日々を生きる。~大切なものを失って得たもの。 -268ページ目

フラストレーション

「当たり前のようにいわないでよ。本当にお金無いから」

そう言って千円札を数枚、乱暴に突き出してくる。


同じ町内で葬式があった。

ほとんど、付き合いらしいものはなかったが、親父の葬儀の時に香典をもらっていたのだった。


以前、同じように葬式があった時も、かなり酷い事を言われた。

これからは自分ではらって。それが出来ないなら、今まで払った分は、別れる時に請求するから。

腹が煮えたが黙って堪えた。

今回も同じである。

もしかすると、甲斐性の無い自分に対して腹が立ったのかもしれなかった。



別々の場所で食事を済ませた。

妻と娘はちゃぶ台で、俺はテーブルだった。


汚れた食器を洗い、風呂を洗いに行こうとしたとき、何かがたたき付けられるような音がした。

「ちょっと、これも洗ってよ」

炊飯用の釜だった。

「今すぐに洗っておかないと、明日のご飯炊けないから」

そう言って、妻は出掛けていった。

米を研ぎ、炊飯器のタイマーをオンにして、娘を風呂に入れた。



娘は、風呂に入っている間、ママ、ママと言って泣き続けた。

いくらなだめても、泣き止まなかった。

苛々が頂点に達したとき、俺は娘に信じられない言葉を浴びせていた。

「そんなにママがいいなら、お父ちゃんはいなくなるから」

言った後、馬鹿な事を言ってしまったと後悔した。

まだ二歳で、大人の話す事を全て理解できない娘が、ぴたりと泣き止んだのである。

俺は咄嗟に、浴槽に浮かんだおもちゃを掴み上げ、娘に向かって、おどけてみせた。

娘が思わず、といった感じて微笑む。

もう一度、同じ事を大袈裟に繰り返す。


今度は、声を上げて娘は笑った。

短編 「憎しみの果てに」 第9話

車の中で、父と母が激しく口論している。
それは、これまでに何度となく繰り返されてきた光景で、そのたびに嫌な気分になった。
原因ははっきりしていた。
父には、母以外に好きな人がいたからだ。
母が、あの女などと、喚き立てている。

わたしが一人、家で留守番をしているとき、一度だけ見知らぬ女から電話があった。

「お父さん、いるかしら」

そう尋ねてきた甘ったるい女の声で、父が浮気をしているのだと、はっきりとわかったのだった。
初めて聞いた女の声で、なぜそう感じたのだろうか。
自分でも、よくわからなかった。
直感としか、言いようがない。
胸が悪くなるような思いのまま、翌朝父に、知らない女性から電話があったと告げた。
わたしの言葉に、父は顔色を変え、取り繕うように会社の人だと言った。
その時、わたしの感が間違いではなかったと確信した。
それと同時に、父を嫌悪した。


母が不憫でならなかった。
夜中、母が居間で酔いつぶれていることが時々あった。
テープルの上には、飲みかけの調理酒が転がっていて、母の顔を覗き込むと、涙を流していた。
そんな母の姿を見るたびに、父に対しての嫌悪は膨れ上がり、やがて憎悪に変わった。

「けんか、やめて」

わたしは叫び声を上げていた。

「真由美は黙っていなさい。大事な話をしているんだ」

父が憎かった。
父さんなんか、いなくなればいい。
いつも心の中で、密かに思い続けていた。
どうしても、母以外の人を愛しているということが許せなかった。
怒りで体が震え、気が付くと低い、小さな唸り声を発していた。

突然の耳鳴り。
それと同時に、父が嫌な叫び声を上げ、ハンドルに覆いかぶさるようにして倒れた。
ゆらゆらと車体か右へ流れ、中央分離帯に接触する。
その反動で、徐々に車体は左に寄っていった。
速度も徐々に上がっている。
母が必死でハンドルを動かそうとするが、父の体が邪魔でびくりとも動かない。
母はそのまま振り返り、わたしの方へ体を伸ばしてシートベルトをかけようとするが、どうしても手が届かなかった。
母は自分のシートベルトを外して、さらにシートも倒し、やっとわたしのシートベルトに手をかけることが出来た。
わたしの方へ視線を向けた母は、困惑とも恐怖ともつかない表情を浮かべながら、一度わたしの名を短く呼んだ。
鼻から口にかけて、何か生温いようなものが流れていた。
手の平で口をぬぐって、それを目の前に翳した瞬間、衝撃が来た。
血で汚れた小さな掌が、今のわたしの掌と重なった。




気が付くと、田口も武田もいなかった。
横山は倒れたままだ。
また目の前の景色が歪んだ。
涙だった。
両親を亡くした事故は、わたしが招いた。
憎しみが父を死に追いやり、そして母も失った。
父は、わたしが呪い殺したようなものではないか。
横山や田口も同じだ。
あの二人も、ひょっとすると死んでしまったのかもしれない。


人を憎んではいけない。
絶対に。


叔母はすべてを知っていて、わたしにいつもそう言い聞かせていたのだろう。
わたしが憎んだ者は、必ず死ぬ。


夢でみた加奈子と同じように、わたしはフェンスを乗り越えて、階下を見下ろした。
どうでもいいような、そんな気分だった。
両親を、殺した。
そんなわたしは、生きていては、いけないのだ。
このまま身を乗り出せば、簡単に死ねる。
後ろで物音がした。
人影。
黒い塊のようなものが、駆け寄ってくる。
加奈子、なの。
よく見ると、それは警官だった。





横山は心筋梗塞で死んだ。
田口は脳内出血で病院に運ばれたという。
脳のかなり深い部分に出血があり、手術も困難らしい。
たとえ手術に成功しても、体に重大な障害が残る可能性もあるという。
同じ場所で、高校生が、その若さで患うはずもなかろう病で、二人倒れた。
そして、フェンスを乗り越え、ビルの淵で血を流しながら立っている、もう一人の女子校生である。
警察も首を傾げていたらしい。
警察に匿名で通報があった。
その通報では、屋上で、高校生二人が暴行を受けているとのことだった。
実際には、暴行の痕跡などなかった。
ナイフから、横山の指紋が出ているので、暴行を加えた方が倒れたということだった。
通報したのは、多分武田だろうと思った。

取調室を出ると、叔母が立っていた。

「叔母さん、わたし、、」

叔母は、眼にいっぱい涙をためて何度も頷いた。

「何も心配しなくてもいいのよ」

叔母の言葉を聞いて、わたしは嗚咽した。
わたしの両肩に手を置き、まっすぐにわたしを見つめて叔母が言った。


「わたしだけは、真由美のこと、ちゃんとわかっているから」

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台風、近し。