こんばんはナカジーです。
大河ドラマ「麒麟がくる」では織田信長の父親の信秀が亡くなり、そうなると信長の名を天下に轟かせたあの有名な【桶狭間の戦い】をテーマにした回も間近ですよね。
どう描かれるのか?を考えると楽しみです。
小学生の時に織田信長の伝記を読んだのですが、今川義元軍2万5千人に対し織田信長軍がわずかに3千人で勝利したこの戦いは子ども心に”信長”という人物にときめいた記憶があります。(まあ緻密に計算されていた奇襲であったとか、”ひょう”が降るなどの幸運が重なったなどと言われていますが、当の信長本人はイチかバチかの戦だったと思いますよ。信長が25歳のときですから、血気盛んてヤツです。)
そんな桶狭間はどこにあるのかご存知ですか?実は名古屋市の東部の緑区の一番東端と豊明市の境ぐらいになります。
公共交通機関だと名古屋鉄道(名鉄)本線の「中京競馬場前駅」からほど近くです。
昭和の時代はまだ当時の面影があったみたいですね。
もちろんボクも愛知県民のハシクレなので桶狭間の場所は知っていましたが、古戦場跡を訪れるのは初めてです。
行ってみると”子どもも遊べる普通の児童公園”でした。
その中に今川義元が戦死した慰霊碑や戦のジオラマが遠慮しがちにあります。
負けじと豊明市側にも古戦場跡地があり、ここには今川義元の墓があります。
「麒麟がくる」の話に戻りますが、今週の回の舞台は1553年。逆算すると織田信長は18歳の若造ですよね。
その若き信長が斎藤道三やその娘であり自分の妻である「帰蝶」によって、相手や風向きを見極める”したたかさ”を徐々に身につけてゆくだろう今後の展開はゾクゾクします。
よく考えれば帰蝶(濃姫)は信長が死ぬ”本能寺の変”でも生き残るわけですから、主役の明智光秀に次ぐ重要なキャラということなんでしょうね。(だから当初は”沢尻エリカ”だったのか~、と今更ながら思います。)
あっ、言い忘れましたが今川義元の銅塚(家臣が首のない遺体を持ち帰って葬った)はボクの家のわずか100mのところにあります。(JR飯田線の牛久保駅近く)桶狭間からは50㎞ぐらいあるかな?(大変だったでしょうね)
これで戦国時代の古戦場跡は
「関ケ原」https://ameblo.jp/gotoconblog/entry-12546474315.html
「長篠」https://ameblo.jp/gotoconblog/entry-12571157941.html
に続いて3ヶ所めですが、歴史のターニングポイントになった次の場所はどこへ行こうかな~。
be happy all of the world