日々を生きる。~大切なものを失って得たもの。 -266ページ目

雨滴

「これ、持っていきなよ」

妻がタッパーに飯を詰めながら、穏やかに言った。


顔など見たく無い。

そんな思いで、目覚めた。

ところが、目の前にいる妻は何故か優しかった。



数日前に、かなりひどい事を言われた。

妻との間に、どうにもならないくらいの溝を、改めて思い知らされたのだった。

数日たった今も、それは黒い澱になって、俺の心の中に沈んでいた。

弁当を作ってくれたことは、単純にありがたかったが、それでも素直に喜べなかった。



ありがとうと短く言い、俺は家を出た。

途中、コンビニに寄って、昼食用の小銭で、味噌汁を買った。


雨が降っていた。

それでも、雲の間から光が漏れている。

雨滴が視界を滲ませるまで、少し時がかかった。

ワイパーはそのときだけ動かした。


スイッチ操作がほとんど必要で無くなった時、午後から晴れると、俺は確信した。


アニメを、観る

娘のために、TVのチャンネルをアニメに合わせた。


風呂が沸くまでの間、時間があったからだ。



やきたて!!ジャぱん。



そんな名前だった。



娘はそれほど興味を示さなかった。

それも、そのはずである。

普段はアンパンマンすら、観た事が無い。

ディズニーの、教材風のものをよく観ている。

それでも、トトロだけは何故か好きなのだった。


いつのまにか、俺のほうが夢中になってしまった。


面白い。


パン職人の、話のようだった。


パン焼きの、国別対抗コンテストが行われているようで、審査員がピエロである。

そのピエロが、文字通り面白いのである。

笑いのセンスが、オヤジ向きなのか。


俺は終止、口元を綻ばせてしまった。



風呂が、沸いたようだ。

娘は、一人遊びを始めていた。

「風呂に入るよ」

娘に声をかけると、首を横に振った。

フラストレーション 2

朝から、顔を合わせるたびに罵られた。


俺はたまらずに、自室に非難した。


この家に、居場所などなかった。


いつもなら、庭でぼんやりと蟻が地面を遭うのを眺めていたり、居間で所在無くおどおどしていることが多かった。


そんなことにも、いい加減疲れ果てた。


もう、妻との生活は成り立たないかもしれないと、思う。


案の定、自室に篭っていれば、また文句だった。


妻の怒鳴り声が、聞こえる。


「部屋に引きこもって、パソコンばかりやって。いい気なものよね」


怒りが、こみ上げて来た。


パソコンなどやってはいなかった。


ただ、暗い部屋でじっとしていただけだった。


俺の顔を見れば、文句を言う。


目の前にいなくても、腹を立てる。


俺はいったい、どうすればいいのだ。


激情に駆られるまま、妻に反論した。


「朝から、晩まで文句ばかりで、いったいなんなんだ、これは」


「頭にくるからよ」


妻は、きっぱりと言った。


「あんたには、騙されたわ。喰えなければ、バイトでも何でもして働くと、わたしの両親には言った筈でしょ」


それは不可能だった。


勤務時間が不規則で、バイトなど出来るはずもなかった。


俺は、黙って妻の話を聞いた。


「○○も、おとうちゃんのような男に騙されないように気を付けなさいよ」

(○○は、娘の名前)


娘は、家の中を走り回っている。


何が起こっているか、わかっていないらしかった。


「もう、別れよう。一緒にいる意味などもう無いから」


その言葉で、反論する気も、無くなった。


妻は、俺の甲斐性の無さに腹を立てているのだった。



庭に出た。


すでに、日が暮れていて肌寒い。


庭にいる老犬に、声をかけた。


おとなしく、俺に従って、犬小屋に入る。


普段は、そんなことは無い。


嬉々として尻尾を振り、じゃれるように俺から逃れようとするのだった。


ひょっとして、妻との口論を聞いた老犬が、俺を気の毒に思ったのかもしれないと、なんとなく思った。




バイトについて、考えていた。

土日なら出来る。

明日、職安にでも行こう。

そんなことを考えながら、俺は玄関を開けた。