Gon のあれこれ -14ページ目

Gon のあれこれ

読後感、好きな太極拳、映画や展覧会の鑑賞、それに政治、ジャーナリズムについて、思いついた時に綴ります。

ぼくはオチンチンの小説を書きたいと考えて、「エロ事師たち」を書いた。

これは決して男根魔羅玉茎の事ではなく、はかなくあわれなオチンチン小説であり、スブやんはそれを本来の姿にもどすべく努力するドン・キホーテといえよう。

と野坂昭如が後書きに書いた「エロ事師たち」の映画化。

 

エロ事師スブやん(小沢昭一)はブルーフィルムの製作・販売や白黒ショー、売春宿の女将(ミヤコ蝶々)と結託して男(二代目中村鴈治郎)に”処女”を斡旋したり、乱交パーティを主催したり、、、と男のエロの願望を満たす仕事が生業である。

 

私生活では理容室の未亡人(坂本スミ子)の二階に下宿。

どちらから誘惑したか微妙な雰囲気の中 関係を持ち、受験生の長男(近藤正臣)

長女の親代わりに収まる。

 

 

生業は非合法であるから、「順調」とはいかない。

警察のお世話になって臭い飯を食ったり、ヤクザに絡まれてフイルムを強奪されたり

あげくはエロ事師仲間にフイルムをコピーする機械を持ち逃がされたりする。

 

男に女を斡旋しても大したカネにならないが、

「ワイは男の哀れに惚れたんや、

哀れな男や、どいつもこいつも、、、」

 

女は何でも他人のせいにするくせに

ほんまは助平で嘘つきで欲張りで、、」

と女嫌いの仕事仲間に言われて

 

「男がそんな女を愛しおるんでしゃあない。

「男と女の仲はなぁ

ふあふわごちゃごちゃしとって

はっきりしたもんはひとつもあらへん」

 

未亡人が入院している時、長女恵子と、いざ、と言う時に突如空から腎虚?インポ?)

になって、哀れが増すが、当初抵抗感があったゴチャゴチャ(乱交パーティ)を主宰、

地獄極楽、どこまでも、エロと離れんうちが人生花やで」と独り言つ。

 

最後は川べりに係留した屋形船でダッチワイフ制作に精を出し

どんぶらこどんぶらこと一人ダッチワイフと外洋に出ていくが

この映画はカラッとした哄笑のエロではない

 

ブルーフィルムの客や「処女斡旋」の客もみな真面目な堅気の男たちである。

その客たちのエロに奉仕するスブやんも真面目な人間だ。

それだけ一層哀れを催す。

そこに監督今村昌平のエロへの視点があるのだろう。

 

理容院も含めて川べりの家を川の方から撮ったシーンが多い。

そこに独特の情緒があり、ある種「のぞき」に似た視線を見るものに与える。

 

元々が関西人の坂本スミ子や近藤正臣はもちろんだが

主役の小沢昭一の関西弁もこなれている、と道産子の私が思った。

1966年のキネマ旬で主演男優賞受賞、

封切り当時

今村昌平(1926-2006)40歳

小沢昭一(1927-2012)37歳

坂本スミ子(1936-)30歳

(恐らくは初婚相手と別居中の撮影)

野坂昭如(1930-2013)36歳

 

後記:コロナ禍による外出自粛によって、見たい映画、

 

(なお三島は野坂のこの小説を激賞した)

 

や都立美術館の「ボストン美術館展」も流れてしまった。

自宅や近くの珈琲店などで読書するか、アマゾンのPrimeVideoや

宅配レンタルで映画を見るのが当面の気分転換になっている。

 

 

 

 

 

中南米で生まれ育ったスペイン人やフランス人を「クレオール」と呼ぶが

 

オクタビオ・パスは1914年3月31日にメキシコシティでクレオールとして生まれた。

 

父親はインディオの血を引き、弁護士であり、また1910年のメキシコ革命の闘志であった。

 

有名なジャーナリスト・作家であった父方の祖父は蔵書家で、その書斎にはラテン語や

 

スペイン語の古典や19世紀のフランスの作家やスペイン語の作家の書籍があり、

 

パスはそこに入り浸って書に親しむ。 だが、革命で彼の家は貧しくフランス語

 

の宗教学校に通い、叔母にフランス語の個人教授を受ける。

 

14歳で詩を独学、以来なんにせよ独学で学ぶことを楽しむ

 

メキシコ大学在学中19歳で処女詩集「野生の月」を出版し才能を認められる。

 

1937年内戦中のスペインに赴き「反ファシスト作家会議に出席、1944年グッゲンハイム

 

奨学金によりアメリカ留学。1945年知人を介してパリでシュルレアリズムの

 

アンドレ・ブルトン(1896-1966主著「シュルレアリズム宣言)に会い、以後

 

終生親交を保つ。1946年外務省勤務となり、1952年訪日、1962年インド駐在メキシコ大使

 

1968年メキシコオリンピック直前に起こった学生の反対デモに対する政府の過酷な弾

 

圧、虐殺に抗議してインド大使辞職。この間も詩論集孤独の迷宮(1950)

 

「弓と竪琴」(1956)、林屋永吉との共訳「奥の細道」(1957)などを刊行。

 

詩論集「泥の子供たち」(1974)はハーバー大学での詩論講義をまとめたものである。

 

19990年ノーベル文学賞受賞。1993年評論集「二重の炎ー愛とエロティシズム

 

1995年評論集「インドの薄明」が最後の出版で、1998年4月19日メキシコシティにて没

 

84歳

 

評論のテーマは同時代のアートや、政治あるいは哲学と多岐にわたり、その評論集は

 

どれ一つとして容易なものは無い。手元には「泥の子供たち」(1974)、「孤独の迷宮」

 

「弓と竪琴」、、「もう一つの声」(1990)などの代表的詩論のほか、評論「二重の炎」

 

「エロスの世界ーサド侯爵」などがあるが、肝心の詩集は世界現代詩文庫版の二冊とも

 

絶版である。(パスの経歴は、世界現代詩文庫23オクタビオパス詩集年譜より)

 

パスは、ポルトガルを代表する詩人、フェルナンド・ペソアの詩集に一文を寄せている。

 

パスにはペソアを通じてたどり着いた。

 

「泥の子供たち」や「弓と竪琴」を読んだくらいで、オクタビオ・パスについて述べるのは

 

九牛の一毛みたいで気が引けるが、手元のある本の一冊を、気まぐれに手に取って

 

ページをめくるとき、ある時は対句による対照を、ある時は奔流のように畳みかけるような

 

力強い一節、一章に出会うことが出来る。

 

博識者と詩人、

賢者、文人、恋するもの

偏執者、我々の不吉な現実を

夢見る者

彼らは野犬のように君の作品の残片を奪い合う

 

死と快楽、氾濫と嘔吐

日が落ちるときに似た秋

火山と性

欲望の真紅の泡、外海での殺戮

錯乱の青い岩石

形態、心像、泡沫、存在の飢餓

一瞬の永遠

この詩は1946年ペトラルカによって謳われたサド侯爵を知った。

私は、驚愕と恐怖、好奇心と不快、参加と承認をもって読んだ。

翌年、私は、興奮した詩を書き、1960年には、彼の思想を吟味するエッセイを、、(以下略)

と、この詩「囚われ人」が収められているエッセイ、「エロスのかなたの世界ーサド侯爵

 

の帯にあるから、パスの興奮がそれと知れるだろう。しかしペトラルカは14世紀

 

イタリアの詩人・学者であり、サド侯爵(1740-1814)は18世紀の人であるから、


ペトラルカがサド侯爵について歌うわけがない。

 

しかし尚調べてみると、ペトラルカはある日ある教会で彼の詩的源泉となる「ラウラ

 

に出会い、以後抒情詩を完成する。

 

そのラウラはサド侯爵家の先祖に連なる女性であるらしい。よって、「ペトラルカによって

 

謳われた「ラウラ」を通して(彼女を先祖に持つ)サド侯爵を知った、、、と言う事なのだろう。

 

母の再婚相手の任地の関係で、南アフリカで育ち、リスボン大学文学部に籍を置くが

 

周囲になじめず、自分の中の異人と同居する生涯を送ったペソアと、メキシコの白人

 

クレオールーメキシコでもスペインでも違和感を持たれる存在であり、なおかつ

 

父方にインディオの血を持つパスの異郷性とに共通なものが流れているように思う。

 

一方ペソアと違いパスは情熱的で行動的であることは彼の年譜からも明らかだろう。

 

対照的なところもあるこの二人の詩人に惹かれるのは、しかし何の矛盾も感じない。

 

 

 

 

 

 

 

 

毎日配信される市の防災情報にも

 

不要不急の外出を避け、人込みを出来るだけ避けるように」

 

とあって、そうしているのだが、その必要性についてはワシントンポスト紙の、この

 

映像がとても説得力がある。

 

コロナウイルスなどのアウトブレイクは、なぜ急速に拡大し、どのように「曲線を平らにする」ことができるのか

 

これは原文の邦訳である。この情報は世界中の読者に向かって開かれておりアクセス

 

すれば誰もが自国語で読めるのだ。なんたる「公共精神」

 

とは言え、抵抗力をつけるためにウエルネス、というか心身のコンディショニングもまた

 

大切なので、朝食前のスロージョギングーウオームアップー楊氏太極拳套路ー五行拳

 

ー三体式の稽古は続けているし(雨や風が強い時は自宅で易筋経や練功十八法)、

 

週に三日のジム通いも継続中だ。ジムでは入退出の時のアルコール消毒、マシンを

 

触ったところの消毒を、アルコール液が70%以上であるか否かが気がかりなのであるが

 

励行している。一方この疫病以前から、近くのフードコートで読書する習慣であるが

 

これも継続しており、しかも映画や展覧会、あるいは買い物や古書市で都心に出かける

 

事も控えているので週に4日、充実した時間が持てる。

 

そして出かける前は、つまり毎日だが埼玉県の感染確認状況や関連情報 をチェック。

 

新しい感染者と自分周辺に何らかの接点があるか否かを確認している。

 

この間、都美の「ハマス・ホイ」も見そびれたしユジクの「真実」も見そびれた。

 

おまけに今月末開催の「新橋SL古書市」は中止となった。

 

展覧会は2月19日の「恵比寿映像祭」が外食は29日に近所の焼き肉屋で家族でテーブ

 

ルを囲んだのが最後である。

 

これでは鉄道やバス、飲食業や小売業、あるいは航空会社や旅行業の需要が急激に

 

縮小するはずだ。

 

無能な安倍政権は対応がとても鈍い。

 

聞くところによると自分の頭では考えられないので、官邸官僚の作文をルビ付きで読む

 

だけらしい。だから記者会見も「ヤラセ」で世界の指導者から失笑を買っている。

 

その他、細かいことだが出先ではなるべくトイレを利用しないようにしている。

 

コロナウイルスは空気中に漂い、プラスチックや鉄などに付着したものは数時間

 

以上の寿命があるらしい。よって出来るだけ狭い空間は避けるに越したことは無い。

 

また散髪も「濃厚接触」であるから、通販で電動バリカンを買って連れ合いに

 

やってもらった。

 

今のところはこの程度であるが、感染者数が拡大し感染ルートが辿れなくなるような状況

 

が最も怖い。既に東京はそうなっており、通勤で込み合った電車を利用せざるを得ない

 

人たちの不安は察するに余りある。

 

一方では食料品をはじめ生活に必須の物資などの生産流通が川下の小売り店舗まで

 

含めて途絶えてしまうことも絶対に避けなければならない。

 

武漢や北イタリアののような状況は最悪だ

 

検査体制の一刻も早い充実、検査の結果症状が軽い人の自宅待機、重症者の

 

治療のための医療スタッフの防護のためのマスクやメガネ、ガウンなど、

 

あるいは病床の確保ービジネスホテルの借り切りなど-や人工呼吸器の増産

 

緊急に対処しなければならないことが山積している。

 

情報の隠蔽や改ざん、書き換え、記録の廃棄など、このアベ自公政権は信用できない

 

過去のてんこ盛りだ。しかもオリンピック開催が何か深い利権が絡んでいるらしい。

 

我々自身が選挙や政権に甘い世論調査で招いたことでもある。

 

誠に途方に暮れるような事態であるが、自らも、また多くの人々の「利他主義」

 

によってこれを乗り切らざるをえないのだ。

 

 

最後に、テレビはCNNやBBCをご覧になるようお勧めする。

 

世界各国がどのような対応策を取っているか、各国の指導者はどのように振る舞って

 

いるか、を知ることが重要だ。

 

日本のような素人半素人、あるいはアベ芸人がしたり顔で意見を言うことはない。

 

テレビを見る時間が無い方々はニューヨークタイムズやワシントンポストをスマホや

 

タブレットで購読することが出来る。現在ワシントンポストは一年間29ドルでセールを

 

行っており今回これを利用して購読した。

 

ニューヨークタイムズは既に購読しているのでこうした特典は受けられないが

 

新規購読者がアクセスすれば同じようなセールがあるだろう。

 

補記:この時期は花粉症の時期でもある。症状も紛らわしい部分があるので

 

以下に花粉症の詳しく分かりやすい資料を添付する。私はかかりつけ医の先生に

 

副鼻腔炎とアレルギー性鼻炎の薬を処方してもらって飲んでいる。

http://www.hop.fukuoka-u.ac.jp/action/07_1.pdf

 

参考

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

去る19日、直通電車に乗って恵比寿まで出かける。

 

昨年もこの映像祭を楽しませてもらったので、新型肺炎禍の中、意を決して出かける。

 

内容の濃い展覧会なのに、観客は少なく各展示室に2~3人の寂しさ。

 

電車の車内は並んで立つと濃密距離(~150cm)で感染リスクも高まるが、会場の広い部屋

 

に数人では、社会距離(~360cm)公衆距離(360cm以上)の余裕がある。

 

入館して展示最上階の3階まで上がり、順次地下一階まで下りてくることにする。

 

先ずはあまり馴染みのない方へ映像祭についてのホームページからのコピペ。

恵比寿映像祭は、年に一度、15日間にわたり展示、上映、ライヴ・イヴェント、トーク・セッションなどを複合的に行う映像とアートの国際フェスティヴァルです。映像分野における創造活動の活性化をめざし、東京都写真美術館全館および地域会場で開催されます。第12回となる今回は、「時間とは何か」という映像が併せ持つ本質について迫ります。展示や上映の作品から、鑑賞者と映像を巡り・楽しみ・考えるプログラム「YEBIZO MEETS」の展開までを通じて、多様な映像表現に触れていきます。https://www.yebizo.com/jp/information/

三階左から入ってまず最初は真鍋博(以下敬称略)の時計の文字盤上の様々な

 

アクティビティ。アニメっぽくて、観客をリラックスさせる。

 

面白かった展示は同じ階の「minim++}の円盤状にある身近な小道具。

 

触れると黒い影がその道具から派生して、例えば鳥の羽が飛んで行く、、とか

 

意外性があってとても楽しい。

 

時計の文字盤、といえばシュウゾウ・アズチ・ガリバーの作品もある。

 

われわれは「時間」を時計の文字盤で可視化するが、果たして時間とは何だろう。

 

我々の住む地球は一昼夜で一回転するが、それを昼と夜12時間、と恣意的に定めた

 

ものにすぎない。それは地球が太陽の周りを概ね365日で一周する周期を月の満ち欠け

 

する30日で割った結果の12から来た、とする説があるが、陰暦、陽暦、旧暦などの存在

 

を考えれば人類共通の「暦」を設ける必然性から逢着した結果、つまり共同の約束、

 

共約なのだ。従って時間に「実体」というものは無い

 

しかしこの共約によって、過去の出来事をメモリアルとして記録と記憶にとどめる事も

 

出来、乗り物の運行や美術館の開館・閉館時間、あるいはそれに伴う人の配置や物

 

やカネの配置を整える事も出来る。

 

しかしこの共約は「空間」の存在を明示的に、例えば「速度」として、あるいは暗示的に

 

時差として前提している。あるいは「一体」という方が適切なのかもしれないが。

 

記録と記憶、と今述べたが、展示の中でアベベ・ビキラがローマオリンピックで

 

市街を走る映像がモンタージュなども駆使して展示された。

 

そこで知ったのだが、イタリアの独裁者、ファシストのムッソリーニがアベベの祖国

 

エチオピアを征服し、その戦勝にエチオピアの「オベリスク」を持ち去りローマ市内に

 

置。

 

アベベがそれが見える地点でスピードを上げて他の選手を振り切り優勝したことが

 

述べられている。画面はアベベが裸足で疾走する映像とローマ市内が二重写しで

 

必ずしも見やすいとは言えないが、その手法で走りながらアベベが見た光景を彷彿する

 

ことが出来る。アベベは4年後の1964年東京オリンピックで二連覇を果たして我々にも

 

なじみ深いが、かつての敵国イタリアで国旗を揚げたアベベは国民的英雄になり、

 

帰宅後、3世紀のものといわれるオベリスクも2005年に返還された、ということを調べて

 

知った。映像が歴史を刻む、バザンは確か「ミイラ化」と言っていたように記憶するが、

 

それもまた写真を含め映像の大きな価値だと思う。

 

勿論歴史を再編することもある。それは編集につきものでもあるが。

 

この映像祭のもう一つの見どころは、ガイドツアーやパネルディスカッションにもある。

 

ガイドツアーでは「変性意識と宇宙」というテーマのナビゲーションにとても興味を惹かれた

 

また、堀潤の「やさしい言葉で、映像の今を考える」にも興味があったの時間が

 

合わなくて残念な思いが残った。

 

主催者側は、これらの内容を映像アーカイブとして保存し、後々いつでも見ることが出来るようにしてもらいたい。

 

展覧会後、昼食はいつもの「たつや」で昼酒を楽しんだ。

 

参考:

恵比寿映像祭開催プログラム

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨年11月上旬の新橋SL古書市以来の久しぶりの古書漁食の機会。

 

よく利用する時間帯の電車に乗ったのだが、一割から二割がたは空いているだろう。

 

やはり新型コロナウイルスのせいで「不要不急の外出」は控えていると見える

 

まあ私には古本祭りは「必要」な外出だから否も応もなく出かける。

 

池袋西武百貨店の「無印良品」側で開門を待ち、2番乗り位で入る。

 

いつも通り入り口から壁伝いに時計と反対周りで回る

 

このルートは「思想・哲学」「絵画・映画など芸術」関連の陳列が多く、購入する本は

 

大概はこのラインから、という経験値からの判断でもある。

 

今回購入の書は

 

1 メルロポンティ 「見えるものと見えないもの」 みすず書房 3500円

 

2 アリス・アンブローズ編 「ウイットゲンシュタインの講義」勁草書房 1500円

3 トリュフォー 「ヒッチコック映画術」 晶文社 2000円

4 ベルクソン 「物質と記憶」 ちくま学芸文庫 700円

5 水木しげる 「劇画ヒットラー」 ちくま文庫 500円

6 プルースト 「失われた時を求めて」 ちくま文庫 200円

 1~3はハードカバーの分厚い本なので相当な重量になった。

 

実はジル・ドウルーズ の「シネマ」や「フランシス・ベーコン論」、あるいは「プルースト

 

とシーニュ」などやデリダの「絵画における真理」などを読もうと思っているので、

 

これらの本の索引に引用が多い本を買い求めておきたい、ということから探した結果

 

である。

 

「失われた時を求めて」は持っていたのだが処分してしまったので再度購入。

 

「劇画ヒットラー」は読んだ記憶が無いが、買った記憶が曖昧なので何処かに眠っているか

 

もしれない。

 

支払いをして時計を見ると11時半を過ぎていたので、西口に回っていつもの「ふくろ」へ。

 

工事中であった西口広場は整備が終わっていた。ここで古書市を再開することは

 

可能ではないか、と思ったのであるが、そうなったとしてもオリンピック後だろう。

昨年度のカンヌ  パルムドール受賞作品。

 

是枝監督「万引き家族」に引き続いて、ユーラシア大陸の大陸国フランスの、

 

ヌーベルバーグや名だたる名画名監督を輩出した国の映画祭で、同じ大陸の

 

東の外れ、列島と半島の映画が最高賞を受賞したことは快挙に値するだろう

 

パラサイト」は、水平線のはるか上、高台に住む夫婦と娘息子のパク一家

 

半地下に暮らす夫婦と息子娘のキム一家持てるものと持たざる者

 

HaveHave not対照的構図の中に、韓国社会の多様な現実が盛り込まれ

 

「物語」というにはじれったい、出来事の連鎖ハプニングがもたらす意外性とその

 

シークエンスがテンポよく、緩急自在に操られる。

 

そして見終わった後、いくつかの疑問が観る者の側に残される、

 

そういう映画である。

 

回想シーン、プレイバックなどが殆どないことが歯切れの良さに関係しているのだろう。

 

韓国社会の多様な現実、とは持てる知識で補足しながら言うと、サムソンや解体された

 

現代グループなどの10大財閥が国民総生産の7割強を占める富の偏在が財閥

 

(チェボル)と中小企業の間の賃金格差を一層激しくし、その残された3割弱のパイ

 

7割以上の有象無象(マルチチュード)が群がるから、マルチチュード同士の競争も

 

一層激しく、そのことがまた、持たざる者が社会のクラスの階段を登る手段としての

 

学歴偏重、受験競争を過酷なものにしている

 

大学進学率は日本より高く70%前後もあるがそこで失敗するともう復活は

 

とても困難になるのだ。

 

全体の失業率は4%前後だが、20台の若者の失業率は10%前後にもなる。

 

半地下のキム一家の生計は宅配ピザの箱作りが支え、贅沢はピザをつまみに缶ビール。

キム一家の主人は50代。 第一次ベビーブーム世代でその息子や娘は第二次

 

ベビーブーム世代だから子供の受験や就職はなお一層過酷である。

 

日本のベビーブームは戦後海外から復員軍人や開拓者などが引き揚げてきて、

 

1947~49年ごろ始まった。朝鮮半島では1950年、北が突然南に攻め入り、

 

銃後の日本はそれにより兵站の一部を担う形で敗戦後の経済復興が可能となった

 

故に韓国では朝鮮戦争後の1955年から1963年ごろまでの出生がベビーブーマー

 

半地下の狭い空間に身を寄せ合って生きている一家は、その分家族の絆は強い

 

一方高台の持てるパク一家は子供には個室が与えられ、個食でもあるから濃密とは

 

言い難い。

 

父と息子の会話はトランシーバーでなされるが、持てる者の関係を象徴している。

 

キム家の息子がディプロマを偽造してパク家の娘の家庭教師に入り込み、一家が

 

パク家の隙に付け込んで次々と、美術の家庭教師、パク社長の運転手、家政婦、

 

と全員が「なりすまし」で仕事口を見つける。キム一家がパク家に寄生するのだ。

 

持てるものと持たざる者を、そのクラスデヴァイドを「匂い」で表したのは秀逸だ。

 

ある日パク家の坊主が、4人が同じ匂いだ、と言ってキム一家の心胆を凍らせる。

 

パク社長もキム運転手の匂いが、古い大根の漬物の匂いがする、と妻に話す。

 

うまい演技(何しろ役者が演じているのだから^^♪)」でなり澄ましても身に

 

染みついた「匂い」は一朝一夕に消しようがないのだ。

 

しかも自分の匂いは自分ではわからない。それが盲点になる

 

韓国人はキムチ臭がする、と言う者が居るが(身近に居ないので私にはわからない)

 

日本人も「しょうゆ臭」がする、と言われるが、私たち自身にはそれがわからないのだ。

 

持てる者と持たざる者、しかしその間には「敵意」はない。階級対立と呼ぶのは過剰だ。

 

持たざるキム家の主人は、パク家の夫婦を、とても親切な人たち、とみなし

 

それだけにパク社長のベンツを運転中、差し出がましいことを言ってしまう。

 

ところがパク社長は、使用人が「立場をわきまえない」事をとても嫌がる。

 

がそれを露骨に示すことはない。持てる者の余裕、と言おうか。

 

運転手以外の仕事を命じられてキムが納得のいかない顔をしたとき、パクが「これも

 

払っているカネの一部だ」と言い、ついにキムの心を意図せず傷つける

 

パク一家が坊主の誕生日にキャンプに出掛けたとき、キム一家は調子に乗って

 

大きな庭に面したリビングで宴会を始める。酒は高級ウイスキー。

 

調子に乗りすぎだ、と見るものが「いまに悪いことが起こる」と待ち構えるその心理を

 

利用して画面に引っ張り込む。

 

急な雨になり、その雨の中解雇された家政婦が立ち寄り、持ち帰りたい荷物があるから、

 

と入れてくれ、とせがむ。

 

なりすましの持たざる者の家政婦が持たざるが故に同情心も厚いので無下に断れぬ

 

解雇された家政婦を家に入れて、事態は急転する。

 

しかもパク一家がキャンプを切り上げて帰ってくる、という連絡が入る。

 

ネタバレを避けるためには、この辺が限界だ。

 

持たざる者の「計画」は常に失敗に終わる。

 

「計画」などヘタにしない方が結局は利口なのだ。

 

とキム家の主人はあるとき息子に言う。

 

ご承知のように、この「パラサイト」も「万引き家族」ど同じようにアカデミー賞の候補作

 

になっている。

 

昨年は「ローマ」という強力なライバルが居て監督賞と外国作品賞を持って行ったが、

 

今年は「ジョーカー」の前評判が高い。

 

オスカーの選考委員はハリウッドの映画関係者が多い、と聞くが「パラサイト」は

 

エンタテイメント性、有体に言うと「娯楽性」も高いからチャンスはあるのではないか、

 

と思うがどうだろう。

 

当たり前だが、「受賞」が作品の価値のすべてではない。

 

作品賞や外国映画賞を取れなかったからと言って映画「万引き家族」も

 

是枝監督も、出演者の価値が下がる訳ではない。日本の報道に見られるが

 

受賞を絶対視して一喜一憂する必要はサラサラない

 

尚、この映画に関してはいつも拝見しているZELDAさんのブログがある。

 

ご参考までにリンクする。

『パラサイト 半地下の家族』 パラサイトは1匹見たら30匹はいる?

 

 

 

 

豊かさとは何か、人間とは何か、生命とは何か、、、

 

と大上段に構えた展覧会。

 

主催者は同美術館とNHKとなっているが、キュレーターの顔は見えない

 

そのことで何を言いたいのかと言うと、こうした簡単に答えの見つからない”問い”に対し

 

漠然と”材料”を並べただけでは、何を言いたいのかさっぱりわからなくなるのだ。

 

そこに方向感を明確に出すべき中心人物が必要だろう、ということ。

テクノロジーの発達は、いま、私たちの生活のさまざまな側面に大きな影響を与えようとしています。近い将来、人間は多くの判断を AI(人工知能)に任せるようになり、AIが人類の知能を超え、私たちの社会や生活に急激な変化をもたらす「シンギュラリティ」が到来すると言われています。また、ブロックチェーン技術は、社会システムに新たな信用と価値を作り出し、多様なバイオ技術は、食や医学、そして環境に多大な影響を与えることになるでしょう。私たち人間が身体機能を拡張させ、いま以上に長寿を享受する時代もそう遠くない話なのかもしれません。そうした急激な変化がもたらす未来は決して明るいものだけではないかもしれませんが、私たちは、少なくとも20-30年後の未来のヴィジョンについて考えることが必要なのではないでしょうか。それは同時に、豊かさとは何か、人間とは何か、生命とは何かという根源的な問いにもつながるのです。

本展は、「都市の新たな可能性」、「ネオ・メタボリズム建築へ」、「ライフスタイルとデザインの革新」、「身体の拡張と倫理」、「変容する社会と人間」の5つのセクションで構成し、100点を超えるプロジェクトや作品を紹介します。AI、バイオ技術、ロボット工学、AR(拡張現実)など最先端のテクノロジーとその影響を受けて生まれたアート、デザイン、建築を通して、近未来の都市、環境問題からライフスタイル、そして社会や人間のあり方をみなさんと一緒に考える展覧会です。

(開催趣旨:同展のホームページより)

            

少し解説が必要だろう。

 

シンギュラリティ」とは人工知能が人間の知能を超える「特異点」。

 

ブロックチェーン」とはネットワーク上の接点での同時的多角的問題解決。

 

例えば貿易や通貨決済など。

 

「多様なバイオ技術」による食や医学環境に与える影響とは人工肉や人工の身体部品、

 

あるいはそれらによる環境に対する負荷の減少、という事らしい。

 

こうした未だに揺籃期にある技術を、すぐさま我々の未来に投影することが可能なのか

 

そこが第一の疑問点

 

かつて流行した未来学ないし未来工学が予測した未来は、永遠に到来しない

 

カーゴカルトサイエンスの気味があった。

 

第二の疑問点は都市工学が提供する「未来都市」の無機質さ。

 

海上都市は地球温暖化による海水面上昇に対して答えになりうるだろうか?

 

恐らくそれは、一握りの富裕層が移住できる都市空間である。

 

貧しいものは今現在も東南アジア各国にある水上生活者にならざるを得ないのか。

 

都市が、生身の生活者を包摂し得ないとしたら、そこに「豊かさ」「人間」「生命」の

 

問いかけはむなしく響くだけだろう。

 

「貧富の格差、貧困が深刻化している現在では尚の事

 

第三の疑問点は、これが最も大きい問題だが、我々の生命に喫緊の課題である

 

「環境問題」に対する”問い”が無い

 

人工知能は「環境問題」にどう対処できるのか? ましてやブロックチェーンは?

 

昨年12月マドリッドで開催されたCOP25は紛糾し、温室効果ガスの削減目標の実現は

 

果たして可能なのか? 

 

中国やインドの人口大国と米国の利害を人工知能で解決(調整)出来るわけがない。

 

ゲームの理論を引っ張り出してきても、排出大国アメリカが、ゲームの”場”から

 

トンずらしてしまえばゲーム自体がご破算である。

 

20~30年後の未来のヴィジョンを描くより、来たるべき未来に「危機感」を共有すること

 

のほうが一層大切だ。一人の16歳の少女グレタ・トゥーンベリさんが始めた運動で

 

世界各国の少年少女の心の中に「危機感」が共有された。

 

その共有された「ミーム」人工知能やブロックチェーンを活用して環境問題の解決に

 

繋がる道筋を求める、という「未来」の方を信じたい。

 

最後になるが、ヒト認証技術の展示室があった。

 

監視社会は人からプライヴァシーを奪い、自由な行動を抑制する。

 

そしてヒト認証技術が「人種的偏見」に満ちたものであることが指摘されている。

 

森ビルにも監視カメラが多数設置されているが、その運用基準は明確になっているのか?

 

倫理基準は「アルゴリズム」では解決できないのは自明で人工知能の根本的問題。

 

上述のように、展覧会が掲げる「豊かさとは何か、人間とは何か、生命とは何か」

 

というテーマに関するプレゼンテーションと私の考えるテーマに関するアイデアは

 

噛み合わないものであった。

 

以下が展覧会の表紙を飾る画像で、新しい素材と芸術表現テーマか?と誤解させる。

 

公平を期すために以下に展覧会のホームページをリンクし

未来と芸術展:AI、ロボット、都市、生命――人は明日どう生きるのか

 

トレイラーを貼り付ける。

 

同展覧会は、先にブログで報告した「ブダペスト展」と同じ10日(金)に鑑賞した。

 

旅行中なら、一日で二つや三つの美術館をガツガツと見て回るのだが、

 

国内では午前中に見て、その余韻を楽しみながらビールを飲む、のが定番。

 

六本木へは乗り換えは1~2度で済むのだが、今の六本木界隈には「余韻を楽しむ場所

 

が私には乏しい。よって一度で済ますために、で二つの展覧会を同日に見た次第。

 

 

 

 

 

新国立で3月16日まで開催されている

 

ブダペスト国立西洋美術館の所蔵品中心の展覧会

 

期待以上に見ごたえのある展覧会であった。

 

ラファエロの「聖母子」やブロンズイーノの「キューピッド」は来ていないが、

 

クラナハの「不釣り合いなカップル」二点ティツイアーノエル・グレコルノワール

 

モネなどの美術愛好家なら周知の作家の作品だけでなく、19世紀末から20世紀の

 

ハンガリー作家の作品に感銘を受けた作品がいくつかあり、それが満足感の源泉。

 

先ず チョントヴァーリ・コストカ・ティヴァダル「アテネの新月の夜、馬車での散策」

神殿の上 空高く新月が浮かび、下に目を転じると馬車が影絵のように横切っている。

 

とても幻想的な作品。(1904年)

 

もう一点はヴァサリ・ヤーノシュの「黄金時代」と題する作品。(1898年)

1900年をはさんだこの両作品は、隣国オーストリアのウイーンでクリムトやシーレ

 

あるいは表現派のココシュカ等と同時代である。

 

しかし彼らは「分離派」運動には無縁で、ヤーノシュは「アールヌーボー」に分類

 

されている。チョントヴァーリもパリに学んだらしい。

 

ハプスブルグ家の末期、版図を次々と失い、最後はオーストリア=ハンガリー二重帝国

 

で隣国ハンガリーを言わばオーストリアと同格で扱い、マジャール人(ハンガリー人)を

 

なだめざるを得なかった時代。ハンガリーの画家は、オーストリアよりパリを選んだ。

 

考えてみればクリムトたちの分離派もウイーンの旧弊な美術家の組織に反旗を

 

翻したことを考えれば、それも納得がいく。

 

当然のことながら、我が国との修好150年もオーストリアと同時である。

 

しかしハンガリーの画家の情報は極端に少ない。

 

グーグルで検索してもはかばかしく名前が挙がってこない。こうした事を考えれば、

 

主催者の新国立美術館は「ハンガリー作家紹介」のパンフレット

 

を別途作成して頒布すべきである。

 

3500円前後の図版目録がある、と言いたいのかもしれないが、それらは古本屋、古書市

 

に溢れかえっており、大概の人たちには、すぐに無用の長物と化すものである。

 

私も見た直後は購買意欲をそそられるが、帰宅して再度ページを開いたことは

 

滅多にない。それに懲りているから購買を躊躇うのである。

 

ブダペストには1999年、ウイーンから特急(3時間強)で2泊し、ウイーンに戻って

 

1泊したのち、特急でヴェネツィアに向かった。

 

初日に国立西洋美術館を訪問。

 

中央に廊下があり、それを挟んで左右に展示室が並ぶ、というユニークな美術館であった。

 

その時も感じたのであるが、このヨーロッパの外れのブダペスト、1240年前後には

 

モンゴルの襲来、1541年から350年もの間、オスマン帝国に支配されたこの国で、

 

どうしてルネッサンス以来の名画が収集出来たのだろうか。

 

その問いに答える資料はないのである。

 

とても残念だ。

 

余談だがハンガリー人は自分たちを「マジャール人」という。

 

多民族国家であるが、モンゴルの襲来やオスマン帝国支配の歴史的経緯から

 

蒙古斑がある人が一定数居るという。

 

名前も、我々や中国人、韓国人と同じく 「姓・名」の順である。

 

画家の名前の表記はハンガリー式なのか、欧米流なのかは不明である。

 

 

 

 

 

 

例年は、大みそか9時ごろに就寝して除夜の鐘が鳴るころに起きて初詣。

 

古い札を焚火に投じ、新しいお札を買って帰宅。

 

仮眠して6時過ぎに支度して、スロージョッギング~ウオームアップ~太極拳・五行拳

 

の功夫、それから帰宅して初湯(沐浴)。

 

神棚に御酒や海の幸山の幸をお供えして神人共食、となるのだが、

 

今年はこの手順を大きく変更。

 

元旦の朝、7時、普段通りの朝食を自分で作る。紅白を見た家人は寝ている。

 

とはいっても、低温牛乳を温めてセリアルを投じ、生野菜に目玉焼き、加えて

 

ヨーグルト(粉末ビール酵母・きな粉・アーモンド・クルミ・クランベリー・プルーン・

 

ブルーベリー)とリンゴだから難しいものではない。

 

コーヒーを入れてパソコンを開きニュースやメールを開く。

 

9時過ぎに初詣に出かける。

 

例年通り極右の牙城、日本会議に資金が行かぬよう伊勢神宮神璽を避けてお札購入。

 

昼食は家人にかけそばを作ってもらう。

 

夕方年賀状を書いて投函し、初湯を沸かして入浴、それから神棚にお供えをして夕食。

 

新年の話題はなんといっても、カルロス・ゴースン元日産・ルノー会長の逃亡劇。

テレビでは、CNNとBBCの二画面で追っかけ、タブレットではニューヨークタイムズの

 

レポートを読む。レバノンを含めて世界中にコレスポンデントが居る海外メディアと、

 

官邸や検察・警察の広報機関に堕しているNHKや読売などとは報道の質が雲泥の差だ。

 

既にゴースンの声明で「人質司法」や裁判の有罪率の高さ、人種や性差別、基本的人権が

 

守られていない日本の司法が指摘されているが、詩織さん勝訴で世界中に配信された

 

アベのヨイショ本を出した山口の逮捕を、アベ・菅官邸の警察官僚が握りつぶした件に

 

見られる日本の法制度、検察・警察が自民党政権の腐敗、「桜を見る会」や「甘利・下村」

 

モリ・カケ}など、政権中枢に起きている不法を見逃していることまで追及が幅を広げる

 

ようになるような展開を期待し見守っていきたい。

 

心強いのは、日本のジャーナリズムでも毎日新聞が、アベの「桜を見る会」の名簿隠蔽

 

の追求を契機に、アベを囲む会の出席を取りやめ、以後記者が自由に記事を書くように

 

なったこと。その紙面の変化に昨年12月下旬から毎日新聞のデジタル版を6か月購読した。

https://mainichi.jp/pr/digital/fukutoku2019/?cx_cp=1912fuku&cx_plc=info&cx_cls=pc_info_cp_top

 

正月は初詣、初日の出、初稽古、、と来るのだが、初稽古は今日二日に済ませた。