Gon のあれこれ -11ページ目

Gon のあれこれ

読後感、好きな太極拳、映画や展覧会の鑑賞、それに政治、ジャーナリズムについて、思いついた時に綴ります。

「作品のテーマやサイズ、形態、点数、国籍、年齢などを問わない公募形式によるコンテストを実施し、写真の持っている可能性を引き出す創作活動を奨励し、受賞作品展の開催や受賞作品集の制作、ウエッブサイトでの情報発信など受賞者の育成・支援活動を総合的に行っています」(同展の冊子より)

 

というこの展覧会の開催趣旨に深く共鳴して、楽しみにして出かける。

 

 

審査員は昨年に継続している人も居れば、新しい人もいる。

これは案外大事なことだ。

毎年決まった人がいると、「傾向と対策」的な作品、つまり選者に媚びるような作品が出てくる可能性がある。

それは応募する側、選択する側の時間とエネルギーの無駄なので無い方が良い。

 

一方、優秀賞、佳作とも各々の選者が、優秀賞1作品、佳作2作品を選んでいる様であるが、なるべくたくさんの応募者に受賞を、という「奨励」の「親心」はわからなくもないが、ひとつの作品に選者が重なったら、それはそれで良し、としてその作品に対して各選者が選択理由を述べるような形式の方が、受賞者数は減るかもしれないが、鑑賞する我々が異なる選択理由を知ることで、鑑賞レベルが深まるのではないか、と思うがどうだろう。この展覧会は私のような鑑賞者を啓発する役目もある筈だ。

 

さて、先ず印象深かったのは、セルゲイ・パカノフの「The SummerGrass,or My moyher's eyes through her last 15 years」作者の方を見ている母親の顔が24点並んでいる。作者に対する愛情のこもった表情も、どことなく不安げな表情もある。

 

晩年アルツハイマーを発症した、とあるから、それはあるいは、自分のつい先ほどの、あるいは昔の楽しかった母娘の記憶が次第に失われていくことの不安、それから未来に対する確信の無さからくる不安の反映かもしれない。

ポルトガル出身で、フェルナンド・ペソアを愛読する脳神経学者のアントニオ・ダマシオは、我々のアイデンティティー 即ち一人の人間を特徴付けている不変で一連のユニークな事実や在り方を「自伝的自己」とし、それは自分が関わった状況での体系的な記憶「自伝的記憶」に支えられている、としている。

 

記憶を失うことが、自己に対する確信を奪っていくのだ。

確信を失った自己は、未来にどんな希望を持てるだろうか。

この24枚の写真を見ていると、そうした感情がリアルに立ち上ってくる。

 

写真などの映像作品は、記録としての価値がある。

我々の記憶は何よりも大雑把であり、時間と共に歪曲される。我々の1.3キロの脳内のニューロンは7年で入れ替わる、というから失われ易いものでもある。

そうした点から細部まで写されている映像作品は記録的な価値が高いし、歴史修正主義者のように、在ったことを無かったことにしようとするものに、歯止めをかけることが出来る。

そのような観点からいえば柏田テツヲのオーストラリアの森林火災の一連の写真や、五味航の「尾根をわたる」、小川修司の「女学生日記」は記録的な価値も併せ持った作品だし、藤原香織の「森から見る」

 

は都内の遺跡の森の中からの写真とその場所の歴史に関する写真を対置して「記憶」を掘り起こし、変化ないし時間の経過、歴史を現前化している。

 

一方、樋口誠也の{some things do not flow in the water] は簡単に水に流してはいけないこと、例えばシンガポールでの日本軍の現虐殺の歴史について、彼らが「許す、しかし忘れない」こと、記憶に止めることの重要さを、逆説的に写真を削っていくことで写真が白紙に戻ってい行くパフォーマンスで表現している映像作品だ。

つまり、写真に残して置くことだけでは、あるいは死蔵してしまっては、記録の価値はないのだ、絶えず呼び戻すことの必要性、ということを考えさせられる。

 

ベトナム戦争での報道写真家沢田教一のこの著名な作品は

 

ベトナムの戦争証跡博物館で見たのだが、

 

 

沢田のほかに以下の報道写真や、米軍のソンミ村虐殺事件の報道などが、アメリカや日本だけではなく世界に「ベトナム反戦運動」が展開され、米軍が戦争の大義と戦意を失って、ベトナム南軍が敗退して遂に戦争終結に至ったことを考える時、写真が問題提起、広い意味でのインスタレーションを果たすことが出来る、ということも忘れずに居たいし、問題提起的な写真がもっと応募も受賞も多くていい筈だ。

 

折しも、沢田教一のドキュメンタリー映画「サワダ」が同じ東京都写真美術館で上映予定である

 

上映は11月3日より15日まで。月曜日休館。

キャメロンイギリス保守党が政権に復帰して早速「倹約政治」で福祉をカットしだした事に怒り、「わたしはダニエル・ブレイク」や「家族を思う時」を世に送り出したケン・ローチ監督の過去の作品とインタビューで綴るドキュメンタリー。

 

 

1936年生まれの監督は復帰して最初の映画「私はダニエルブレイク」公開時80歳。

かつては労働党党員で左派に属し、最近でもコルビン労働党党首支持者であった。パレスチナに肩入れして反イスラエルとみなされることもある。筋金入りの闘士、だが外見や話し方はソフトで「静かなる男」である。

 

オクスフォード大学で法律専攻。1957年卒業後英国空軍で軍務2年の後BBC入社。

在学中から俳優の経験をし、1962年BBCに入社。傑作、と今日言われる「ケス」は当時は「過激」と見做され70年代80年代と不遇な時代を過ごす。

(とっても見たい映画だがレンタルやプライムにはなく、ブルーレイの購入はそこまでするか、と ためらいがある)

 

90年代に入り労働者階級や移民を描いた作品を立て続けに発表、1995年スペイン内戦を舞台とした「大地と自由」がカンヌ映画祭で国際批評家賞を受賞。

 

イギリスの共産主義者の青年がファシストと戦う人民戦線に義勇兵として参加して戦うが、戦線内部のスターリン主義者側にいったん加わるものの、彼らが戦線内部で非スターリン主義者を駆逐することに血道を上げることに嫌気して脱退する。

この映画日本公開は1996年だが現在鑑賞することは出来ないだろう。

 

ところで最近中曽根元首相の葬儀に国民の税金を一億前後出費することで、ケン・ローチの過去の発言が話題となった。

それは中曽根の「民営化モデル」の祖であったサッチャーの葬儀に、彼女の葬儀を民営化して入札せよ、とケンが皮肉ったことがあり、中曽根の葬儀に、その古事が想起されたのである。更にもう一つ、2003年右派メディアフジサンケイグループがスポンサーであった「高松宮殿下記念世界文化賞」を、主宰者の瀬島隆三が中曽根ブレーンであることを知りながら賞金を受け取り、その金を中曽根が進めた国鉄分割民営化に反対したため追われた労働者の組織にカンパした。なかなか皮肉が効いているではないか。

 

映画は「私はダニエル・ブレイク」を撮り終えた2016年の作品である。

ケンの映画製作は、モザイク的にシーンを撮って後で編集するのではなく、ストーリーに添って撮影する。それにより俳優は一層役に入り込めるようになる。俳優の選択は「演技力」より俳優の「人間性」を重点にする。殆どリハーサルをしない。

撮影が進むにつれ所期の筋から逸れていくことも多い。

これらが相まって、迫真の演技、というよりはドキュメンタリー的な作風ー俳優が役になりきるというよりは俳優自身の人間性が露出してーが出来上がる。

 

そのインタビューのケン・ローチの言はどれも言及に値する内容ばかりだが、

いくつかを以下に紹介する。

 

(作品は)世の中の状況を伝えられたらそれで十分だ。

人と人とのシンプルなつながりと共に、人間を撮る。

人々の暮らしについての映画を作るなら政治は不可欠だ。

 

2014年ケンは引退を表明。翌年選挙で保守党(キャメロン)が復帰。

「嫌な奴らだ」といってケンは引退を撤回して「私はダニエルブレイク」に着手。

 

どんな映画製作者も絶対の自信なんてある訳がない。

だけど自分たちの心に響く物語が作れたら他人を感動させられるかもしれない。

それが映画を作る原動力になる。内側から情熱が湧き上がってくるんだ。

 

まず物語の核心について考える。

登場人物に真実味があって、伝える価値があるか。

それから役者選びだ。

年齢や生い立ちなどが役柄にあっているかを見る。

人柄は隠せない。そして聞き上手かどうか。

 

「麦の穂をゆらす風」の俳優キリアン・マーフィー。

「ケンが俳優に求めるのは作品に生かせる資質があるか。

演技力じゃない。(その人間の)本質をみている。

 

ケン

大事なのは役者がどういう人間かということだ。

弱さを持っているということが非常に重要だ。だが監督はそれを利用しようとはせず彼らを安心させる必要がある。すると俳優は弱さを見せられる。

 

「私はダニエル・ブレイク」のケイテイ役ヘイリースクワイヤーズについて

年齢、出身地、階級、本心で素直に話す。だから演技にも真実味がある。

俳優の「役」というよりは「状況」の理解、それが出来るかどうかが重要だ。

 

サッチャーの改革のターゲットはBBCであった。労働者はサッチャーに対抗したがBBCの指導者は妥協した。免許更新の脅威に負けたのだ。これについてケンは

時代の問題じゃない。放送局がプライドを持つかどうかの問題だ。

彼らにはプライドが無かった。

日本の公共放送NHKに聞かせたい批判だ。

 

「私はダニエルブレイク」で

ケイテイは労働者階級のダニエルブレイクの遺書を読み上げる。

「怠け者でも,たかりやでも、物乞いでも、泥棒でもない。

国民保険番号でもなく、エラー音でもない。

きちんと税金を払ってきた。それを誇りに思っている。

地位の高いものでも、娘でもないが、隣人には手を貸す。

 

ここに一個の人間としての生き様ー尊厳が現れている。

NHKの幹部にも、最近一人7万円のベーシックインカムで年金や生活保護を無くそうとする経済政策を売り歩く男にも聞かせたい。自分は正月元旦に住民票を米国に移すことで日本の住民税を払わないようにしたものが恥ずかしげもなく言っている。

 

 

 

この映画はカンヌで二度目のパルムドールとなった。

一度目は2006年の「麦の穂をゆらす風」である。

 

最後にケン・ローチを師と仰ぐ是枝監督とのインタビュー記事がある。

これがNHKであることにいささかの皮肉を感じるが。

 

この対話の中で、ケン・ローチ監督が是枝監督に「万引き家族」での安藤サクラの

涙、涙のシーンについて、「ファーストテイクか?」と聞く場面が興味深い。

 

アナウンサーというのは「原稿を読む人」。

ケンの映画の「俳優」には遠い存在。インタビューというのはインタビュワーの力量で面白くもつまらなくもなる。国谷さんも去った後でクロ現も見る気が起こらない。

ついでに言えば最近はNHK定時のニュースも見ない、見るのはBSのフランス2とCNNとBBCのみ。国内ニュースは毎日新聞のデジタル版購読で十分足りている。

今のNHKなら民営化して欲しい。公共放送である価値がない。

 

 

 

 

 

森の住人だった、はるか昔の我々のDNAに住み着いた記憶を思い起こさせるような

彼女の作品に惹かれて去る7日鑑賞。

 

毎朝ナッツやドライフルーツをミックスしたものになぜかビール酵母を入れて、ヨーグルトをかけて食べている。

笑われそうだが、その理由はなんといっても我々人間は狩猟採集時代の生活が長かったのであり、我々の身体はその記憶と共にある、と信じているからだ。

それは我ながら穿っていえば、自分の身体に対する供儀、といってもいいだろう。

 

そういう日常からすると、鴻池の作品はとても心地いいものだ。

東北や北海道の森はかつてアイヌの人たちがクマと共に在り、鮭の遡上によって生かされてきた。森はその静けさと時おり聞こえる獣たちの鳴き声で、身体全体に言いようのない不安や未知のものに対する期待をもたらす。

その期待や不安は官能そのものだ。

道産子の私には、森の中を分け入ってゆく時の感覚が生々しくよみがえる。

 

 

生物はミミズを始原に、左右対称の身体を手に入れてから、環境に対する感覚を進化させてきた。左右のセンサーによって感覚受容が正確になったのだ。

その進化の方向は、五感、特に視覚の進化が著しいが、それは獲物を手に入れるためであり、敵を見分けるためでもあり、仲間と共生する為でもあるが、特に哺乳類に至って我々と共有するものが多い。

経歴によると、鴻池朋子は秋田の出身で芸大の日本画家で学んだという。

それで思い出したが、先の都美セレクション展で注目した二人の女性画家も

日本画を学んだ人たちであった。

日本画、というフレームがさしたる意味を持たなくなった今日、

持たなくなったが故の「自由」を引き受け、自らに問い、果敢に挑戦していくことのできた人たちが、輝いてきている、と思うのだがどうだろう。

 

もう一つどうしても付け加えたいのが、人々の物語を聞き取りし手芸で縫い上げる「物語るテーブルランナー」プロジェクト。

会場の説明では、物語を語る人の話から鴻池が童話的デッサンを画き、それを語った人たちが手芸で縫い上げるのだという。

沢山の物語があり逐一読んでいられなかったが、白い犬と茶色の犬と森に出かけた男がクマに遭遇して、茶色の犬が勇敢に立ち向かい、クマと共に谷に落ちて不明になったが、しばらくしてよれよれになって帰ってきて、クマの胆で回復したという物語に感動した。そして、こうした協働のアート=表現の在り方はさらに感動的である。

 

会場で彼女の著作が見開きで展示してあり、ありきたりの思想、借り物ではない思想が語られている、と感じて出口のアートショップでその書を買い求めた。

 

あるいは私のように、渋沢龍彦の本に挿絵した、この本から彼女の作品に親しむのも良いだろう。

 

 

最後にブリジストン美術館から、新しく生まれ変わったこのアルチザン美術館は、

私の知る限り、最も欧米的な、つまりは絵を鑑賞する者を「一個の大人」として扱ってくれる初めての美術館だ。

細々とした注意、というよりは監視を行き届かせることが運営者の在り方だと考えているような節がある美術館が殆どの中にあって、とても気持ちよく過ごせる場所だ。

気分転換に外を見られる場所があるのもいい。

隣に戸田建設が「モダンアートの展示場所」を設けた本社ビルが今、基礎工事の段階にあることも見て取れる。完成は5年後、との事であったが。

 

 

ひとつ前の以下のブログについて頂いたコメントへの返信をするにあたり

いくつか画像を貼り付けたい、と考えたので、ブログで返信することに致したい。

 

頂いたコメントの趣旨は、ジャコメッティの矢内原伊作像の額に刻まれた

十字は「カインの刻印」のように見え、それがジュネの言う「傷」に当たるのではないか、というとても興味深い内容であった。

 

ジャコメッティの若い妻アネットと伊作は性的関係にあり、それは映画

「ジャコメッティー最後の肖像」 の中で示唆されていることでもあるのだが、加えて、無教会派のキリスト教徒矢内原忠雄が息子に、アブラハムの息子「イサク」

と名付けたことを併せて考えると、神が、弟を殺したカインに対する復讐を禁じる、としてカインにつけた標を矢内原の額に投影している、と解釈することは可能だろうと思う。

 

一方、伊作像に対照して置かれた矢内原の写真は、額の皺も薄いけれども

額の皺が深く刻まれた写真もある。

近くのカフェでジャコメッティと伊作はよく談笑したらしい。

人は親しくなればなるほど、互いに表情は豊かに、顔の皺もまた刻まれる。

そしてその表情の中に、喜怒哀楽が現れ、あるいは感情の貧・富、心の寛・狭

精神の貴・賤、、などを感じることも多々あるだろう。

それらの中に、その人間の本質的ーつまりペルソナ(仮面)の裏に隠されたものを見ることもあるだろうし、「傷」-その人自身の孤独の中でしか癒し得ない傷を垣間見ることも可能かもしれない。

 

伊作と妻アネットの情事の一方、ジャコメッティは40歳も若いカロリーヌを愛人としていた。一説には伊作をモデルにして深刻な危機に陥ったジャコメッティは娼婦カロリーヌと出会ってそこから脱出した、とも言われる。

 

パリには連綿と続く「愛人文化」「娼婦文化」がある。

デュラスがレジスタンスで仕えたミッテランには、愛人と子供がいて、引退会見でそれを問うた記者に「それが何か?」と返したほどだし、花魁の吉原のように、絵に描かれ詩や小説に描かれたパリの娼婦が数多いる。

ジュネはジャコメッティと娼婦について以下のように書いている。

なくなってしまった娼家の数々を、彼は懐かしがる。娼家は、とても大きな場所を、彼の人生の内に占めてきたーその思いはまだ占めている。(中略)女が、金輪際彼女を孤独から解放してくれない傷によってその身を誇ることが出来るのは、どんな実用を付与されることからも彼女を解放してくれるのは娼家ではないか。こうして彼女にある種の純粋さを獲得させるのは。(p37)

ギリシャ時代から、性愛は高貴な営みとされ、娼婦も神殿に住まう高貴な存在であって決して卑しまれるものでなかったし、ルネッサンスの時代でも娼婦は教養人であった。

 

イサクは実存主義が一世を風靡したパリに、サルトルやカミュにそれを学びたくてやってきた。

サルトルもカミュも、人間を神の被造物とすることからは人間の「実存」はない。

神の創造を否定する地点から「実存」を主張する。

 

イサクにジャコメッティを紹介したのはサルトルと言われるが、これらの観点から伊作がキリスト者であったとは思えない。ジャコメッティもまた。

 

コメントを寄せていただいたPARISから遠く離れていても…さんのブログは

カフェと美術館のパリには行けるときはいつでも行きたい、と思っている私には貴重な情報源でもあり、パリ好きでは先達でありブログを愛読させていただいている。

頂いたコメントによって自分の思考を深めることが出来たように思う。その意味で貴重な機会を与えていただいた。

 

次のパリはジャコメッティのアトリエのある辺りを散策してみたいし、ブローニュの森にあるルイヴィトン財団美術館も。そしてサルトルやシュルレアリストたち、印象派の画家たちが談笑したカフェにも立ち寄りたい。

 

サンジェルマン・デ・プレ教会の傍にあるCafe deux Magots 

ランボーやマラルメ、プルトンやジッド、アポリネールが集まったという。

つぎのCafe de Flora はその向かいにあるらしい。

サルトルやカミュやボーヴォワールなどの実存主義者たち、ジャコメッティや

バタイユ、メルロ=ポンティ、バルドーやアランドロンらのたまり場であり、

片方が満員ならもう片方でたむろした事だろう。

 

バタイユやジュネ、といえば、バタイユ「エロティシズム」、ジュネの「ブレストの乱暴者」の翻訳者の渋沢龍彦のバタイユ論、ジュネ論を俎上に乗せなければいけないような気がするがバタイユ論、ジュネ論が主題ではないので別な機会にする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1954年ごろ、ジュネはジャコメッティと出会った。紹介者はジャコメッティについての評論「絶対の探求」を著していたサルトルだったらしい。

ジャコメッティもまたジュネの「断章」を読んでいた

(アルベルト・ジャコメッティのアトリエ」ジャン・ジュネ1999年現代企画室刊p149)

 

「人間の頭髪は頭蓋の構造を隠蔽する虚偽」とみなしていたジャコメッティは禿頭のジュネに制作意欲を刺激され、かくてジュネはジャコメッティの前に立つ。

余談だが、ジャコメッティは妻アネットに、丸坊主になってほしいと頼んだがあっさり

断られたというから、ジュネに出会って魅入られたに違いない。

 

私たちの宇宙をさらに一層耐え難くするのはジャコメッティの作品である。

そう言ってよいほど、この芸術家は、虚飾を取り去ったとき、人間から何が残るかを発見するため、彼のまなざしの邪魔になる者は追い払う。

(同書p7)

対象(モデル)の虚飾を取り払う術は何であったのだろうか?

ジャコメッティはジュネや矢内原、あるいは「「ジャコメッティ最後の肖像」 のジェイムズ・ロードなどモデルを務めた人物と、製作中、頻繁に会話をするのみならず、途中外出してカフェで談笑するのが常であった。

何気ない会話から、その反応からモデルの人間性に迫る。

(ジャコメッティ)は感じ入った風に私を見つめながら「あなたは本当に美しい」独り言のように、彼はもう一度つぶやく。「あなたは本当に美しい」

それからこの確認を付け加える。

「ほかの皆と同じように。ねえそうだろう?それ以上でもそれ以下でもなく」(同書p52)

 

ジャコメッティのお気に入りのモデルであった矢内原には、ある時出発を二か月遅らせてまで彼を拘束した。どうしても満足できず毎日やり直したからである。

サルトルはあるときジュネに言う。

日本人の仕事をしているころ彼にあったが、うまくいっていないようだった。

あの頃彼は本当に絶望していた。(p40)

 

ジュネは矢内原について、

凹凸の無い、だが深刻で甘美なあの顔は、ジャコメッティの天才を誘惑したに違いない。(同書p36)

 

「虚飾」とは、「取り払う」とは何だろう?

 

美には傷以外の起源はない。どんな人もおのれの内に保持し保存している傷。独異な、人によって異なる、隠れた、あるいは目に見える傷。世界を離れたくなった時、短い、だが深い孤独に耽るためにそこへと退却あの傷以外には。

ジャコメッティの芸術は、どんな人にも、どんなものさえあるこの秘密の傷を発見しようとしているように思える。

その傷が、それらの人や物を、光り輝かせるように。(p8)

ジャコメッティのまなざしは、孤独な魂にとても優しい。

脱線するが、「ジャコメッティー本質を見つめる芸術家」」というドキュメンタリーがある。邦題では、その副題が「本質を見つめる芸術家」となっているが、原題では、「Eyes on the horizon」となっている。ジャコメッティが見つめるHorizen とは「その傷が、それらの人や物を光り輝かせる「姿」、「像」ではあるまいか。

 

今彼は製作中の立像に手を触れた。三十秒ほど、彼はすっかり入り込んでしまうだろう。自分の指から粘土の魂への移行の内に。私などいないも同然である。(同書p12)

「ひとつの感覚の刺激によって、別の知覚が不随意的に起こる」現象を共感覚、というがジャコメッティの指先(触覚)は「視覚」なのだろうと思う。

彼が粘土の像に触れている時、同時にそれがありありと見えているのだ。

「やり直し」もまた、見る指が満足しないからに相違ない。

 

ジャコメッティの作品に「犬」のブロンズがある。

彼の作品で最も印象に残る作品だ。

ジャコメッティはジュネの質問に答えて

「あれは私だ。ある日通りで、自分がこんな風に見えたんだ。私は犬だった。」(p21)

この全体から漂う孤独感。自分自身をこのように表現できるからこその、

ジャコメッティの優しさである。

 

ジャコメッティはこのテクストをこよなく愛し、

ピカソは「これまでで書かれた最も美しい美術論」と評したという。(p151)

 

ジャコメッティ(1901-1966)と同時代の英国の画家フランシス・ベイコン(1909-1992)は「人間存在の不安」を描いた、と言われる。その不安もまた根源は「人間的実存の孤独」から来るものだろう。そうした共通点のほかに、ベイコンもまた「リアリズム」を追求したことがあげられる。アート=技巧が転回点を迎えてアート=表現の時代を迎えたとき、二人は「新しいリアリズム」の開拓者でもあったわけである。

 

 

都美セレクショングループ展は昨年に引き続き二度目の観賞。

アート=表現 と先のあるがままのアート −人知れず表現し続ける者たちの観賞記で述べたように、なによりも「表現する意欲」に溢れた作品に出合えるのではないか、と、とても楽しみにしている展覧会だ。

 

最初のテーマは、

東アジア絵画のなかへートランスする「日本画」の可能性。

 

もっとも惹きつけられてのは、宮本京香(きょうこ)の作品。

スピーカーにとり囲まれ、手には楽器、、、

唐草?模様の中に何だろう怪しげな者が隠れている。

楽器とスピーカーから一つの物語を予想させるのだが、、背景はあくまでも「地」であって「図」を際立たせるものなのだろう。人物は有色で、この絵を見るものを凝視しているが何らかの感情を内包しているとは思えない。視線は「空虚」なのだ。

それがこの絵に独特な緊張感を醸し出している。

 

宮本京香は多摩美の「日本画」専攻。

今日、「洋画」「日本画」という区分けに何の意味があるのか、門外漢には分らない。

 

一時的なスランプに見舞われ、その中から「表現したい」という生命のエネルギー、

彼女はそれを「業(ごう)と呼んでいるが、それをいわば「自分の底の底にあるもの」として感じて危機を脱したようだ。

 

この絵の「地」もまたスピーカーであり、よく見ると左右に「何だろう怪しげ」な人物?が潜伏している。それは表現を促す「業」なのか、あるいは十全な表現を拒む、自分の中の「超自我」なのか、それは彼女自身が自分に問うべき問題だろう。

 

「地」と「図」というゲシュタルト的認識論でいえば、

フランシス・ベーコン(1909-1992)を想起する。

「主題となる対象から描き始め、それからミスマッチな背景を描き、最初に描いた対象のリアリティをつかまえる」(「フランシスコ・ベイコンインタビュー」ちくま学芸文庫)

として、そのミスマッチによってもたらされる緊張感、あるいは「絵の物語性」の拒絶を語っている。

 

ベイコンを引用したついでに気に入った彼の言を紹介しよう。

画家になろうと思うなら、物笑いになることを恐れまいと決心しなくてはなりません。もう一つは、心底夢中になって取り組めるテーマを見つけられなくてはなりません。テーマがないと、おのずと装飾的な絵に後戻りしてしまう。

見る人のためになんて描けませんよ。自分さえ楽しめればいいと思っていますから。(同書p279抜粋)

人物であれ風景であれ、本物以上に本物であろうとする、アート=技巧 が無意味になり、神の栄光、キリストの受難、あるいはヒーローの悲喜劇を描く「大きな物語」を喪失した今、画家は「抽象画」に逃げ込まないと決心すれば、自分で新しいリアリティを創出しなければならないのだ。 それが アート=表現 とする理由である。

 

もう一つ魅力を感じたのは小林明日香のこの絵

 

ありふれた地下鉄の行き交う人々を輪郭を曖昧にして「動き」を捉えようとしているのか。間にある青のサインと対照的でもある。

 

ビデオカメラを手にして歩きながら対象に近づいてゆけばわかるが、映像はブレて非常に視辛くなる。

我々の脳 1.3キロの中には140億前後のニューロンがあり、その2割は視覚に費やされているという。そのニューロンが、移動に伴う視覚のブレを補正し、安定した輪郭で見えるようにしている。脳学者の中には「我々は幻想を見ている」というものもいるが、我々の脳が補正したイメージも我々の事実なのだ、幻想ではない。

そうした観点からいえば、この絵は「我々の脳の補正以前のイメージ」を描こうとしているようにも思える。

 

都美セレクション展には「都市のみる夢」というインスタレーションがあった。

冒頭に磯崎新の

「都市は夢を見ている。その住民は夢を知らない、夢に気づかない」と

ベンヤミンの「パサージュ論」から引いた「集合的な夢」についてのパネルがあり、

「本展示企画はその夢から人々が覚醒する場を創造すべく、目覚めの場として寝室をテーマにした展示を行う」とある。

 

磯崎のいう「夢」とベンヤミンの「集合的な夢」が寝室に結びつく、その「風が吹けば桶屋が儲かる」というロジックは理解しがたい。あまりに即物的すぎて。

そもそも磯崎やベンヤミンの「断片」を借りてきて、都市を穿つインスタレーションをしようとする安易な発想が気にいらない。

 

現代の日本の社会、その社会の場 としての都市には様々な問題を孕んでいる。

その問題を穿とうとすれば、なによりも身近にある「現実」を、残酷な現実(ベイコン)を捉えようとすることが出発点ではないか。

 

デュラスは結婚しているときの自分の状態を「ヒロシマ・モナムール」のヒロインの台詞に託し,こう表現する。

 

「わたしは飢えていたのよ。裏切り、姦通、嘘そして死ぬことに飢えていたの」

マルグリット・デュラスの男性遍歴はパリ中に知れ渡る。

(マルグリット・デュラスー情熱と死のドラマツルギー、ジャン・ピエロ P547)

 

恋を恋し、愛することを愛したデュラスだから男性遍歴は多かった筈だが、

「わたしはなぜ書くのか」ではその相手については明かされない。

 

ーあなたのアパルトマンは、何年ものあいだ、ごく親しい友人グループの出会いの場になっていました。

Dええ、そうね。ここにはジュルジュ・バタイユ、モーリス・ブランショ、エドガール・モラン(など)が来ました。あの人たちは友達でした。(「わたしはなぜ書くのか」p139)

(バタイユ)

 

バタイユ(1897-1962)とブランショは思想的同志であったし、68年5月革命では作家学生行動委員会でデュラスともに行動した仲間でもあった。 

またバタイユについては別のところで

 

D とても親しくしていました。(バタイユの中にあるカトリック的なものは)まるで彼をはねつけると同時に魅了する極めて古い罪悪感によって八つ裂きされているかのように、そのすべての作品の中に一種の曖昧性が浸透している。彼の官能的な作品はこのことを確認しています。それでも身体で感じる官能の喜びというよりはページの上の不毛な官能の歓びに関する何かを扱っているのです。(P71)と語っている。

 

ページの上の不毛な官能、とは辛らつだがバタイユには「実体験」が不足、ということか私生活では2度3度の結婚離婚を繰り返した。バタイユの「純然たる幸福」(ちくま学芸文庫)の中にデュラスからインタビューを受けた内容が掲載されているが、デュラスがバタイユの答えに「なるほど」と思っている個所はひとつもない。

内容的にも共産主義や至高性などだが議論が噛み合っているとは思われない。

対談は57年12月に公にされた。一方バタイユの「エロティシズム」も同じ年に公刊された。

肉体のエロティシズムは、何かしら重苦しくて、忌まわしいところがある。心情のエロティシズムはもっと自由だ。心情のエロティシズムが完全に肉体のエロティシズムから離脱することはありうる。(バタイユ「エロティシズム」ちくまp32抜粋)

男の愛はどこか精神的だ。性愛の記憶も肉体的官能よりは甘美な夢に似ている。

 

バタイユは1941年「マダムエドワルダ」を匿名で著わすが、国立図書館の公けの地位にあったことからバタイユ名での出版は死後1966年であった。(角川文庫p258)

トッレのインタビューが1987年に始まったことを考えるとデュラスはこの作「マダムエドワルダ」を既に読んでいたに違いないし、匿名での56年の出版にバタイユが序文を書いているから、作者がバタイユであることが暗示されている。デュラスが56年出版を読んだかどうかは不明だが。

俺の生は俺がそれ(生)を欠く時、初めて意味を持つのだ。瀕死の人間はわかってくれよう、、、これこそ存在の姿である。訳も分からず寒気で震え続け、、、、無限の拡がりに、暗闇に取り巻かれ、わざわざ彼はそこに置かれているのだ。神はご存じなのか?もしご存じとすれば、神は豚にも等しい野郎であろう。主よ(俺は悩みの果てに、おれはじぶんの《いとしい女神》に向かって訴える。

我を救い出したまえ、彼らを盲になしたまえ!(角川文庫p33)

 

バタイユは「聖なる神」の総題の下に4つの作品の一つとして「エドワルダ」を書いたらしい。「エドワルダ」の扉書き冒頭にこうある。

俺の苦悩はついに至高の王座にのし上がった。

 

バタイユは1957年「文学と悪」を著わす。(ちくま学芸文庫1998年)

そこではエミリ・ブロンテから始まりボードレール、ブレイク、サド、プルースト、カフカと続いて最後にジャン・ジュネが取りあげられる。

 

文学は本質的なものである。さもなければ無だ。文学とは悪を、悪の極端な形態を表現したものであるのだが、悪は私たちにとって至高の価値を持つのである。とはいってもこの考え方は、道徳が無くなることを求めているのではない。〈超道徳〉を必要としているのである。(ここはバタイユの本邦一の研究者酒井健著バタイユー魅惑する思想 白水社 訳から引用)

 

自然界の至高性には善も悪もない。人間の意志や願望とは無関係にそれ自身としての秩序と無秩序、生成と消滅がある。

一方人間の至高性は善と悪との激しい対立・葛藤の最中、あるいはその果てに見られるものである。さすれば善と悪との激しい対立のはざまにあって一個の生は傷つかずに居れようか

 

バタイユはジャン・ジュネをサルトルの「聖ジュネ」を手掛かりに展開する。ジュネの「泥棒日記」(邦訳新潮文庫)は1949年ジュネ39歳の時の自伝的作品で、サルトルとボーヴォワールに捧げられている。

 

この400ぺージ余の「泥棒日記」に対して、「聖ジュネ」(サルトル全集白水社Ⅰ Ⅱ)は上下2段組みで750ページ前後、ジュネの他の作品も引き合いに出しながら、しかし微に入り細に穿つような作品なのだ。確かにジュネの表現は暗示やメタファー豊かでそれを解釈していくとネタ本以上に分厚くなることはあるだろう。しかし繰り返しも多い。

 

バタイユの最初に公にした著作「内的体験」(1943)をサルトルは「あたらしい神秘家」として激しく批判する。(湯浅「バタイユp358)

つまりサルトルとは過去軋轢があり、その内容を踏まえないとバタイユのこのテキストを解読できるかどうか不明なのだが、そこまで考究した論は見当たらない。

 

しかしここでの関心は、デュラスからバタイユへ、そしてバタイユのジュネ論を介してジュネのジャコメッティ(ジュネもまたジャコメッティのモデルを務めた)に至る事なので、サルトルの「聖ジュネ」は脇に置いてバタイユの「ジュネ論」に焦点を当てる。

 

ジャン・ジュネ(1910-1986)はパリの公立施療産院で父親不明の子として生まれ、母親もすぐに彼を捨てて逃亡する。国家から支給される報奨金目当ての養家に引き取られ、10歳のころ盗みを見つかりやがて感化院に送られる。以後数々の牢獄を繰り返しつつヨーロッパ各地を、ある時は乞食として、ある時は男娼として、泥棒を基本的な生業として生活し、獄中で、もちろん独学で詩や小説「花のノートルダム」や「薔薇の奇跡」などを著し、その異常な才能を認められるが1948年、10回目の有罪宣告を受けて終身刑になるところをサルトルやコクトーの運動によってフランス大統領の特赦を受ける。この「泥棒日記」はその翌年の刊行である。(同書新潮文庫から抜粋)

 

この至上悪への決意は事実至上善への決意と結びつくものだった。それと言うのも、この二つのものは、おたがいにその反対するものが目指しているきびしさ(厳密さ)において結びつくものだからである。ジャン・ジュネの自尊心もしくは聖性とは、この厳しさ以外のいかなる意味も持っていなかった。この聖性はたとえば、女のように白粉をぬりたくり、満座の嘲笑をあびながら恍惚感を味わう道化の聖性である。

かつらをかぶり、淫売をし自分と同じおかまどもにとり囲まれながら模造真珠の男爵夫人の冠が落ちてあたりに散らばると、彼はヒステリックな笑い声をあげ、口から(男根を銜え込む)総入れ歯の義歯を抜き取り、それを頭にのっけると,歯なしの口でこう叫ぶ。「そうれみなさん、わたしゃやっぱり女王様だよ」と。

至高性への関心、つまり、自ら至高のものとなり、至高のものを愛し、それに触れ、それに浸ることへの関心こそ、ジュネを魅了するものなのである。(「文学と悪」p276-7)

至高性について、上記のようにジュネを評価するのであるが、一方批判もある。

前書きでは至高性と並んで、霊的交通について語られている。

ところで文学とは霊的交通である。霊的交流は誠実さを要求する。この峻厳な道徳は、当然悪の認識による共犯関係から出発して与えられるものであり、またこの共犯関係こそ、強烈な霊的交通を基礎づけるものなのである。(同書14)

 

「霊的交通」とは何か、バタイユの説明はこうである。

それ(霊的交通)は至高の一作者から発して、孤立した一読者の隷属性を越え、その彼方に、至高の人類(人間性)へと呼びかけるものなのである。その場合、作者は自分自身を否定し、自分の特殊性(個別性)を否定して、作品そのものを目指しし、また同時に読者たちの特殊性をも否定して、読まれること自体を目指しているのである。文学の創造とはこの至高の操作であり、この世のものではない霊的交通を、凝固させられた瞬間、もしくは瞬間の連続として実在させるものなのである。(同書p296)

バタイユはジュネを最終的こう批判する

そしてジュネは作品を書いていながら、読者たちと霊的に交流する能力も意図も持っていない。この無関心から、彼の物語は面白いが、情熱を覚えさせないという事であるしたがって ジュネの態度とは、王者としての尊厳(自尊心)や貴族性など、旧来の意味での至高性を思う患うあまりに、ただ無能に終わるほかない一つの計算のしるしでしかないものになってしまっている。(同書p304、307)

霊的交通の意図がない作品を文学として否定する、という事には異論もあるだろう。

このバタイユの「文学と悪」が当時のパリ文壇においてどのような論争、とりわけサルトルとの間にあったのかはわからない。

しかも「文学と悪」を解題した書でもサルトルとの論点は言及されたものを見かけない。扱いにくい箇所なのだろう。

バタイユの著作はいくつか持っているので、かくも引用が多くなってしまった。

こうして、ジュネの「アルベルト・ジャコメッティのアトリエ」につなぐことが何とか出来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

イタリアの未だ無名の若い娘レオポルディーナ・デッラ・トッレが、苦心惨憺して

デュラスにインタビューした原語イタリア語の仏訳を和訳したもの。

邦題は「私はなぜ書くのか」。原題は 「La Passion suspendue」。

 

 

私はマルグリットが、思い出し、考え込み、我を忘れ、その生来の警戒心を少しづつ捨てていくのに耳を傾けた。

自己中心的、うぬぼれが強く、頑固で、気が変わりやすい。

そして、それでも、ある瞬間には、優しさ、感情のほとばしり、臆病、抑えた笑い、そのあとわっと爆発する笑いを見せる事も出来た。

抵抗しがたい、貪欲な、ほとんど子供っぽい好奇心に、突然突き動かされたように見えることもあった。(同書p6)

 

インタビューというものは、それをする側の技量次第で面白さというか価値が決る。

そしてこの部分を読んだだけで、トッレが侮りがたい、並々ならぬ洞察力と筆力の持ち主であることがわかる。

なによりもデュラスの魅力、移り気で、真剣で、可愛げのある姿が彷彿する。

最初、インタビューの申し出が受け入れられたときは1987年、というからデュラスが

73歳、 1980年ヤン・アンドレアと同棲を始めて7年が経過したころである。

 

D(デュラス)笑うのが好き。ときには自分(自身)が滑稽だと思うから笑う。

もちろん、そのあと一瞬にして私は8歳の時のあの不安・・・ものごとを、人々を、森の大きさを前にしたときの恐怖の中に再び落ち込みます。

しばしば、人生において、わたしは存在していないという感覚を抱いてきました。

何の模範も、参照すべき観念もない。常に一つの場所を求め、自分が望む場所にいる事は決してなく、いつも遅れ、いつも他人が味わっている喜びを味わえないでいる。

今では、この多様性の観念が気に入っています。私たちの富、それはこのあふれだす多様性の中にしかありません。(p128-129)

 

デュラスは両親がフランスの植民地政策としての「フランス文化移植」の尖兵としてインドシナに派遣され、1914年サイゴンで生まれた。兄二人の第三子としてである。

こうした環境下で遊び相手は兄二人か現地の子供。父親の単身赴任や死去などもあってたびたびフランスに一時帰国、14歳のときサイゴンの高校に入学して寄宿生活を送るが、この時後にゴンクール賞を受賞した「愛人」の題材になった裕福な中国人と関係を持ったらしい。18歳の時妊娠中絶、19歳の時パリ大学法学部に入学。

こうした希な境遇が、誰とも容易には理解し合えない、デュラスの孤独感、不全観の要因になっているのではないだろうか。

その孤独感不全観を代償するものとしての性(セックス)。

(映画「愛人」)

 

D人生においてひとりの男との生活を終わらせるたびに、私は自分をふたたび見出してきました。最も美しい作品、それをわたしは独りで書いた。あるいは行きずりの愛人たちと書いた。それを孤独の作品、と定義しましょう。(p122)

 

ーあなたはしばしば「男はみんなホモセクシャルだ」と公言されますね。

D付け加えましょう。男たちには情熱の可能性を究極まで生きる能力がない。

自分と等しいものを理解できる用意しかできていない。本当に心を打ち明けられる相手は、別の一人の男でしかありえない。(p123)

 

ー同性愛について、どうお考えですか?

D似た者同士の愛には、対立する二つの性だけに属する、あの神秘的な普遍の広がりが欠けています。同性愛者は自分の愛人以上に、同性愛を愛するのです。

これがプルーストがアルフレッド(同性愛者の愛人)をアルベルティーヌに(変換しなければならなかった理由です)

このためにロラン・バルトを偉大な作家とは考えられないのです。(p124)

 

D同性愛者は孤独であり、断続的な形以外では、自分と似た者と一緒になれないよう運命づけられている。彼の傍で生きる女はとなりに居ながら孤独になるでしょう。(同)

 

ここに指摘されているように、男にとって、同性の男は理解容易なものだ。

ごく小さいころから同じような遊びを遊んできたし、性徴も同じ頃始まり、セックスや異性に対する興味も同じころ始まる、つまり生物学的生が同じだから当然と言えば当然ではないか。一方男にとって女性はとても理解が難しい。

同性の男ならば、今相手が何を考えているかの推測がつくが、

それが女性が相手となるととても困難だ。

困難であるがゆえに、男性が女性を、「理解しよう」とすることは しばしば当の相手の女性の術中にはまりやすい。あいまいな承認や否認やほのめかし、、、、

それを推測しようとして翻弄されるのだ。

したがって女性を女神(ジャコメッティ)やミューズ(ゴタール)として崇拝するか、性愛の相手として対するしか対処の仕様がないのだ。

誠に代替案が貧困、と言われれば全くその通りだが。

 

一方同性愛は「同性愛的感情」とは異次元のものだ。

あらゆる愛と同じように、愛憎もあれば嫉妬もあるだろう。

しかし「同性愛の性的行為」は同性愛の愛の延長と言えるだろうか。

男性の同性愛にはヴァギナが欠けている。

女性の同性愛には男根が欠けている。

その欠けたものを補うことは男女の性の違いの観点から見て自然とは思えない。

 

ー9年前からヤン・アンドレアと暮らしていらっしゃいますね。

Dこの大学生とは一度も会ったことがなかったけれど、すぐ一緒に飲むようになり、こうして私たち二人の狂気が始まったのです。ヤンを相手に、わたしはまたしても、人生に起こりうる最悪の事は、愛さないことだと気づきました。

いまでもまだ、自分に問いかけます。どうしてこれが可能なのか、と。

情熱は悲劇です。すべての情熱がそうであるように。そして、情熱はこの非ー一致から、私たちの欲望が実現されないことから生まれます。(p126)

 

ヤンもまた同性愛者、と言われる。

デュラス研究家のジャン・ピエロはデュラスの評伝(朝日出版社1995年第6章)の中で

デュラスの作品の根幹には次兄ポールに対する近親相姦的な愛があると主張した。

そしてこの近親相姦的愛は抑圧されているがゆえに何度でも回帰する。

 

ロブ・グリエはデュラスには繰り返し(のテーマ)が多い、と指摘している(p71)

 

そしてそれを意識上に甦らせるにはヤン・アンドレアとの出会いが必要だった。

1980年66歳の夏、このときアンドレアは27歳。次兄ポールが没したとほぼ同年齢。

愛してはいるが手を触れ得ぬ存在であったポールへの愛をデュラスの記憶に甦らせ、同棲の翌年1981年戯曲「アガタ」で兄と妹の間の近親相姦的な愛を初めて主題として明示的に取り上げる。(p179)

 

 

「愛してはいるが手を触れ得ぬ存在」の代償としての同性愛者への固着。

ここで想起されるのは、いわゆる「腐女子」といわれる男性同性愛者に対する嗜好。

 

ここで腐女子を一括りにするのは、門外漢ゆえに手に余るが、それゆえにこそ大胆に、腐女子の中には兄弟や従兄弟に対する禁じられた近親相姦的な愛が潜在する、と言っておこう。

 

戦時下のパリ、ミッテランの下でレジスタンス運動に関わり、68年5月のカルチェラタンではジャン・ジュネと共に座り込み(松岡正剛)、ジョルジュ・バタイユと議論し、サルトルやラカンを論じるデュラス。小説だけでなく戯曲も作り、映画監督としていくつかの映画を世に出しゴタールと意気投合したデュラス。あるいは、ある時はジャーナリストでもあったデュラスだから、まだまだ語るべきことは多いのだが、もう日もくれた。

この辺で その1 の筆を置く。

 

尚インタビューの引用中の括弧は私の補足である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Living trilogy 最終作、原題は  「Sat on a Branch  Reflecting on Existence 」

2014年東京国際映画祭で公開されたときの邦題は「実存を顧みる枝の上の鳩」。

この題は監督が好きなブリューゲル(父)の「雪中の狩人」から取った、とのこと。

の絵に対するWikipedia の解説が秀逸。全文をコピペする。

『雪中の狩人』は、雪の山間集落や岩山を背景に、猟銃を背負った狩人が猟犬を引き連れて歩く情景を描いた作品。左下に近景の狩人を配置し、中心にスケートに興じる村民、右上に遠景の山岳を配し、遠近法を巧みに用いている。疲れた狩人の背中からは溜息が聞こえてきそうである。一方、眼下に広がる村では、人々が凍った池でスケートを楽しんでいる。その対比が、人間の喜怒哀楽、生活の貧富、人生の浮き沈みを見るものに印象付ける。前述のように、絵画の中心が、神でもなく、風景でもなく、人間であることから、『雪中の狩人』は、ルネサンス的田園風景画の代表作と言われる。

 

この絵から漂ってくる何気ない「静けさ」が好きでブリューゲルの最も好きな絵の一つ。

また木の上に止まって下を見下ろしているかのごとき鳥も注目である。

 

それはさておき、この映画の邦題に、「日本的心性」が現れている、と思うので

日本向け予告編と欧米向け予告編を見比べてみたい。

先ずは日本向け字幕版。

 

 

次いで現地版。

 

日本語版は、

「人類は愚かな過ちを繰り返す。

それでも一人一人の人生は最高に愛おしい。

世の中うまくいかない事ばかり、

それでも明日はやってくる」

 

一方英語版バージョンでは

I'm happy to hear you're fine と繰り返される。

相手に対する気遣いは勿論あるがお互い「個」である。

この違いは私には大きく感じる。

 

日本バージョンのなだめるような調子。あるいは一種の諦念。

あたかも人生の不条理は「仕方の無いこと」世の中はそんなものなのだから。

諦念。つまり沈黙の美学。それでも明日はやってくるのだから。

 

「努力が報われる」というマントラが示すように、報われなければいても立ってもいられない社会。

報われなくたっていいさ。いつか理解されるときだってあるだろう。

そもそも隣人に理解されなくとも私の努力は「神が」みているだろう。

と、今ここでの世間の承認をひたすら求める必要の無い社会。

自分独自の生き方が今日される社会。

 

虚子の句に

「人に恥じ 神には恥じぬ初詣」

と言うのがある。

人=世間に承認されないならば、どうしたらいいのだろう。

村八分だ。それが嫌ならひたすら集団同調しなければならない。

 

さて本題である。前二作を見終わって次のようにこのブログで書いた。

第一作では現世に対する深い絶望感を感じたのだが、

二作目のこの作品では人間の「性(さが)」というものを突きつけているように思う。

これが三部作の最後の作品「さよなら人類」(邦題)ではどうなるのだろうか。

様々なエピソードをパズルのピース、あるいはゲシュタルト心理学で言うところの「地」にして、どのような「図」が浮かび上がるのだろうか。

 

この三作目を見終わって、「図」を以下のようにまとめる。

1,移民に対する不安

2,ロシアの脅威

3,ナチス復活の悪夢

4,産業の空洞化

5プロパー(つまり元々のスエーデン人)の高齢化

 これは 1と連動して現在の米国白人の不安と重なるだろう。

これらはEUにおける西欧先進諸国の存在不安

 

冒頭、博物館で男が止まり木の鳥を観たシーンの後、字幕が出る。

「人間であることに関する三部作の最終章である。

三つの死との出会い。

その1、ワインのボトルを抜こうと必死な男。

心臓麻痺で倒れ込むが台所の妻は気がついていない。

その2、病院で死の間際の老婆が胸に鞄を抱えている。

上の息子がその鞄、宝石やら現金が入っている鞄を取り上げようとするが、

そのたびに老婆がわめく。天国に持って行けると思っているらしい。

その3,フェリーのカフェテリアの中、カウンターの前で男が絶命している。

カウンターにはその男が支払い済みのビールとスナック。

キャッシャーの女が誰か要りませんか?と客席に問いかけると、

一人の男がビールをもらいに来る。

 

3っつの死との出会いの後のシーンは、ジプシーのフラメンコ教室。

白人のつまりプロパーのスエーデン人の若い男性が、少し年のいったエロスムンムンの女性教師つまり移民か外国籍の女性から、指導していると見せかけて体を触られる。しつこく手が男性の局所に伸びる。男性は教室を出て下に降りるが、移民らしい掃除婦が地べたに座って携帯で何やら話している。何らかの外国生まれの人たちはスエーデンの20%を占める。最初はEU加盟に伴うシェンゲン協定で東から、ついでシリアなど南から。移民に対する嫌悪感のようなものが漂う。

 

面白グアッズを売り歩く二人の男ヨナタンとサム。、歯の突き出た吸血鬼の面、笑い袋、怪物マスクの三つが定番だ。道に迷ってあるバーに迷い込む。するとそこに国王陛下の騎馬隊が来て、まず女性を追い出し次に軍楽隊に耳障りなジュークボックスにへばりついている男を追い出し、国王陛下が登場する。

どうやらゲイでカウンター内の若い男に野営のベッドで同衾してよい、と指図する。

ややあって戦闘のあとに再度通りかかる。ロシアの王と一騎討ちをしたが、ロシアの王は隠れて鎧を着る卑怯な手を使ったので負けた、という。

スエーデンは地政学的にバルト海を挟んでロシアと接し、その脅威を感じて徴兵制を敷いたり解いたりしているが何で昔の国王軍か?

NATOには加盟せずパートナーシップを結んでいるが、三軍の装備が旧式との不安でもあるのだろうか。

かつては独自の兵器開発をし武器輸出をしていたが、現在はどうか。米ソの間隙を縫って輸出を続けるのは大変な努力が必要だろう。

さらにはロシアの領海侵犯もあり、クリミヤ侵攻や東ウクライナ侵攻などもあってロシアの脅威は現実的に感じられていることだろう。それは北欧三国や旧ソ連東欧諸国も変わらない。

NATO加盟国欧州全体の問題でもあるだろう。

 

突如犬の吠える音。「急げ」「早くしろ」「立て」「何をしている」と軍人が人々を大きなドラムに追い立てる。ドラムにはラッパのようなものが多数突き出ており、「BOLIDEN}と橫腹に書いてある。

BOLIDEN というスエーデンの鉱山会社がある。ドラムの下に火床が在って着火されやがて回転する。杖をついた老人たちがそれをみてシャンパンを飲んでいる。

ホテルの部屋、ヨナタンの部屋に自転車に突き飛ばされ杖をついたサムが来る。

「恐ろしい、とても恐ろしい、私もその中に」とヨナタンが言う。「何か夢でも見たんだろう」とサム。

「現実のような気がする、だからとても恐い、すごく恐ろしい、誰も神の許しを請わない」

ヨナタンは廊下に出て独白する。

「人を利用して欲望を満たすのか」と。

この展開を前半部に注目すれば、ナチスのイメージが投影されていると思われる。

これを観るヨーロッパの人たちは各国の極右政党の進出を想起するはずだ。

 

ヨナタンとサム、二人の売り歩く面白グッズは大して売れる商品ではない。

商品を置いてもらうのに苦労し、置いてもらっても代金回収もままならない。

おまけに二人は商品の仕入れ代金さえ滞っている。

そこで連想が働くのが「産業空洞化」。

VOLVOは中国に売り飛ばしてしまった。SAABの将来はどうだろう、電気自動車と自動運転の波を乗り切れるだろうか。いま新型コロナ肺炎のワクチン開発で先端を行くアストラゼネカ(英国)は元々はスエーデンの製薬会社であった。

 

最後の元々のスエーデン人(プロパー)の高齢化。

エピソードでも60年来のバーの客とか高齢者がたくさん出てくる。

ヨナタンとサムも年取ってきている。

高負担高福祉国家スエーデン、高齢人口は2005年で18%、80歳以上人口比はEU随一らしい。

しかし少子化対策は成功例と言われるが、事実婚を認め法定婚と同様の公共サービスー婚外子であってもーが受けられる、また子供作る間隔を短くすると特典があるらしい。

これにより移民の子がますます増えていく、ということについて、国民のコンセンサスはできているのだろうか。そこは資料が無くてわからない。

 

以上の問題は北欧三国だけでなく、フランスやドイツ、あるいはスペインやオーストリアなどでも共通である。将来に対する「西欧」の存在不安がこの映画に投影されている。

というのが私の見方だ。

 

一方ベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞したこの作品。

ロイ・アンダーソン監督は、この映画はイタリア映画の「自転車泥棒」に刺激されて作った、

と言うようなことを言っている。イタリアに対するお礼?

また映画。com のインタビューでは

「全体として三部作は見る者の存在について考察してもらおうと言う試みです。

私たちは何をしているのだろう?私たちはどこに行くのだろう?と問いかけ

自分たちの存在について悲喜劇を用いて”生きる喜び”と人間の存在に対する

根源的な敬意への省察と熟考を促そうとしています。」また

「三部作は人類が終末に向かっている可能性を示しています。

その結果が我々の掌中にあることをも表します」とも言っている。

 

生きる喜びと人間の存在に対する敬意、

終末、という暗い未来。

 

つまりは混沌とし、矛盾に満ち、必ずしも明るくはなく、一筋縄ではいかない我々の生、

それでもそれをそれ自体として肯定しなければ、明日を迎える事のできない我々。

それは「諦念」とは違う、強い意志が必要とされる生き方だ。

 

その「強い意志」はヨナタンとサムにあるだろうか?

ロイ・アンダーソン監督が言うほどの内容になっている、とは思えない。

それとも日本語版予告編にある、諦念を伴った「それでも明日は来る」なのだろうか。

強い意志など無くても、とにかく明日を生きようとする二人が「愛おしい」のだろうか。

だとすればそれもロイ・アンダーソン監督の意図とは合致しないのではないか。

 

あるいは私の脳裏にある「EU問題」、ギリシャやスペイン、ポルトガルといった加盟国の金融危機問題やイギリスのEU離脱、あるいは対ロシアのミサイル基地敷設などを巡る緊張、クリミア侵攻に見られるプーチンロシアの悪辣さ。あるいは中国の経済面での欧州進出や一帯一路政策、

メルケル退陣後のヨーロッパをマクロン一人でまとめていけるのか、と言う不安、、、

などなどヨーロッパに対する懸念が、この映画を見る視点に投影された、ともいえるだろう。

 

それは福祉国家としてのヨーロッパ、民主主義同盟としてのヨーロッパ、環境問題や自然エネルギーや脱原発に取り組むヨーロッパには決して衰退してほしくない、という強い願いもある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先に紹介した「人生模様三部作」の第二作目。

原題は「You, the Living」,邦題は「愛おしき隣人」。

 

2007年のカンヌで初公開だから、三部作の第一作目から7年の歳月が経っている。

そのわけは、英語版のWikipedia によると、資金難にあったらしい。

スエーデンの Film Institute から財政的支援を断られてから、監督は質屋に通って糊口をしのいだ日々もあったらしい。結局国外6カ国の財政的支援で完成を見たようだが、素人を起用してその面でコストを下げたにも関わらず、500万ユーロの金がかかった。

それは同監督が殆どのシーンに凝ったセットを作り上げた所為らしい。

 

映画は意味ある連続性を欠いた出来事が展開する。

何かの祝典があって、スピーチする予定の教授に息子から金の無心の電話がかかってくる。

そこら中から借金をしてしかも返さない。肩身が狭い、というが結局は「これが最後だ」といいつつ貸すことを承諾する。よくある話だ。

 

急な雷雨が来る。二人のビジネスマンがレストランにおり一人が電話で話している。

「戦争とビジネスには良識は不要だ」と電話の相手に誰かのコトバを引用している。

そのそばにスリがいて残りの者が雷雨などに気をとられている隙に椅子にかけてある上着から財布を盗む。今度はその男が盗んだ金で服を仕立てている。

次は大衆的なパブの中。カウンターの中のバーテンダーが叫ぶ。

「罪深い者たち。

帰る家のない野郎ども。

ラストオーダーだよ、また明日がある。」

 

小学校の教室。

女教師が入ってくるがすぐ教壇の机に突っ伏し、外の廊下で泣き始める。

小学生が聞く「どうしたの?」

女教師「夫が私にくそババアと言ったの。」

子供「どうして?

女教師「夫に聞いて」

と子供の方が分別のあるシーン。

 

ある少女がバンドのボーカルに恋をし、念願叶って結婚する、それは夢にすぎなかった。

それをバーの中で語る少女。

夢もまた現実の人生の大事な一部だ。

 

ロイ・アンダーソン監督はこれら衆生の生に冷ややかな目を向けているわけではない。

しかしだからといって仏のように衆生を哀れんでいるわけでもないだろう。

その間合い、というか距離感が見るものにいろいろなことを考えさせるのだと思う。

その点で「愛おしき隣人」は読み込みすぎだと思う。

「汝の隣人を愛せ」ではないのだ。

 

精神科医がカメラに向かって独白する。

観るものに語りかけるように。

「もう27年もやってます。

身も心もボロボロです。

自分たちの人生に満足せず、楽しみを求め

私にその手伝いをさせる人々。

私の人生は楽しくない。彼らは要求しすぎる。

幸せを求めるくせに、彼らは自己中心的であり大変身勝手だ。

とても心が狭い。彼らは単に意地の悪い人たちです。

そんな人たちに最近は強い薬を処方しています。」

 

教会で礼拝が終わり、会衆が出口へと急ぐ中、

信徒席のベンチに突っ伏して大声で神に呼びかけている女がいる。

「主よ彼らをお赦しください。

自分たちのことしか考えない人々を。

欲深く惨めな人々を裏切り欺く人々を。

他者を踏みつけ富を得る者を。

主よどうか彼らをお赦しください。

愚弄し冒涜する人々をお赦しください。

命を奪う者をお赦しください。

爆撃し破壊する者をお赦しください。

嘘をつき偽りに生きる者をお赦しください。

人々に真実を隠す政府をお赦しください。

心なき者慈悲なき者謝罪せぬ者をお赦しください。

情報を操作するマスコミをお赦しください。

主よどうか彼らをお赦しください。」

 

こうして長々と引用したが、ロイアンダーソン監督の目線は

もちろん神の視点ではない。かといって仏の憐れみではない。

第一作では現世に対する深い絶望感を感じたのだが、

二作目のこの作品では人間の「性(さが)」というものを突きつけているように思う。

これが三部作の最後の作品「さよなら人類」(邦題)ではどうなるのだろうか。

様々なエピソードをパズルのピース、あるいはゲシュタルト心理学で言うところの「地」

にして、どのような「図」が浮かび上がるのだろうか。

 

「一昨日夢を見た、空を飛ぶ夢だ。

風に身を任せて空の彼方へ高く飛んでいった。

空からママとパパに手を振った。

二人とも振り返って幸せそうだった。

私も幸せだった。最高だったよ。」

 

そして諸々の人々が空を見上げる。

空には、デキシーランドジャズ「City above the Clouds」に乗って

戦闘機の群れが空を覆っている。

予兆は暗いのだろうか?

 

前作「散歩する惑星」がカンヌで審査員賞を受賞した事もあったのだろう、

最初の公開はカンヌ映画祭で行われ「ある視点」賞にノミネートされた。

映画は15カ国で上映されたと言うから、質屋通いは報われたのだろう。

 

 

参考:予告編