最近観た夢三編~第三編 「まとわり付く、女」
夢三編最終話。
ここに完結。
その日の晩、俺はこんな夢観た。
突如として、見知らぬ女が俺の背後から覆いかぶさり、
抱きすくめられた。
その女は何故か、俺の腹の肉をつまみ上げ、こう言うのだ。
「ほらあ、こんなにお肉付いちゃって、もう」
俺はオッサンだが、腹など出てはいなかった。
ただ、腹の肉をつまもうと思えばつまめる。
その程度の肉は付いている。
普通の人間ならば、そうだろう。
体脂肪率ひと桁の人間ならば、腹の肉など、つまめないだろうが。
その女はいったい誰なのだろう。
俺が真っ先に抱いた疑問が、それだった。
少しふくよかで、愛嬌のある顔をしている。
年増女だった。
よく観ると、娘の幼稚園の先生に、似ていなくもない。
しかし、別人だった。
誰なのだ、という疑問は一瞬のうちに、消えた。
単純に、女に抱きすくめられること自体が、快感だった。
少なくとも、このおばさんは、俺に好意を抱いているに違いなかった。
その証拠に、俺の腹の肉を摘み上げたのだ。
恋人同士だって、そんなことするか?
何もしないまま、すでに口説き落としたも同然だった。
俺は、この後のことを考え始めていた。
このおばさんと、良い仲になりたかった。
女体。
俺はその感触すら、忘れかけていた。
これから、それを取り戻すのだ。
期待と微かな興奮。
その衝撃が、いけなかった。
俺は夢の中で、何も成し遂げられないまま、目を覚ました。
汚泥の中から~都会へ
その日。
俺は、仕事の用件で、都会へ出かけた。
つまらない業務だった。
出張なのか。
はたまた、研修なのか。
どちらともつかない「仕事」だ。
都会へ出かける上で、一番の問題は、金がないことだった。
JRは、カードで切符が買えた。
メトロは、多分無理だと判断し、バイト代からくすねた、僅かな金を回した。
体調は最悪で、疲れもピークに達していた。
その日の早朝も、俺は当たり前のように、バイトをこなしていた。
都会での雑務を片付けると、外は闇だった。
後は帰宅するだけだ。
俺は、財布の中身を確認し、メトロ代を差し引いた小銭で、マックへ行った。
コーヒーと、マックチキン。
昼夜兼用の食事だった。
コーヒーで風邪薬を流し込む。
虚しさと、物理的な肌寒さが、俺を悲しくさせた。
腹も満たされてはいなかった。
とっとと家に帰って、眠りたかった。
睡眠だけが、俺の体調を整えてくれる。
俺はメトロ、JRと乗り継ぐ。
JRは運良く、座ることが出来た。
疲れのせいなのか。
それとも、風邪薬のせいなのか。
俺はいつの間にか、眠っていた。
体が隣の女の人へ、寄りかかるような形になったとき、
俺は目覚めた。
「ごめんなさい」
咄嗟に出た言葉に対して、返答はなかった。
都会の女は、どんなことに対しても、クールに黙殺を決め込むのか?
それとも、異形のサラリーマンの俺を、恐れてのことか?
まあ、どうでもいいや、そんなこと。
列車は、乗換駅を通過していた。
田舎町へのハブステーションまで戻り、俺はいったん列車を降りて、町をぶらついた。
腹が減っていた。
ラーメン。
焼き鳥。
てんぷら。
うまそうな匂いが、町に四散していた。
俺には、外食するほどの金は、残っていなかった。
俺は仕方なしに、駅へ戻った。
もう、眠ることは出来なかった。
列車に揺られ、家に近づくにつれて、人が少なくなってきた。
ある駅で、奇妙な若者が乗車してきた。
乗り込んできたその若者は、椅子のない床スペースに、平然と尻を着き、壁に背中を押し付けた。
半分寝そべっているような形だ。
右手には、メタリックブルーのPSPを持ち、左手で握り飯を食っていた。
俺は、その若者を観察し続けた。
握り飯は赤飯で、食いながらも、PSPからひと時も視線を外さない。
時々、鼻にしわを寄せ、顔を顰める。
どうやら、笑っているらしい。
一つ目の握り飯を食い尽くすと、ニューデイズと書かれた袋から、今度はパンを取り出した。
ジャンバーに作業ズボン姿。
埃にまみれだった。
いつもこうして、列車の片隅に寝そべるようにして、PSPをやりながら、飯を食っているのだろうか。
俺はその若者から目が離せなくなっていた。
若者はゲームに夢中で、尚且つ、飯も食い続けている。
袋一杯だったパンと握り飯を交互に食い尽くすと、俺の視線を感じたのか、こちらに目を向けた。
目と目が合った。
それでも俺は視線を外さなかった。
若者は、一瞬、鼻にしわを寄せ、すぐに視線をPSPへ戻した。
それは笑いではなく、困惑だった。
その夜。
俺は咳が止まらずに、のた打ち回った。
もう、勘弁してくれよ。
バイトに行けないじゃないか。
というより、もう働けないよ。
お前は普段、娘に何を言っているのか?
義母、娘の母親と、娘。
そして俺。
久しぶりの外食だった。
義母の奢りで、とんでもなく高い飯を、レストランで食わせてもらった。
なんて美味いんだ。
俺は、半年、いや、一年ぶりに、外でうまいものを食った。
飯を食い終わり、帰り、車まで歩く。
そのとき娘が、その母親に、奇妙なことを言った。
「おとうちゃんと、手を繋いでもいい?」
娘の母親は、何も答えない。
そんなことを、わざわざ母親に訊ねて、了承を得ようとする子供がいるものか?
俺は、なんともいえない気分になった。
俺はそのとき悟った。
娘の母親は、娘に対して、俺のいないところで、とんでもないことを言っている。
父親と触れ合うことに対して、承諾を得なくてはならないようなことを、
このくそったれ母親は、娘に刷り込んでいる。
俺は、寂しいような、もう、どうでもいいような、絶望的な気分になっていた。
俺は、この家族の、人間ではない。
完全に、他人だ。
しかし、いまさら驚くほどのことでもない。
俺の娘の母親は、徐々に俺を攻め上げ、緩やかな絶望へと、
地獄へと送り込もうとしている。
体調は最悪だった。
自宅へ帰り着くと、俺は車に乗って薬局へ行った。
金はなかったので、クレジットカードの使える薬局だ。
このままの体調では、働くことなど出来はしない。
一刻も早く、体調を元通りにしなくてはならないのだ。
薬局で、風邪薬を探す。
面倒くさいので、店員に訊ねた。
俺は店員の選んだ薬と、どこのメーカーだかわからない栄養ドリンクを買い、
店を出た。
明日、働けるのだろうか。
ふと思ったが、働く以外にないことを、俺は知っていた。
這ってでも、働く以外にない。
他人同然の、くそったれ娘の母親のために。
それは、もはや奴隷の心境だった。
虚しさ以外、俺の心の中には、何もなかった。
疲れました。
もう。
どうでもいいや。
