政治とメタルと網膜剥離 -65ページ目

被災地復興の消費 -花見で被災地の酒を飲むということ-

岩手県二戸市の蔵元が、花見で被災地の酒を消費してもらいたいと呼びかけている。


NHK「花見で被災地の酒 消費を」

RBBTODAY「自粛は“二次災害”……被災地岩手から「『お花見』のお願い」」

確かにこの状況下で、花見で泥酔することは見苦しい。関東で夜の公園を煌々と照らすことも当面は憚られる。しかし、金が回らなければ東北の被災地の蔵元はじめ、酒を仕入れている飲食店、酒屋も苦しむことになる。それは間接的に我々が首を絞めているのと一緒である。極力電気を消費しないよう、花見をし、酒を飲む工夫をする、それこそが景気の収縮による二次災害を防ぐ。

話は変わるが二戸は旧南部の地である。私の祖父も旧南部の出身だったが、貧しさから脱出するために旧満州へ渡り、卑劣極まりないソ連の侵攻により引き上げ、流れ流れて関東に居ついた。

南部の地は江戸時代は更に貧しく、飢饉や一揆が耐えなかった地であった。戊辰の役では薩長の陰謀により会津、仙台、米沢らとともに朝敵とされ、明治以降も貧しさから抜け出すことはできなかった。南部出身(鹿角郡)の内藤湖南や原敬はそれぞれ学問、政治で身を立て、異議申し立てを行なった。特に原の、

「戊辰戦役は政見の異同のみ。当時勝てば官軍負くれば賊との俗謡あり。その真相を語るものなり。今や国民聖明の澤に浴しこの事実天下に明らかなり。諸子もって瞑すべし。」


という言葉は、広く知られ、歴史に刻まれることになったが、それでも南部の地の大部分は貧しいままだった。三陸へは大津波が何度も襲い、内陸の飢饉も無くならなかった。

この原が号した「一山」という号は、薩長藩閥による「白河以北一山百文」という侮蔑の言葉から敢えてとったものである。原はこの言葉を奮起のバネとし、隠忍自重し、策略を巡らし、首相にまで上り詰めた。しかし、今回、震災で最も被害を蒙ったのは、原発の放射能も含め、この「白河以北」の奥州であった。

なぜ、奥州の地には、こんなにも苦難がもたらされるのだろうか?かつて自らの苦難を呪った民もいたかもしれない。しかし、その度に彼らは、我らの先祖は立ち直ってきた。

盛岡には有名な「石割桜 」がある。南部の桜は石を割って咲く、と小説「壬生義士伝」でも書かれた、あの桜である。今回被災に遭われた奥州の方々も必ず立ち直れると確信している。そのためにも我々は足を引っ張るようなことをしてはならない。あおっちょろい都会っ子知事が言うような、ただ自粛すればいい、逼塞していればいいなどという考えは論外である。