#ジャン・ジュネ #アルベルトジャコメッティのアトリエ #デュラス・ジュネ・ジャコメッテ その3 | Gon のあれこれ

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読後感、好きな太極拳、映画や展覧会の鑑賞、それに政治、ジャーナリズムについて、思いついた時に綴ります。

1954年ごろ、ジュネはジャコメッティと出会った。紹介者はジャコメッティについての評論「絶対の探求」を著していたサルトルだったらしい。

ジャコメッティもまたジュネの「断章」を読んでいた

(アルベルト・ジャコメッティのアトリエ」ジャン・ジュネ1999年現代企画室刊p149)

 

「人間の頭髪は頭蓋の構造を隠蔽する虚偽」とみなしていたジャコメッティは禿頭のジュネに制作意欲を刺激され、かくてジュネはジャコメッティの前に立つ。

余談だが、ジャコメッティは妻アネットに、丸坊主になってほしいと頼んだがあっさり

断られたというから、ジュネに出会って魅入られたに違いない。

 

私たちの宇宙をさらに一層耐え難くするのはジャコメッティの作品である。

そう言ってよいほど、この芸術家は、虚飾を取り去ったとき、人間から何が残るかを発見するため、彼のまなざしの邪魔になる者は追い払う。

(同書p7)

対象(モデル)の虚飾を取り払う術は何であったのだろうか?

ジャコメッティはジュネや矢内原、あるいは「「ジャコメッティ最後の肖像」 のジェイムズ・ロードなどモデルを務めた人物と、製作中、頻繁に会話をするのみならず、途中外出してカフェで談笑するのが常であった。

何気ない会話から、その反応からモデルの人間性に迫る。

(ジャコメッティ)は感じ入った風に私を見つめながら「あなたは本当に美しい」独り言のように、彼はもう一度つぶやく。「あなたは本当に美しい」

それからこの確認を付け加える。

「ほかの皆と同じように。ねえそうだろう?それ以上でもそれ以下でもなく」(同書p52)

 

ジャコメッティのお気に入りのモデルであった矢内原には、ある時出発を二か月遅らせてまで彼を拘束した。どうしても満足できず毎日やり直したからである。

サルトルはあるときジュネに言う。

日本人の仕事をしているころ彼にあったが、うまくいっていないようだった。

あの頃彼は本当に絶望していた。(p40)

 

ジュネは矢内原について、

凹凸の無い、だが深刻で甘美なあの顔は、ジャコメッティの天才を誘惑したに違いない。(同書p36)

 

「虚飾」とは、「取り払う」とは何だろう?

 

美には傷以外の起源はない。どんな人もおのれの内に保持し保存している傷。独異な、人によって異なる、隠れた、あるいは目に見える傷。世界を離れたくなった時、短い、だが深い孤独に耽るためにそこへと退却あの傷以外には。

ジャコメッティの芸術は、どんな人にも、どんなものさえあるこの秘密の傷を発見しようとしているように思える。

その傷が、それらの人や物を、光り輝かせるように。(p8)

ジャコメッティのまなざしは、孤独な魂にとても優しい。

脱線するが、「ジャコメッティー本質を見つめる芸術家」」というドキュメンタリーがある。邦題では、その副題が「本質を見つめる芸術家」となっているが、原題では、「Eyes on the horizon」となっている。ジャコメッティが見つめるHorizen とは「その傷が、それらの人や物を光り輝かせる「姿」、「像」ではあるまいか。

 

今彼は製作中の立像に手を触れた。三十秒ほど、彼はすっかり入り込んでしまうだろう。自分の指から粘土の魂への移行の内に。私などいないも同然である。(同書p12)

「ひとつの感覚の刺激によって、別の知覚が不随意的に起こる」現象を共感覚、というがジャコメッティの指先(触覚)は「視覚」なのだろうと思う。

彼が粘土の像に触れている時、同時にそれがありありと見えているのだ。

「やり直し」もまた、見る指が満足しないからに相違ない。

 

ジャコメッティの作品に「犬」のブロンズがある。

彼の作品で最も印象に残る作品だ。

ジャコメッティはジュネの質問に答えて

「あれは私だ。ある日通りで、自分がこんな風に見えたんだ。私は犬だった。」(p21)

この全体から漂う孤独感。自分自身をこのように表現できるからこその、

ジャコメッティの優しさである。

 

ジャコメッティはこのテクストをこよなく愛し、

ピカソは「これまでで書かれた最も美しい美術論」と評したという。(p151)

 

ジャコメッティ(1901-1966)と同時代の英国の画家フランシス・ベイコン(1909-1992)は「人間存在の不安」を描いた、と言われる。その不安もまた根源は「人間的実存の孤独」から来るものだろう。そうした共通点のほかに、ベイコンもまた「リアリズム」を追求したことがあげられる。アート=技巧が転回点を迎えてアート=表現の時代を迎えたとき、二人は「新しいリアリズム」の開拓者でもあったわけである。