エヴァンゲリヲンとは、悲しみの物語?
エヴァンゲリヲンの登場人物の殆どが、悲痛なほどの悲しみを抱えている。
主人公のシンジという少年は、
己が傷つくことを恐れるあまり、他者との関わり合いを避け、
とんでもない親父にも突き放され、孤立無援状態。
アスカという少女は、精神を病んだ母親に、目の前で死なれている。
レイという少女は、地下施設で育ち、薄汚れたアパートに一人で暮らし。
親はいない。
泣くことさえも知らない。
レイの部屋に干された靴下が、何とももの悲しい。
ミサトという、少年たちの保護者役の上官(?)も。
鈴原という、友人も。
みんながみんな、心に屈託を抱えている。
エヴァンゲリヲン(ロボット)と使徒(悪党)の戦闘という、日本アニメ伝統のシュチエーションを踏襲しながら、
主人公たちの生きる世界は、あくまで現実の世界。
ごく身近に存在する学校や街などだった。
やたらとフレームインする電柱だったり、公衆電話だったり。
それらが、否応なく、彼らの悲しみを身近に感じさせる。
結論としては、思っていたよりも、大人向けのアニメでした。
そして、俺の琴線にふれてくるものがあった。
俺はいい時期に、これを観たのかもしれない。
最後の方では、自我とはなんぞや、みたいな話を展開。
(人間は他者との関わり合いを抜きにしては、自分という自我を認識できない。と同時に、それ故に苦しみに苛まれる、といった内容だったか??)
子供は、そんな場面をみて、口をあんぐりと開けて、放心してしまうのではないかと思った。
そして、エヴァンゲリヲン破という映画が公開されていたようだ。
俺の住んでいるところでは、もう、観ることが出来ない。
もうちょっと以前に、このアニメに興味を持っていたら、
きっと、映画を観に行ったに違いない。(96時間なんて観ないでさ)
綾波レイ。
アスカラングレー。
と、
もうひとりのめがねの娘。
俺は、エヴァンゲリヲンで萌えてみたかった。
