日々を生きる。~大切なものを失って得たもの。 -269ページ目

短編 「憎しみの果てに」 第8話

怒りで血管が怒張していた。

激流となって押し寄せてくる血流で、頭が破裂しそうだった。
無意識に左のこめかみに指を当てる。
ドクドクという脈動が伝わってきた。
田口は、後退りしながら、来るなと叫んでいる。
何故かその声が、遠かった。
ゆっくりと、田口の方へ近づいた。
顔を横に向け、眼だけで私をちらちらと見遣りながら、後ろに下がっていく。
田口は僅かな段差につまずいて尻餅をついた。
私の方へ両手を突き出し、顔を背ける。

「来ないで」

口から出た声は小さく、そして震えていた。
そんな弱々しい田口の姿を見ていると、よけいに腹が立った。
こめかみに触れた指先に、力が入る。
こいつも、横山のように壊れてしまえばいい。

怒り。
悲しみ。
そして、憎しみ。

綯い交ぜになって、私の心を黒く覆った。

「おまえ、なんか」

その瞬間、田口があっと短く叫んだ。
両手で頭を押さえ、苦悶の表情で天を仰いだ。
瞳がぐるぐると、せわしなく動いている。
頭を左右に振りながら立ち上がり、数歩ほど歩いて、崩れるようにひざを突いた。
頭を押さえながら、嘔吐している。

「好い気味だわ」

わたしの言葉に反応して、田口がゆっくりと頭をもたげた。
わたしを一瞥するなり、眼を大きく見開き叫び声を上げた。
尋常でない田口の反応に、わたしははっとした。

気が付くと、口の中に鉄のような味が広がってる。
手の甲で、口の辺りを拭った。
べとりとした、赤黒い液体。
鼻血だった。

わたしはどうなってしまったのか。
激情が、血となって体から噴出しているのだろうか。
あごの先から、血が滴っている。

わたしは我に帰った。
田口の、恐怖に歪んだ顔。
流れ続ける、血。
どこかで見たような、光景だった。

既視感?

いや、違う。
遠い昔に見た、光景。
間違いはない。

刹那、視界が白く反転した。
切れ切れになって、消え去った過去。
それとも、消してしまいたかった記憶なのか。



両親を、一度に失ったあの、交通事故。


脳裏にはっきりと映し出さた。

まるで、スクリーンに写しだされた映画のように。


神話の終焉

これを、観たかったのだ。

巨大なスターデストロイヤー擦れ擦れに飛んで行く、2機のジェダイ・スターファイター。

きりもみ状態で急降下すると、そこは、無数の戦闘機や空母の飛び交う戦場だった。


子供のように、胸を躍らせていた。


伝説として語られていたクローン戦争が、目の前で繰り広げられている。

格段に上がったCG技術により、今まで不可能だった戦闘機のクローズアップシーンも可能になった。

コックピットの中に、アナキン・スカイウォーカーが乗っている。



序盤の戦闘シーンは圧巻だった。

速い展開と、途切れなく続く見せ場の数々。

わずか20分くらいのものだったろうか。

これだけで、通常の映画1本分くらいのボリュームはありそうだった。



エピソード2から3年も待ち続けた。

観終わった後、大げさに言ってしまえば、心残りが一つ消えた、と思った。

しばらくは、余韻に浸っていられるだろう。



エピソード3は、破滅の物語である。

ほとんどのジェダイが死に絶え、暗黒面が銀河を支配する。

それでも、微かな希望が芽ばえたところで物語は終わる。




エピソード4が観たくなった。


そのタイトルは、「新たなる希望」である。

短編 「憎しみの果てに」 第7話

目の前に、鈍く光るものが過ぎった。

ナイフだった。


わたしの頬を軽く撫でて行く。
ナイフの冷たい感触が、わたしを現実へ引き戻した。

「絶対に、だれにも言わないから。お願いだからもうやめて」

わたしは、震えながら懇願した。
全身の力が抜け、立っていられない。
それでも、武田に後ろから羽交い絞めにされているので、そのまま立ち続けていた。

「信用できないわ」

田口が横山の隣に立ち、顎を突き出すようにして言った。

「絶対に、言わないという保障が、ないな」

言いながら、横山がナイフでわたしの頬を叩いた。

「絶対に、言わないわ」

わたしが言うと、田口がにやりとしながら、何か小さな箱のようなものを取り出した。

「その為の、保険を掛けなくっちゃね」

その箱は、コンパクトカメラだった。
私は、必死で頭を回転させた。
どんなに考えをめぐらせても、何のためのカメラなのかわからなかった。
そのことが、より一層、恐怖心を煽った。

「脱げよ」

横山が言い、ナイフが胸元に突き付けられた。

「お前の恥ずかしい姿が、保険って訳さ」

嫌よ。
私はそう叫びながら、泣いていた。
涙が溢れ出してくる。
武田が手を離した。
私は立っていられずに、その場にへたり込んでしまった。


「はやく、脱げよ」


そう言いながら、横山はナイフでスカーフを切った。
私の胸元に、それはだらしなく垂れ下がった。

黙って従うしかなさそうだった。
私は恐怖で震えながら、上着を脱いだ。
横山の荒い息使いが、はっきりと聞こえた。
わたしを見つめる視線は、ちょっと異常なものさえ感じさせた。

「あんたのために、良い写真、たくさん撮ってあげるから」

田口が横山に言った。
横山は一瞬びくりとして、わたしから目を逸らした。
顔が紅潮している。

「麻生さんのこと、好きなんだって」

横山の視線が泳いだ。
そんなことはないと声を裏返しながら、横山は言った。



「なんであんたみたいなすかした女を、みんな好きになるのかしら」

田口は、カメラを構えながら言った。

「あんた、本当は馬鹿なんでしょ。どんなに苛められても何にも感じないんだから」

シャッターが切られた。
わたしは胸を両腕で覆い隠し、反対方向へ体を捩った。


何も感じないわけではなかった。


苛められているとき、いつも頭の中で叔母の声が聞こえた。

人を憎んではいけない。

そして、こんなこと何でも無いと、呪文のように頭の中で唱え続け、ただひたすら耐えた。


「ひょっとして、吉田が自殺しても何も感じなかったんじゃないの」

はっとして、田口の方へ視線をやった。
体は震え続けている。
しかし、恐怖で震えているのではないのかもしれない。



怒り。
そして、憎しみのせいなのか。


「ブラも取りなさいよ」

田口だった。
涙は止まっていた。
全身の震えは、激しくなっている。
横山のど仏が動く。
そして薄ら笑いを浮かべた。

「無理やり剥ぎ取ってやろうか」

ナイフ。

胸元に近付いて来て、先端が触れた。
体からガクガクと音を立てているのではないかと思うほど、全身が震えた。

「吉田も初めてのとき、今のお前のように震えながら泣いたよ。それが回を重ねるごとにどんどん変わったさ」




その言葉で、わたしの中の何かが崩れた。
そして、恐怖は消えた。

頭の中が、凪いだ湖面のように、いっぺんのざわめきも無く、澄み渡っていった。
耳鳴りがした。
次第に大きくなってゆく。
それと同時に、胸の中で急速に膨れ上がってくる怒りと憎しみ。
もう押さえることは、出来なかった。
ナイフが鳩尾に触れた。
下着を剥ぎ取ろうとしているのか、下着と肌の間にナイフが滑り込んでくる。
横山を睨み付けていた。


「おまえたちなんか、死ねばいい」

あまりにも低く沈んだ声で、それは自分の声ではないようだった。

「へえ。麻生さんの怒るところ、私はじめてみたわ」

言いながら、田口は下卑た笑みを浮かべた。

「なあ田口。裸の写真だけじゃなくて、もっと高い保険掛けないか」

物好きね。好きにしなよと田口は言い、顔の前で、手の平をひらひらとさせた。
横山の生臭い息が顔にかかった。
それでも横山を睨み続けていた。


こんな奴等は、死んだ方がいい。
そう思った。

「屑」

思わず、呟いていた。

「なんだと」

言った直後、横山は顔を歪めた。


ナイフが落ちて、澄んだ金属の音がした。
胸を押さえて激しく咳き込んでいる。
顔が赤黒く変色したかと思うと、今度は蒼白になった。
胸を掻き毟るようにして、その場に倒れ込み、胸だけ上下させている。

「興奮しすぎなんだよ」

田口が、横山の顔を覗き込みながら言った。
そして、顔色が変わった。


「おまえ横山にいったい何を、し、た、、」



田口は、目を大きく見開きながら、わたしを見つめ言葉を失った。

わたしは、笑っていた。
口から泡を吹いて倒れている、横山を見下げながら。



視線をゆっくりと、田口に移動させた。
田口の顔が、はっきりと歪むのがわかった。



「おまえも、くたばれ」

そう言った後、わたしはまた、笑っていた。