音のない世界
バイトから帰宅すると、俺の娘の母親の、車が、家の駐車スペースに止まっていた。
ひどくがっかりさせられた。
いなければいいものを。
はっきりと、俺は心の中でつぶやいた。
そのまま走り去ろうかと思ったが、金は一銭もなく、マクドナルドのコーヒーすら飲めなかった。
要するに、金がなくて、行く所がないのだ。
そう。
その日は、仕事が休みだった。
仕方なく、家に帰ると、俺の娘の母親は、居間と、その隣の部屋で、何かをやっていた。
その場所に入るなど、考えられなかった。
俺はそのままキッチンへ行き、朝食を摂ることにした。
冷蔵庫を開けると、卵どころか、何もなかった。
飯は炊いてあったので、マヨネーズをふり掛けて、茶碗に2杯、喰った。
家の中で、
本は読むな。
ネットはするな。
まったりするな。
そんなことを俺の娘の母親が、事あるごとにがなり立てるのだ。
要するに家の中で息抜きなどするな、ということだった。
それでも、俺の娘の母親が寝ているか、いなければ、ネットをやったりする。
その日も、ネットをしたかったのだが、ブロードバンドモデムの電源は引き抜かれていた。
電源を入れるためには、俺の娘の母親のいる、居間に入らなければならなかった。
電源さえ入っていれば、自室でこっそりと、ネットも可能だったのに。
俺はあきらめて、自室でぼんやりとしていた。
音のない世界だった。
昨晩洗濯したものが、部屋の中にぶら下がっている。
洗濯物が乾くのに、二日はかかる、
北向きの、日当たりの悪い部屋だった。
以前は、二階の、南向きのそれなりに広い部屋が、俺の部屋だった。
その部屋は今、俺の娘の母親の部屋になっている。
何もかもが、俺を陰鬱にさせた。
バイト。
仕事。
家での時間。
働くために必要な、恐ろしく長い、移動時間。
俺に与えられた自由は、これ以外になかった。
俺は少しの時間、眠った。
しかし、
それすら、悪夢にうなされ、俺は眼を覚ましてしまった。
何かに追い詰められる、夢だった。
それが何だったのかは、思い出せなかった。
目覚めても、物音ひとつ聞こえなかった。
起き上がって、引き戸の隙間から、居間の様子を、そっと伺った。
そこには、音もなくテーブルの前に座った、俺の娘の母親が、すべてを監視していた。
耐えられなかった。
俺は家を出た。
向かったのは、職探しをしていたときに、よく利用した、駐車場だった。
職探しをしていた頃。
職安に毎日通ったところで、新しい求人票など、たいして出ているわけはなかった。
せいぜい、三日置きに通えば十分だった。
そんな時、俺は駐車場で時間をつぶした。
仕事に就き、バイトまでしている今も、
職を探しているときと、何一つ、変わりはしなかった。
そのときも。
今も。
金がないと、請求書を叩き付けられ、罵られる事に……。
車の中で、また、眠ってしまった。
今度は、戦争の夢だった。
俺は何故か、戦地の真っ只中にいた。
上空を無人機が覆い尽くし、無人の戦車やら、見たこともない兵器が、俺を取り囲んでいた。
俺は何を守っているのだ?
日本国憲法か?
それとも、幻のような「家族」か?
上空からヒューという、いやな音が聞こえた。
爆撃だった。
辺りは一瞬のうちに、火の海になった。
銃弾の音。
砲撃。
俺は地べたに這いつくばっていた。
砂埃が舞う中、目の前に、足が見えた。
上半身がなかった。
誰の足なのか?
立ち上がろうとして、俺はそのとき、脚の持ち主を、悟った。
俺は体を半分に、引き裂かれていた。
驚愕とともに、眼を覚ました。
起きていても。
寝ていても。
俺は何かに、追い詰められていた。
もはや、逃げ道は、
どこにもなかった。
↑いつもクリックありがとうございます。
