原題は「HIROSHIMA MON AMOUR」
米軍によりヒロシマに原爆が投下されたのは1945年8月6日。
今年もまた記念行事と被爆者の回顧が繰り返され永らく形骸化の危機にある。
折しも今日8月15日は昭和天皇が「戦争終結の詔書」で無条件降伏を認めた日。
「二十四時間の情事」という、日本人の観客に対して何かに媚びたような邦題は
見事にしっぺ返しを食い、公開後一週間で中止に追い込まれたと言う。
1959年公開のこの映画、フランスでは大変な評判でアランレネの評価を高め、
次のロブ=グリエ脚本による「去年マリエンバードで」の製作にもつながった。
その理由の一端は原作者の構想に忠実な監督レネの姿勢にもあったと思われる。
さすれば河出書房新社、工藤庸子訳の以下の書を参照しないわけにいかないのであるが、その冒頭のシノプシス(あらすじ)にこうある。(適宜抜粋)
1957年の夏、舞台はヒロシマ。
年の頃三十とおぼしきフランス人の女が、この町にいる。「平和」についての映画に
出演するためにここに来たのである。
この女が出演するシーンが終わってフランスに戻る前日に物語は始まる。
映画の中では決して名指されることのないこの匿名の女がその日にひとりの日本人
に出会う。そして極めて短い愛の物語をともに生きることになる。
ふたりはホテルの部屋で寝ている。

女は男にヒロシマですべてを見たという。そして女が見たものが映し出される。
一方では男の声が否定的に一連の映像は偽りのものだと決めつける。
ヒロシマを語るにベッドから、と言うのは冒涜的な喚起と言うべきだが、どこに居ようと
ヒロシマについて語ることは出来るのだ。たとえ行きずりの不倫の恋のさなかでも。
しかしヒロシマを理解することは人間精神が陥る典型的なまやかしとしてここに定立されている。
ちょうど今二人はそれぞれに、自らの物語に回帰したところである
月並みな不倫の物語。二人はそれぞれに結婚して子供がいて、一夜の恋の冒険を生きている。
だがどこで?ほかならぬヒロシマで、どこよりもそれが想像しにくい町でヒロシマで。
ヒロシマにおいては特殊な光輪の様なものがあり、字義通りの意味を補完するもう一つの意味がまとわりつくのである。そこにこそこの映画の主たる狙いのひとつがある。
(ヒロシマの恐ろしさ)を描出することはやめておこう。
それは日本人たちがみずからやってきたことだから。
そうではなく、その恐ろしさを一つの愛の中に刻み込むことによって甦らせるとすれば、その愛は必然的に異例なもの,【驚嘆させる】ものとなろう。
地理的にも哲学的にも人種的にも可能な限り隔てられた二人の人間の間で、ヒロシマは共に分かち合う土地となるだろう。
そこではエロス的なものや愛や不幸をめぐる普遍的諸条件が苛烈な光に照らされる。
ヒロシマ以外のところではそのようなものは在りえない。
目覚めたとき二人は過去についても話をするだろう。
彼女が生まれ成長した町で一体何が起きたのか?
なぜ行きずりの恋を生きることにこれほど貪欲になったのか?
何故愛に対してこれほど臆病になったのか?
ふたりが出会って間もなく平和行進が始まるだろう。
行進、犬たち。猫たち。野次馬たち。ヒロシマのすべてがここにある。
世界の「平和」に貢献するという話になればそれはお定まりのことなのだ。
1944年二十歳の時丸刈りにされた。生まれて初めての恋人は(進駐した)ドイツ人兵でフランスが解放された日に殺された。丸刈りにされた娘は間もなくヒロシマの原爆の話を聞いた。一人の娘が祖国の敵を誠の愛をもって愛した、と言う理由で丸刈りにするということは恐ろしさと言う意味でも愚かしさと言う意味でも、ひとつの絶対である。
とある喫茶店で別の日本人の男といる女がそこに見いだされるだろう。
別のテーブルには女が愛している男が見出されるだろう。絶望で身動きできずに。
女はホテルの部屋に戻り、数分後男がドアをたたく。
部屋では何事も起こらない。ふたりともお互いに対し無力感に囚われている。
部屋にみなぎる【世間の秩序】はふたりを取り囲みもはや決してかき乱されることはない。

女と男の名前が言及されることはない。
台詞の平坦な調子、男と女の不倫につきものの感情の激しい起伏はない。
互いの情欲は燃え上がっているが、二人の表情は能面のように何かが張り付いている。
情事、といえば情事であるが、二人の主観性が奪われた情事だ。
フランスのとある町ヌヴェールで、日本やイタリアと三国同盟を結んだドイツ軍が
進駐し、薬屋の娘は若いドイツ兵と恋に陥る。
ドイツが敗色濃厚となって撤退しようとするとき、娘は男とミュンヘンに駆け落ちを決意するが、
待ち合わせの場所で男は狙撃され、冷たくなっていく男と娘は一つの影になる。
娘は丸刈りにされ地下に押し込められるが、髪が生えそろった頃脱出し自転車でパリに出る。
そしてまもなくヒロシマに原爆が落とされ、日本の敵国パリっ子が歓喜する。
ヌヴェールとヒロシマ、男と女のそれぞれの状況が対置する。
女はヌヴェールで死ななかったことが悔いとして残り、
一方男は兵役でヒロシマにいなかったことで原爆の惨禍に遇わずにすむが、
原爆が男のこころの何かに深く影を落としている様子は見られない。
占領下での禁じられた恋を生きられなかった女とヒロシマの男。
男は最後に女から「ヒロシマ、私の恋人」と代名詞化される。
男はヌヴェールでのことが女の夫も知らない女の隠されたことであること、
そこに相手の女の生きた何かを得たことで、喜ぶ。
なぜにそう嬉しいのか?自分にない生の証を見つけたからか?
去勢されたヒロシマの、その男の回復?
そういえば、二人の名前はもとより、二人の出会いのいきさつも、「平和についての映画」の内容も、男の兵役ードイツ兵とパラレルであり得る筈の男の兵役も言及されることはない。
言及しないことでヌヴェールとヒロシマが二人に貼り付くかのようだ。
情事の個人的な性格を剥ぎ取って、地名で代置することを狙っているのか?
米国に原爆を落とされたヒロシマと、ドイツに征服され傀儡政権を樹立され
進駐されたフランスのヌヴェールを。
冒頭に述べたように監督のアランレネはデュラスに忠実に映画を作っているように思える。勿論、例えば二人の会話のシーンを、どのような背景で、どのような角度から二人ないしその片方を捉えるか、あるいはその表情や「間」を取るのか、などなどの事は監督の決めることであり、そこにこそ映画の表現、意味、つまり指し示すもの、がスクリーンの上に展開されるのだ。
シノプシスはその映画の骨格ではあるが、例えば我々の肉体が、あるいは生命が骨格で語ることが出来ないようにそれに尽きるものではなく、ネタバレは大して問題ではない。
(ジル・ドゥルーズはカメラを映画の関数と言っているー記号と事件ーがそこまではどうか)
脚本を書いたマルグリット・デュラス(1914-1996)は仏領インドシナ(ヴェトナム)の生まれ。
帰国してパリ大学で法律と数学を学ぶ。
インドシナでの華僑の青年との性愛を描いた自伝的小説「愛人」で1984年ゴンクール賞受賞、
世界的ベストセラーになり、作家としての地保を確立する。
(映画ラ・マン、もう記憶の彼方である)

その経歴の中で、1980年だから66歳頃のとき38歳下の青年と同棲生活を送ったことが
目を引くが、ドイツ占領下ミッテランの元でレジスタンスに加わり、59年にはシナリオを書いた
この映画が公開され、66年には映画監督も務める。
1968年にはパリ五月革命に参加。映画人だから当然と言えば当然だが。
これにはサルトルを始めメルロ=ポンティらも参加したからパリの知的サークルに長い間
いて、そこでもまれた人だと思われる。
この映画も今ではヌーベルヴァーグの主要作品と評価する人もいる。
先にパリ大学で数学を学んだ、と書いたが、このシナリオもかなり厳密な構成に基づいている
様に思われるし、かなり抽象的でもある。
しかし、例えばベルイマンのような「主題としての抽象性」というのでなく
関係性の抽象性、台詞の抽象性である故に、「映画」という形式にうまく合っているのか、という点で疑問が残った。つまり映画では本のようにページを前後にめくって参照する事はできないのだ。
また映画の重要な要素である観客ー商業面でどうだろう。
ある知的サークル、パリだけではなく例えば米国や日本のフランス文学、フランス思想サークルでは了解可能性が高いのだろうけれども、私を含めて一般大衆には理解できない面が多い。
「君は何も見なかった」と繰り返す男。
例えば資料で見ることが、何も見ないことになるなら、「資料館」にはどれほどの意味があるのか。
あるいは毎年追悼のための平和祭やそこで言われる「反核宣言」の意味については
どれほどの有効性があるのか、などなど問いかける意味は多様に拡散するのだ。
そして「何も見なかった」と言うことの意味を深く掘り下げることが、この映画の投げかけるものだ、
と私は思うのだが、どうもこれは少数意見のようだ。
当時の「理解不可能性」思潮の反映かもしれないが。
尚、主演のエマニエル・リヴァの代表作でもあるが、彼女は2017年89歳で亡くなった。
生涯独身であった。
彼女の静かな表情はとても印象的だ。それが心の奥底の闇を際立たせる。