基本情報
神社情報:大綱金刀比羅神社
御祭神:大国主神・金山彦神・日本武尊・大山津見神
社格等:村社
最寄駅:神奈川駅・横浜駅・反町駅
駐車場:なし
御朱印受付時間:9時00分~17時00分
公式サイト:http://www.yokohamakonpira.jp/
御由緒
古来、飯綱大権現、金刀比羅大権現と称してきたが、明治44年両社を合祀し大綱金刀比羅神社と改称した。創建1188年 寛永19年社殿造営 宝暦13年 紀伊国屋 灯篭奉納 他 筑前の国 阿波廻船問屋 灯篭奉納45 昔より神奈川湊には菱垣廻船、樽廻船、尾州廻船、北前廻船などの海運勢力により、弁財船等 多くの船が神奈川湊に出入りし、江戸と上方の物流拠点とし栄え、正に現在の横浜港の発展の基盤になった。
今でも横浜の金刀比羅(こんぴら)さんの御神徳を知る多くの船舶関係者を始め、農業、建築関係、医療関係者、民衆にいたるまで崇敬の捻 頗る厚く十六神の御神徳を頂ける神社であります。
公式サイトより
御朱印
境内案内
修験道が盛んになると金毘羅権現の眷属は天狗とされた。『和漢三才図会』には「当山ノ天狗ヲ金比羅坊ト名ヅク」と記された。また、戦国時代末に金毘羅信仰を中興した金光院第四代院主で修験者でもあった金剛坊宥盛(1613年没)は、1606年自らの像を作って本殿脇に祀り、亡くなる直前に神体を守り抜くと誓って天狗になったとの伝説も生まれた。
本殿の神体は秘仏で、宥盛像も非公開だったので、その後、法衣長頭襟姿の宥盛像が金毘羅権現そのものと思われるようになった。その宥盛像は廃仏毀釈で明治5年に他の仏像仏具とともに浦の谷において焼却されたとされるが、その時、宥盛像を火中に投じると暴風が起き周りの者共は卒倒したという。なお、奥社で今でも祀られているとも云われている。
江戸時代になると、天狗の面を背負った白装束の金毘羅道者(行人)が全国を巡って金毘羅信仰を普及した。また、全国各地から讃岐国象頭山金毘羅大権現を詣でる金毘羅参りの際には、天狗の面を背負う習俗も生まれた。
今は讃岐三天狗の一狗で金剛坊と呼ばれる(他は八栗寺の中将坊と白峯寺の相模坊)。
参拝を終えて
東海道の交通の要所、神奈川宿、横浜駅の近くに鎮座する当社。古くから商業の神として当地を行き交う人々や横浜港を往来する船舶の神として広く崇敬を集めてきた。社殿が倒壊しても仮殿が整備されるなど現在でもその崇敬の篤さが感じられる良い神社であると感じる。
地図