「あの人に暴言を吐かれた」
「あの人が、私のイヤなことばかりしてくる」
「人が嫌がることはしないでほしい」
こんな声を聞くことがよくあります。
そんな時、こう尋ねます。
「暴言って具体的には何て言われたの?」
「イヤなことって具体的にはどんなこと?」
その答えをよく聞いた上で
「ああ、あなたにとって○○は暴言なんだね。」
「あなたにとって○○はイヤなことなんたね。」
そう言うと
たいがい、「え?」という顔になって、
「っていうかフツーそうでしょ?」
と いう反応になります。
私は こう答えます。
「 うーん、 フツーって難しいですよね。 嫌な人もいるし、嫌じゃない人もいるし 。
何が普通かって決めるの難しいですよね。」
そう、
何が暴言で何が暴言でないか。
何がイヤなことで何がイヤなことではないか。
人によって違うんです。
だからね、
「人が嫌がることはしないでほしい」
このリクエストは
実は非常に難しいリクエストなのです。
でも私たちは、普通にこう要求したくなりますよね。
それは仕方がないんです。
だってそんなふうに躾けられたでしょう?
「 人の嫌がることはしちゃいけません」
ってね。
日本には昔から
「以心伝心」
「 秘すれば花」
なんて言葉もあるように
多くを語らないことが美徳であったり、
また語らなくても分かり合える共感性の高さがあるのが前提だったりします。
それは、 言葉にしなくても思いやれる気持ち にもつながるので 素晴らしい特性ではあるのですか 一つ問題があります。
言葉にしない以上 伝わっていることが 間違っている可能性も否めないということです。
あの人はきっとそう思っているのだろう。
あの人はきっとこれを望んでいるはず。
そうかもしれません。
でもそうじゃないかもしれないのです。
だからやっぱり
言葉になっていないことに 思いを寄せる気持ちも大切にする一方で 、
言葉にする努力を怠ってはいけないのです。
嫌なことをされたら
「そうされると私は嫌なんだ」と伝えることです。
言葉にして伝えることをせずに
勝手に腹を立てて
本当はないかも知れない悪意を勝手に想像して
相手を嫌いになってしまうことは
とても悲しいことだと思うのです。
先日あるワークショップに参加した時、
その場に共通のルールをみんなで作ろうということになりました。
ある人が言いました。
「 あれこれ詮索しない」
なるほど、
その人は自分が人から尋ねられたことを「詮索された」と受け取りやすいのかもしれないな、と思いました。
でもこのルールだけが存在すると
周りの人はその人にどう関わって良いかわからなくなる可能性があります。
その人が「何を詮索と受け取るのか?」は他の人にはわからないからです。
そこで私はもうひとつのルールを提案しました。
「聞かれても答えたくないことには答えなくていい。」
本当は全員が後者のルールを実践出来たら、前者のルールは必要ないくらいです。
でも確かに、
その場にまるで関係ないこと(例えば、旦那さんの年収はいくらですか?とか・笑)を聞くのは「詮索」でしょうから、そういうことは最初からないほうが気持ちがいい場になりますね。
言外の意を思いやることと
自分の思いをはっきり言葉にして伝えること
は両方セットで大切なのだと思うのです。
ちなみに
私のこれまでの調べによると(笑)
自分の思いを言葉にしない人ほど
はっきり言葉にして伝えてくる他人に対して嫌悪感を抱きやすいようです。
つまり、
嫌なことを嫌だと表現出来る人は
それをした人に特別に強い感情を抱きませんが、
嫌なことを嫌だと言えない人は
それをした人に強い否定的感情を抱きます。
これは
前者が他者の言動に基本的に影響を受けないに対して、
後者は他者の言動に振り回されやすいからだと考えられます。
あなたは
どちらのタイプですか?
あなたが望めば、
いつからでも変えられます。
等身大で楽に生きるバランスのとり方を身につける
「命のちから心理セラピー®︎講座」秋ごろ開始予定です!
“まわりが良いと思う生き方”ではなく
“自分が満足する生き方”にシフトする。
もっとラクにシンプルに!
迷うことなく力強く人生を歩いていくための
ヒントをお伝えします。