『パラサイト 半地下の家族』 パラサイトは1匹見たら30匹はいる? | シネマの万華鏡

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格差社会ものが続きます

ポン・ジュノ監督の新作・昨年のカンヌ映画祭パルムドール受賞作という以外何の前情報も入れずに観たので、こういう内容とは知りませんでした。前回記事にした『家族を想うとき』から格差社会ものが続いてしまったのは全くの偶然です。

カンヌのパルムドールにしても、2018年の『万引き家族』も貧困と家族ぐるみの犯罪を扱った作品で、今回も・・・2・3年前からでしょうか、格差社会を扱った作品に注目が集まっていますね。

それだけ世界的に格差に対するストレスが蓄積しつつあるってことなんでしょうか?

 

ネタバレ厳禁と言われつつ・・・のあらすじ

 

どうもネタバレ厳禁らしいので、ネタバレは困るという方は以下は一切読まないでください。サプライズの部分には配慮して書いたつもりですが、そのわりには何故かいつも以上にネタバレしてる気がします(汗)

 

韓国のソウルで半地下の借家に住んでいる一家がこの作品の主人公。

半地下の家の窓から見える景色は、街頭を往来する人々の足元だけ。窓の外で立ちションする通行人がいるわ、雨が降れば浸水するわ、居住環境は最悪ですが、一家の大黒柱である父親(ソン・ガンホ)が失業中、長男のギウ(チェ・ウシク)長女のギジョン(パク・ソダム)とも大学受験に失敗して進学も就職も見通しが立たない一家には、家賃の安い半地下の家に住み続けるしか選択肢がない状況です。

 

そんなある日、長男ギウは、海外留学に行く友人(パク・ソジュン)から彼の家庭教師先を一時引き継いでくれないかと頼まれます。

その家は、丘の上の大豪邸。以前は有名建築家の住居だったという、グラビアに出てきそうな家に住んでいるのは、これまたファッションブックから抜け出してきたような美男美女の若い実業家夫妻と、高2の長女に小学生の長男、そして家政婦。大学生と偽ってまんまと長女の家庭教師に採用されたギウは、第2段階として妹ギジョンを知合いのエリートと偽り小学生の長男の家庭教師に斡旋。高額の報酬を約束させます。

さらにギジョンが一家の運転手を陥れてクビにさせ、父親を運転手に、同様の手口で母親を家政婦に・・・と、ついには家族全員で金持ち一家に寄生、一家の留守にはわが物顔で豪邸を闊歩するまでに。

しかし、彼らが単なる寄生者ではなく豪邸の主になる夢を持ち始めた頃、計画は狂い始めます。

 

地下から見えてくる社会の歪み

(こうして見るとちょっと隠れ家的で半地下も悪くないように見えたりするんですが・・・)

 

この映画のカギになっているのは、邦題にも含まれている「地下」という要素。ここに物語のエッセンスがぎゅっと詰まっています。

このキーワード、奇しくも同じく去年公開された『アス』と同じ。「地下」に込められた意味も似ている気がしますね。そこには社会の表面から覆い隠された闇がひそんでいる。地下世界を暴くことで、社会が見えてくる・・・そういうアプローチ。

 

 

本作の場合の「地下」は、住宅の地下です。

日本には半地下の家というのは滅多にありませんが、韓国の人口が集中するソウルでは一時期住宅不足が問題になった時に半地下建設を推奨することで住宅供給を増やした時代があったとか。その時代の名残で今も半地下の住宅があるのだそうです。

上にも書いたとおり、半地下の居住環境は決していいとは言えず、必然的に家賃は低め、都会の高い家賃を負担できない人々がそこに集まることになります。

そこから、韓国社会が抱える学歴偏重主義と失業率の高さという問題が浮き彫りになっていくのです。

 

また、この作品にはもうひとつの「住宅の地下」が登場します。

韓国の富裕層の住宅には、北朝鮮の核攻撃に備えて地下にシェルターを備えているところが多いのだとか。これも隣国の脅威に晒されている韓国ならではですね。

もし北朝鮮の核ミサイルのボタンが押されたら、シェルターを持っている金持ちだけが助かるんでしょうか? 

格差社会は生死をも振り分ける。

本作ではそこまでは描かれていないものの、「高級住宅の地下」から韓国社会の抱える闇の部分が見えてくるというところ、興味深いですよね。

 

もう搾取ですらない、無関心

「地下」はそんな現実の韓国社会の様相を映し込むと同時に、「地上に住む人=金持ち」「地下に住む人=貧困層」という本作の二極構造を象徴するものでもあります。つまり、地面からの距離が格差。坂道が多く街に高低差があるソウルは、そのまま格差の街として映像に映し出されるわけです。

その中で、いつか地上に出たいという野心を抱えて地下に暮らす人々もいれば、地下の暮らしに慣れ、地上の住人に「リスペクト」すら捧げる人々もいる。

その一方で地上の人間は地下の人々のことにはまるで無関心。地下の住人たちが大雨の浸水被害で苦しんでいようと、浸水とは無縁の高台の金持ちはお構いなしにパーティに興じています。そのくせ、セレブたちに悪気はなく、皆おおらかで美しく、ただただ地下に住む人々の存在に気づいていない、気づこうともしないだけなんです。

 

この作品には、ブルジョワが労働者を搾取する関係なんかどこにも描かれていません。

それなら戦えるだけまだ救われる。でも、本作に登場するブルジョワたちはひたすら貧困に無関心で、階級闘争の余地もないほど厳然と冷え切った隔絶がここにはあります。

金持ちの家の子供が「匂い」で貧困を嗅ぎ分けるのが、さらにやるせない。貧困は体臭・・・この匂いは、一体どうしたら消せるんでしょうか。

 

韓国映画のエンタメ魂を見た

 

こう書いてくると、なんだか重くて救いのない映画みたいに聞こえるかもしれません。

たしかに、重くて、救いのない映画。その勢いは後半加速していきます。

ただ、容赦なく重い映画を作ってしまうのも韓国映画なら、そこにたっぷり娯楽性を混ぜ込むのも韓国映画のアッパレなエンタメ魂なんですよね。

 

家政婦が披露する北朝鮮のアナウンサーの真似(あれって韓国人もマネしたくなるんですね笑)をはじめ、こまめに笑いを取る構成。

中でも特筆したいのは、半地下の家族たちを、敢えて家に隠れ住む嫌われ者の虫(ゴキブリとか便所コオロギとか)のような滑稽さで描き出していること。

彼らが他人の家でわが物顔に振舞っているところに主一家が帰ってきて、雨の中をちりぢりに裸足で逃げていくシーンや、半地下の家の外の街頭で消毒剤を撒かれて窒息しそうになるシーンなど、すごくつき離したドライな視線が面白い。このドライな感性は終盤の衝撃展開にも生かされています。終盤のどぎついエグ味、しょっぱさなんか軽く通り越して一気にサイコホラーレベルまで突き抜けるダイナミズムも、韓国映画ならではの魅力ですね。

 

「象徴的」な水石

本作にはいくつものメタファーが登場しますが、その中でも主人公ギウが「象徴的な石」だと言う水石(室内で鑑賞するための石)は、文字通り本作の主人公家族の運命を象徴するものです。

豪邸の家庭教師を紹介してくれた友人からギウがもらった水石は、当初はギウと彼の家族に希望(ヨコシマな希望だったにせよ)をもたらしてくれたように見えます。しかし、最終的にそれは、彼らにとって絶望の楔になった。

彼らが貧困から脱出しようと足掻いたことが逆により深い奈落への転落を招いた顛末が、まるで水石が招いた運命だったようにも見える・・・そう見せることで、この顛末を何か宿業のように感じさせる効果があるんですよね。

そういう一種のマクガフィンを、敢えて主人公に手に取らせ「象徴的ですね」というセリフで印象づけるあたり、ポン・ジュノ監督の遊び心?こういうお茶目な感性、たまらなく好きです。

 

子供の頃『床下の小人たち』という童話が好きで何度も読みましたっけ。もしかしたら自分の家の床下や地下に誰か(または何か)が棲みついているんじゃないかという空想、誰でも一度は頭の隅に抱くものなのかもしれません。ユングが言うところのアーキタイプ? そういう意味でも琴線にふれる題材な気がします。

多分これから先は、電気がおもむろに点滅し始めたら、「地下の住人からのメッセージか?」と身構えてしまいそう・・・想像するとなかなかホラーですね(笑)

 

 

備考:上映館数(予定)158館