エヴァンゲリヲンとは、悲しみの物語?
エヴァンゲリヲンの登場人物の殆どが、悲痛なほどの悲しみを抱えている。
主人公のシンジという少年は、
己が傷つくことを恐れるあまり、他者との関わり合いを避け、
とんでもない親父にも突き放され、孤立無援状態。
アスカという少女は、精神を病んだ母親に、目の前で死なれている。
レイという少女は、地下施設で育ち、薄汚れたアパートに一人で暮らし。
親はいない。
泣くことさえも知らない。
レイの部屋に干された靴下が、何とももの悲しい。
ミサトという、少年たちの保護者役の上官(?)も。
鈴原という、友人も。
みんながみんな、心に屈託を抱えている。
エヴァンゲリヲン(ロボット)と使徒(悪党)の戦闘という、日本アニメ伝統のシュチエーションを踏襲しながら、
主人公たちの生きる世界は、あくまで現実の世界。
ごく身近に存在する学校や街などだった。
やたらとフレームインする電柱だったり、公衆電話だったり。
それらが、否応なく、彼らの悲しみを身近に感じさせる。
結論としては、思っていたよりも、大人向けのアニメでした。
そして、俺の琴線にふれてくるものがあった。
俺はいい時期に、これを観たのかもしれない。
最後の方では、自我とはなんぞや、みたいな話を展開。
(人間は他者との関わり合いを抜きにしては、自分という自我を認識できない。と同時に、それ故に苦しみに苛まれる、といった内容だったか??)
子供は、そんな場面をみて、口をあんぐりと開けて、放心してしまうのではないかと思った。
そして、エヴァンゲリヲン破という映画が公開されていたようだ。
俺の住んでいるところでは、もう、観ることが出来ない。
もうちょっと以前に、このアニメに興味を持っていたら、
きっと、映画を観に行ったに違いない。(96時間なんて観ないでさ)
綾波レイ。
アスカラングレー。
と、
もうひとりのめがねの娘。
俺は、エヴァンゲリヲンで萌えてみたかった。
つまる所、こいつを書く時間がない
ああ、俺の自由に使える貴重な時間。
それなのに。
昼飯を喰ったら、眠ってしまった。
それで、俺の使える貴重な時間が、なくなった。
多分、三十分か、四十分くらいか。
携帯で、ブログを更新できなかった。
今日は。
今俺は、便所で糞をひりだしながら、こいつを書いている。
文字通り、糞くだらない文章というわけだ。
では。
また。
空腹、時々、飯
腹が減ったままで寝ることは出来ない。
かといって、一から飯の支度をする時間もなかった。
睡眠時間が三時間を切る、ということになるからだ。
連休中、娘の母親と娘はどこかへ泊まりがけで出かけていた。
俺はその間、釜の中の飯を喰い繋いだ。
卵を焼いたり。
マヨネーズを飯に振りかけたりして。
それでも、何も喰わないよりはましだった。
連休最後の夜、俺が家に帰ると、娘の母親と娘が帰宅していた。
飯があることを期待したが、何もなかった。
仕方なく、米を研いだ。
炊き上がるまでの時間、空腹に耐えなければならなかった。
空腹を紛らわす為に飲む、酒すらもなかった。
その日。
俺は何も口にしていなかった。
冷蔵庫の中に豆腐があった。
おかずはこれでと思ったが、キッチンの上にはゴーヤが二つ転がり、俺に何かを語っていた。
俺は豆腐を諦めるしかなかった。
冷蔵庫の中。
俺が手をつけて良いものなど何一つも無かった。
飯が炊き上がり、マヨネーズを振りかけて、喰った。
とりあえずは、腹が満たされる。
これで、何とか眠れそうだった。
そして。
二時間後、俺はバイトだった。
