Gon のあれこれ -10ページ目

Gon のあれこれ

読後感、好きな太極拳、映画や展覧会の鑑賞、それに政治、ジャーナリズムについて、思いついた時に綴ります。

いわゆるチャンバラ映画・時代劇がやくざ映画に取って代わられつつあるとき、錦之助がどうしても時代劇を、と念願して制作された「沓掛時次郎ー遊侠一匹」。

そのあらすじは

1 沓掛(中軽井沢の宿場町。両隣は軽井沢宿と追分宿)時次郎(錦之助)は弟分の朝吉(渥美清)と佐原(千葉県)の勘蔵一家に草鞋を脱ぐ(一宿一飯に与る)が牛堀(茨城)一家と抗争の気配を知って草鞋を履く(旅立つ)が功名心に逸る朝吉は単身牛堀一家に殴り込みをかけ返り討ちに遭う。

2 朝吉の供養を済ませた時次郎は渡し場で子連れの女(池内淳子)から熟柿を振る舞われ、その母子と少し旅をともにする。

3 中山道の鴻巣(埼玉)で鴻巣金兵衛一家に草鞋を脱ぐが、草鞋を履いて旅に出ようとすると抗争中の中野川一家の最後の生き残り、三蔵(東千代之介)を殺ってくれれば、一宿一飯の義理は問わないと金兵衛に言われて、三蔵と切結び、今際に三蔵から「自分の妻子を妻の故郷である熊谷の叔父の所へ届けてくれ」と頼まれる。

4  その妻子は渡しで熟柿をくれた母子であった。熊谷に着くとおきぬの叔父は厳しい年貢の取り立てを苦にして首を吊り、身寄りを失ったおきぬに時次郎は自分の故郷「沓掛」に行こう、と言うが、おきぬは自分の夫を殺した時次郎に好意を抱き始めたことに罪の意識を感じ、時次郎のもとから居なくなる。

5 一年後の冬、分かれた女の思いを宿の女将に話していると、門付けが唄う故郷の追分が聞こえ、外に出てみると案の定おきぬ母子であった。

 

 

6 おきぬは既に肺を病んでおり、治療には高価な薬が必要だ、と医者に言われ、もう一度だけ、と八丁堀一家に助太刀をして大枚を稼ぐ。

7 取って帰ってみるとおきぬはすでにこと切れており、時次郎は遺児太郎吉を連れて旅立つ。

8 道中 昌太郎なるヤクザ志望の男に弟子入りを志願されるが、

「昌太郎さん、ヤクザってのは虫けらみたいなもんだ。悪いことは言わねえ、百姓に帰んな」と諭すが、時次郎を切って、と功名心に逸る男は時次郎に切りかかるが簡単に川に蹴飛ばされる。

切ろうとするとき太郎吉が必死で立ちはだかり、時次郎は今度こそ刀を捨てる決意をして坊主を連れてその場を去る。

 

映画評論家であり映画大学校校長を務めた佐藤忠男の長谷川伸論

 

 

 

によれば、1の朝吉のくだり、と8の昌太郎の件りは原作にはないものだという。

朝吉の件は、いわば「義」兄弟の絆の挿入を意図したものだろう。

そして8の昌太郎の件は、親分が自分の勢力拡張のために子分や一宿一飯の義理で旅人ヤクザを絡めとってそれらの命を虫けらのごとく扱う、と言うことを言いたかったのだろう。

またおきぬの死因は労咳となっているが、原作ではおきぬは夫三蔵の子を身ごもっており、そのお産で死ぬ。時次郎とおきぬの、夫を切った男との許されぬ愛が義理人情を一層切なく、ドラマツルギーを高めている、と言えるだろう。

 

監督の加藤泰と錦之助は1962年「瞼の母」を世に出しており、息の合ったコンビだが1965年東映京都撮影所の役者が30数人で労働組合を結成し、委員長だった錦之助は大川社長とのもめ事の責任を取って退社の成り行きであったが、京都撮影所岡田茂所長のとりなしで、錦之助が高倉健らのやくざ映画にも出演することを条件に「円満退社」の形にこぎつけたものだという。

 

時代劇とは概ね明治維新のころまでの時代を題材にした映画、やくざ映画とは国定忠治や沓掛時次郎、清水の次郎長などの映画の侠客物の主題「義理人情」などを現代に置き換えたもの、という一応の区分を前提にしておく。(Wikipedia時代劇、ヤクザ映画の項より)

 

こうした経緯で錦之助は1964年高倉健と「日本侠客伝」を、翌65年「顔役」を同じく健と撮っている。

 

先の、雪の中 時次郎がおきぬに駆け寄るシーンだが、佐藤は

「門付けという賤業のおきぬを足元から仰ぎ見るような角度で撮っている、前の場面では時次郎がおきぬを想って泣いていた。その思いとのモンタージュによってこの場面の情感が一層濃くなる。時次郎はおきぬの亭主を切った男だから、どんない好きでもおきぬに愛を告白することが出来ない。時次郎にとって、三蔵殺しは原罪であり、おきぬは十字架である。時次郎はおきぬを仰ぎ見る、というかたちでしか愛せない。あたかも彼の想念がぱっと浮かび上がってきたかのように彼女は仰角で見られなければならないのである(同書p43抜粋)」

 

この映画での、極端なローアングル、場面と音の同時録音、例えば渡し場での熟柿を渡すなど花や果実の象徴的利用、おきぬを想って泣く3分の独白ショットなどが監督加藤泰の特徴と言われる。

 

さて義理人情だが、「一宿一飯」の義理、は佐藤によれば、長谷川伸の父が土建業の下請けをやっていた伸が15歳頃のとき、当時の土工の社会には西行などと呼ばれる渡職人がおり、腕を磨くために工事現場を渡り歩き、現場に着くと適当な人をつかまえて「どこの誰に教わってこの業を学び、名前は何で生国はどこ」という辞儀をいう。

辞儀を受けた者は、親方にとりなし、都合が良くまた気に入れば雇うがそうでないときは草鞋銭をやって発たせる。時刻が遅ければ一宿一飯をふるまったそうである。やくざの仁義として伝説化されている特殊な口上はかつては堅気の職人の社会でも共有されていたものだ。

またその親方の所で仕事の縺れから喧嘩の出入りがあると、助っ人になるが、日当や祝儀が付いたそうである。こうした伸の具体的な経験も見聞と共に伸の作品には織り込まれているらしい。

こうした習慣が博徒という日陰者の社会に押し込められたのは、

「国家が一宿一飯の掟を完全に独占した時、地域や職能社会における独自の掟は封建的なものとして否定されるに至る。

その結果否定され切り捨てられたものが博徒のイメージに集約されていくと美化され、一宿一飯の相互扶助は悲劇的英雄の試練の掟になり、辞儀も仁義として途方もなく美文化される。(同書49p前後)

というあたりに佐藤忠男独自の鋭い歴史的視点がある。

 

この沓掛時次郎では、彼がやくざ社会の掟に殉じて何かやるとおきぬ母子のように、自分より一層弱くてかわいそうな人間を、もっとかわいそうな境遇に追いやることになる。それを時次郎は己の原罪として背負うのである。その負い目を感じて尽くす、というところに、「愛」や「ヒューマニズム」という外来の観念では組みつくせないもの、組織や国家に対する「忠」とは決定的に違う「忠」があるのである。

すべての男は、すべての女に負い目があり、すべてのやくざは、すべての堅気に負い目があり、すべての大人はすべての子供に負い目がある。それを自覚するかどうかが、良い人間と悪い人間との違いであり、その自覚を促すことが彼らのドラマツルギーなのである。(同書24p) 

(一方)「義理と人情をはかりにかけりゃ、義理が重たいやくざの世界」というのがあって人口に膾炙しているが、「義理人情」を義理と人情に分け、義理―公、人情ー私

と対立する概念とみなし、当然のことのように「公」は「私」に勝るという結論を出している。たしかに凡百のやくざ映画はその程度の義理人情観で作られている。

少なくとも長谷川伸=加藤泰監督的な世界では、義理人情という観念はもっとドラマチックな内容を含んでいる。日本人は古来「義理人情」をひとつながりの言葉として使ってきた。

なぜか。義理とは、相手に対する負い目である。義理人情とは、相手に対する負い目を正しく認識することこそが人間の自然の情であり、モラルの源泉である。

だから「義理人情のしがらみ」とは、いくつかの方向に同時に引き裂かれる忠誠心の分裂の葛藤のことであって常に義理が人情に優先するという事ではない(同書25-26p)忠誠という観念を、主家とか主君とか国家とか、いつも自分より上位にあるものに対する義務として理解するように馴らされてきた我々は、義理という観念と忠義という観念の間の微妙なニュアンスを識別し難くなって、義務という観念をあっさり公への忠誠という観念と重ね合わせてしまう。

弱者の命がけの連帯、という古典的任侠道の中に、親分への忠誠のためには私情を犠牲にしなければならぬ、というような(武士道的)モラルが導入される。これは任侠道の堕落である。((同書p28-29)

長々と引用したが、現在の我々には遠くなった世界を、しかも

固定観念に塗り固められた観念を正そうとする佐藤忠男の意志を尊重するには、最大限の要約をしてこれぐらいは必要なのであった。

 

この映画はレンタルで鑑賞したのだが、実は発端は最近の脳神経科学の知見、ミラーニューロンであった。「我々はスクリーンの中の人物になぜ涙することが出来るのか」についての叙述を構想するうち、「反」共感論、仏教の慈悲、大和心としての「もののあはれ」そして義理人情に来ったのである。

義理人情については、佐藤忠男の「長谷川伸論」のほか、

源了圓の以下の書がある。

 

 

この書は1969年であるから、「長谷川伸論」の二年前の刊行である。

知る限り、佐藤は源の書についての言及はないが、別の機会に源のこの書を参照できれば、、と思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

再度のロックダウンが予測通りやってきました。

しかし、遅きに失し、かつ中途半端。

軽症者や無症状感染者の宿泊収容施設は宣言なきこの間

用意が行き届いておらず、人工呼吸器やベッドの準備も不足。

一方では、「大変だ」「大変だ」とテレビに出まくって叫ぶだけの首長が評価され、問題点の究明に資する報道もなされていない。

この期に及んでもオリンピックは強行するという。

本来なら、オリンピックを中止してリソースをコロナ対策に集中すべき。

 

感染拡大は更に勢いを増すのではないか、という嫌な予感。

あけましておめでとうございます。

関東は氷点下の寒さで年明けになりました。

備忘録的に元旦の行動を以下に記します。

 

起床:いつも通り5時に起床、支度をして3Wに出る。寒い、氷点下だ。

    3Wとは Walking,Warmup,Wushu(martial arts)の頭文字。

    20分弱 概ね時速5キロくらいのペースで歩いて体を温め

    公園で鉄棒や滑り台も活用して動的ストレッチや太極拳の

   下姿独立などでウオームアップ、それから伝統太極拳楊氏56

    五行拳型稽古、最後に三体式で一時間強のメニュー。

    いつもは行き交う人影もなく、家の明かりも少ない。

    ウオームアップの時はマスクを外してベンチに置くがカチンと

    凍る。

三体式

これは恐らく孫式太極拳創始者孫禄堂の三体式。

太極拳の稽古の合間には必ず三体式を練功したという。

気身がすぐ拳を撃てる態勢になっているところが気に入っている。

以下の図の要訣を見てわかる通り、基本は太極拳や形意拳などの内家拳と同じである。

朝食:6時40分すぎ帰宅して普段通りの朝食。ナッツやドライフルーツ

   など7種にヨーグルトを掛けたものとセリアル+牛乳、生野菜+

   目玉焼きを自作する。

初日の出、初湯:今年は例年にない寒さ、ということもあり、初湯は

    近くの温浴施設にする。10時過ぎに出かけて近くの神社で

    神札など買い求め、それから温浴施設へ。

    温浴施設はジャグジーや露天ぶろを楽しむ。

    帰宅して神棚に神札を納め、御酒(獺祭)など上げて家人の 

    作ったつまみー数の子や湯豆腐煮物などで昼酒。

    なお初日の出は自宅の庭から。もう既に日も高かった。

という次第。来年の正月はどうなるんだろう?と言うことが頭をよぎる

が「神のみぞ知る」だ。考えても仕方あるまい。

 

因みに昨年2020年は3Wは312日間。雨や風の強い時は自宅で易筋経や練功十八法などの動気功や短棍の基本形の稽古などで一時間弱の稽古をするが、これが80日。ちょっと多いのはスポーツジムが5月ごろスパエリア以外閉鎖となったのでその時も稽古したせいである。旅行は昨年は海外旅行はもちろんGOTOも行かなかった。

連れ合いは上の娘と二度ほど旅行しているがこちらは留守番。

 

短棍は套路を教わる場がなく、基本のいくつかの型を自習している。肩甲骨の運動になって体が素早く温まるのが取柄。

どんなものかを紹介する。

 

 

 

尚に今述べた入浴だけの時を含めてジムは155回。

ついでながら、夕食前のヴィパッサーナ瞑想は362回、ほぼ毎日である。もう6年以上続けているので最近は時間がない時は無いなりに瞑想出来ている。

    

12月中旬、ベルリン映画祭やヴェネツィア映画祭で監督賞を受賞した韓国のキム・ギドク監督が、ラトビアのリガでコロナ感染のために死亡した、というニュースに接した。

(ヴェネツィア映画祭で銀獅子賞受賞)

 

新型コロナの蔓延する欧州で、しかもラトビアというソ連の軛を離れてEU入りした小国で、、と この未知の監督の事に好奇心を刺激され早速調べてみる。

 

同監督は1960年の生まれ享年59歳。

17歳から工場で働き始め20歳で海兵隊に志願。5年の兵役の後、30歳の時絵画の勉強のためフランスに行き、「羊たちの沈黙」などを見て映画監督を志し、ヴェネツィア映画祭で2000年、2001年と作品が連続出品され注目された。

 

「悪い女ー青い門」は1998年の作品。

「悪い男」は2001年、「メビウス」は2013年の作品である。

 

2017年には、「メビウス」出演予定の女優から、暴力を振るった上に予定になかったベッドシーンを強行したとの事で訴えられ罰金を科され、2018年には2人の女優からセクハラや性的暴行を受けた、と告発されて恐らくは映画製作の道が閉ざされ、ラトビアに移住しようとしたのだろう、と言われている。(以上Wikipediaなどから)

こうした経緯のせいか、彼の死について追悼をすることが憚れるような雰囲気が韓国映画界にあるらしい。

参考

 

 

 

「悪い女」1998年。主演イ・ジウン

都市からほど近い河口の浜辺、かつての朝鮮戦争の砲台跡が今も残る観光地の民宿「Birdcage Inn」にエゴン・シーレの絵を抱えた若い女Aがやってくる。売春宿でもあるこの民宿には、かつては浜を取り仕切っていた男と水商売上がりらしい妻と大学生の長女B、高校生の長男Cがいる。

長女Bには許嫁がいるが、Bは実家の仕事を恥じ、知られる事を恐れて許嫁には家まで送ってもらうことを拒んでいる。

 

女Aはスリムで儚げで、肉好きのいい体をボーイッシュな服装で包んでいるBとは対照的な雰囲気を漂わせている。

儚げな女に魅せられて、民宿の親父も長男Cも性を求める。

長女Bの許嫁もBが「結婚まで待って」と拒まれてモヤモヤし、それとは知らず民宿に来てAを買う。

長女Bは確かめようと許嫁を詰問するが男は最後まで行っていないと言い張る。

もう許嫁に実家の事がばれてしまったBには、自分が変わるしかないという道を選ぶしかなくなる。

それは実家の商売や自分の性の受容、というしかないものだろう。

 

「悪い女」とは日本語題名なのであろうか?

残念ながらハングルを解しないものには分らないが、別に女Aが男を誘ったわけではない。何を以て「悪い」とするのか理解できない。

むしろこの映画の後味は「男の性の哀しさ」だ。

親父と息子は性病で同じ病院で鉢合わせする。

親父は帰ってAに「病院に行け」と言うがAを怒っているわけではない。皆その哀しさを共有しているのだ。

それゆえのユーモアもある。

 

主演のイ・ジウンは他にどのような映画に出演しているのだろう?

と検索して見たが、分からなかった。

参考:

 

 

「悪い男」

大学生とデートをしている女子大生に横恋慕、一目惚れした暴力団の男がいきなり抱きしめて唇を奪う。

そして罠ー財布の置き引きを仕組んで、それにはまってしまったその女を自分の縄張りの売春街に落とし込める。

彼女に客が付いた、と見るやベッドルームのマジックミラー越しに客との行為を盗み見る。

 

ある時がたって、彼女が男に「見られていること」に気づき、ミラーを割って二人の関係に変化が出てくる。

男の異常な執拗さに、恐らくは自分の運命、と諦めたのだろう。

最後は男の運転するトラックー荷台には幌がかけられベッドが置かれているーで売春する。男は念願の彼女のヒモになったのだ。

 

加えて男の異様な寡黙さの原因も明かされる。

頭のてっぺんから絞り出されてくるような声で、男もそれにコンプレックスを感じており、喧嘩っ早さもそれに因るのだろう。

しかし上のポスター上部にある「純愛」とはどうだろう。

「身勝手」を純愛とは言わない。

それに女子大生が「孤立無援」なのも気になった。

 

この映画は2001年の公開だが、ヒットしてソウルだけで30万人の観客を集めた、という。

この映画のどの部分にに反応したのだろうか?わからない。

 

もう一つ、韓国版売春防止法はどうなっているのか。

盧武鉉政権は2004年5月、大韓民国の性売買を根絶するために既存の淪落行為等防止法ko:윤락행위 등 방지법)を改善して「性売買斡旋等行為の処罰に関する法律」と「性売買防止及び被害者保護等に関する法律」(一名「性売買特別法」)を制定した。淪落防止法に比べて、性売買特別法は「淪落」という単語の代わりに「性売買」という単語を通じて、性売買行為を倫理的観点ではなく、性が金で取引されること自体に注目しようとした。また、既存の淪落防止法では淪落業に携わる女性たちにも責任を問うたが、性売買特別法ではそんな内容が大幅に消えた。性売買が不法という認識下に、性売買斡旋者と買受者(買春者)が皆処罰される。

性売買特別法が施行された以後、ミアリテキサス清凉里 588のような性売買密集地域に対する取り締まりが強化された。その結果、性売買集結地は減ったが、他の業所で偽装するとかインターネットを利用した変種性売買が流行するようになった。

また、性売買特別法により韓国での売春を禁じられた韓国人売春婦が台湾に大挙して進出し、台湾で売春に従事する外国人女性たちを追い出し、台湾人が仕切っていた売春業界も乗っ取る事態となり、「売春市場で韓流が流行」と報じられた。

 

 

韓国では「売春婦の出稼ぎ」が言われて国際的評判を気にして神経質になっている面もあるだろう。

かつての日本人男性団体客の買春ツアーが問題となったように。

売買春はフランスやドイツ、オランダ、あるいはオーストラリアなどで合法化されている。合法化されていれば、このコロナ禍で失業手当の様なものも支給される余地があろう。

実際に支給されたケースもあるようだ。

 

日本では本番行為以外は何でもありだから、法的保護の無い、いわば放任に等しく、このコロナ禍で主としてシングルマザーの性風俗従事者の救援が問題となっている。

 

人身売買や、児童買春などは厳罰に処すべきだが、売春は合法化すべきである、と思う。

違法、としながら黙認することは、いわば警察の匙加減ひとつ、ということになり、暴力団や政治権力者との癒着を生みやすい。

それは「法の支配」を事実上蝕むものだ。

売春は根絶しがたい。

売る方にも買う方にもそれなりの事情がある。

取り締まりを強化すればするほど、闇に潜り女性の人権は蹂躙されやすい。性病やエイズなど防疫的視点も重要だ。

 

この映画の主演女優も「他の映画の出演は」と検索しても出てこない。その事情は以下の記事にある。

 

 

「メビウス」(2013年)

夫の浮気に逆上した妻が、その陰部を切断しようとするが果たせず、息子の陰部を切断してしまう。

因果は巡り、男は自分の陰部を切断して息子に縫合手術しようとする。

実は画面に血が飛び散るような映画で、暴力的で汚らしく、途中で見るのを止めてしまった。

よって以下にこの映画のWikiを貼って済ませていただく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

原題は、Three Billboards Outside Ebbing ,Missouri.

この映画の妙は、主要な登場者が、バイアスー職業や人種あるいは

態度などから通常予期される行動を裏切って行くところにある。

 

 

 

例えば、ビルボードに火をつけたと自白した元夫と若い愛人のテーブルにビールの瓶をもって近づいたビルボードの広告主ミルドレッド・ヘイズが、瓶をテーブルに置いて無言で立ち去る、などのように。

 

その予期を裏切る部分を除いてストーリーを紹介する。

あらすじは、娘をレイプされ焼き殺された母親ミルドレッドが、捜査の進展が無いことに腹を立て、道路わきの開いていた三つの広告板に、「娘はレイプされて焼き殺された」「いまだに犯人が捕まらない」「どうして、ウイロビー署長?」と大きく貼りだす。

 

 

当の所長は白人で住民や部下の信用も厚いが、肝臓がんを患って余命幾ばくも無い。部下のゲイでレイシストのジェイソンは、広告会社の社長レッドを脅迫し暴力を振るい、あげく留置所に入れてしまう。

この暴挙は後任の所長に目撃されジェイソンは解雇される。

 

ミルドレッドとレイプされ焼き殺された娘との関係も良いものではなかった。母娘喧嘩の果てに娘は夜一人で飛び出して被害に遭うのだ。

 

怒れる母親ミルドレッドは、最初警察がビルボードに放火した、と思い込んで、報復のため火炎瓶を署に投げ込む。そこには密かに署に戻って所長から自分あての手紙を読んでいるジャクソンが居て、逃げ遅れてひどい火傷を負う。

 

ウイロビー元所長やジャクソン等の予期せぬ行動で最初の「報復」のターゲットを見失ったミルドレッドは最後、ジャクソンと共に、娘の事件とは関係が無かったが、レイプ犯ではあるらしい男を殺すつもりでアイダホに向かうが、その実行は「道々、決めればいい」というところで終わる。

 

このエンデングは「勧善懲悪」のカタルシスを奪うものだが、この映画のテーマが犯罪(クライム)自体ではないからまあいいのだろう。

 

監督のマーティン・マクドナー(McDonogh)はアイルランドがルーツのイギリス人。主演のフランシス・マクド―マンド(McDormand)も名字にMcが付くからアイルランド系なのだろう。

アイルランドは自然の厳しいところだ。

いまだ自分のルーツを大事にしているアイルランド人は多いらしい。

マクド―マンドは第90回アカデミー主演女優賞受賞(二回目)。

警官役のサム・ロックウェルは助演男優賞。2018年日本公開。

真ん中にミルドレッドの友人役ピーター・ティンクレイジを挟んでマクド―マンドと監督のマクドナー。

 

一都三県では東京都を中心に県境から鉄道沿線伝いに三県に

新型コロナウイルス感染が拡大している。

この勢いは政府・感染研の無策もあって当分続くだろう。

今更どんな手を打っても急には減少しないところまで来ている。

年内には感染者数が一日一万人の大台を超えるとみている。

PCR検査を抑制しなければ、の話だが。

 

意外とお粗末な日本の医療体制。

保健所や病院の統廃合による施設減少や人員カット、病床数の削減などの過去の施策がボデイブローのように効いてきている。

維新による大阪府はその典型だ。

 

そんなわけで映画や展覧会に出かけることを自粛しているので、

映画はレンタルやアマゾンプライムで楽しむことにしている。

あとは読書と週に三日のジム通い。

行動半径を狭めて、その中で楽しみを見つけていかざるを得ない、

当分は。

 

英国ではいち早くワクチン接種が始まったが、終息は急激には来ないだろう、と見るのが現実的だ。

 

我々はこのコロナ禍から何を学ぶか考え始める必要があるだろう。

来年秋までには総選挙は必ず来ることもある。

 

 

 

 

 

 

このコロナ禍のさ中ではあるが、20世紀の知的・倫理的巨人ヨハネパウロ二世のドキュメンタリーと言うことで恵比寿の都写真美術館に出かける。

 

同映画祭のオフィシャルサイトのリンクは以下。

 

 

初のポーランドうまれのローマ教皇であり、母国ポーランドの民主化運動、連帯のワレサの民主化運動の精神的支柱となったヨハネパウロ二世には、ポーランド映画祭で上映すべき深い関係があることは間違いない。生誕100年もあるだろう。

しかし、今のカチンスキ―政権、法と正義を掲げて「法の支配」を毀損するポーランド政府および支持するポーランド人民にその資格があるとは到底思えないが。

参考:

 

本名カロル・ユゼフ・ヴォイティアは1920年古都クラクフ近郊に生まれ、第二次世界大戦中の1943年に聖職者として生きることを決意したが、ヒットラーのポーランド侵攻からスターリン傀儡政権のもと、非合法の地下神学校に入り、1946年には司祭に叙階されている。

 

後に「現象学の枢機卿」とも呼ばれるヴォイティアはローマ教皇庁立神学大学に学び、神学博士号を得てクラクフの教区司祭に任ぜられ、1962より始まったヴァチカン公会議には重要な公会議文書の成立に貢献し、若くして将来を嘱望された。

1964年にはクラクフ教区大司教、1967年には47歳で枢機卿に任命された

 

1978年、コンクラーベで58歳の若さで新教皇に選出された。

ヴォイティアには明確なビジョンがあった。

それは「世界の人々に開かれたカトリック教会」「カトリック教徒はもとより世界の人々にイエスキリストの福音を伝える教皇」というものであった。

 

このヴィジョンに基づき世界100か国以上を訪問し「空飛ぶ教皇」と言われたし、訪問先ではその国の言葉で福音を伝えた。

1981年には広島と長崎を訪れ核兵器の廃絶を日本語で訴えた。

その中核理念は「反戦平和主義」である。

 

「開かれたカトリック教会」の活動のもう一つの大きな貢献は、他宗教との「和解」への努力である。

これはヴァチカンのイニシャチヴなしにはあり得ない。

それだけにヴァチカン内部と他宗教側のの抵抗はあったものと推察されるが、彼のカリスマ的な、人格的オーラがそれを乗り切った、と推察している。

ユダヤ教やプロテスタント、英国国教会や東方正教会の指導者との会見、モスクやシナゴーグへの訪問などの象徴的行為が「和解」のスタートになった。

その際にはかつてキリスト教が犯した罪、抑圧や十字軍などの戦争行為に対する謝罪なども活発に行っている。

ヴァチカンも教皇も無謬ではないのだ、と言う公言だからとても革新的だ。

 

もう一つは全体主義・専制主義、つまり自由を抑圧する共産主義体制や南米の専制国家に対する戦いである。

直截に体制批判をすることはないが、「人間の自由を抑圧する」体制に対する批判は躊躇なく行った。恐らくそうした事が1981年のトルコ人による教皇暗殺未遂事件の遠因ともなったのであろう。

しかし教皇は後に襲撃犯と面会し抱擁しその罪を許してる。

 

以上の事はこのドキュメンタリーで触れられていることを敷衍したものだが、

もう一つこのドキュメンタリー映像から強烈に印象に残ったことがある。

それは訪問先でのアフリカや南米のインディオのカットリック教徒とのミサである。

いわば土着の信仰と融合したカトリックをローマの「普遍」によって「標準化」するのではなく、むしろその土着のエネルギーを積極的に教団全体の信仰の糧とする姿勢である。一面では西欧世界での衰退を補う意味もあるのであろう。

しかし重要なのは、イエスキリストの福音に、ましてやそれを伝える方法に「ああすべき」も「こうすべき」もない、という開かれた姿勢である。

 

これらから貫かれていることは、先に述べた「明確なヴィジョン」の具現化であり、

それを在位中貫き通したヨハネパウロ二世にはただただ尊敬の念しかない。

 

ヨハネパウロ二世に対する尊敬の念の他に

彼の事をとても好きになった事跡がある。

 

先に「現象学の枢機卿」と呼ばれたことがあったことを述べた。

映画にも出てくる教皇の夏の離宮ガンドルフォ城。

そこでのシンポジュウム、

思想家を集めて世界の行く末を考えようとするヨハネパウロ二世の考えから生まれたシンポジュウムには、ユダヤ教徒のエマニエル・レヴィナスとプロテスタントのポール・リクールが出席している。

 

教皇は一日に二度別席で議論を聞いているだけで議論には加わらなかったらしい。

若き日のヴォイティアは、現象学の始祖フッサールの弟子、ポーランド人のロマン・インガルデンに哲学を学び、それが「現象学の枢機卿」と呼ばれる因となっている。

ユダヤ人エマニエル・レヴィナス(1906-1995)はフランスに帰化した縁で従軍し、捕虜になったがフランス軍人としてナチの手にかかることはなかった。

しかし親・兄弟はユダヤ人虐殺の犠牲になった。

 

ポール・リクール(1913-2005)は現象学とハイデガーでレヴィナスと共通し、互いに親友となったが、リクールが最後に参加した1994年ガンドルフォ城でのシンポジュウムにはレヴィナスは事情があって参加しなかった。

ヨハネ・パウロ二世はリクールを脇に呼び、言伝を頼んだ。

「私に代わって、レヴィナスに宜しくとお伝えください。そして私の敬意と賛

嘆の念を」(評伝レヴィナスー生と痕跡 サロモン・マルカ著260pより)

(レヴィナス)

ハイデガーは一時ナチに共鳴した。レヴィナスはそのハイデガーを乗り越えるべく「他者」とは何かについて思考する。「ハイデガーには倫理学はなかった」として倫理を先に置く存在論を「存在の彼方へ」で著わす。

曰く「他者への責任とは、他者の身代わりになることだ」と。

 

蛇足だが、現フランス大統領エマニエル・マクロンはヘーゲルで哲学の学位を持ち、

ポール・リクールの著作「記憶・歴史・忘却」の編集助手を務め、その謝辞がある。

尚今年のポーランド映画祭での「ヨハネ・パウロ二世」は二回きりの上映であった。当日はカトリック修道女がたくさん見に来ているだろう、と予測していたのだがその姿は見かけず、観客も全部で50人前後であった。

この映画は三部作の最終作と字幕にあったが、一作目も二作目にも言及されることもなく、有料のパンフもなかった。

しかし

流ちょうな日本語を披露していただくよりは、コピー用紙に一枚でも二枚でもこの映画の紹介や、ヨハネ・パウロ二世の言葉を載せたものを作って頒布してほしかった。

岩波のジョージア映画祭は、今年は改装で中止だが、グルジア映画についての著作の販売の他にコピー二枚ぐらいの映画の紹介を書いたものを100円か200円くらいで頒布、そうした気遣いは大変嬉しいものだ。

 

流ちょうな日本語のあいさつは、観客向け、というよりは観客の中のポーランド大使館員か同僚向けであったような気がする。ひときわ大きな拍手でそれを感じた。

挨拶なら映画祭のパンフに載せた方が効果的だ、より多くの人に伝わる。

 

とはいえ、名門ウッチ映画大学を有するポーランド映画は注目に値する。

過去の映画祭を含むポーランド映画のブログを下記に貼る。

 

 

 

 

尚現教皇はアルゼンチンのイエズス会の出だが、ヨハネパウロ二世によって枢機卿に任命されている。またヨハネパウロ二世のキューバ訪問に同行している。

アルゼンチンのカトリック教会も軍政の圧政に苦しんだ。

教皇フランシスコは質素な生活を選び、「現象学の枢機卿」が度々滞在した夏の離宮ガンドルフォ城は一般開放し一部は博物館にしたらしい。

 

ヴァチカンは聖職者の性的虐待で揺れているが、米国のある枢機卿任命に際して、性的虐待のうわさがあったにもかかわらず任命した事に関してヨハネパウロ二世に対する批判があるらしい。部外者には事情は分からないので安易な批判は避ける。

 

 

ヨハネパウロ二世のスピーチは感動的だ。

深い瞑想と祈りの中から生まれた力強い言葉に感動する。

 

 

 

 

子どもの身の周りの世話や躾け、あるいは家事をするナニーとして 多くは住み込みで働きながら、街の風物を、人々の生活や表情を、撮り貯めた,しかし公開されないままに終わった一人の女性写真家を発見した物語。

 

先ずは、この映画の予告編から。

 

2013年製作、原題は「Finding Vivian Maier」

日本公開は2015年10月。この年翌月11月上旬には、ロンドン・リスボン・パリへの9日間の旅行を控えていたせいで、脳裏には全くなかった。

 

 

彼女の撮り貯めた写真のいくつかをみて その一瞬の、被写体の人物の人柄を一瞬で切り取る技量にまずは惹きつけられた。

 

そうした状況に持っていくには、相手に対するアプローチ、あいさつや許可、いくつかの会話などいわば対人的な能力が必要とされる筈だが、そうした能力をどうやって磨いたのか。

 

撮る方と撮られる方は、世界内存在として同じ時空間を共有するが、

被写体がいわば自己の実存を差し出しているのに対し、撮る方はカメラの陰に隠れて、いわば実存を意図的に消去している。

その撮る側の実存は、現像(編集)によってネガからポジに変換された時、露わになるのだ。

我々の自意識が、常に自分と共にありながらある瞬間立ち昇ってくるように。

 

ヴィヴィアンは1926年の生まれ、マリリンモンローと同年。

 

 

なぜヴィヴィアンは、自分の撮った写真を画廊などで展示・公開することが出来無かったのだろう。

映画の中では自分で現像しない、ということが理由として簡単に触れられている。

ということはプロの写真家として「編集ーアーティフィシャルな加工」を施さない素人写真、とみなされた、という事なのだろうか。

 

最初にアプローチしたのが誰であるにせよ、その人がヴィヴィアンの写真の価値を認めていればその後が変わった可能性もある。タラればのはなしであるが。

 

当時の女性の活躍する場、といえば、映画、音楽、スポーツなどの世界。

当時の映画における女性像は、せんじ詰めれば「男の性的願望」の女神である。

それは清楚なお姫様、マリリンより3歳下のオードリー・ヘプバーンも同様である。

 

写真家のプロ、といえば時代は溯るがロバート・キャパ(1913-1954)を嚆矢とする戦場写真家。あるいは新聞社専属の事件現場や人物を撮るフォトジャーナリストやファッションの専業写真家。

 

米国では白黒テレビが1968年5260万台でピークを迎え、以後当時330万台であったカラーテレビが隆盛していくから、映画とテレビという動く媒体の前に、ストリート・フォトグラファーという存在は、その自立した位置を築けていなかった可能性を推察する。

 

ヴィヴィアンの写真で、注目したのはこの写真。

 

大柄な体を、やや恥ずかし気に、しかしまた一方では誇らしげに、なんともアンビヴァレンツなヴィヴィアンを感じる。

 

「被害者を誘惑する際には、チャーミングで打ち解けた態度を見せる。

これは相手に対する共感の高さを表す。

一方犠牲者を暴行する段になると無感覚になる。これは共感の不全を著わす」

 

これはサイコパスの描写で、他に適当な文言がないので引用したが、

写真家が被写体に対してアプローチし、一瞬をとらえてシャッターを押すプロセスにも

チャーミング且つ非情な側面があるだろう。

映画監督にも演技指導の時の優しさと、迫真のシーン撮るときのサディスティックな側面の二面性があることはたびたび言及される。

かつての子供たちがナニー、ヴィヴィアンを語るとき、彼女の二面性が語られることに違和感は感じない。

 

余談だが、この映画はゼルダさんの「シネマの万華鏡」ののブログを読んで興味をそそられ、レンタルで鑑賞した。詳しくかつバランスの取れた内容で、一読をお勧めする。

 

 

 

追記:この写真は先の写真と同じ浜辺。隣はヴィヴィアンの母親だろうか?

    それともジャンヌ・バートランド?

 

 

 

 

新藤が「愛妻物語」の興行的成功を受けて、大映の永田に「原爆の子」と島崎藤村の「夜明け前」徳田秋声の「縮図」の三作品の企画書を出すが、いずれも却下されたことは先のブログで述べた。

 

この縮図は、「原爆の子」に続く1953年公開の近代映画協会制作作品である。

原作は、秋声晩年の1941年6月から9月にかけて、「都新聞」に連載された。

白山(東京都文京区)の置屋の女将、元芸者の小林政子をモデルに、芸妓の世界を描き、秋声文学の傑作、自然主義文学の最高峰と言われる。

川端康成はこの作品を「近代日本の最高の小説」と激賞している。

徳田秋声

しかし戦争たけなわの昭和16年では、(軟弱な)芸妓の世界は殺伐とした時世には合わず、情報局からの干渉もあって80回で中絶、以後続きは書かれることはなかった。

 

新藤兼人の脚本は芸者銀子の前半生のみを描く。

ブログ「鉄輪」でも書いたのだが、新藤初の監督作品「愛妻物語」で

 

 

乙羽がみずから申し出て「愛妻物語」に主演、続く「原爆の子」には大映の永田社長を説得して主演した事もあって、二人の間にはただならぬ緊張関係が生まれる。

そのさなか、新藤がこの「縮図」の脚本を京都の旅館に籠って書いている時に乙羽が旅館を訪れ、二人の事実上のただならぬ関係が始まるのだ。

 

しかし乙羽が立て続けに新藤作品に大映在籍のまま出演することが限界になり、乙羽は「縮図」出演のため、大映を飛び出して新藤の「近代映画協会」に参加する。

 

ストーリーは長くなるが映画。comよりコピペ(適宜抜粋)する

銀子は東京の下町に住む貧しい靴直しの娘に生まれた。父銀蔵は甲斐性なしで暮しも立たず、銀子は年端もいかぬのに千葉の芸者置屋に売られて行った。辛い仕込の期間が終り、やがて彼女は「牡丹」という名で座敷へ出された。女癖の悪い置屋の親爺磯貝に目をつけられ、追いまわされるが、銀子には千葉医大の医師栗栖という意中の人が出来た。磯貝は恐い女房に死なれてからは銀子に対する態度が一層露骨になり、連日の如くに責め折檻をした。これを救いに来たのは父の銀蔵だった。東京へ戻って来たものの、家は貧しく、更に父が病気に倒れ、銀子は今度は東北の或る町へ再び身売りした。この町で銀子の世話をしてくれた旦那倉持とは、次第に情愛が増し、本気で二人の間には結婚話も出たが、家名を重んじる倉持の母の反対で実行出来ず、倉持も銀子に無断で某家の令嬢と結婚してしまった。傷心の銀子は再び東京へ帰り、芳町の「春芳」から三度目の勤めに出た。ここでは姉芸者染福のねらっていた株屋の若林から世話を受けることになったため、銀子は事毎に苛められ、熱のある躰で無理を押したためもあって、悪性の肺炎に倒れた。ようやく死線をこえはしたが、一旦証文を破ってくれた筈の「春芳」の女将の強引な泣き落しで、銀子は又しても苦しい勤めに出て行った。

 

かくのごとく、苦労の連続の銀子の前半生であるが、それにもめげずに乗り越えてゆく芯が強いが明るい銀子を乙羽は伸び伸びと演じている。

秋声の原作には、銀子の性格についてこう描く。(適宜中略)

素朴で単純な性格を今もって失わない銀子は、取り越し苦労などしたことはかつてないように見えた。幼少の時分から、相当生活に虐げられて来た不幸な女性の一人でありながら、どうかするとお天気がにわかにわるくなり気分がひどく険しくなることはあっても陰気になったり欝ぎこんだりするようなことは絶対になかった。

毎日の新聞はよく読むが、ともすると統制でこうむりがちな商売のやりにくさを、こぼすようなこともなかった。

 

小説は置屋の女将の現在から若い時分の回想に向かうが、上記は既に女将となった部分である。秋声の描写の簡潔さもさることながら、乙羽は銀子を芯から楽しんで演じているように思えた。

尚共演者には、宇野重吉や滝沢修、殿山泰司、北林谷栄、沢村貞子、山田五十鈴、山内明など。

 

最後にいつ頃のどんな場面の写真かは不明だが、乙羽と新藤、「センセイ」と「乙羽さん」の仲睦まじいツーショットを貼り付ける。

 

 

 

 

「愛妻物語」で乙羽信子は大映社長の永田に直訴してこの役をやりたいと申し出て、新藤の監督初作品の主役となった。

(愛妻物語の乙羽信子と宇野重吉)

 

新藤は乙羽と初めて出会ったとき、最初の妻で「愛妻物語」のモデルであった久慈孝子にその雰囲気があまりに似ているので、運命的なものをハッとした、と表現している。

 

「愛妻物語」が興行的にも成功したので、新藤は大映に「原爆の子」「夜明け前」「縮図」三点の企画を出したが、藤村の「夜明け前」は地味だし、秋声の代表作「縮図」は内容が暗い、「原爆の子」は米軍占領下で原爆を投下した米国に刃向かうようで具合が悪い、などの理由ですべて却下される。

 

ならば、と新藤は「原爆の子」を民芸の宇野重吉と共同で製作することを決意する。

新藤は現在の広島市佐伯区の生まれであり、実母は新藤家に広島市から嫁いできた人である。看護婦の姉は原爆投下の三日後に救援で医師団に加わって広島入りし、新藤に委細にその惨状を新藤に話してくれたこともあって、並々ならぬ思い入れがあるのだ。

 

後ろ盾のない故、製作費は当然に乏しく民家を借りて合宿し、自動車は使わず自転車で移動することにする。

しかし、物語は、瀬戸内海の島の親せきの家に逃れていた幼稚園の先生が、7年目に子供たちに会いに広島を訪れる内容だが、原爆映画に出たがる女優はなかなかいない。

 

そんなあるとき銀座にある近代映画協会の事務所に乙羽がやってきて、「私を使ってください」と言い出す。

しかし乙羽は大映の看板女優の一人なのだ。大映が出演を許す筈はない。

それでも乙羽は永田に直談判して、大映在籍のまま、出演を承諾させる。

 

幼稚園の教師石川孝子(乙羽)は元奉公人の爺 岩吉(滝沢修)に再会するが、

被曝してケロイドが残り視力も失っていた。

岩吉の孫の太郎ともども自分と一緒に島に帰るよう説得するが、太郎も爺と一緒を望み果たせない。

しかし爺の死後孤児院に預けられていた太郎を連れて島行きの船に乗る。

映画では被爆者の凄惨な姿は岩吉を除いて登場せず、園児たちの被災した物語が淡々と綴られる。つまり原爆の悲惨さを、肉体的な傷によって現そうとするよりは、命を奪われたことの無念さによって現そうとしているのだろう。

そしてそれらの背景にある被曝して荒廃した風景がその無念さを伝えている。

 

この映画は1953年カンヌ国際映画祭に出品された。

米国に忖度する日本政府は参加を認めないよう主催者に陰に圧力を加えたらしい。

が、英国アカデミー賞で国連平和賞などを受賞、世界初の反核映画となった。

よって各国で公開され興行的にも成功だった。

 

マルグリット・デュラスが、自分の脚本「ヒロシマモナムール」に関して、原爆の悲惨さは日本人たちが映画にしている、と述べたくだりがあるが、恐らくは新藤のこの映画と、今村昌平の「黒い雨」が念頭にあったに違いない。

 

先にこの映画は民芸の宇野重吉と共同制作で製作された,と書いた。

映画では宇野や宇野と並ぶ看板の滝沢らが出演している。

せっかくの機会だから、劇団民芸の歴史を述べた同劇団のページをリンクする。

 

 

 

 

 

 

 

原題は「Sorry,We Missed You」は宅配業者の不在連絡票の定型句。

これも、ケン・ローチの、サッチャーから続く英保守党の「規制改革」[「新自由主義経済改革」に対する怒りの作品、と言っていいだろう。

 

脚本は1996年「カルラの歌」以来、前作の「私はダニエル・ブレイク」まで数々の作品で監督ケンとコンビを組んできたポール・ラヴァーティ。

パルムドールを受賞した「麦の穂をゆらす風」の脚本も同様に彼である。

 

この(日本では)あまり知れれていない脚本家について、大変興味をひかれたので、英語版のWIKIより紹介する。

Paul Laverty は1957年インドのカルカッタで生まれた。母親はアイルランド人で父親はスコットランド人。生育は父の故郷スコットランド西部、北アイルランドに近くのWigtown。(ケンは1936年生まれ、オクスフォード大学に学ぶ)

その後ローマの大学で哲学を学ぶ傍ら、ローマのスコットランドカトリック系の神学校で司祭職の資格を取ったとあるから、当時も今も北アイルランドの激しいカトリックとプロテスタントの係争の中に多感な時代を過ごしたものと推察される。

 

以後スコットランド西部グラスゴーの大学で弁護士資格を取り1980年代中頃、ニカラグアの人権団体で人権活動家として活躍する。ときはリーガン大統領のニカラグア介入の時代(イラン・コントラ事件)、更にはエルサルヴァドール、グアテマラなど中南米に一貫してかかわった筋金入りの闘士、という側面がある。

 

ケン・ローチがスペイン内戦を描いた「大地と自由」を制作している1995年前後とみられるが、ニカラグア内戦で引き裂かれる恋の物語を書いてケンローチにアプローチ、ケンはその脚本を採用して1996年に作品「カルラの歌」を公開する。

 

ラヴァーティの経歴から考えてみて、ケンとは当然意気投合したのだろう。

また、アイルランド内戦の兄弟の確執を描いた「麦の穂をゆらす風」は当然に

ラヴァーティの母親の祖国の物語であるから、彼のアイデンティティーに関わる脚本であったのだろうと推察される。

 

余談だが、「大地と自由」に準主役で出演したスペイン人のイシアル・ボジャイン(1967~)と結婚、3人の子供がいる。

彼女も多才の人で女優、映画製作者、映画監督である。

 

映画「家族を想うとき」はパルムドールを受賞したが

その次の作品とあって話題性も高く、あちこちで取り上げられている。

その一つを以下に紹介する。(シネマの万華鏡より)

 

よってここでは言及の少なかった事柄についてのべ、 併せてケンやラヴァーティが

最も言いたかった台詞、この映画を集約した台詞をピックアップしてみたい。

 

映画は責任感の強い父親リッキー・ターナーと、性根の優しい介護士の妻アビーが、

二人の子供長男のセブと妹ライザに、より良い生活を与えようと、自営の宅配業者に転職するところから始まる。宅配に使う車はリースではペイしないので結局買う羽目になり、その返済には朝から晩まで駆けずりまわるしかなく、アビーもまた、仕事に使っていた車を売って宅配の車の頭金にしたのでバスで移動せざるを得ず、二人ともお互いと子供に愛情を注ぐ時間も心の余裕も失われてゆく。その家庭内のストレスが多感な反抗期の長男セブにしわ寄せされ、盗みで退校の危機にさらされることになる。

 

ラストシーンで身も心もボロボロになった父親リッキーが、家族の制止を振り切って、

暴漢に襲われて怪我した体のまま、宅配車で出かけるところで終わる。

彼は宅配に行ったのだろうか、、、

あるいは、生命保険で借金を返そうとしたのではないか、、、

暴漢に襲われてケガして病院に行ったリッキーと、会社の中間管理職との間に

冷酷なやり取りが交わされる。業務委託とは名ばかりの、休むときは代わりを自己責任で見つけ、更には制裁金が一日100ポンド、ガンと言われる配達用スキャナーの破損損料が1000ポンド、それは分割でもいいと言われて、隣にいた妻のアビーが我慢しきれず、リッキーの電話をひったくる。

 

「妻のアビーよ、今病院だけど、夫は顔を殴られてレントゲンを、

手も骨折、胸も損傷して、それなのに制裁金なの?

機器が1000(ポンド)なの、正気?

自営?どこが?

逃げようとしても無駄よ、

人をなんだと?

命の問題よ。

言っとくけど、わたしの家族をなめないで。

クソ野郎! 機器もクソよ。

電話をケツに突っ込め!」

 

そして誰にとも無く

ーごめんなさい、人をケアしているのにひとを罵った。

と自分を責める。

 

性根の優しいアビーが遂に切れて、腹からの憤り、命のコトバを吐き出す。

これがケンとラヴァーティの言いたかったことに違いない。

 

もう一つこの映画に関連して言っておかなければならないことがある。

ケン・ローチはサッチャーの規制改革の、一般庶民にもたらす深刻な打撃を、

なんとかして白日の下に晒したい、と映画制作に打ち込むのであるが、

我が日本では、規制改革、なかんずく「改革」と言われると、無批判にひれ伏す風土が醸成されている。     大げさな、と甘く見てはいけない。

今国会では、学術会議の会員の選出を巡って、スガ総理の関与が問題視されているが、それをかわすために、学術会議の「組織改革」が持ち出され、河野改革相が間髪を入れず組織改革を言い出し、世論調査で一定の効果を上げている。

 

「改革」と言えば、何か物事が前進したように錯覚しているのだ。

学術会議に東大など旧帝大の出身者が多い。それを問題視するなら、国家公務員上級試験の合格者は圧倒的に旧帝大のそれも東大が多い。

 

スガ官邸の補佐官の東大出身者はどれほどいるのか? 

あの海外出張中のコネクティングルームの和泉をはじめ4人中二人が東大出だ。

つまり窮余の「学術会議東大偏重」は単なる目くらましに過ぎない。

 

この「改革=善」の刷り込みは小泉ー竹中改革に始まる。

この刷り込みの最も醜悪な部分は、いわゆる利益相反の問題だ。

規制改革会議で「聖域無き構造改革」と謳いながら、働き方改革でテンポラリーワーカーを自由化し、自分はパソナの会長として、その人材紹介のサヤ取りをしてもうける。

更に念の入ったことには、構造改革の話をするときは、かつては慶応大学教授、いまは東洋大学教授の赤ずきんの衣を着ていることだ。それがアベノミクスからスガまで続いている。

 

この規制改革で商売の自由度が広がるのは、パソナばかりでは無い。

例えば、かつては健康食品の効果について、エビデンスも無いのに、あたかも効果があるように謳う宣伝は規制されていた。それも「改革」され、安倍政権のサポーターである極右社長経営の健康食品会社は、規制緩和を機にどんどん宣伝し、無知蒙昧の大衆相手にドンドン売り上げを伸ばしている。

そしてその宣伝の恩恵を受ける電通。

その電通の副社長に天下りする、通産省事務次官。

庶民はその宣伝に乗せられて効果のいまいち不明な健康食品を買っている。

買わされている。

 

こんなことが、テレビや新聞に取り上げられる訳がない。

なぜ取り上げられないか、いうまでもないだろう。

電通は、企業の宣伝広告費を握っている、という幻想を武器に

新聞テレビに影響力を行使しているのだ。

その影響力は田原総一郎にも、池上彰にも当然及んでいる。

言うまでも無いが。

 

日本の「自営業者」という名の過酷労働は、コンビニの24時間営業でも話題になった。

宅配業者の過酷な状況について、我が国でも例外では無い。

ここに日本の宅配業についての記事がある。

 

私も宅配業の人たちから恩恵を受けている身であるから、彼らの心身の健康の問題は他人事ではない。業務委託でも、労働時間や委託料の最低保証はあるべきだ。

 

人材紹介業は本来「労働搾取の温床」としてかつて厳しい規制の対象であった。

フランスやドイツでは、派遣労働者と正規雇用労働者の同一労働同一賃金が前提として守られている。そうでなければ非正規雇用とは「労働搾取の温床」になるからだ。

日本のように、規制改革のメンバーでありながら、人材紹介の規制を外して、その恩恵を受ける人材仲介業の会長を務めている、という腐敗も腐敗が白昼堂々まかり通っている。

 

何故まかり通ているかが最近明るみに出た。

アベのマスクなど通産の業務委託が、パソナと電通の関連会社に行き、

そこで数億の中抜きがなされている。つまりはズブズブの関係。

 

電通は新聞テレビを通して、こうした内実が暴露されて大きく問題化しないように当然手を打っているだろう。 あるいは忖度という名の日本的陰険な圧力かもしれない。

忖度は最初の時に注文を付ければ、次回以降無言の圧力で実行される。

そしてもう一つ日本のテレビの特殊性がある。

朝・昼のワイドショーの司会者は、たいていは芸人だ。

コメンテーターと称するものは、大概が素人。

従って最近ではフジの番組で平井某が放ったフェイクは、司会もコメンテーターも誰にもチェックされずにまかり通る。

 

民放に限らずNHKもひどいことになっている。

学術会議の件に関して、日本会議系の法学者が、日本では少数も少数意見の者が、ただ一人コメントを述べている。中立性の外見すらかなぐり捨てられているのだ。

なぜこんなNHKに強制的に受信料を払わなくてはならないのか。

自公政権を永久化するために存在しているNHKは不要だ。

 

ケン・ローチの怒りはイギリスの問題だ、と軽視することは出来ない。

報道の自由度が先進国中最低ランクの日本では、イギリスよりはるかにひどい事が放置されたままになっているのだ。