Gon のあれこれ -15ページ目

Gon のあれこれ

読後感、好きな太極拳、映画や展覧会の鑑賞、それに政治、ジャーナリズムについて、思いついた時に綴ります。

シュヴァルの理想宮は、1969年時の文化相アンドレ・マルローによって、「歴史的建造物」

 

に指定された。

アンドレ・マルロー

 

この事実を知って直ちに想起したのは、マルロー(1901-1976)が若い時に、

 

アンコールワットの女神像を切り取って逮捕されたこと。

 

もう一つは同じ文化相の時代に、画家バルテュスを「パリ日本美術展」開催のために

 

日本に派遣し、その時通訳をした出田節子に惚れてその後再婚して添い遂げたこと。

 

マルローはドゴール政権(1959-1969)時代に1960年から69年まで文化相を務めた。

 

2017年2月にアンコールワットを観光した時のブログ から抜き書きする

第4日目の目玉は、バンテアイ・スレイ。

アンコールワットの北東35キロ.約一時間半の道のりだ。

後のフランス文化相になる若きアンドレー・マルローがここにある彫像を盗み出そうとして捕まった事でも有名で、クメール美術の最高峰とされるがアンコールワットより一世紀前の建設である。

東洋のモナリザは奥まった塔の左面にあるが、4メートル前後からではよく見えないぐらい小さい。ここで持参のVIXEN単眼鏡 6*16が役立った。

ガイドさんに、確認するとマルローが盗んだ彫像はこの反対側の対称位置にあり、顔が削り取られている。なんという暴挙!

いかに魅了されたといえ他民族の文化に対する何たる傲慢さ!

こんな人物がフランス「文化相」を務めるとは!

スペイン内戦やレジスタンスに参戦するなど血の気の多い人物だろうが、異文化に対する敬意の乏しい人間を文化相に据えるとは任命者のド・ゴールともども傲慢不遜な奴だ。

ふつふつと怒りがわいてくる。

このフランス文化優越感がムスリムの人たちの根深い「恨み」の、そしてそれが、テロを誘発する温床にならなければ良いのだが、、、

マルローは魅了されて盗んだ、と解していたのだが、どうもそうではなく「一攫千金」を

 

狙って盗んだようだ。

 

マルローはパリの東洋学校に学び在学中ドイツ系の財産家の娘と結婚。

 

その財産を株につぎ込んで暴落、財産を摩ってしまう。

 

第一次大戦後フランスはドイツからの賠償金を目当てに財政を膨張させたが、どうやら

 

その賠償金が取れそうもない、と分かって暴落したらしい。

 

その起死回生に、妻と友人で他国の財産を盗もうとしたのだから歴とした犯罪者である。

 

しかし、ヴィシー政権下、ドイツに対する恨みもあったかもしれないが、対独レジスタンス

 

運動に身を投じ、ドゴールに知己を得てから政治の中心に躍り出る。

 

第二次世界大戦後民族独立運動が激化して、フランスはインドシナ独立で領土を失うが、

 

形の上ではフランスの県であったアルジェリアでの独立運動が激化して、その収拾の

 

為にドゴールが登板し、1958年10月第五共和政が発足、マルローは情報相から60年

 

には新設の文化相に就任する。

 

「脱構築」のジャック・デリダは、1930年にこのアルジェリアに生まれたユダヤ系フランス人

 

で、ヴィシー政権下ドイツに阿ねた地方政府はユダヤ人の国籍をはく奪したり、デリダの

 

のような優秀な成績の生徒を学校から追放したりした。そうした経験がデリダの「境界」

 

に対する鋭い感受性を育んだと言えるだろう。

 

ついわき道にそれたが、マルローは文化相の時、バルテュスをローマのフランスアカデミー

 

の館長に任命し、パリで「日本美術展」開催の際の展示作品を選定するため来日する。

 

バルテュスについては2014年の展覧会 の観賞記を書いたが、戦時中ユダヤ系の

 

ポーランド人として亡命生活を送り、ジュネーブでレジスタンスの闘志マルローと

 

知り合ったらしい。

 

尚バルテュスの母がリルケと同棲したことで彼も一緒に生活するようになるのだが、

 

この書の巻末にあるリルケの個人史には記載がない。

 

リルケは目まぐるしく女性と同棲を繰り返したから、逐一書いてないのかもしれないが、

 

画家バルテュスとの関係は記載に値すると思うがどうだろう。

 

勿論求婚したルー・ザロメのことは触れられている。

 

尚文学者マルローについては、小説と言えば若いころはゲーテやモーパッサンのベラミ

 

など10指に満たない位なので読んだことは無いが文化相としてはよく承知していた。

 

尚、映画「シュヴァルの理想宮」についてはブロ友のvingt-sannさんの細やかな鑑賞記

 

がある。ご自身が絵付け作家なので、違う味わいがありいつも読ませていただいている。

 

ぜひご一読をお勧めする。

 

 

 

 

 

 

 

 

19世紀末から20世紀にかけて、フランスの片田舎でガウディのような建築を、

 

33年かけて、コツコツと独りで創り上げた男。

 

その長年の労苦や世間の冷たい視線、あるいは建築上の諸問題の解決などのもろもろを

 

想像して見始めたのだが、不意打ちを食らったせいか、あるいは涙腺が弱くなったのか、

 

まるで寡黙で、妻や子供に愛情こもった言葉を掛けることも、ましてや態度で表すこと

 

が出来ない不器用な男が、なによりも家族に支えられて黙々と作り続ける、その物語

 

に時にハンカチのお世話になった。

 

シュヴァル(1836-1929)は、近代絵画の父セザンヌ(1839-1906)と同時代

 

人。スイスレマン湖からリヨンを経由して地中海にそそぐローヌ川の支流の山間のむらで

 

セザンヌが隠遁したエクス=アン=プロヴァンスとリヨンの中ほどにその村はある。

 

建設を始めたのは1879年、43歳の時。二度目の妻との間に、その前年に一人娘アリス

 

が生まれ、長年夢見た王宮を彼女にプレゼントしよう、と思い立ったらしい。

 

南側のファサードは幅27メートル、高さ13メートル。

北側のファサードは森の様だ。

細部はおとぎの国のような可愛らしさであふれている。

娘を喜ばせよう、の一途な思いを感じる。

 

そのアリスが1894年、15~6歳で亡くなったとき彼の心は折れかけたのだが、

 

妻の励ましや、最初の妻との息子や孫娘の暖かい眼差しに次々に勇気つけられて

 

33年後に完成を見る

 

郵便配達で1日16マイルも歩いたというから、健脚で身体も鍛えられてのだろう。

 

広い配達区域を歩いている間、まるで白日夢を見るように、造作のイメージが固まって

 

いったようだが、その着想の一部はアンコールワットの記事を見たことにあるらしい。

 

パリ大改造のナポレオン三世が1858年フランスの宣教師団保護の名のもとに、

 

インドシナに遠征軍を派遣。

 

1863年にはアンコールワット訪問記が雑誌に掲載され、1878年のパリ万博では

 

アンコールワットを象ったインドシナ館が建てられたというから、映像のイメージは

 

それらの記事によって、かなり具体的に出来上がっていったに違いない。

 

この建物は誰しもガウディを想起するが、彼はバルセロナは疎かパりさえ行ったことが

 

無かったのであるから、彼の独創は他の影響のない孤立したものである。

 

そのユニークさが徐々に伝わって、シュルレアリストのアンドレ・ブルトンピカソ

 

あるいはマックスエルンストなどが訪れて作品を残している。

 

なかでもブルトンは、以下の書の中で

魔術的芸術: 普及版 魔術的芸術: 普及版
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「ふたたび見出された魔術シュルレアリスム」

芸術と出会ったとき、シュルレアリスムは芸術をしてその起源へと立ち返らせ、更に一つの道を出来るだけくまなく踏査させるようにすることを、みずからの務めとするに至った。

シュルレアリスムがまず手始めに「先駆者」として要求したのは、ギュスターヴ・モローたちだったが、既に一つの思潮全体が「思考の真の働き」(シュルレアリスム宣言)への呼びかけの中に、巻き返しと輝かしい弁明を見出していた。すなわち、素朴画家たちや、狂人たち、子供たち、霊媒たちからの呼びかけである。郵便配達夫シュヴァルの不思議な宮殿、ガウディの常軌を逸した建築群、分裂病者やパラノイア患者たちの油絵など、これら天才的な素人作品のすべてが、ヨーロッパの公認芸術にとって不利な証言をしにやってきた。(P242~243適宜中略)

シュヴァルは「素朴派」(20世紀の美術)ないし「アウトサイダー」と括られることが多い。

 

素朴、とは未開とまで言わぬものの後進性を含むニュアンスがある

 

「アウトサイダー」とは主流派、つまり印象派や美術教育を受けていない者、という

 

含意がある。

 

美術史家とは大抵の場合学問としての美術史を学んだという、ある種の「権威」を

 

身に纏った者たちが、芸術家とその作品を「位置づけ」「名付ける」わけだが、

 

目まぐるしい変転常無き今日、オープンソースの情報にアクセスできる知恵さえあれ

 

ば「学問の府」で学ぶことと遜色ない知識が得られる今日、キュレーターも美術史家

 

も安閑としては居られまい。

 

尚素朴派に括られる画家は、アンリ・ルソー、ゴーギャン、モディリアーニ、シャガール

 

パウルクレー、ゴッホ、山下清、福間弥生など多士済々。その括りに異論も多いだろう。

 

後々、歴史の見直しがあるかもしれない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年は日本オーストリア友好150周年に当たり、展覧会や音楽会などが催されたが

 

その掉尾を飾るのが、このハプスブルグ展

 

4月には都立美術館で「クリムト展:ウイーンと日本1900

 

同じ4月国立新美術館でウイーンモダンークリムト、シーレと世紀末

 

ハプスブルグ家にまつわる展覧会はこれだけではない。

 

2018年には「ブリューゲル展」 が都立美術館で、「ルドルフ二世の驚異の世界展

 

東急文化村で、2017年には「アルチンボルド展が国立西洋美術館で、「バベルの塔展

 

が都美術館で開催された。なんとこの3年間で7回のハプスブルグ関係の展覧会である。

 

加えて映画「「グレートミュージアムーハプスブルグ家からの招待状」」はウイーンの美術史

 

美術館のドキュメンタリー。(2016年)

 

そのたびごとにハプスブルグ家について触れてきて、我ながらちと食傷気味で、今回は

 

違う角度で書きたいが、その前に今回の展覧会の目玉は、スペインハプスブルグ家の

 

宮廷画家ベラスケス(1599-1660)の描いた「王女マルガリータ・テレサ」

宮廷画家ではあるが、侍従長にまで昇りつめたベラスケスであっても、否、あったればこ

 

そ、主家の婚礼は一大事。 スペインハプスブルグ家から神聖ローマ皇帝オーストリア

 

ハプスブルグ家のレオポルド1世に嫁ぐ姫の肖像画をウイーンに送るために何枚も

 

描いている。

 

この姫(1651-1673)は早死にであった。縁戚関係で版図を拡大してきたハプスブルグ家

 

は、他家に娘を嫁がせることで逆に版図を縮小せざるを得ない羽目にもなる。

 

事実姫の同母弟のカルロス2世(1661-1700)が、近親結婚の咎もあって早死に。

 

スペインハプスブルグ家から異母姉がフランスルイ14世に嫁いだことで、マルガリータの

 

嫁いだレオポルド1世との間にイギリスを巻き込んだスペイン継承戦争が勃発する。

 

その後の後継者断絶もあり、ルイ14世の孫フェリペ5世がスペイン王になり、

 

ハプスブルグ家は永久にスペインを失ってしまうのだ。

 

このマルガリータについてはもう一つ言及しなければならないのは、ベラスケスの傑作

 

「女官たち」の中央に描かれていること。

左側キャンバスに向かっているのは画家ベラスケス。その描こうとしているのは、

 

マルガリータの両親、フェリペ4世夫妻。画家の右奥に鏡があってそこにどうやら夫妻が

 

映っているようだ。その更に右に出入り口があってそこに立っている人物は謎だ。

 

ミシェル・フーコーは「言葉と物」の冒頭でこの絵を取り上げ、宮廷の主フェリペ王の存在

 

が曖昧で、中央の姫も画題を「女官たち」とすることで主題化されていないことに

 

着目する

 

一方この絵を見る我々は、フェリペ王の視線からこの絵を鑑賞している訳だ。

 

そして自分の目線で観察し、見た世界を表現する、という者が居ない

 

(このあたり前回ブログ「コートールド展のフーコーのマネ論を参照されたい)

 

これを端緒にフーコーは16世紀から20世紀にかけて、西欧においてどのような認識論

 

ーエピステーメの変化があったのかを論じていくのだが、デカルトに始まる主体の哲学

 

サルトルの実存主義に見られるように、人間があたかも万能であるかの如く自己決

 

定出来る存在となっていく。「自己決定」という言説は裏面では「自己責任」に繋がり

 

それは例えば妊娠の自己決定が男性の責任を後景に押しやるようにしていくのだ。

 

ハプスブルグ家は神聖ローマ帝国の消滅(1806)後もオーストリア=ハンガリー帝国を

 

率い、サラエボで皇位継承者のフェルディナント大公が暗殺されて始まった第一次世界

 

大戦をドイツ帝国と共にロシア、フランス、大英帝国の同盟国と戦い、敗れ遂に消滅

 

(1918)する。何とか生き延びていたロシアも1917年2月革命で消滅

 

1848年革命の後次々と誕生した欧州の「国民国家」は二つの王朝の終焉で一応の

 

区切りを見た、と言ってよいであろう。

 

ハプスブルグ家はその長い統治の間、宮廷画家を雇い、絵画を収集し膨大な

 

コレクションを残した。それは当時の「世論」であった宮廷人の関心や人気を取るため

 

でもあり、王の威信威光を示すものでもあった。

 

一方王政は、その富を王家に集中することで、産業革命やブルジョワジー、労働者の

 

勃興を遅らせ、「近代化」「民主化」の後塵を拝する原因ともなった

 

功罪いずれが勝るであろうか。

 

考えさせられるのである。

 

 

 

 

 

 

 

魅惑の印象派という副題の都立美術館で開催中の展覧会。

 

セザンヌやマネのほかモネやゴッホ、ゴーギャン、ドガ、ルノワールなどの絵

 

が展示されている。

 

マネに関して、バタイユとフーコーがマネを論じており、それぞれの邦訳がある。

 

セザンヌもマネも近代絵画の始まりに位置付けられるがセザンヌについては

 

かつて、映画「セザンヌと過ごした時間」でその所以を紹介し、同じ印象派展としては

 

スイスの「ピュールレコレクション展が昨年4月にあり鑑賞記を書いたので、

 

今回は日本でもなじみ深い思想家・哲学者の二人のマネ論を紹介する。

 

先ずバタイユ(1897-1962)はマネ論を1955年に書いている。(邦訳1972年)

 

 

一方ミシェル・フーコー(1926-1984)は「マネの絵画」と題されて講演が行われ

 

1970年に東京でも行われたが、2001年のフーコーに関するシンポジウムの機縁で

 

1971年のチュニジアで行われた講演の完全な録音が見つかり、2004年に仏語で、

 

邦訳は2006年に刊行された。

 

バタイユはフランスの現代思想家に大きな影響を与え、デリダやフーコーが

 

バタイユを論じている。よってフーコーも当然バタイユのマネ論を読んでいたであろう。

 

バタイユはマネ論で主として「オランビア」(1865)や「草上の昼食」(1865)を取り上げ

 

フーコーは晩年の傑作「フォーリー・ベルジェールのバー」(1882年)について論じている。

 

最初から核心に入るが、バタイユはなぜマネの絵を、その革新性を「沈黙の絵画」

 

名付けたか。

 

アリストテレスの「詩学」でその主題は行為する人間、とされ、詩と同様絵画も人間の行為

 

を描くべきものとされた。偉大な絵画とは新旧の聖書やギリシャ神話、あるいは戦闘の

 

英雄などから主題がとられ、またそれを鑑賞する側もそれらに関する知識だけでなく

 

シンボルやアレゴリーなどを読み解く能力が必要とされた

 

私見では、フランス革命(1789)で教会の権威、あるいは王権神授説が否定され、

 

成り上がり物のナポレオンが皇帝になり、失脚し、1848年の革命でルイ王朝が終焉して、

 

偉大な物語も終わった。ナポレオン三世のパリ大改造はその過去の追憶追悼である。

 

いわば偉大な絵画の「権威」が消失したことによって、そうした題材が虚しいものとなって

 

しまったとき、一体全体、描くべきテーマ、主題の先にある雄弁な物語をどこに求めるのか、

 

という大きな空洞が出来た。

 

その空洞を別の物語で埋める事をせず、その現実を提示したマネの革新性がそこにある。

 

バタイユは言う。「草上の朝食」の登場人物たちは現実にはあり得ない寄せ集めである。

 

ラファエロの原画に基づくライモンディの「パリスの審判」(1515)の右下の一部から借りた構図

ではあるが、マネの右側の人物の指し示す方向に何かがある訳でもなく、何も意味しない。

 

観衆から、「草上の朝食」に勝る哄笑、酷評を浴びた「オランビア」はテツイアーノの

 

「ウルビーノのヴィーナス」から構図を借りているが、((テツイアーノとヴェネツイア派展)

裸婦はヴィーナスではなく、少女(バタイユ96p)オランビアである。

 

黒人奴隷はオランビアと同じ大きさで描かれ、そこに優劣の関係はない。

 

そしてオランビアの表情から何か読み取れるものがあるだろうか。

 

バタイユは言う。「マネは絵画の沈黙」を求めた。彼は詩と絵画の関係を完全に切り離

 

し何かを物語る「陳述の機能」から解放されて、一つの自律的な芸術になった」と。

 

私はこのあたりの叙述を、ルネッサンス後期からバロックにかかる画家カラヴァッジ

 

(1571-1610)の絵をマネの絵の対極として思い描いた

 

「草上の朝食」では、日の光は一方向ではなく、、何らかの物語性を、いわんや劇的な

 

表現や何らかの情念やアレゴリーを感じさせるものはない。「沈黙」しているのだ。

 

バタイユは「沈黙の絵画」に続く論考「印象主義」の中で、マネとセザンヌについて

 

「印象主義は、絵画を再現された主題に従属させてきた社会の中で、絵画がし

のんでいた隷属から絵画を解放したのである。印象主義によって、絵画は自律

性に達した。

しかし一人セザンヌだけが差し出された自由を力強く利用したのである。

マネは自由に酔いしれたが、それ以上遠くまで行かなかった。そして彼が最も華々しく衝撃を与えたとすれば、それは彼が最初だったからである。セザンヌは最も深くスキャンダルを起こし、自律的な絵画が発展する道を開いた。

この自律的絵画はフォビズム、キュビスム、シュルレアリスムによって可能なものの領域を隅々まで踏査しようと試みたが、人目を惹く絵画が持っていた力は今日働くのをやめてしまい、ダリ以来、バルテュス以来、ただ一つの衝撃的な新しさもない。

(p206,191)というのがバタイユの最後の嘆きである。

 

一方フーコーのマネ論は、マネの十数枚の絵画を例にしながら、三つの項目について

 

分析を進める。一つ目はマネがキャンバスの物質的特性、表面、高さ、幅をどのように

 

用いたのか。第二にマネがどのように照明の問題を扱ったのか

 

第三にマネが絵画に対する鑑賞者の位置をどのように用いたかという問題。

 

「草上の朝食」や「オランビア」は照明の問題に於いて(56~64p)、マネ晩年の傑作

 

「フォリー・ベルジェールのバー」この最後の問題について論じられている。

 

「草上の朝食」で、画面右の男性の手に注目し、

この手の二つの指のうちの一本はこちらの方向を指し示していますが、この方向はまさしく内部の光の方向、上方から、外から差してくる光の方向にほかなりません。そしてまたもう片方の指は外部に向けて、タブローに大して垂直な軸線の方向に折り曲げられていて、その指は画面を照らし出しているほうの光の光源を指し示しています。このように、手の動きによってタブローの基本的な軸が示され、関係性の原理であると同時に異質性の原理でもあるようなこの絵の原理がわかるのです。(58p)

次に「フォリー・ベルジェールのバー」について、まずこの絵が絵画的伝統や慣習とかなり違う点、鏡がタブロー背面の殆ど全体を占めている。そしてそれが鏡であることによって、この壁の中に絵の前にある者を描いており、その結果、本当には奥行きが見えず存在しないことになっている。照明は完全に正面からのもので、この照明を絵の内部に表象することにより、マネはいわば意地悪さと狡知を倍増させている。左側の酒瓶や、この女性の背中は本来鏡に映る筈の位置にない、つまり捻じれがある

鏡の中の女性の背の右に男性の顔がある。つまり女性の目の前にいるわけだが、このような位置で鏡に映る筈がない。そして女性の正面とは、画家の目線であり、絵を見る者の目線んである筈だ。画家や我々鑑賞者が居る位置に別の誰かが写っているのだ。我々がこの絵に見ているような光景を見るためにはどこに居ればよいのか知ることは出来ないそして鑑賞者が占めるべき安定した確乎たる場所が排除されていること、それがこの絵の根本的な特徴の一つである。こうしてマネは、表象作用が我々に押し付け、鑑賞者に唯一つの鑑賞点を押し付けるような、いわば規範的空間を暴力的に(フーコーなら狡猾と言うだろう)排除しているのだ。それは恐らく表象そのものを捨て去り、空間が自らの純粋で単純な特性、その物質的な特性そのものと戯れる(80p)ような、フォビスム、キュビスム、シュールレアリスムからモダンアートに通じる回路を拓いた、ということになるだろう。

 

バタイユは「草上の朝食」の右側男性の指し示す方向の無意味さを言い、フーコーはそこにマネの光の方向の示唆を見る。バタイユはセザンヌに新しい絵画を切り開いた、とするがフーコーはそれこそマネがしたことだ、とみなす。

その違いこそ、テキストを読む者の快楽の一つである。

 

以上はマネの絵についてのバタイユとフーコーのテキストであるが、このテキストについてのテキストとして、「詩と絵画」という作品がある。

 

 

既にもう長くなり、これを読む人に苦痛を与えそうなので、この辺で閉じる。

フーコーといえば、「言葉と物」でバロックのベラスケス(1599-1660)の「女官たち」

という「主人公が誰かがわからない」絵画を俎上に載せて、「特定の時代に関する認識論的空間ーエピステーメ」を切り開いたが、その「言葉と物」と「マネ論」は当然関連があるが、

それらも別の機会があれば考えてみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

芸術家は、何かしら自分の中に偏愛するもの、こだわり、あるいは何かに囚われており、

 

それを集中力と忍耐力で表現する。そしてその芸術家の歪んだ鏡に映るものがわれわれ

 

凡人の平凡な日常に一撃を与えるのだ。

 

フランス生まれの、現在はニューヨークに住むカミーユ・アンロは既にポンピドーが作品

 

を購入するなど、モダンアートの作家として地歩を確立した存在、と言えるだろう。

 

今回の展示については、以下の紹介が詳しい。

https://casabrutus.com/art/119968

 

彼女の作品の紹介で心惹かれるのは、以下の文。

彼女のインスピレーションの源は文学や哲学、天文学、人類学、博物学、情報学など多岐に渡る。そうした知の泉に自ら飛び込み、受容、咀嚼した情報をユニークな世界に昇華させる。たとえば、ヴェネチア・ビエンナーレで発表した《偉大なる疲労》は国立スミソニアン博物館にある膨大な資料調査に基づき、世界の始原から神話、生命の歴史などの考察をデスクトップの画面上にスピーディーに展開する映像作品。ヒップホップミュージックとともにラッパーの語りによって壮大なストーリーが軽やかに紡がれる。この作品と対になる《青い狐》は宇宙の成り立ちや生命、世界の秩序と多義性を、空間全体を使って表現したインスタレーションだ。

最初の展示室「革命家でありながら 花を愛することは可能か」(Leninism under 

 

Lenin Hardcover – 1975 から引用されたらしい)と題された会場には、川上弘美

 

蛇を踏む、三浦しおん 船を編む、平野啓一郎 空白を満たしなさい、紫式部

 

川端康成などの日本の作家と、フロベール サランボー、ロレンス チャタレー夫人の

 

恋人のほか、ユングメルロポンティニーチェルソー(人間不平等起源論)

 

ハンナ・アレントからタブッキイタロ・カルヴィーノまで、彼らの著作にヒントを得た

 

生け花((草月流)が展示されている。

川上弘美 蛇を踏む

一番最初の展示「蛇を踏む」は蛇らしき形でしかも胴体と思しき部分がツルっとしている

 

のでふむふむ、となるのだが、ユングにしろニーチェの道徳の系譜にせよ、その照応関係

 

は曖昧というか、決定不可能である。

 

言語と視覚化された作品との関係は、作品についてのテクストでない限り、決定不可能

 

で当然であり、見る側の我々もその照応関係を逐一詮索する必要はないだろう。

 

テクストの視覚化を競うコンテストではないのだから。

 

冒頭「こだわり」について述べたが、アンロのこだわりの中には、卵生の蛇に対する

 

ものがあるようだ。

 

毎年脱皮を繰り返す蛇は、変身のメタファーにもなり、卵生で両性具有の神話もあり

 

それらが川上弘美の小説「蛇を踏む」のベースにあるが、アンロもまたアフリカの

 

ドゴン族の卵生神話を映像作品「偉大なる疲労」に取り込んでいる。

 

(ドゴン族の神話については「アフリカの創世神話」阿部年晴著紀伊国屋書店第4章参照。)

 

次室の「青い狐

 

倫理学、神学、法学、数学、自然学、歴史など広範囲な業績を残したライプニッツは、

 

著作、「モナドロジー」と「形而上学叙説」(いずれも岩波文庫)を齧ったぐらいでは

 

その全体像はわからない、少なくとも私には。

 

よってとてもきれいなブルーの部屋の個々の彫刻には惹かれるものがあったものの、

 

表現意図については No Idea 。安易に「昇華」等とはとても言えない。

 

この部屋にいる学芸員と思しき女性に、アンロは日本語を読めるのかを尋ねた(13日)

 

のだが、読めるわけではないらしい。フランス語や英訳の書以外は、日本の知人や学芸員

 

の人の援助で作家や作品中の文章をピックアップしたらしい。

 

そういえば、ドイツ人ライプニッツの「モナドロジー」等はフランス語が最初の出版らしい。

 

「偉大なる疲労」を見た後、出口にこの展示会で参照された図書を陳列していあったの

(一部)

だが、今月初旬、神田の古本祭りで買い求めたばかりの、ジル・ドゥルーズ

 

「襞ーライプニッツとバロック」があり、改めて読書欲をそそられた。

 

ドゥルーズやデリダ、フーコなどのフランス現代思想を、「知の欺瞞」を併読しながら

 

読み、ポルトガルの詩人ペソアや、メキシコの詩人、思想家オクタビオ・パスを読んで

 

いるとアンロの読書傾向に、とても親密感を感じる。(タブッキはペソアの愛好者研究者)

 

そして、アンロの思想逍遥の中に、詩人オクタビオ・パス、思想家オクタビオ・パスが

 

欠けていることがとても残念だ ぜひ読め、と強く勧めたい

 

パスは、シュルレアリストのアンドレ・ブルトンと親交もあり、詩論、芸術論、言語学

 

など広範な分野にわたる知的巨人であり、フランス語の著作、英語の著作も多い

 

ライプニッツと同様にインドや中国の思想にも詳しい

 

最後になるが、このアンロの展覧会も閑散としていた。

 

モダンアートは日本ではまだまだマイナーな存在だ。

 

これでは日本のモダンアートの作家も日本で育たない。そこがとても残念だ。

 

名の知られた西洋画家、浮世絵や若冲などにはワッと押し寄せる

 

日本人の「セレブ好き」は江戸の見世物小屋の役者好き以来の伝統らしいが、

 

それが政治家の、たとえば内容の無い発言しか出来ない進次郎に群がる心性と

 

通底しているような気がしてならない。

 

日本人は所詮軽薄な民族なのか? 熱しやすく冷めやすい、とも言われるが。

 

追記:日本ではまれだが、カメラ撮影可能、ただしフラッシュ禁止であった。

 

さもありなん、ということでカメラ持参。素人っぽい画像で御免。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8日に新橋で用を足した後、古本市へ。

 

既に4日から始まって明日はもう最終日、というタイミングで見て回った

 

ので、本棚にも空きが目立ちやや寂しい感がある。

 

例によって求めている本は見つからず、以下の本を購入。

 

ベルグソン」 市川浩著 講談社学術文庫 600円

メルロ=ポンティ入門 船木亨著 ちくま新書 400円

ヒンドゥー教」 クシティ・モーハン・セーン著 350円

(ベルグソン)

 

以上三冊のみ。いずれも美本であった。

 

ご案内:

JR新宿西口を出たロータリー広場で「新宿西口古本まつり」

が11月25日から28日まで開催される。

 

 

次と、その次に読むべき本が手元にあり、今本を漁る必要は無いので、

 

近くのフードコートでいつものようにコーヒーを飲みながら読もうかとも考えたのだが、

 

古本”祭り”とあるからには、参加することに意義あり、と思い直して出かける。

 

今朝は霧が深く電車も遅れ気味であったが、いつものように御茶ノ水側から始める。

 

天気もよく、そこそこの人出で例年と変わりないように感じたがどうだろう。

 

見て回ると、つい手元に置いておきたくなる悪い癖が出て、

 

ジル・ドゥルーズ 襞ーライプニッツとバロック 2750円

ニーチェ全集1 古典ギリシャの精神  ちくま 400円

フーコー 桜井哲夫著(講談社メチエ) 250円

Ch・ノリス ディコンストラクション 勁草書房 400円

ジャック・ブーヴレス アナロジーの罠 新書館  500円  合計4300円

 

バタイユ、フーコー、バルト、リクール、デリダは著作も解説書もそれなりに所蔵している

 

が、最近はモダンアートの関連で参照することも多い。

 

その彼らを、数学やら分子生物学やらをアナロジーに用いて難解な「ふり」をする、

 

と揶揄した「ソーカル事件」は以下の書に詳しいが、

 

 

買い求めた「アナロジーの罠」の副題は「フランス現代思想批判」となっており、

 

ソーカル事件にも触れている。

デリダの肖像画

 

ドゥルーズやデリダらの現代思想家は「器官なき身体」「脱構築」「差延」「代補」な

 

ど飲み込みにくい新・造語がたくさん出てきて分かりにくいがゆえに、知的好奇心を

 

刺激して著者の本も売れ、解説書も売れる、という出版業界には有難い構造である。

 

しかしフランスでは、もう既に彼らの時代ではとっくになくなり、技術やメディアに関心が

 

移りつつある。それは大胆に要約して言えば、1968年5月のカルチェラタンの革命後

 

ドゴールがあっさりと国民の支持を得た顛末の衝撃から問題意識を触発された世代から

 

インターネットとスマホの時代、技術とメディアとグローバル企業の権力の問題に時代も

 

関心も移行した、と言えるだろう。

 

しかしながら、、貧困や格差や移民や難民や、全体主義、専制主義の問題、あるいは

 

ポピュリズムや右傾化、あるいは国際紛争を含めて問題解決の制度的側面など、

 

きりなく問題は残されており、フーコーやドゥルーズやデリダの問題意識は時代遅れ

 

になった、というわけではないのだ。

 

 

 

 

有料の展覧会 イメージの洞窟ー意識の源を探る は、この副題に惹かれて出かける。

 

 同展のホームページにはこうある。

わたしたちは普段、主に視覚から情報を得ていると言われています。
その視覚的情報を元に、個々人が“イメージ”を作り出し、重ねながら、ものごとを考えていきます。わたしたちの認識のベースには、複雑にからみ合い、洞窟のように入り組んだイメージが存在しています。しかしその実、同じ光景を見ても感じとることは人によって異なり、同じ写真や映像を見ても、異なる感覚をおぼえます。本展覧会は、洞窟をモチーフや暗喩にした写真や映像作品から、イメージや認識の作られ方を再考しようとするものです。

哲学者プラトンによる「洞窟」は、イメージの認識に潜む「虚像と実在」という根源的問題を示唆しています。宗教学者ミルチャ・エリアーデは、自己を根源的に体験しなおし、外界と関わりなおす準備をするための場として、体験的洞窟があると指摘しました。

ジョン・ハーシェルの{海辺の断崖にある洞窟」

 

プラトンの根源的問題は、我々は対象の真の認識に至ることが可能か、を問うものであり、

 

エリアーデの根源的体験はいわば深層において洗いなおされ、場合によっては治癒を

 

含む「再生」が行われるプロセスに関わるものだから、本来は別次元の「根源」である。

 

イメージは意識に上るとき、多くは「コトバ」として記号化され、言葉を介してイメージを交換

 

し合うのだが、言葉の意味内容がそれぞれの話者によって異なる、ということは当たり前

 

で、そこにコミュニケーションや論争の困難さがある、ということは改めて言うまでもない。

 

一方、洞窟のイメージは以下のようなメタファーを喚起する。

 

1、原始人類にとっては洞窟は夏涼しく冬暖かく、しかも比較的安全な住居であった。

 

  モンゴルとロシアの国境近くのデニソワ洞窟で発見された「デニソア人」は日本人や

 

  多くの東洋人にそのDNAを共有しているが、洞窟では食生活はもちろん生殖や誕生

 

  の場でもあった。洞窟から狩りの絵が発見されることもある。

 

  さすれば洞窟はイメージから記号化の端緒の場でもあったことになる。

 

2 洞窟は家族単位の生活の場であっただけではない。

 

  トルコのカッパドキアのあるアナトリア地方では、大きな地下集落がある。

 

  初期キリスト教徒が迫害を逃れて地下に隠れ住んだ、と言われるが、母系社会

 

  形成して宗教と民族を繋いでゆく場所でもあった。

 

3 イギリスの哲学者ベーコン(1561-1626)は、我々の先入観や偏見(イドラ)を4つ挙げ、

 

  いったん偏見が形成されると、今でいう「確証バイアス」によってますますそれが

 

  強化されるとした。そのなかで狭い洞窟の中から世界を見ているような、個人的な

 

  先入観、偏見を「洞窟のイドラ」と名付けた。その人固有の性格や生育環境、習慣や

 

  交友関係から形成される。イメージや意識の源は、偏見の生み出されるところでもあり、

 

  それを克服するためには、そうした陥穽を自覚し、広く学び経験(展覧会を含め)する

 

  事をベーコンは勧めている。

 

 4 エリアーデ的なアナロジーを加えると、洞窟は哺乳動物の子宮にも例えられる。

 

  そこでは新しい生命が着床し、羊水の中で成長し、一定期間の後、母体と相似の形

 

  で世界に出るイメージやアイデアもまた、我々の潜在意識下で着火し、他と連合

 

  しながら、ある輪郭、つまり言語や記号化されて表現される。

 

そうしたイメージを輻輳化させることで以下の目論見も位置づけが出来るだろう。

洞窟という切り口から、現実と写真、歴史・社会と身体・存在をとらえなおし、現代から未来へつなぐ「像・イメージ」をぜひご高覧ください。

各作品の入り口には、説明文があり、その「説明文」は、「このように見よ」という

 

指示的なものが目についた。

 

また最初の志賀理江子の作品「人間の春・私は誰なのか」は連作の中の一作品

 

であろうが、連作の一つを切り取った展示ではよく理解することが難しい。

 

その他、乳児の輪郭を印画紙に焼き付けて制作した北野謙の作品や沖縄のガマ(洞窟)

 

の闇を長時間撮影した写真など、その道のプロには技術的評価は高いのだろうけれど

 

門外漢の私にはその有難味はさっぱりであった。

 

(だから何とか理解しよう、好意的に見る要素を探そうとして話が長くなるという私の癖)

 

一方、入場無料だが楽しみにしていた「写真新世紀」と銘打たれた

 

第42回公募受賞作品展。

 

こうした展覧会は応募する人の熱意熱気が感じられてとても嬉しい。

 

公募受賞作品展チラシ

 

各作品には作者の「製作意図」と選者の選定理由が掲載されており、作品を

 

鑑賞する上でのいくつかの手掛かりが与えられている。

 

押しつけがましくもなく、とても良い試みだ。

 

選者、といえば2010年前後から、審査員がとても多様化しているし女性も多い。

 

こうした姿勢も好ましく、とても気分がよい。

 

公開の審査会、表彰式は11月8日(金)(事前申し込み制)となっているが、

 

入り口で入場者に、作品リストとそこに最も優れていると思う作品にチェックをつけ、

 

一言コメントを書く欄もあって、最も投票が多かった作品に「オーディエンス賞」を授与し

 

その作家を選んだ投票者から抽選でキャノン(主催者)のカメラが与えられる。

 

カメラが当たることは期待していないが、とても面白い試みで楽しんで参加した。

 

出口でアンケートが配られたが、勿論喜んで参加。

 

気分よく都写美を出て、いつもの「たつや駅前店」で厚揚げや焼きトンで昼飲み。

 

 

 

いくつかの経験を繋ぎ合わせると、モダンアートの需要側は、一方では

 

美術館やアートギャラリーの展示や収蔵、あるいは画商など。

 

もう一方は、新築のビル、オフィス、ホテルあるいは複合ビルなどのオーナーである。

 

新築では設計事務所や設計施工を請け負うゼネコンの設計士が、ビルの主として

 

ロビー空間のコンセプトに絡んでそこに置くアートのプレゼンをするケースが多い。

 

ロビー空間は、建物が面するストリートや街区と相互浸透的関係、つまり建物を建てる側

 

は街区との連続性や一体性(新たな個性を加えることも含む)を意識し、一方完成したその

 

建物の個性が、その街区全体の個性の一部ともなる。

 

今回の展覧会でいえば、SITE A の「東海道53次童士巡礼図」が、建て替えとなる

 

戸田建設本社ビルが日本橋を起点とする東海道に面していることに着目して、

 

東海道の表の顔が徳川幕府の「セキュリティ」のための関所だとすれば、その道を

 

お伊勢参りなど、江戸の庶民が「観光」に利用した「裏の顔」と捉えて、江戸を左から

 

ランドマークの富士山や琵琶湖などの名前の文字を裏返しに京まで書いた作品が、

 

いわば「立地ー土地の個性」というアプローチで作られた作品であろう。

 

ホテルなどのロビーで飾られるモダンアートは、例えば地元工芸家の陶芸レリーフや

 

立地(日本、地方)にちなんだ作品を作家に依頼するケースが多い。

 

さて、今回戸田建設が主宰する展覧会の開催趣旨を始めに押さえておこう。

 2021年は、戸田建設にとって創業140周年を迎える年であり、かつ長らく京橋の地で社業を営んできた社屋(TODAビル)が、2024年に完成する(仮称)新TODAビルにその役割を繋いでゆく節目の年でもあります。

 新しいビルには、アートをはじめとするクリエイティビティを育み、発信する場が誕生します。訪れるオフィスワーカーや地域の人、街区を訪れた人たちには、気軽に芸術文化に触れられ、発見や変化によって新しい繋がりが生まれ、彩りある豊かな未来へと展開していく“きっかけ”を提供したい、そして京橋の街がさらに発展していく役割を担えればと願っております。

 2019年8月、TODAビルが解体され一旦姿を消すその前に、再び京橋に新たな芸術文化施設と共に戻ってくることを宣言し、街から期待される再生を果たすためにも、アートイベントを開催することとなりました。

 この「TOKYO 2021」は、戸田建設が若手アーティストや建築家と組んで手掛ける初めてのアートイベントであり、我々が、完成までのすべてのプロセスから学び、未来に対して何ができるのかを考え、昇華させていくための必要不可欠な通過点と位置付けています。アートイベントのテーマを通して、自らのルーツである建築・土木を見つめ直す機会を得られたことも大きく、多くの方にご覧いただけることを願っております。

タイトル TOKYO 2021
会場 TODA BUILDING 1F(東京都中央区京橋1-7-1)
会期 2019年8月3日(土)〜10月20日(日) 11:00-20:00
建築展(8月3日〜8月24日 
美術展(9月14日〜10月20日)
※建築展・公開講評討論会後、8月25日から8月31日まで課題の成果のみウィンドウエリアでご覧いただけます。
※9月1日〜9月13日までは美術展の展示替えのため休場期間となります。
入場 ウェブサイトより事前登録。
※展覧会は2会場で開催されており、うち1つは事前登録なくご覧頂けます。
総合ディレクション 藤元明
企画アドバイザー 永山祐子
主催 戸田建設株式会社
運営 TOKYO 2021 実行委員会

総合ディレクション藤本明の作品はSITE Bにある。題名は「幻爆」

 

題名から、直ちに「原爆」の光エネルギーを連想するのであるが、それで十分であるか

 

否か、作者の意図をを十分にくみ取れているか否か、は分からない。

 

尤もインパクトがあったのは 同じSITEBにある弓指寛治の「白い馬」。

馬の体毛が花びらのようでもあり、腫瘍でもあるような白いものが全身に付着し、

 

中心には大きな腫瘍(と理解した)があり、馬は苦痛でのたうっているようだ。

 

最初は「環境」がテーマ、と思ったのであるが馬の左手には旧式の銃があり、

 

「戦死」の連想が働く。右手には亡霊のように佇むカラスのような鳥がいる。

 

平和の象徴たる黄金のハトは左手の方に飛び去りつつある。

 

この絵に直角に伸びる展示物は「黒い盆踊り」と題されている。

 

先の戦争では全国津々浦々から、赤紙で戦争に駆り出された百姓が兵士の主力であった。

 

その津々浦々の「祝祭」としての盆踊りは「戦死によって赤から黒に暗転する」。

 

帰宅して彼のプロフィールを参照する。

弓指寛治

鎮魂 が大きなテーマとして彼にあるらしい。

 

黒く縁取りされた踊る人々は服喪をしていると解釈することが出来る。

 

再度SITE A に戻って会田誠の作品を見る。

 

白い布?で覆われたものがあり、その説明で会田誠展「天才でごめんなさい」で

 

ツイッターを壁に張り付けた作品が、ツイッター社から版権の問題の指摘があったものの、

 

会田はそれを無視して展示を続けたが、以後ツイッター社からは音沙汰無し、

 

ということで、今回その作品に覆いをかけて展示した、との説明書き。

 

ツイッターは「リツイート」機能を設けている訳であるから、「著作権もへったくれも無い

 

と思うのだが、同社も変な難癖をつけるものだ。(同展のブログ

 

考えてみるとツイッターは自分がフォローしている人達のツイートを、自分が

 

ツイッターにアクセスしている時だけに眺めているのだから、自分の川に流れてくる

 

ツイッターをある時その川に掛けられた自分の橋から眺めている、と例えられる。

 

そうした「閉じられた時空」を、まるですべての世界であるかのように錯覚するとき

 

フォロワーの数やリツイや「いいね」の数が、自分のエゴを肥大させるのだろう。

 

会田のその作品は、そのように思い返してみる時、とても余韻のある作品だったと思う。

 

ついでに言うと、芸術や学術分野では、「引用」「パロディ」などや「研究」「評価」「批評」

 

などの行為を「著作権」で縛るべきではない、というのが私の主張だ。

 

SITE Aは「災害の国」と題されているのだが、ディレクションをした人の説明と、

 

その題は、会田誠の作品や、先に述べた「東海道五十三童子巡礼図」を含めて、

 

作品個々の内容とがうまく噛み合っていない、と感じた。

 

また、東日本大震災などのような自然災害と「戦災」のような「人災」とを、

 

同じ「災害」と一括りするには抵抗がある。

 

新しい戸田本社ビルには、モダンアートの展示場所を作り、特に若手の芸術家の

 

表現の場所を作る、という。

 

隣のブリジストン美術館は、アーチゾン(ARTIZON)美術館、と改称して来年1月に

 

オープンする。それを含めてこの街区が、上野ほどではないにせよアートの集積が

 

出来る、というのは喜ばしい限りだ。

 

言うまでもないことだが、「ハコものを作って、その運営ノウハウに乏しい」公共施設

 

いやというほど見てきたので、そうはならぬよう、戸田建設はしっかりしたキュレーター

 

雇って(例えば公募するなどして選抜することも面白い)、そのキュレーターに

 

全権を任せて展示計画を立てる、という具合に考えてもらいたい。

 

それがハコものを生かす道でもあり、街区の活性化にもつながる道だと思うのだ。

 

少子高齢化、という前代未聞の人口構造の変化に際して、民主党政権の一時期、

 

東日本大震災の対応に追われたその一時期を除いて、戦後の殆どは、自民党政権で

 

あった。そして戦後システムー税や予算配分、あるいは年金制度はその自民党政権が

 

人口の増加と経済成長を大前提にして作ったものである。

 

国民の多くも、そのシステムがこれからも有効だと、ゆでガエル状態で惰眠をむさぼって

 

いる。それが故の惰性的な自民党支持、あるいは支持母体である。

 

安倍政権になってからは従来の「利益誘導型政治」の一部に三菱グループを中核とする

 

軍需産業が加わった。

 

この従来型の政治は、国民の福祉を切り捨てずには維持できない。

 

従って国民には医療も、保険も、老後も「自己責任」でやれ、と言っている。

 

また憲法改悪も、立憲主義を否定し、基本的人権の「公共の福祉」を盾にした抑圧が

 

自民党憲法草案の骨子である。  参考:自民党憲法改定案

 

災害の国」日本は、災害が弱者に最も過酷に及ぶとき、国民を分断して「弱者」を

 

「あちら側」に追いやって見えないようにすることで我々の良心は痛みを感じない

 

のだろうか。

 

ホームレスの人たちに対する処遇も、国民全体の福祉と地続きなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

細川家の文庫で2015年に開かれた春画展。

 

前後期両方を参観したが、この展覧会の入場者数は21万人強。

 

内、女性の参観者は55%。

 

会場で販売された分厚い「SHUNGA」は、来場者の実に20%、5万部が売れたというから

 

展覧会として「成功を収めた」というよりは、干天の慈雨のごとく「待ち望まれた」

 

というのが相応しいだろう。

 

その春画展を開催にこぎつけるまでの関係者の幾多のハードルを越えなければ

 

ならなかった、その顛末のドキュメンタリー映画である。

 

 

見終わった感想、と言えば、、、、、ため息しかない。

 

春画について解説する石上阿希さん(国際日本文化研究センター)の解説も

 

面白かったし、中でも「奇想の系譜」の著者でも有名な辻惟雄氏が、北斎の

 

「蛸と海女」の詞書にあるオノマトベ(擬音語)を大真面目に、節をつけてリズミカルに

 

読み上げていたのには笑ってしまった。(展覧会ではこうはいかぬ)

 

江戸時代の人にとっては、町民から大名まで、男女分け隔てなく春画は「大人の漫画」

 

でもあった。

 

だから、接写するための歪んだ体位や、デフォルメ、窃視者の存在、

 

あるいは詞書などを読んで笑い合ったに違いない。

 

タイモン・スクリーチは以下の書で

 

「春画はポルノグラフィーである」として

春画は欲望についての絵だというのが私の言い分である。

 

春画は欲動のより広大な領域の一部をなす。

 

「美」などこの領域のごく端っこにぶら下がっているものにすぎない。

と述べているが、「欲望を刺激する」面があったのは間違いないが、上記のような

 

味方はあまりにも一面的だろう。

 

この映画を見ればそれが自ずと理解できる。

 

在野の研究者で、この映画が出来る前に惜しくも亡くなった白倉敬彦(1940-2014)

 

は「江戸の春画ーそれはポルノだったのか」

 

のなかで、キリスト教に抑圧された西洋の性道徳の中から生み出された「ポルノグラフィー」

 

という概念で春画を見るのは大きな間違いであり、過去「芸術か猥褻か」という不毛の

 

カテゴリー論争に消耗した議論を再燃させる、として大いに反駁している。

 

先にこのドキュメンタリーを見終わった感想として「ため息がでる」と述べた。

 

それは2013年、大英博物館で開催された同博物館の所蔵品を中心とした「春画展」

 

が9万人以上の参観者を集め大成功、と言われたにもかかわらず、それを本家本元の

 

日本の美術館で開催しようとしたときに、国立の東博はもとより、私企業の冠美術館を

 

含め20か所以上で断られた、と言う。

 

担当の学芸員が関心を示し、話し合いは順調に進んでも、トップの段階で頓挫する。

 

公立の美術館の館長は文科省などの天下りが多いし、企業のトップもトラブルに

 

巻き込まれることを恐れるらしい。

 

そのトラブルの中には「警察の威圧」つまり刑法違反、との指摘を恐れもあるし、

 

「性に関わること」で誰かが非難中傷を浴びせて、それが美術館や企業のイメージに

 

悪影響を及ぼすのではないか、という恐れもある。

 

研究者も以前ほどではないが一段低くみられることがあるらしい。

 

みな 「恐れ」に恐れ て二の足を踏む

 

この恐れは、いわゆる「世間体」という亡霊に他ならない。

 

これは幼児の「公園デビュー」に通底する日本人の宿痾のようなものだ。情けないが。

 

だから、石上さんが、「逮捕者も出さず、批判もなかった」と安どする心情が

 

理解できるがゆえに一層、この国の芸術や文化に対する腰の引けた状況や

 

ひいては言論や表現の自由に対する脆弱な状況が思いやられる。

 

「世間体」は空気のようにあるものと思っている人は多いが、

 

「世間体」というノーム(規範)を設定している者たちが存在する。

 

それはテレビのコメンテーターであったり、政治家であったり、「権力」への忖度を

 

代弁する者たちが加担して世間に浸透していくものでもある。

 

備考:他に以下の本を参考にした。

 

尚、春画展のブログを以下にリンクする。

 

永青文庫 「春画展」前期

 

永青文庫「春画展」後期

 

最後に、この映画を鑑賞した東中野の「ポレポレ座」で来年2月、ジャーナリストで

 

MXテレビで早朝番組を持っている 堀潤さんのドキュメンタリーが公開される

 

「わたしは分断を許さない」

 

とても強いメッセージだ。

 

分断を煽ることで敵と味方を峻別させ、その過程で敵を貶め遂には殺戮や戦争に至る。

 

それは専制政治と民主政治とを問わず、政治家が大衆を味方にして、自分の政治的野心

 

を遂げるために利用するものだ。

 

われわれは分断を煽る者に非難の声を挙げなければならない。