#カミーユ・アンロ #蛇を踏む  #東京オペラシティアートギャラリー 12月15日まで | Gon のあれこれ

Gon のあれこれ

読後感、好きな太極拳、映画や展覧会の鑑賞、それに政治、ジャーナリズムについて、思いついた時に綴ります。

芸術家は、何かしら自分の中に偏愛するもの、こだわり、あるいは何かに囚われており、

 

それを集中力と忍耐力で表現する。そしてその芸術家の歪んだ鏡に映るものがわれわれ

 

凡人の平凡な日常に一撃を与えるのだ。

 

フランス生まれの、現在はニューヨークに住むカミーユ・アンロは既にポンピドーが作品

 

を購入するなど、モダンアートの作家として地歩を確立した存在、と言えるだろう。

 

今回の展示については、以下の紹介が詳しい。

https://casabrutus.com/art/119968

 

彼女の作品の紹介で心惹かれるのは、以下の文。

彼女のインスピレーションの源は文学や哲学、天文学、人類学、博物学、情報学など多岐に渡る。そうした知の泉に自ら飛び込み、受容、咀嚼した情報をユニークな世界に昇華させる。たとえば、ヴェネチア・ビエンナーレで発表した《偉大なる疲労》は国立スミソニアン博物館にある膨大な資料調査に基づき、世界の始原から神話、生命の歴史などの考察をデスクトップの画面上にスピーディーに展開する映像作品。ヒップホップミュージックとともにラッパーの語りによって壮大なストーリーが軽やかに紡がれる。この作品と対になる《青い狐》は宇宙の成り立ちや生命、世界の秩序と多義性を、空間全体を使って表現したインスタレーションだ。

最初の展示室「革命家でありながら 花を愛することは可能か」(Leninism under 

 

Lenin Hardcover – 1975 から引用されたらしい)と題された会場には、川上弘美

 

蛇を踏む、三浦しおん 船を編む、平野啓一郎 空白を満たしなさい、紫式部

 

川端康成などの日本の作家と、フロベール サランボー、ロレンス チャタレー夫人の

 

恋人のほか、ユングメルロポンティニーチェルソー(人間不平等起源論)

 

ハンナ・アレントからタブッキイタロ・カルヴィーノまで、彼らの著作にヒントを得た

 

生け花((草月流)が展示されている。

川上弘美 蛇を踏む

一番最初の展示「蛇を踏む」は蛇らしき形でしかも胴体と思しき部分がツルっとしている

 

のでふむふむ、となるのだが、ユングにしろニーチェの道徳の系譜にせよ、その照応関係

 

は曖昧というか、決定不可能である。

 

言語と視覚化された作品との関係は、作品についてのテクストでない限り、決定不可能

 

で当然であり、見る側の我々もその照応関係を逐一詮索する必要はないだろう。

 

テクストの視覚化を競うコンテストではないのだから。

 

冒頭「こだわり」について述べたが、アンロのこだわりの中には、卵生の蛇に対する

 

ものがあるようだ。

 

毎年脱皮を繰り返す蛇は、変身のメタファーにもなり、卵生で両性具有の神話もあり

 

それらが川上弘美の小説「蛇を踏む」のベースにあるが、アンロもまたアフリカの

 

ドゴン族の卵生神話を映像作品「偉大なる疲労」に取り込んでいる。

 

(ドゴン族の神話については「アフリカの創世神話」阿部年晴著紀伊国屋書店第4章参照。)

 

次室の「青い狐

 

倫理学、神学、法学、数学、自然学、歴史など広範囲な業績を残したライプニッツは、

 

著作、「モナドロジー」と「形而上学叙説」(いずれも岩波文庫)を齧ったぐらいでは

 

その全体像はわからない、少なくとも私には。

 

よってとてもきれいなブルーの部屋の個々の彫刻には惹かれるものがあったものの、

 

表現意図については No Idea 。安易に「昇華」等とはとても言えない。

 

この部屋にいる学芸員と思しき女性に、アンロは日本語を読めるのかを尋ねた(13日)

 

のだが、読めるわけではないらしい。フランス語や英訳の書以外は、日本の知人や学芸員

 

の人の援助で作家や作品中の文章をピックアップしたらしい。

 

そういえば、ドイツ人ライプニッツの「モナドロジー」等はフランス語が最初の出版らしい。

 

「偉大なる疲労」を見た後、出口にこの展示会で参照された図書を陳列していあったの

(一部)

だが、今月初旬、神田の古本祭りで買い求めたばかりの、ジル・ドゥルーズ

 

「襞ーライプニッツとバロック」があり、改めて読書欲をそそられた。

 

ドゥルーズやデリダ、フーコなどのフランス現代思想を、「知の欺瞞」を併読しながら

 

読み、ポルトガルの詩人ペソアや、メキシコの詩人、思想家オクタビオ・パスを読んで

 

いるとアンロの読書傾向に、とても親密感を感じる。(タブッキはペソアの愛好者研究者)

 

そして、アンロの思想逍遥の中に、詩人オクタビオ・パス、思想家オクタビオ・パスが

 

欠けていることがとても残念だ ぜひ読め、と強く勧めたい

 

パスは、シュルレアリストのアンドレ・ブルトンと親交もあり、詩論、芸術論、言語学

 

など広範な分野にわたる知的巨人であり、フランス語の著作、英語の著作も多い

 

ライプニッツと同様にインドや中国の思想にも詳しい

 

最後になるが、このアンロの展覧会も閑散としていた。

 

モダンアートは日本ではまだまだマイナーな存在だ。

 

これでは日本のモダンアートの作家も日本で育たない。そこがとても残念だ。

 

名の知られた西洋画家、浮世絵や若冲などにはワッと押し寄せる

 

日本人の「セレブ好き」は江戸の見世物小屋の役者好き以来の伝統らしいが、

 

それが政治家の、たとえば内容の無い発言しか出来ない進次郎に群がる心性と

 

通底しているような気がしてならない。

 

日本人は所詮軽薄な民族なのか? 熱しやすく冷めやすい、とも言われるが。

 

追記:日本ではまれだが、カメラ撮影可能、ただしフラッシュ禁止であった。

 

さもありなん、ということでカメラ持参。素人っぽい画像で御免。