罵りと、請求書と、人の名前
仕事に行くまで、ゆっくりと眠れる筈だったが、体は自動的に四時間とちょっとで目覚めてしまった。
外は明くなっていて、とても静かだった。
眠れる時は、なるべく長く眠る。
そうしないと、体がもたなかった。
俺は、眼を閉じた。
眠りに落ちて、どれくらい経ったのだろう?
乱暴に、部屋の引き戸が開け放たれる音で、俺は目覚めた。
「起きなさいよ!」
俺の娘の母親だった。
俺はそのまま、布団に横たわっていた。
「起きなさいよ!普通の人なら、とっくに起きている時間じゃない!」
枕元の携帯を見やると、六時を幾らかまわっていた。
それでも、横になったままでいると、もう一度、起きなさいよと、罵声が飛んだ。
俺は仕方なく、上半身だけを起こし、布団の上で胡座をかいた。
俺の娘の母親の方へ体を向けたが、視線は合わせなかった。
「何度も銀行から電話がかかってきているのよ!お金振り込んできてよ!」
何故、その日の早朝に叩き起こされなければならなかったのか、その言葉ではっきりとわかった。
その日は、バイトの給料日だったのだ。
振り込めと言われた金額も、投げつけられた電気料の請求書と合わせると、
バイト料で、足りるか足りないかだった。
言いたい事だけ言えば、後はどうでもいいのだろう。
俺の娘の母親は、静かに部屋を出ていった。
うんざりだった。
こんな時、出来る事はただひとつだった。
再び。
俺は眠りについた。
すぐに夢を見たようだった。
豪華な食事で埋め尽くされたテーブルに、俺はいた。
沢山の人々が、楽しそうに談笑しながら、食卓を囲んでいる。
俺は金を払っているのか。
それとも、誰かとんでもない善人の、奢りなのか。
俺は、夢の中でも腹を空かしていた。
答えが出る前に、俺は眼の前の食い物にかぶりついていた。
眼の前の男が、でかい声でしゃべっている。
なんと、俺に対して話しているのだった。
「世の中には、たまげた名前をつけるやつがいるもんだ」
「……」
「自分の子供に、光宙(ピカチュウ)だぜ!信じられるか、おい!」
ああ、それって、ネットで読んだことあるよ。
そう思った時に、俺は目を醒ました。
光宙(ピカチュウ)は、まだましな方だった。
そんなもんじゃない、常軌を逸した名前ばかりが、並んでいたのを、
俺は思い出していた。
「戦争、か」
ふと出た呟きは、喉の奥で潰れ、溜め息となって、消え去った。
DVに悩む男性にむけて
世の中、とんでもないことになっている。
広島市は9~12日、配偶者や恋人からの暴力(DV)に悩む男性向けの臨時電話相談窓口を設ける。
仕事が終わった後の利用を見込み9~11日は午後6~9時、土曜日の12日は午後4~7時に受け付ける。
男性の相談員が話を聞く。
市は2001年7月から月、火、木曜日(休日除く)の午前10時~午後3時に電話相談窓口
「ひろしまDVホットライン」を開設している。DV被害者の多くを女性が占めるため、
女性の相談員が対応している。
市によると、男性からの相談は06年度から寄せられ始め、これまでに37件あった。
身体的な被害より、暴言などの悩みが目立つという。市男女共同参画課は
「男同士のほうが打ち明けやすいケースもある。悩みのある方はぜひ利用して」と呼び掛ける。
ネット版 中国新聞より転載
リンク
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200909050234.html
おかしなヤツが、俺の周りにも、結構いる。
私が怒ると、旦那がおどおどしちゃってさあと、さも楽しげに語るおばさん。
そして、息子が夫を軽視すると、笑っているおばさん。
まったくもって、馬鹿じゃないのかと、俺は閉口する。
自分の行いが、夫の威厳を失墜させてることに気が付いていない。
私は、浅はかな女ですよと、言っているような物ではないか。
くそったれで、たわけ者だ。
~又母親愚かにして、父子仲悪しくなる事あり。母親はわけもなく子を愛し、
父親意見すれば子の贔屓をし、子と一味すゑ、その子は父に不和になるなり。
女の浅ましき心にて、行末を頼みて、子と一味すると見えたり。
山本常朝 「葉隠」より、抜粋
DV被害者の男性たちよ。
ほんと、うんざりするね。
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音のない世界
バイトから帰宅すると、俺の娘の母親の、車が、家の駐車スペースに止まっていた。
ひどくがっかりさせられた。
いなければいいものを。
はっきりと、俺は心の中でつぶやいた。
そのまま走り去ろうかと思ったが、金は一銭もなく、マクドナルドのコーヒーすら飲めなかった。
要するに、金がなくて、行く所がないのだ。
そう。
その日は、仕事が休みだった。
仕方なく、家に帰ると、俺の娘の母親は、居間と、その隣の部屋で、何かをやっていた。
その場所に入るなど、考えられなかった。
俺はそのままキッチンへ行き、朝食を摂ることにした。
冷蔵庫を開けると、卵どころか、何もなかった。
飯は炊いてあったので、マヨネーズをふり掛けて、茶碗に2杯、喰った。
家の中で、
本は読むな。
ネットはするな。
まったりするな。
そんなことを俺の娘の母親が、事あるごとにがなり立てるのだ。
要するに家の中で息抜きなどするな、ということだった。
それでも、俺の娘の母親が寝ているか、いなければ、ネットをやったりする。
その日も、ネットをしたかったのだが、ブロードバンドモデムの電源は引き抜かれていた。
電源を入れるためには、俺の娘の母親のいる、居間に入らなければならなかった。
電源さえ入っていれば、自室でこっそりと、ネットも可能だったのに。
俺はあきらめて、自室でぼんやりとしていた。
音のない世界だった。
昨晩洗濯したものが、部屋の中にぶら下がっている。
洗濯物が乾くのに、二日はかかる、
北向きの、日当たりの悪い部屋だった。
以前は、二階の、南向きのそれなりに広い部屋が、俺の部屋だった。
その部屋は今、俺の娘の母親の部屋になっている。
何もかもが、俺を陰鬱にさせた。
バイト。
仕事。
家での時間。
働くために必要な、恐ろしく長い、移動時間。
俺に与えられた自由は、これ以外になかった。
俺は少しの時間、眠った。
しかし、
それすら、悪夢にうなされ、俺は眼を覚ましてしまった。
何かに追い詰められる、夢だった。
それが何だったのかは、思い出せなかった。
目覚めても、物音ひとつ聞こえなかった。
起き上がって、引き戸の隙間から、居間の様子を、そっと伺った。
そこには、音もなくテーブルの前に座った、俺の娘の母親が、すべてを監視していた。
耐えられなかった。
俺は家を出た。
向かったのは、職探しをしていたときに、よく利用した、駐車場だった。
職探しをしていた頃。
職安に毎日通ったところで、新しい求人票など、たいして出ているわけはなかった。
せいぜい、三日置きに通えば十分だった。
そんな時、俺は駐車場で時間をつぶした。
仕事に就き、バイトまでしている今も、
職を探しているときと、何一つ、変わりはしなかった。
そのときも。
今も。
金がないと、請求書を叩き付けられ、罵られる事に……。
車の中で、また、眠ってしまった。
今度は、戦争の夢だった。
俺は何故か、戦地の真っ只中にいた。
上空を無人機が覆い尽くし、無人の戦車やら、見たこともない兵器が、俺を取り囲んでいた。
俺は何を守っているのだ?
日本国憲法か?
それとも、幻のような「家族」か?
上空からヒューという、いやな音が聞こえた。
爆撃だった。
辺りは一瞬のうちに、火の海になった。
銃弾の音。
砲撃。
俺は地べたに這いつくばっていた。
砂埃が舞う中、目の前に、足が見えた。
上半身がなかった。
誰の足なのか?
立ち上がろうとして、俺はそのとき、脚の持ち主を、悟った。
俺は体を半分に、引き裂かれていた。
驚愕とともに、眼を覚ました。
起きていても。
寝ていても。
俺は何かに、追い詰められていた。
もはや、逃げ道は、
どこにもなかった。
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