あなたはどちら側?
もしもあなたがクリエーターならば、
既存の価値観や現象をすべて信じることなど、
到底出来はしないだろう。
出来ないから、何か新しい物を求めるのだし、
そうでなければ、何かを作り出す事など出来ないだろう。
もしもあなたが労働者ならば、
企業や社会があてがった価値観や規範を信じなければ、
辛すぎて生きていけないだろう。
この世界は、
日本は、
この政府は、
このコミュニティーは、
この会社は、
とんでもなくすばらしいと、
自分をだます意外に、
幸福は顕現しない。
悲しい事だがそれが現実だ。
そして、
二十一世紀。
神は消えた。
無条件で信じても良いものなど、
この世の中に、
何一つ無くなってしまったのだから。
首を傾げる事ばかり。
それがこの世の中なんだね。
既存の価値観や現象をすべて信じることなど、
到底出来はしないだろう。
出来ないから、何か新しい物を求めるのだし、
そうでなければ、何かを作り出す事など出来ないだろう。
もしもあなたが労働者ならば、
企業や社会があてがった価値観や規範を信じなければ、
辛すぎて生きていけないだろう。
この世界は、
日本は、
この政府は、
このコミュニティーは、
この会社は、
とんでもなくすばらしいと、
自分をだます意外に、
幸福は顕現しない。
悲しい事だがそれが現実だ。
そして、
二十一世紀。
神は消えた。
無条件で信じても良いものなど、
この世の中に、
何一つ無くなってしまったのだから。
首を傾げる事ばかり。
それがこの世の中なんだね。
気配
夜中帰宅し家に上がると、
何故か未だに、猫の気配を感じてしまう。
それは、
私の願望なのか。
猫の死を、心のどこかで受け止まられないでいるせいか。
私は家に帰ると、ただいまと声をかける。
誰もいない居間に向かって。
しかし、
物陰に、猫の気配を感じる。
錯覚?
私は何度も猫の名前を呼んだ。
「すまなかったな、ほんとうに。俺じゃなく娘たちと一緒に暮らしてた方がよかったか?」
また余震だった。
私は歯を磨き、布団へ潜り込む。
動物と人間の違いは何だろうか?
食事し、
睡眠をとり、
日々が過ぎ去って行く。
おそらくは、
人と動物の境界線は、
「考える」
かどうかの違いくらいだろう。
私は家畜だった。
家と職場の往復。
今、その現状に疑問を抱くことなど遠い昔のことで、
考える事に疲れ、それを放棄してしまっている。
寝る時間だった。
働くために。
ただ、寝るだけだ。
何故か未だに、猫の気配を感じてしまう。
それは、
私の願望なのか。
猫の死を、心のどこかで受け止まられないでいるせいか。
私は家に帰ると、ただいまと声をかける。
誰もいない居間に向かって。
しかし、
物陰に、猫の気配を感じる。
錯覚?
私は何度も猫の名前を呼んだ。
「すまなかったな、ほんとうに。俺じゃなく娘たちと一緒に暮らしてた方がよかったか?」
また余震だった。
私は歯を磨き、布団へ潜り込む。
動物と人間の違いは何だろうか?
食事し、
睡眠をとり、
日々が過ぎ去って行く。
おそらくは、
人と動物の境界線は、
「考える」
かどうかの違いくらいだろう。
私は家畜だった。
家と職場の往復。
今、その現状に疑問を抱くことなど遠い昔のことで、
考える事に疲れ、それを放棄してしまっている。
寝る時間だった。
働くために。
ただ、寝るだけだ。
別れ
昨日。
病院から猫を引き取り、
猫が元気だった頃、そこで過ごした居間と和室の二間続きの部屋へ猫を横たえた。
フードと水と花を猫の傍らへ供えた。
今日一日は一緒にいたかった。
形ばかりのお通夜だ。
動物病院では、冷静に猫の死を受け止めていたが、
家へ連れ帰ると、涙が止まらなかった。
猫を撫でながら話しかけた。
まだ皮膚も柔らかく、胸が上下していないだけで眼も潤んでいて、
死んでいるように思えなかった。
その日。
私は仕事に出かけ、
また余震があり、
いつもより早く帰宅する事が出来た。
帰宅し猫に触れると、猫はすでに固くなっていて、目の光も消えていた。
翌朝。
私は余震で目覚め、庭に出てスコップを持ち、庭の片隅に猫を埋めるために穴を掘った。
「庭に埋めようと思うのですが、タオルにくるんであげた方が良いですか」
私は医者に尋ねた。
「タオルに包むと土に還らないので、直に埋めてあげてください」
と言われた。
庭に梅の木があった。
もう梅の花は散ってしまっていて、微かな花びらの残滓が枝の先にのこるだけだった。
梅の木から離れた同じ境界沿いに猫を葬った。
犬は、娘の母親の実家の庭に、私が葬った。
子供の頃買っていた小型犬も、
共同墓地の林の斜面に、私が葬った。
もう、ごめんだった。
一人でも、
それでも、しかたない。
それでいい。
病院から猫を引き取り、
猫が元気だった頃、そこで過ごした居間と和室の二間続きの部屋へ猫を横たえた。
フードと水と花を猫の傍らへ供えた。
今日一日は一緒にいたかった。
形ばかりのお通夜だ。
動物病院では、冷静に猫の死を受け止めていたが、
家へ連れ帰ると、涙が止まらなかった。
猫を撫でながら話しかけた。
まだ皮膚も柔らかく、胸が上下していないだけで眼も潤んでいて、
死んでいるように思えなかった。
その日。
私は仕事に出かけ、
また余震があり、
いつもより早く帰宅する事が出来た。
帰宅し猫に触れると、猫はすでに固くなっていて、目の光も消えていた。
翌朝。
私は余震で目覚め、庭に出てスコップを持ち、庭の片隅に猫を埋めるために穴を掘った。
「庭に埋めようと思うのですが、タオルにくるんであげた方が良いですか」
私は医者に尋ねた。
「タオルに包むと土に還らないので、直に埋めてあげてください」
と言われた。
庭に梅の木があった。
もう梅の花は散ってしまっていて、微かな花びらの残滓が枝の先にのこるだけだった。
梅の木から離れた同じ境界沿いに猫を葬った。
犬は、娘の母親の実家の庭に、私が葬った。
子供の頃買っていた小型犬も、
共同墓地の林の斜面に、私が葬った。
もう、ごめんだった。
一人でも、
それでも、しかたない。
それでいい。