政治とメタルと網膜剥離 -64ページ目

「原発・正力・CIA」 日本が原発で失敗した原因

3月21日に「なぜ日本にこんなに多くの原発があるのか-日本原発導入史-」 というブログを書かせていただいた際に、MATRIXさんのブログ近代日本と欧米諸国(4)原子力発電 」へのリンクを貼らせていただいた。ここでは、「原発・正力・CIA」(有馬哲夫著。新潮新書) が詳細に紹介されている。以前の私の記事もこの本によるところが大きい。ここではMATRIXさんが紹介されていた以外に、特に示唆に富む部分を紹介させていただきたい。



1956年12月、鳩山内閣で初代科学技術庁長官兼原子力委員会初代委員長となった正力松太郎は、内閣改造でその座を去るが、57年7月には岸内閣で原子力委員会委員長に復帰する。



ここで正力は、原発推進を巡る主導権争いを繰り広げることになる。民間主導を唱える全国九電力会社側に正力、政府主導を唱える政府出資の特殊会社電源開発に河野一郎(正力が所属していた河野派オーナー)がついて論争を繰り広げたため、「正力-河野論争」と呼ばれる。



電源開発は「原子力発電は国の資金を投入して、経済性や安全性を確認しながら少しずつ開発すべきと主張する一方、九電力会社は「電力は経済と産業の血液であり、一日でも早く原子力発電を増大させるべき」との主張だった。


結局、正力サイドが押し切り、九電力会社80%、政府20%出資という民間主導の形で「日本原子力発電」が発足する。なおこの会社は、後に中曽根康弘の秘書から政界入りする与謝野馨が在籍していたことでも知られている。



派閥のボスに逆らう無理をしてまで自案を通した正力は、原子炉導入にあたっても無理をする。CIAを利用した正力(=読売新聞)の大々的な宣伝により、日本の原子力発電への意欲は熱狂的なものになった。それはアメリカの予想を超えるものであり、自分の政治生命を原子力に賭けている正力も原子炉導入を急いだ。しかし、核兵器保有につながる原子炉提供にアメリカは消極的となり、ついに正力はアメリカのライバルである英国炉の導入に奔る。



これは正力の致命的なミスだった。交渉中の57年10月、イギリスは原子炉から放射性物質を飛散させる事故を起こす。そして12月、イギリスは日本に対し、イギリス製原子炉の運転中の事故に関し責任を取らない、という免責条項を協定に入れるよう要求する。


ここで著者は、正力の過ちを三つ指摘する。


1.先を急ぐ余り、問題のある英国炉に飛びついたこと

2.世界各国で原発に関しどのような問題が起こっているか、そしてど

  のような対策が採られているかについて関心を持たなかったこと

3.電力業界の利益を念頭に置き、原子力行政をこの枠組み内で行な

  おうとしたこと


特に「3」については、原子炉が引き起こしかねない民間事業者では対処不可能な事故に対応するため 原子力損害賠償法 を制定し、民間事業者の原子炉についても一定額以上(現在1200億円)は国が補償する仕組みを作らざるを得なくなった。事業は民間主体なのに、賠償責任は国も負うという二重構造である。賠償責任を国が負う以上、管理責任も負うことになる。今回の事故対応の際のプレーヤーの多さ、そのことから来る混乱の根は、この時に遡る。



この本は現在品薄で、アマゾンでも2~4週間待ちな他、大きな書店でも無いことが多いが、ぜひご一読をお薦めしたい。原発推進に動いた正力やその意のままに動いた読売新聞、更に正力の野望を利用しようとした中曽根、そして電力業界等財界が、今から見れば如何に浅慮だったかが分かる。


原発は、特に地震の多い日本では新聞屋や企業家程度の意のままになるものではなかった。我々は今、彼らのツケを払わされているのである。