秩父今宮神社(八大龍王宮)/埼玉県秩父市 | Goshuinnistの神社巡り

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ご訪問いただきありがとうございます。神社巡りが趣味の大学生です。有名な大社から地元の鎮守さままで、訪れた神社を紹介しています。情報は筆者が参拝した当時のものです。週1~2回、基本的に19:00更新です。

基本情報

神社名:秩父今宮神社

御祭神:伊邪那岐大神・伊邪那美大神・須佐之男大神・八大龍王神・宮中八神・役尊神・聖観世音菩薩・馬頭観世音菩薩・弁才天

社格等:村社

鎮座地:埼玉県秩父市中町16-10

最寄駅:御花畑駅・西武秩父駅・秩父駅

駐車場:あり

御朱印受付時間:9時00分~17時00分

公式サイト:http://www.imamiyajinja.jp/ 

 

 

御由緒

 秩父今宮神社は日本有数の古社である。信州諏訪の勢力が西暦100年前後に秩父に移住、この地に湧き出づる武甲山からの霊泉に「水神」を祀ったのが始原といわれるが、有史時代に入ると、この霊泉に国生みの神である「伊邪那岐・伊邪那美」(イザナギ・イザナミ)の二神が祀られるようになった。
 天武天皇元年(西暦672年)の壬申の乱の前後に、秩父の勢力は修験道の開祖「役行者」(えんのぎょうじゃ)の導きで天武帝に協力したと伝えられている。それを境に秩父は発展を遂げる。役行者は秩父に修行に訪れ、霊泉の傍に観音菩薩の守護神である「八大龍王」を合祀し、のちにこれが「宮中八神」と習合され、「八大龍王宮」または「八大宮」と呼ばれ、秩父修験の中核となった。
 平安時代初期天長2年(825)には空海が来遊して橋立寺の洞窟内部に道場を開き、37日間の護摩秘呪を行う。橋立寺はのちの今宮坊ゆかりの一寺。永観2年(984)「大宮山満光寺」、長暦2年(1038)「長岳山正覚院金剛寺」が開山され、さらに平安後期には熊野権現が勧請され、宮中八神と大日如来の習合した「八大権現社」が建立された。
 京都の今宮神社から須佐之男大神(スサノオノオオカミ)をこの地に勧請したのは天文4年(1535)。疫病が猛威をふるったため、病魔退散を願って勧請された。永禄12年(1569)本山派修験聖護院直末二十六寺の一寺となり、諸国先達二十九寺の一寺ともなる。その頃は広大な敷地(20万坪)に修験道場や神社、仏寺観音堂などが混在していた。
 江戸時代には「今宮八大宮」「八大権現社」と呼ばれる神社と「長岳山正覚院金剛寺」「大宮山満光寺」「今宮観音堂(札所十四番)」「橋立観音堂(札所二十八番)」を配下に治め、総称「今宮坊」とされ、神仏習合の一大霊場となった。
 明治元年(1868)、明治政府の神仏分離令により修験道は廃止、「今宮坊」も解体を余儀なくされ、今宮神社(八大宮)と今宮観音堂(現・札所十四番)、橋立観音堂(現・札所二十八番)に分離され、独立して管理されるようになったが、御神体、御朱印、社宝、古文書等は謄写に継承されて現在に至っている。

公式サイトより

 

御朱印

初穂料:各500円

今宮神社/通常

今宮神社/お姿
 

御朱印帳

濃紺地に当社の御祭神の1つである金龍を刺繍した凜々しく当社らしいデザイン。サイズは16cm×12cmで、初穂料は1,200円。ベージュ地版も存在。

※筆者は拝受していないため、情報のみ記載。

 

境内案内

秩父市の中心地にひっそりと鎮座。社頭には鳥居はなく、入口の注連柱がその役割を果たしている。
 
手水舎にはひよこのおもちゃが置かれ、実に賑やかであった。
 
広い境内を進むと茅の輪と鳥居が見えてくる。
 
現在の社殿は平成31年(2019)2月に完成。
 
境内左手には、パワースポットとして知られる「龍神木」。樹齢1,000年以上の大ケヤキであり、周囲の神池は秩父最古の泉といわれる。
 
太鼓橋の右手の大木のなかには龍上観音が安置されており、修験道で栄えた神仏習合時代の様子を偲ばせる。
 

参拝を終えて

秩父修験道発祥の社としてその名を知られる当社。そのため現在でも境内には神仏習合の名残を色濃く残す。現在では秩父神社の方が名が知られるようになり当社まで足を運ぶ人は多くないが、様々な歴史を感じられるのでぜひ秩父を訪れた際にはこちらにも参拝してほしい。

 

地図

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