基本情報
御由緒
五霊神社創建の年代は明らかでありませんが、源義朝公が沼間の第宅の鎮守として勧請したものであると伝えられています。それは義朝公が下野守在任中のことであろうと推察されますので、恐らく今から八百余年の昔でありましょう。新編相模風土記(天保十二年編)には、「御霊社、牛頭天王を合祀す」としるされ、「天保七丙申年十一月書上絵図面、松平大和守領分相州三浦郡沼間村」の条に「御霊社」と見え「明治八年田畑其外反別取調野帳、第十五大区七小区相模国三浦郡沼間村」の条に「五霊社又は御霊社」更にその頃書上の「村明細帳沼間村」の条に「神社四ヶ所、熊野大神御霊神社、太神宮、諏訪明神」と見えています。熊野、太神宮、諏訪の三社は、後に五霊神社へ合併しました。(注)社号は御霊又は五霊と見えていますが、共に「ごりょう」と読み同一の神社です。明治六年十二月、村社に列せられ、大正十年七月、神饌幣帛料供進指定神社に昇格、毎年春の祈年祭、夏の大祭、秋の新嘗祭には町から公費を神前に供進されました。大東亜戦争の後、神社制度が改められ、公費供進の制度も廃止されましたが、新に設立された神社本庁の統制に属し、宗教法人法の施行によって、宗教法人としての法人格を附与(昭和二十八年十一月十八日)され、尚従来官有地であった境内地を特に無償で神社へ譲与(昭和二十五年三月二十八日)されました。境内の銀杏の老樹は、当神社勧請の折植えられたものであると伝えられ、鎌倉鶴岡八幡宮の大銀杏におとなぬ樹令を保っています。昭和四十一年七月、「神奈川県天然記念物」に指定されました。
回顧すれば、五霊神社は沼間の鎮守として、八百年前の昔から手厚く護持崇敬されて来たのでありますが、当時僅か数十戸に過ぎなかった氏子も、今では、弐千数百世帯を数えるまでに繁昌したのでありますから、益々伝統を重んじ、神社の維持経営に力を傾け、神徳の発揚に努めなければならないと思います。
以上
神奈川県神社庁より
御朱印
境内案内
参拝を終えて
東逗子駅近くに鎮座する沼間の鎮守さま。目の前には県道と横須賀線が通っているが、辺りは閑静な住宅街となっており、鳥居を潜った瞬間から周囲の音が静まったように感じられ非常に心地よく参拝できた。現在は八雲神社の兼務社であるが、県の天然記念物にも指定されている大銀杏をはじめ境内は綺麗に保たれており、また参拝したくなった。
地図