春の屋久島を訪れ、縄文杉までは行かなくても、白谷雲水峡とか大川の滝とか、少し山に登り、「今日は暖かいけど、屋久島の山はまだ冬」という印象を持った人も多いだろう。これは、登山、ハイキングをする人が春を感じるシグナルが、屋久島の山には極めて乏しいことによる。
本州の山登りの場合、低い山であれば登山口周辺は杉、檜の植林地も多いが、主にコナラを中心とする二次林である。更に標高の高い所ではコナラにミズナラが混じり、更に標高が高い所ではブナを多く見るようになる。これらのブナ科の落葉広葉樹が芽を吹き、明るい林床にはショウジョウバカマ、カタクリなどのスプリングエフェメラル(春植物)が咲き乱れる。これが、多くの人が春を感じる景色である。
屋久島でこのような景色を見ることはほとんどない。麓の雑木林から少し上はクスやタブ、更にシイ、カシと続き、この辺は照葉樹林がよく保存されているとも言えるが、通常照葉樹林帯の最上部、アカガシ、ウラジロガシに混じるブナがない。結局コナラ林もブナ林もなく、照葉樹林がスギ林に接続するため、春の林内は一様に暗い。これが屋久島の低山で春を感じにくい理由である。
広大なスギ天然林が成立する理由を、屋久島の豊富な降水量に求める議論は語り尽くされた感がある。ここではそれとは別の理由を考えてみたい。それは、屋久島の自然は、万年単位で考えると、徹底的な破壊と再生を繰り返しているという事実である。
コナラなどのブナ科植物は、伐採、山火事などの小規模な破壊に対しては極めて強い。根株からは容易にひこばえが出る。萠芽更新が容易なのである。しかし、スギなどの針葉樹はこの能力が極めて低く、伐採されるとそのまま枯れてしまうことが多い。しかし、ブナ科植物にも弱点はある。それは種子の寿命の短さであり、通常散布されて1年以内に発芽能力を失う。しかし、針葉樹の種子は土中で長く行き続けることが可能である。簡単に言うと、ブナ科はフカフカの土がありさえすれば、人間が伐採しようとへっちゃら、リスがドングリを埋めて忘れてくれれば発芽するという感じであるが、親株が完全に死に絶えるよな徹底的な破壊を受け、荒れ地のような所で生き残りの種子が発芽することは不可能。このような条件では、さすがに進化の先輩である裸子植物の針葉樹に一日の長があるということである。
それでは、万年単位の徹底的な破壊とは何か。それは、屋久島の北約40キロに存在する鬼界カルデラの噴火である。有史以来も小さなものはたびたび観察されているが、近年で最も大きなものとしては7300年前のものがある。幸屋火砕流の直撃により、屋久島の樹木はほぼ焼き尽くされ、鬼界アカホヤ火山灰が深い所で2m以上降り積もった。九州南部の縄文文化に壊滅的な被害を与えたと考えられているあの大噴火である。
火砕流だけ、あるいは大量の火山灰だけならブナ科の落葉広葉樹も生き残れたであろうが、ダブル攻撃では無理だ。数年後にスギの種子は芽生えたであろうが、ブナ科のドングリは全部死んでいる。
こういう自然を踏まえ、カラスアゲハの生存が可能だったか、次回考えてみよう。