなんてかなりの生活ですよね。しかも”職業アルバイト”なんてこともしばしば。矛盾があり過ぎます。いきなり株券買わされたり、家燃えちゃったり。人生山あり谷ありすぎでしょ?
それでもパッケージや盤面、クルマ、お金を含めたトータルのデザインが「カッコイイ!!」のが「人生ゲーム」の素晴らしいところ。初代から基本的デザインを変えず、時事ネタや流行を取り入れて少しのマイナーチェンジにとどめながらも本来のテイストを壊さないのはスゴい!!最近のゲームはヒットする度に面白くなるどころかあらぬ方向へ”あ~あはじめは良かったのに”なんてことに。もっともホリエモン監修の「M&A ver.」や少し前には「アントニオ猪木ver.」なんてものも発売されていて違う方向に行ってはいますが。
みんなでやると必ず子供をボコボコ生んだり、ひたすら借金まみれになるやついませんか?勝負の行方がほとんどルーレットの目にかかっているとは人生と一緒で「運」しだいなのかな?
zinsei
maiさん紹介文の掲載ありがとうございます。
ブログの書き方を師匠(maiさん)から御指導頂きました。改善策は以下の通り。
1、改行は多めにすること。(見る人はマウスをクリクリやってクリ)←ハッキリ言ってオヤジです。
2、見る人のことは考えすぎない(継続して読んでもらってることを前提にして、余分な説明は入れない。)←これも十分余計な説明だと思うのだが・・・。
3、テーマに対して余計な文が多すぎる。(もともと下手クソな文章に色を付けようとするのは無理がある)
4、コメントには必ず私の返信コメントを書き込むのでそれも楽しみにして欲しい。
今週で私の都内生活は終わる(短い一年間だった)ので引越しの準備をしている。いわゆる出戻りで情けない。
今年サーフィンに再ハマりして、キアヌ・リーブス主演の「POINT BREAK(邦題ハート・ブルーで監督ジェームズ・キャメロン)」を8月に見ました。夏の時期になると西海岸で起きる連続銀行強盗事件を追うキアヌ演じるFBI捜査官。犯人がサーファーであることを突き止め潜入捜査をはじめる。いわゆるありふれた話なのだが、サーフィン好きにはたまらない。特に波乗りシーンが多い訳でもないが強盗犯のサーフィンに対する哲学に惚れる。単純な刑事モノなのに最後まで手に汗握る展開には古さを感じさせない。今回で5、6回目の鑑賞となる。
キアヌといえば最近のマトリックス騒動!?だが彼は結構な演技派で「マイ・プライベート・アイダホ」ではリバー・フェニックス(名前は知らなくても「スタンド・バイ・ミー」出演。プライベートでも仲が良かったがドラッグの多量摂取により死亡)と男娼という微妙な役柄を見事に演じるなどアイドルな顔だけではない。「JM」では北野武と競演していたりもする。
なかでも、「SPEED」は好きな作品。ああいう、いかにもハリウッド映画って感じで分かりきった展開ながら見てしまう。共演しているサンドラ・ブロックも大好きなんで・・・。すこしアクション俳優的側面が強いけど彼の持つオーラには男の私も惚れてしまう。(友達のhiroshi君はキアヌそっくりです)この映画でキアヌ演じるSWAT隊員が身に付けてたG-SHOCKが一躍ブームになる。いわゆるスピードモデル(5600系統)である。私も海に入る際に重宝するので今年の夏にネットで格安購入。派手さはないがシックなデザインが気に入った。日本の禅問答のようなプロダクトだと私は思う。(過剰すぎる褒め方だ)
しかし日本人は自分の国で作っているものの良さに気づくのが遅いのでしばしばブームが逆輸入になる。2004年カンヌ映画祭でグランプリをとった韓国映画「オールドボーイ」は土屋ガロン原作の漫画で、受賞の際には「作品の良さに気づかないバカな日本人」と海外メディアに苦笑されたものだ。他にもルイヴィトンのモノグラムで一躍有名になった村上隆ですら国内の評価は変わり者の芸術家だった(この頃、私は学校の講演で彼と話した経験がある)。例を挙げればキリがない。
正当な評価を誰が下すかは難しいものだが、こと広告宣伝や芸術分野において世界から見ると日本人の感覚は相当ズレていて、マーケティングの難しい国でもある。(ルイヴィトン総売上の6割強が日本とは唖然とする)
あ~あ日本人アホなのか?バカなのか?それとも天才肌?日本人に生まれたことを幸せに思ったり思わなかったりする。う~ん微妙・・・・。
GS
結局またこんなにツラツラ書いてしまった(;へ;)
昨日の訪問者数が10人を超えました。一体誰が来ているのか?すごーく気になりながらも顔の見えない人にありがとぉ(^O^)/。
勤労感謝の今日、みなさんいかがお過ごしですか?私はお父さんが一時帰宅出来るということで朝から渋谷の病院に迎えに行ってきました。普段あまり私の運転には乗りたがらない父ですが、最近の調子の悪さで観念したのか今日は迎えを快諾したのです。朝8時出発。3人(私、母、ロッタ)で病院に向かう車の中でお母さんが「お父さんがCDを買ったので聴くコンポが欲しい」とのこと。(CD聴けるコンポないのにCD買うのもどうかと思うが)早くても年内の退院は無理だろうと思うので、私は「病院で使えるディスクマンの方がいいよ」すると母は「どうも音が悪いのは嫌らしい」そこで「それならいいヘッドホンを買えば」と言うと「お父さんに聞いてみて」の一言。たしかに機械音痴の母を捕まえてあーだこーだ言っても始まらない。病院でお父さんを乗せて内容を確認するとまたも快諾。なんだか気持ち悪い。YAMADA電器でディスクマンを見るとipodなどの影響もあって価格は2万円前後で買えるので即決。問題のヘッドフォンはというと価格はかなりピンキリ。お父さんの「いい音で聞きたい」を叶えるため商品を見定めているとSONY商品に覚えのある「ノイズキャンセリング」の文字。しかし記憶では採用商品は高額なはずだと思いながら値段を見ると「¥5980」。お父さんに「これを買いな」というとまたも快諾。購入後、クルマに乗るなり後ろの席から子供のように包装をバリバリむしる音。嬉しかったのだと少し実感。家に帰りCDを聴くなり「いい音するよ」との感想。ではノイズキャンセリングとはいかなる技術かというと、外部の騒音が波のように空気中を進むのに対して真逆の波をヘッドホン内に発生させ、騒音を打ち消し音楽が真っすぐ耳に届く画期的システムなのです。発明は憧れのBOSEが、1978年基本原理や構造を考案後実用化。元来航空機パイロット用に開発されたものです。理論はわかっててもどう作るかはもちろん分からない。しかしこのヘッドホンには飛行機で使用可能なジャックが入っていたのでやはり機内は相当うるさい証拠なんだと思う。
noise
いやぁ~年末年始が近づくと特に用事もないのにただ何となく忙しくなってくる。よってブログのアップは真夜中に書き込みことが多くなりますが御理解を。ちゃんと毎日アップしますから。
ところで最近、消しゴム買いました?PCの急激な普及は文房具を職場からあっという間に追放し、需要そのものがかなり激減していると思う。私が小学生当時の文房具事情は鉛筆をカッターで削って真っ黒になった消しゴムを使ってました。クラス内ではカッコイイ文房具を持つことが小学生のステータスでもあったのだが、ある日一人の子が練り消しなるものを持ってくると人気急上昇、たちまちブームとなり学校帰りに近くの文房具屋へ大挙して買いに行ったものです。数ある練り消しシリーズの中でコーラの練り消しは、見事に私のハートをキャッチして授業中も鼻で「クンクン」していました。その欲求は鼻だけに収まらず、ついには口にまで運ばせてしまったのでちょっとした中毒患者ですね。(ちなみに食べてもコーラの味はしません)その後、練り消しの本来の目的がデッサンの時に濃淡の調子を出すのに使うことに気が付くまで長い時間はかかりませんでした。
懐かしい思い出に浸りながらも最近ちゃんとデザイン話してないと思いますので今日は「カドケシ」を考察したいと思います。同じ消しゴムを使い続けると、カドがとれ丸くなり細かい部分を消そうとするとうまく消せなくなる。カドケシはそんな悩みを解決したのです。特徴のカド総数は普通消しゴム8個に対してカドケシ28個と圧倒的に多いのです。はじめはマークシートに向くと受験生や製図書きに歓迎されました。しかし普通の四角い消しゴムはある種究極の形であり普遍的要素をもっているが、カドケシを見ていると計算によって導き出されたデザインを感じます。デザインやアートの世界は「感覚」や「才能」によって作品が制作されてると思われがちですが、実は計算に委ねるとこが多いと思います。ことデザインに関していえば、作者の意向はほとんど関与できない(クライアントの意向を尊重する)のが仕事である。よって自分の作品を理解させるためにはそれなりの計算(理解させるだけではなく存在意義)が必要になります。最も感覚的に一目見て理解してもらえるのが理想であるのも事実。そういった意味でカドケシは常識的部分を逸脱しながらも存在意義が十分にあり、高度な計算のもとで成立した作品といえるだろう。カドケシは2005年発売で一年を待たずに100万個の大ヒットを記録。NYの世界的美術館MOMA(The Museum of Modern Art)に優れた日常品として展示・販売されている。良いデザインは「かゆい所へ手が届く」そんな感じなのだろうと思うこの頃です。

カドケシサイトが見れない人はFlash Playerをdownloadして下さい。

kadokesi
この前サーフィンに一緒に行ったyoshiki君が「俺の写メよりキレイ」と挑戦して来ました。皆さんはどっちがキレイだと思います?トラックバック
kamogawa2
いやぁ~酔っぱらいました。お父さんのお見舞いに行ったあと母と恵比寿の有名焼き鳥店「たつや」へ行きました。私も結構お酒は弱い方ではないと思いますが、ここへ来ると100%酔っぱらいます。何でだか分からないが言えるのは料理がうまいのと雰囲気が良いこと。メインの焼き鳥は一本170円と普通よりかなり高めなんですが、ボリュームは問題なし。もちろん大人な塩をチョイスすればレバーやハツはかなり圧巻です。おすすめは厚揚げと椎茸。特に高そうでもない食材がひとたび口に入れると「ヤバい」って感じです。飲み物はホッピーを中心に400円前後とこちらも高めながらビールさえ頼まなければ結構いけますよ。なかでも梅サワーは辛めとチェーンの居酒屋にはない味はまさにオヤジかな。しかしわざわざ恵比寿で焼き鳥な感じがまたいいんですよ。学生時代は恵比寿に通っていたので、デザイン談義を焼き鳥片手によくしていたものです。
最近、酔っぱらうと逆にテンション上がってなかなか眠れないのが悩みなんですが、眠る前に漫画を読むと知らぬ間に夢の中に。中でも浦沢直樹の作品はかなりハマってもう10年近く読み続けています。世間的にもっとも有名なのはアニメでヒットした「YAWARA」なのですが、私は読んだことがありません。よって真っすぐな漫画表現をする作家と思われがちですが、実はかなり漫画界において異様な作品を世の中に送り出している。凄腕の傭兵の悲哀を描いた「パイナップル・アーミー」、軍隊出身の考古学者が保険交渉人として活躍する「マスター・キートン」、奇妙な近未来世界を子供の夢とともに描いた「20世紀少年」、連続猟奇殺人事件を主題にした「MONSTER」など数々のマスターピースを描いている。なかでも「マスター・キートン」や「MONSTER」はテレビ放映もされており、江川達也などと並んびかなりの知名度がある作家である。そんな彼が最近力を入れている作品が「PLUTO」です。原作が手塚治虫の代表作でもある鉄腕アトムの「地上最大のロボット」。まずこの時点で漫画家としてはかなりのプレッシャーのもとで制作しているのは簡単に想像できる。ちなみに私は原作を見たことはないので詳しいことは言えないがアイザックアシモフの短編集「我はロボット」をウィル・スミス主演で描いた「I ROBOT」などにかなり近いと言える。「PLUTO」においてロボットは純粋ながら精密な機械として描かれるとともに、ロボットなりの悲痛さが描かれている。ストーリーは世界技術の粋を集めて作り上げられた最高峰のロボットで大量破壊兵器にもなりうる7体のロボットが次々と何者かによって破壊される事件をその最高峰ロボットの一体で国際警察の刑事であるゲジヒトが犯人捜しをするのです。こうやって聞くと子供じみているが実際の内容はかなり現実的殺人事件のような絡みや、人間関係をこと細かく描いているのでそういった感覚はなく、むしろ子供が見ても理解出来ないロボットの「心情」をよーく表現している。なかでも1巻の最後にアトムが登場するシーンは不覚ながら鳥肌が立ちました。しかし彼はなぜハードルの高い手塚治虫の作品をリメイクしようとしたのかと思う。きっと最初から終着点(単純な結末ではなく総論や提議にも似た訴え)をあらかじめ用意出来てるのではないかと思う。「MONSTER」ではヨハンが何者でどこへ行くのかを結局描かなかったので、私はかなり落胆をした。しかし今回は確実に明確な「X」が存在し、そこへ向かうような表現を選んでいるような期待と想像にふけるのであった。
いくつになっても漫画は辞められないことの一つです。
pluto