八雲神社/神奈川県鎌倉市 | Goshuinnistの神社巡り

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ご訪問いただきありがとうございます。神社巡りが趣味の大学生です。有名な大社から地元の鎮守さままで、訪れた神社を紹介しています。情報は筆者が参拝した当時のものです。週1~2回、基本的に19:00更新です。

 

基本情報

神社名:八雲神社

御祭神:須佐之男命・稲田姫命・八王子命・佐竹氏の御霊

社格等:村社

鎮座地:神奈川県鎌倉市大町1-11-20

最寄駅:鎌倉駅

駐車場:なし

御朱印受付時間:9時00分~16時00分

公式サイト:ー

 

御由緒

 平安朝時代永保年中(1081)新羅三郎義光公の勧請と伝う。当時「後三年役」に陸奥国にて苦戦を伝えられた兄八幡太郎義家のもとに、助勢のため赴く途中鎌倉に立ちよられ、たまたまこの地に悪疫が流行し住民が難儀しているのを知り、これを救わんがため「厄除神」として霊験の聞こえた京都の祇園社を勧請し篤く祈願されたところ、たちまち悪疫退散し住民は安堵し難を救われました。以後住民は祇園さまとあがめ深く信仰してまいりました。

 室町時代足利成氏が関東管領の頃は(1449)当社の神輿が管領屋敷に渡御し奉幣の式が行われたことが「鎌倉年中行事」に記されている。

 戦国時代天正十四年六月(1586)小田原北条氏五代氏直の時「当社の祭礼に際し不敬不礼の者は権門の者といえども厳科に処す」という禁制守護状を下賜された。

徳川家康が江戸に入城されるや、五穀豊穣万民豊楽の祈請のため慶長九年三月(1604)当社に対し永楽五貫の朱印地(神領)を下賜された。以後代々の徳川将軍家より朱印状が下付された。

 社号は鎌倉祗園社又は祗園天王社と称していたが、明治の御維新に際し八雲神社と改称し大町総鎮守として明治六年村社に列格され、明治四十年四月神饌幣帛料供進神社に昇格した。昭和二十八年七月宗教法人に登録され神社本庁に所属し現在に及んでいる。

頒布のリーフレットより

 

御朱印

初穂料:500円
※その他、兼務社の御朱印も戴ける。

 

 

境内案内

鎌倉駅から海岸の方角に歩いた住宅街の中にひっそりと鎮座。地元の方々の間では名は知られているが、観光客はあまり訪れない神社である。
 
鳥居をくぐると大きな狛犬。
 
ちょうど新型コロナウイルス流行のまっただ中であったため、狛犬もマスク着用であった。
 
参道を進むと社殿。派手な造りではないが、周囲の自然と調和した素晴らしい造り。
 
境内左手には御神木と新羅三郎の「手玉石」。
 
平安時代の武士で力持ちとして知られた新羅三郎義光が、力試しとして持ち上げたとされる石。
 
源義光 (新羅三郎義光)
平安時代後期の武将。河内源氏の2代目棟梁である源頼義の三男。甲斐源氏初代当主。兄に源義家(八幡太郎)や源義綱(賀茂次郎)がいる。近江国の新羅明神(大津三井寺新羅善神堂)で元服したことから新羅三郎(しんらさぶろう)と称した。左兵衛尉、刑部丞、常陸介、甲斐守、刑部少輔を歴任。また父源頼義の弟で信濃源氏の祖でもある源頼季や信濃村上氏の祖源頼清は彼の叔父にあたる。
Wikipediaより引用
 

源義光像 (摂津国寿命寺蔵)
Wikimedia Commonsより引用
 
境内には稲荷社も鎮座。赤い旗の数々が崇敬の篤さを物語る。
 

参拝を終えて

地元では「八雲さん」や「天王さん」などの愛称で知られる鎌倉随一の古社。鎌倉と言えば鶴岡八幡宮など北側の神社ばかりに目が行きがちだが、鎌倉駅からもほど近い位置に鎮座するので、ぜひ併せて参拝していただきたい1社だと感じる。

当社は裏山の祇園山へのハイキングコースの起点となる場所であり、筆者が参拝した際も多くのハイカーたちを見かけた。地元住民をはじめ、当社を訪れるすべての方々から大切にされていると感じる神社であった。

 

地図

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