大河ドラマ『光る君へ』第13話「進むべき道」見ました。

 

 

前回から4年が過ぎ、永祚2年(990年)となりました。そして。

 

定子さま@高畑充希さん、登場!!

待ってました、中関白家ー!!!!

 

 

定子さまは貞元2年(977年)生まれなので、13歳。

役者さん、見た目はバッチリ二十代ですが(実年齢は30歳過ぎ)、瞳の輝きとかで少女な雰囲気に寄せるのスゴイ。

 

しょっぱな、お兄ちゃんの恋文を両親のもとに晒すシーンからスタート。

 

慌ててやってくる伊周兄は天延2年(974年)生まれなので、16歳。

前回と同じく狩衣(かりぎぬ)姿。妹の悪戯好きぶりに手を焼いているご様子。

 


左:藤原定子@高畑充希さん
右:藤原伊周@三浦翔平さん
2024年大河ドラマ『光る君へ』より

 

恋文は取り返される際に破れてしまいましたが、これを繋ぎ合わせて読むのも最高なんですよねー。

 

…と、清少納言は『枕草子』(「うれしきもの」)で語っています(笑)

 

うれしきもの  まだ見ぬ物語の一を見て いみじうゆかしとのみ思ふが 残り見出でたる  さて 心劣りするやうもありかし

人の破り捨てたる文を継ぎて見るに 同じ続きをあまたくだり見続けたる

よき人の御前に 人々あまた候ふをり 昔ありけることにもあれ 今聞こしめし 世に言ひけることにもあれ 語らせ給ふを われに御覧じ合はせてのたまはせたる いとうれし

 

そこにドタバタと弟君が、遅れて参上。

 

チビ隆家は天元2年(979年)生まれなので、11歳。

ぷっくりした健康優良児。これは中学で身長が20~30センチ伸びて、小生意気な面影もどこへやらのスラッとシュッとした好青年に変貌するタイプですな(ウチの親戚のガキンチョにもおりました)

 

それを幸せそうに眺めやる道隆・貴子夫妻。まさしく『枕草子』に描かれた、明るい中関白家。アメリカだったらサンフランシスコあたりの家庭ですわ(何)

 


右:藤原道隆@井浦新さん
中:高階貴子@板谷由夏さん
左:藤原隆家@新城政宗さん
2024年大河ドラマ『光る君へ』より

 

しかし、MY推しの清少納言は登場せず…(次回は出番があるようですが)

 

でもいいのだ。中関白家が見れたから。

 

 

…と、思わず構成も考えず、感想を始めてしまいましたが…。

 

今回は、いきなり4年経過したところからスタートということもあってか、故意も偶然も含め、登場人物が何かをリサーチしている姿がいくつか垣間見られました。

 

そこに触れながら、いつものように楽しかった所と気になった所をリストアップしていきたいと思いますw

 

 

◆定子さまリサーチ

 

入内した定子さま。まだ幼い一条帝に、かくれんぼと変顔で距離を縮める作戦(自分で笑っちゃうは反則よな)

 

「お上の好きなもの、教えて下さい」

「お上の好きなもの、私も全部、好きになります」

 

子供に「何が好きなの?」ってリサーチするの、王道ですよねw

 

「母上、椿餅と……松虫」

 

平安時代のお菓子は「唐果物」や「麻花(よりより)」みたいな揚げ物が主流で、「蘇」などの乾物(?)、「葛湯」などの練り物(?)もあったでしょうけど、「椿餅」みたいな生モノな和菓子もあったのかな…?

 

(※SNS情報によると、「椿餅」は『源氏物語』にも登場しているそうです)

 

「私、虫だけは苦手なんです…」

 

こっそり教えられる、綺麗なおねーさんの弱点。

クスっと微笑む一条天皇。

 

「おねショタ」と言われようが、「おままごと夫婦」と言われようが、この画ヅラは永遠に記憶にとどめたい…。

 

↑高橋充希さんのInstagramより(サイズが大きくて、ちとトリミングしました…)

 

それにしても、定子さまの、男の扱いの上手さ。

 

本人の無邪気さ、明るさが男の子を引きつけているのでしょうけど、お兄さんがいる妹、弟がいるお姉さんのいい所が出ているという感じでもありましたなw

 

 

◆尊子リサーチ

 

中関白家との対比…ということでもないのでしょうけど、同じく初登場した道兼一家は、晩酌のシーンというのもあるんですが、なんだかみんな表情が暗い…。

 

「尊子を入内させて、俺の出世の礎にする」雰囲気をバンバン出して隠そうともしない道兼は、兼家そっくり(笑)

 

生きる道を謀略の道に狭められながら生きて来た人生観がにじみ出ておりましたね。

 

「人を道具としか思っていない」父のことは、尊子にも感じ取れたようで、困惑する奥さんの後ろに隠れてしまいました…。

 


左:藤原尊子@愛由さん
中:藤原道兼@玉置玲央さん
右:藤原繁子@山田キヌヲさん
2024年大河ドラマ『光る君へ』より

(↑これ、ある夜の家族団欒の1コマです…陰謀の裏舞台ではないです・笑)

 

尊子は永観2年(984年)生まれなので、この時6歳(劇中では数えなので7歳)

 

長徳4年(998年)、一条天皇に入内して「御匣殿女御(みくしげどののにょうご)」、または「暗戸屋女御(くらべやのにょうご)」と呼ばれた女性です。

 

「暗戸屋」…名前からして蔑称めいたかんじがしますが、これ『権記』にも書いてあるらしく、母の繁子は藤原行成とひと悶着あったようで、その因縁から娘をこの呼称で呼んだのかな…というのは、ワタクシの妄想(笑)

 

天皇が日常生活を送る内裏「清涼殿」の隣りに「後涼殿」という建物があるのですが、その一画の局が「暗戸屋」だったのではないか…と言われています。

 

 

↑の図だと、オレンジ色の部分が「後宮」と呼ばれる区域なので、後宮からははみ出た部分で居住していた…ということなんでしょうか。

 

今回の放送では「后かね」にする気マンマンでしたが、『栄花物語』によると道兼は尊子のことを「何ともおぼさず(格別の愛情を持っていなかった)」だったのだそう。尊子の母・繁子は正妻ではなかったから…と考えられています。

 

なお、正妻(藤原遠量の娘)との間にも娘はいるのですが、こちらは道兼の死後に誕生しているので、道兼が「自分の娘」と認知していたのは、尊子だけでした。

 

ならば、唯一の娘である尊子を「后かね」として愛情かけて大切に育てそうなものなんですが…。まぁ、そのあたりのことは、また機会があったら紹介しますね…ということで。

 

ともあれ、実は道長の娘にも「尊子」という子がいて(明子所生で源師房の妻)、名前がかぶるから登場しないかな…なんて思っていたのですが、お姿をお見かけ出来て嬉しうございました(しかも可愛らしい女の子!)

 


◆実資リサーチ

 

「陣の座」において、どこかの百姓から「国司の横暴をあげつらう上訴」があったことの是非を議論。

 

この時代、県知事にあたる「国司」は中央政府から任命で派遣されて来るのですが、彼らには「蓄財」が年頭にあって「民政」は二の次…という輩も大勢いたみたい。

 

そこで、百姓や群司から「行政官失格の国司を何とかしてください!」と中央政府に訴え出る「国司苛政上訴」と呼ばれる現象が、何度も起きていたそうな。

 

で、「昨年、尾張国の訴えで国司を変えた」というのは、「国司苛政上訴」の中でも名高い『尾張国郡司百姓等解文』(永延2年11月8日(988年))ですねw(名高いのは罪状の深刻さではなく、訴状の状態の良さからです)

 

訴えられたのは藤原元命(もとなが)。誰…?というと、花山天皇の乳母兄弟で側近だった、藤原惟成の叔父とも言われる人物です。

 

道長からすると「母の姉妹の夫の兄弟」。まぁ、ほぼ他人ですな(笑)

 

 

ただ、尾張国は難治の地で、京からそう遠くもないために訴えに来やすかったこともあって、「上訴=元命が一方的に悪い」と一概に言えるものではなさそう。

 

だから兼家の「民におもねるような真似はするなよ」も、一面真理ではありました。

 

なお、京から遠くて訴えに行きにくい場所の場合は、国司そのものを襲撃して勢い余って冥土に送ってしまったり、合戦に発展してしまったりすることもあったとか(「百姓」がただの「百姓」ではなかったりして…)

 

道隆が言っていた「国司の小さな瑕を言い立てるようになることは阻まねばならない」というのも、ひどい話のようでいて一理あるわけです(阻んだら冥土送りにされてしまう可能性もあるんですがw)

 

もちろん、わざわざ遠方から訴えに来る以上、切実な思いがある可能性も、決して小さくはなく。

 

よって、「一方的に却下」ではなく「詳しく審議すべき」という、道長の意見が正しいことになりそうですな。

 

この意見を聞いていた実資は、台詞こそなかったですが、道長に一目置くような表情が見て取れましたw

 

「精進、精進」←これ明日からワタクシの口癖になりそうw

 

 

◆晴明リサーチ

 

「陣の座」において、兼家が耄碌してしまった様子が露わになり、東三条家の三兄弟は、それぞれ複雑な想いを抱きます。

 

「今年の夏は越えられまい…」「忙しくなるかもしれん…」という道隆に「心づもりはとうの昔からできております。明日そうなっても、心配はございませんよ」と安心を促す貴子は、本当よくできた奥様でございますね。

 

「お優しくしてあげて下さい」と諭す倫子も、よくできた奥様。

 

しかし…道長が兼家の見舞いに連れてきたのは、よりによって明子のほう。

 

明子の妊娠見舞いをした際に、兼家を見舞いたいと頼まれた…それを連れて来たのでした(しかし、明子所生の第一子・頼宗が生まれるのは正暦4年(993年)。兼家没後なので、この時はまだ誰も身ごもってないはずでは…もしかして、見舞いのための虚言ですかね)

 

「お父上は御息災か?」と、地雷を踏み抜きにいく兼家に、「父は、大宰府から帰った後、身罷りました」と、言い含めるように返答する明子。往年の兼家なら何かを察するところなんでしょうけどねー。

 

そして、兼家の扇を手に入れて、声を出して笑い、満足げな顔を見せる明子…。

 

ついに、ついに…。天は明子に人も嫌いし異例を授くるのでしょうか…?

 

その妖しい気配を察知したのか、兼家は晴明を呼びだして問いを立てます。

 

「わしの寿命はどれほどじゃ」

「陰陽寮の勤めは夜を徹しますので、朝は力が衰え何も見えませぬ」

 

「わしの後継は誰じゃ」

「その答えは摂政様のお心のうちに、すでにありましょう」

 

のらりくらりと返す晴明。

 

SNSでは「兼家の終わりを見透かして晴明が見限った」「晴明に見限られたのが悔しくて泣いた」という意見が飛び交っておりましたが、そうなんですかね?

 

晴明が言っていることや言い回し、以前とそんなに変わっていないような気がするんですが…。

 

むしろ、晴明の言うことは変わっていないのに、その真意を汲むことができなくなった、老いさばらえ劣化した我が身を自覚して、兼家はむせび泣いたのかな…という気が、ワタクシはしました。

 

ちなみに、ドラマ中では兼家の家司には平惟仲しか出てきていませんが、惟仲とともに「我が左右の目」と並び信任された人物に、藤原在国(ありくに)という人がおりました。

 

在国は「わしの後継は誰じゃ」という諮問に「『寛和の変』で大功のあった道兼さまが宜しいかと」と言ったばかりに、道隆から恨まれて、出世に影響が出るほどに疎まれてしまったといいます(実際には、そんなに疎遠にはされていないのですが、お話ではそう語られますw)

 

これを考えれば、晴明のような答え方は「賢い人のやり方」とも言えそうですね…というか、在国が登場しないことが決定したような感もあり…(資業や広業も出ないのでしょうか…?)

 

(ちなみに、藤原在国は冬嗣の兄・真夏の末裔で、「日野家」の祖先です。室町8代将軍・義政の正室である日野富子の遠祖。妻は橘徳子で、一条天皇の乳母。今回の放送で、かくれんぼの時に「ひぃ、ふぅ、みぃ…」と数えていたあの人…妻は出るのに夫は出ない…ってパターンなん?まだワンチャンある?)

 

 

◆宣孝リサーチ

 

「御嶽参り」に行ってきたという宣孝が、土産話を持って為時邸を訪問。

 

「派手な格好で御嶽参りに行った」という『枕草子』の記述そのままに調子こいた御姿を見せておりましたw

 

SNSでは「清少納言が宣孝を貶した有名なお話」というコメントと、「あれは貶したんじゃなくて、大したもんだと言ったんでしょ」というコメントがカチ合っているのを見かけたんですが、本当のところはどうだったのだろうか。

 

試しに、該当部分を引用してみると。

 

あはれなるもの 考ある人の子 鹿の音 よき男の若き 御嶽精進したる いでゐたらむ暁の額など あはれなり むつましき人の 目さまして聞くらむ 思ひやる 詣づるほどのありさま いかならむとつつしみたるに たひらかに詣で着きたるこそいとめでたけれ 烏帽子のさまなどぞ なほ人わろき なほいみじき人と聞こゆれど こよなくやつれて詣づとこそは知りたるに 右衛門佐宣孝「あじきなき事なり ただ清き衣を着て詣でむに なでふ事かあらむ かならずよも『あしくて詣でよ』と御嶽のたまはじ」とて 三月つごもりに 紫のいと濃き指貫 白き襖 山吹のいみじくおどろおどろしきなどにて 隆光が主殿亮なるには 青色の襖 紅の衣 摺りもどろかしたる水干袴にて うちつづき詣でたりけるに 帰る人も詣づる人も めづらしくあやしき事に すべてこの山道にかかる姿の人見えざりつと あさましがりしを 四月朔日に帰りて 六月十日の程に筑前の守の辞せしになりたりしこそ 「げに言ひけむにたがはずも」と聞こえしか これはあはれなる事にはあらねども 御嶽のついでなり

 

「あはれなるもの(しみじみとするもの)」という段で、「父母を敬い仕える人。鹿の鳴き声。身分の高い若い男が御嶽詣のために精進の禁欲生活をしてボロボロになっていく様」と「あはれなるもの」が列挙された後、宣孝の話が続けられています。

 

「右衛門佐宣孝という人は『御嶽詣は清潔な着物なら問題ないだろう。蔵王権現様が必ず粗末な身なりで参れと言ったわけではあるまい』と言って、息子の主殿亮隆光とともに派手な格好で参詣して、他の参詣客を唖然とさせた。その一ヶ月後、宣孝は『筑前守』に任ぜられ、『宣孝の言うことは間違ってなかったんだなぁ』と評判になった」とあります。

 

読んでみた感じ、少なくとも貶しているわけではなさそう?(悪意がないとは言ってないw)

 

「これはあはれなる事にはあらねども 御嶽のついでなり(これは『しみじみとするもの』ではないけれど、御嶽詣での話が出たついでに書いてみました)」と結んでいるので、「ついでに暴露した」というだけの話なのかなぁ?(笑)

 

後年になって紫式部が書いた「清少納言の酷評ぶり」が、この時に「夫の事を面白おかしく書いた」ことへの報復だ…と読み取ることも可能で、そこから「清少納言は宣孝を貶めた」という逆方向の解釈に繋がっているのかなぁ…という印象ですかね。

 

ただ、この話には、もう1つ面白い裏事情があったりするのですが、事情がフクザツなのでここでは割愛して、機会があったら触れてみようかと思います(追記:アップしました⇒

 

 

ともあれ、まひろの婿探しの話。

 

為時は「宣孝殿の息子さんとなら、どう?」と振られると、「いやいやいやいやいやいや」となる宣孝。

 

「まひろのように賢い娘とは到底話が合わん。無理無理!」

 

年齢的には似合いなんですが、史実が許さないので(笑)ご縁談はナシになりましたw

 

 

◆公任リサーチ

 

第13話開始から半年前の永延3年(989年)6月26日。

前関白太政大臣・藤原頼忠が薨御されました。享年66。

 

よそ人の矜持(関連)
https://ameblo.jp/gonchunagon/entry-12846075501.html

 

父・頼忠から「道兼の懐に入っておくのがいい」と言われた息子の公任は、さっそく道兼に接近。

 

晩酌に付き合って、交流を深めておりました。

 

…漢詩の会で「道隆さまだ!」と言っていた、アレは何だったのか…。

 

SNSでは「道を誤った」という声が多数でしたけど、いえいえ。何を考えているかよく見えない道隆や道長よりは、道兼の方がコントロールがしやすそうです…見た目はクセモノくさいんですけど、やりたいことと欲しいものが分かりやす過ぎて、チョロいんですね(笑)

 

あとは公任の策略力が優れていれば、コントロール下に置くのは簡単…でも、育ちの良すぎる公任には想像もつかない次元の教育を受けてきた道兼は、公任には扱いづらいですかね(^^;

 

(どちらも「父上が大好き」という共通点はあるんですけどね…だから頼忠は「わしが公任を愛していたように、道兼も兼家に愛されているだろう」と見誤ったのかもしれず…)

 

道兼「そなたはもう後ろ盾がないゆえ俺を頼りにいたせ」

公任「ありがたき幸せにございます」

道兼「尽くせよ。俺に」

 

道兼の妻・繁子は、詮子つきの女房で、一条天皇の乳母。直接には親しみがない国母の詮子(妹)と道兼を繋いでいるのは繁子のはずで、彼女のおかげで兄・道隆から独立した地位を保たれているはずなのですが、尊重している風がない…。

 

兄・道隆と対立した態度だし、もし兼家が亡くなったら、道兼の後ろ盾もだいぶ弱いのではなかろうか(まぁ、本人は権大納言ですが)

 

公任も道兼も、芸能で見れば「花山院歌壇」の代表的人物。

 

なので、交流があったのも親しさがあったのも史実ですが、政治的に接近するのは兼家の没後だと思っていたので、今回からこんなに接近していたのは、ちと意外でしたw

 

 

◆まひろリサーチ

 

なけなしの農作物を持った まひろ と さわ は、市まで買い物に。

 

その帰り道、人買いに子供を奪われる母親に遭遇。

 

「ゴロゴロ生まれてくる子なんか要らねえ親もいるんだよ!」
「子を売らねえと食えねえ親もいる…俺はそういう親を助けてやってるんだ!」

 

盗っ人猛々しいことを言い放つ人買い。

母親は字が読めないので、契約書に書かれた内容が読めず、騙されてしまいます。

(いや、ワタクシも読めなかったので、騙されているかどうかは分かりませんが)

 

そこに、まひろ登場。

 

いつもの大河ドラマだったら、ならず者から子供を奪い返したり、契約書を読んで「そんなこと書いてないじゃないのよ!」と突きつけて退散させたりするところですが、『光る君へ』では、突き飛ばされた挙句に怪我して帰るハメになりました(そりゃそうだ…文学オタクなお嬢様だもんなぁ)

 

しかし、両肘を怪我するって、どういう転び方したんだろうか…。

 

 

そして、就職活動が上手くいかず、心配した倫子さまに招かれた まひろ。

 

まひろと彰子(将来の主人)の運命の顔合わせもありつつ(そんな風は全く感じなかったですが)、「これどう思います?」と倫子に差し出されたのは、自分が道長に送った漢詩の手紙。

 

「女の文字だと思うのだけど」と、漢詩の素養がないので意味が分からず、悩んでいるご様子。

 

まひろはギグシャグしながら、知らぬ存ぜぬでこの場は逃げ切りに成功します(笑)

 

字が読めないばかりに騙されてしまう庶民と、字が読めても意味が分からないばかりに他の女の存在に悩んでしまう倫子。

 

これも対比…ということかな。

 

 

 

というわけで、今回は以上。

 

 

「就職活動が捗々しくない まひろ」と「道兼を頼りにせざるを得なくなった公任」というのも、今回描かれた対比の1つかな…と思いました。

 

まひろは、並みの女ではかなわない(それこそ左大臣家の姫様でさえ)漢籍の才能の持ち主。

 

公任も、「三舟の才」を称えられる他の追随も許さない当代随一の作文と和歌と管弦の才の持ち主。

 

それなのに、上手く行かない。

 

それは、本人の「資質」や「実力」ではなく、まして「運」でもない。

 

「実家の後ろ盾」。これです。

 

為時は職を失い、頼忠は天に召されてしまった。

それが2人の生きる道を迷わせてしまいました。

 

力ある大黒柱を失った息女の行く末は明るくない。

 

兼家が「まつりごと……それは家の存在だ」と言っていたのは、道長の今後に大きく関わって来るとともに、中々に根の深い問題なんですね…。

 

(そして、天皇家、摂関家、貴族たちが持っていた「家」の概念が、武士に波及し、平民に広がり、日本の独特な文化を生み出す土台となっていくわけですなー)

 

次回あたり、道長たちも大黒柱を失うことになりそうですが、はてさてどうなって行きますかねー。

 

 

 

【関連】

 

大河ドラマ『光る君へ』放送回まとめ
https://ameblo.jp/gonchunagon/entry-12837757226.html