大河ドラマ『光る君へ』第14話「星落ちてなお」見ましたー。
巨星墜つ……。
位人臣を極めし藤原兼家、ついに退場。
延長7年(929年)生まれの、61歳没。
藤原兼家@段田安則さん
2024年大河ドラマ『光る君へ』より
最期は家族に見守られて…ではなく。
ひとり畳の上で往生…でもなく。
涙にくれる道綱母の膝枕で…でもなく。
庭の川に掛けられた橋のたもとで不審死。
ここ笑う所……ですよね??
明子の呪文が高まるとともに赤い月が兼家の顔を照らして。
呪詛祈祷がクライマックスに達した所で、祭壇が爆発。
そして兼家ポックリ。
明子の魔力すげーな。というか、『陰陽師』でも見てるのかな。
なんだか謎展開過ぎて、笑い所だと思わないとフツーに見れなかったw
寧子に、『蜻蛉日記』にも掲載されている和歌を諳んじて聞かせたシーンは大変に感動的で良かったんですが、あの場でまで「道綱、道綱」言っているのも、実資妻の「日記、日記」と同じで笑わせに来ている?
いや、こんなシーンでコメディなんて挿し込む?…ってなると、やはり違うか(うーむ)
まぁ、ワタクシはドラマの作劇を読み取るのが苦手で、ゆえに歴史的にしか見れないので、こんな解釈になっちゃうんですけど。
しかし、第1話から登場して、ずっと存在感を放ってきた兼家の最期は、もっとちゃんとやって欲しかったですねー。
(あの橋を「善人しか渡れない三途の川の橋」に見立てたとしても、兼家って「三途の川の橋」を渡れないほど業の深い悪人だった?てか橋以外は選ばなそうなタマだった?と思うので、やっぱり謎は謎ですかね)
というわけで、兼家の最期については消化不良になってしまいましたが、他の気になった所などを、またいつものように列挙していきたいと思います。
◆道兼、解放
「今日は気分がいい」と、3兄弟を集めた兼家は出家引退する意思を告げます。
「後継者は道隆とする」
すると道兼が「なぜ兄が!?私でしょう!?」と反論するのですが、兼家は容赦しません。
「お前のような人殺しに一族の長が務まると思うのか!」
次は俺だ!と思っていた道兼の思惑を、キツい一言でぶん殴ります。
「道隆は何も知らずともよい。お前はまっさらな道を行け」
「道兼はこれからも我が家の汚れ仕事を担って、兄を支えて参れ。それが嫌なら身分を捨て、どこへでも流れていくがよい」
たたみかける兼家に、怒髪天を衝き、道兼はついに爆発。
「この老いぼれが…とっとと死ね!」
プンスカと立ち去る道兼を見送ると、「わしはもう居ないものと思え」と言って、よたよた出て行ってしまいます。
兼家、道隆を指名する前に、ちらっと道兼を見ましたよね。
あれは、道兼が兄を立てる気でいるかどうかを観察した一瞬だと思いました。
道兼は次は自分だと本気で期待していると察知して、思い知らせるエグい言葉で道兼の野望を粉砕。兼家がずーっと言ってる「家を守るため」にやったことなんでしょうね。
それと同時に、これまで汚れ仕事を担わせてきた道兼を解放しようとしたのかなぁ…とも思いました。
「これからも汚れ仕事をやれ」って、どう考えても怒らせるの前提の発言ですよな。
意外と「身分捨ててどこへでも行け」も、本音な部分、優しさな部分はあるんじゃないか、とも思ってしまいました(出家的な意味とか)
まぁ、それを密かにやろうとしていた道長の目の前で言うことになってしまったのはドンマイなんですが(笑)
ちなみに、のちに鎌倉武士として姿を見せる宇都宮氏は、道兼の子孫を称しています。道兼の子孫は本当に公家の身分を捨てて京から流れ出て、兼家の言うとおりになるのですね…そこまで練った脚本ではないだろうけどと思いつつ。
◆鮮魚と集団フグ毒事件
「わしの目の黒いうちは為時は官職を得ることはない」と言っていた兼家が亡くなったことで、為時一家の雰囲気はがらっと変わって、ぱっと花が咲いたかのよう(まだ何も変わってないのにw)
それでも、兼家を悼んでさめざめと悲しんでいる為時。いい人ですなー。
訪ねて来た宣孝は「筑前守」に任ぜられ、赴任する前の別れの挨拶も兼ねておりました。
「前の筑前守が病で職を辞したそうで、にわかの赴任を命じられた」
「御嶽詣のご利益だ、いよいよわしも国司になる」
と喜んでいるのは、前回にも紹介した『枕草子』の「あはれなるもの(しみじみするもの)」そのものですねw
ちなみに、この時に辞めたという「筑前守」の前任者は、藤原知章(ともあきら)という人物。
誰…?というと、藤原元名の子。元名は長良流藤原氏の人で、紫式部の高祖父にあたります(ということは、知章は紫式部の曾祖父・文範の兄弟)
知章は、藤原実資の甥にあたる資平を婿に迎えています。こうした縁戚関係のためか、知章が筑前守を辞めた事情は『小右記』にも書かれているそうで、その理由は「子息や郎党など30人以上が急死した」ため。
筑前守知章 辞退す
仍 りて宣孝を任ず 知章朝臣 今春 任ず而 るに着任の後 子息及び郎等従類三十余人 病死す 仍りて辞退する所なり と云々
『小右記』正暦元年8月30日条
30人以上が一斉に急死するってタダゴトではないですが、一説によるとこれ「筑前名物のフグ料理を食べて集団食中毒になったのではないか」と言われているとかなんとか。
確かに京都在住だと、中々に鮮魚には出会えませんから、海の幸が豊かな筑前に赴任したのを機に、舌鼓を打っちゃってもおかしくはないかもしれませんな。
都では「大勢が一気に亡くなる大事件を収拾するには、並みならぬ人物でなければ、できますまい」として人選を急いだところ、御嶽詣のパフォーマンスで一躍有名となっていた宣孝が抜擢されるに至った…というわけです(兼家出家後なので、主導したのは道隆となりますかね)
ところで。第14話では、ききょうによって父・清原元輔が「肥後守」として赴任先で亡くなってしまった…ということが語られておりました。
清原元輔@大森博史さん
2024年大河ドラマ『光る君へ』より
元輔が亡くなったのは、永祚2年(990年)6月。
知章が筑前守を辞めるきっかけになった集団フグ毒事件も、同じ6月。
筑前と肥後という、割りと近しい場所で、同じ月に相次いで元輔も亡くなる…これって奇妙だな…となってきます。
考えてみると、元輔の任地である肥後は、筑前にあった「大宰府」の管轄下。
ということは、新しい筑前守が赴任してきたということで、肥後守だった元輔が送迎会に招かれ、筑前まで出向いていた…とするのは、そんなに不自然なことではないのかもしれない(著名な歌人でもありますしね)
つまり、元輔は祝宴に出て来たフグ料理を、知章の息子や部下たちと同じく食べたかもしれず。
そして、フグ毒に当たって死んでしまった可能性も、あるのかもしれません。
もしそうなると、アレが繋がって来るんです。
清少納言が、宣孝の「御嶽詣」を面白おかしく書き立てたという、あの『枕草子』に語られている段。
「父上も亡くなったフグ料理で知章が辞任した、その筑前守の後釜についたヤツ。御嶽詣で派手な格好して朝廷の興味を引いた奴なの?人の不幸を踏み台にして出世するなんて、なんてはしたないヤツ!!けしからん!!」
その気持ちが、あの文章が「悪しざま」に読めてしまうところに響いている…というわけ。
そして、夫を悪しざまに書かれたと読み取った紫式部の、あの清少納言の酷評振りにも繋げていくことができます。
うーん、筑前のフグ毒から始まった負の連鎖w
とはいえ…確かに場所とタイミングと結果が符合しているけれども、仮定に仮定を重ねてやっと繋がる話なんですよね…と、ワタクシは「与太話」程度に受け止めているんですが、面白い話なのでついでにご紹介してみましたw(意外と早く紹介できましたな)
鮮魚と言えば、道隆の邸に淡路守から「鯛」が贈られてきた話もありましたね。
「淡路は下国だから、はやくいい所に替えてくれと言っているのであろう」
この時代、淡路守は誰だったのかな?と探してみましたが、これは流石に分かりませんでした…何故か藤原定家のお兄さんが引っかかるんですけど(200年くらい後の人なんですが)
ただ、「淡路守」が「いい国に替えて欲しい」と言ってくる…といえば、後年になって為時が関わって来るお話があるので、これはその伏線という程度のことなんでしょうかね。
ともあれ、猟官運動がなって筑前赴任が決まった宣孝は、「為時殿の一家を置いていくのは忍びなかったが、摂政さまが亡くなったことだし、これで心置きなく出発できる」とほっとしたご様子で、ニコニコしながら立ち去って行ったのでした(まだ何も変わってないのにw)
◆ききょう立志伝
父・道隆が関白に昇ったことで、伊周が異例の出世街道を邁進。
「そろそろ身を固めないと…」という貴子の提案により、嫁探しの名目で「和歌の会」が開催されることになりました。
そこで「前回にも来ていた、あの2人も呼びましょう」と判者要員で、まひろ と ききょうが招かれることになりました。
久しぶりの清少納言、きたー!!しかし、
「私たちはただの賑やかしよ、あほらしい」
と、だいぶ冷めたご様子。しかし、主催に聞こえるように言っちゃダメでしょ(「聞こえるように言っている」ですよね、この不遜なかんじw)
お題は「秋」で、劇中で詠まれたのは『拾遺和歌集』に収められている「よみ人しらず」の和歌だったみたい(SNS情報)
秋風の 打ち吹くごとに高砂の
尾上の鹿の鳴かぬ日ぞなき
よみ人しらず / 拾遺集 秋 191
「秋風が吹くたびに高砂の峰にいる鹿が鳴かない日はありません(あなたに飽きられたのかと思い悩み、恋しくて泣かない日はありません)」…みたいな意味。
嫁探しであることを見抜いて詠んだ和歌…というかんじ。さすが察知しておりますな(あの顔がアップになった女性は、源重光の娘ですかね?)
その後、まひろの家を訪ねて来るききょう様。
今回のMVPに相応しい発言が飛び出します。
「あの様な姫達が私は一番嫌いでございます。より良き婿を取る事しか考えられず、志を持たず己を磨かず、退屈な暮らしもそうと気づく力もない様な姫達」
「私は宮中に女房として出仕して、広く世の中を知りたいと思っておりますの。私は私の志の為に、夫を捨てようと思いますの」
「夫は、女房に出るなどと言う恥ずかしい事は止めてくれと申しますのよ。文章や和歌は上手くならずとも良い、自分を慰める女で居よと。どう思われます?下の下でございましょう」
「わたしはわたしのために生きたいのです。広く世の中を知り、己のために生きることが他の人のためになるような、そんな道を見つけたいのです」
この場で語られている言葉、いかにも現代的な価値観のようなかんじですが、実は『枕草子』にも書きなぐっている清少納言の本音そのままだったりします。
生ひ先なく まめやかに えせ幸ひなど見てゐたらむ人は いぶせくあなづらはしく思ひやられて なほさりぬべからむ人のむすめなどは さしまじらはせ 世のありさまも見せならはさまほし
これといって将来の目標がなく、小じんまりと真面目にウソッパチの幸せで満足するような女性は、うっとうしくて見ていられない。いい所で育った女性には、世の中をちゃんと見る生き方をして頂きたいものです。
宮仕へする人をば あはあはしう悪るきことに言ひ 思ひたる男などこそ いとにくけれ げに そもまたさることぞかし
宮仕えをする女を、軽薄だなどと思ったり、よくないことだと言ったりしている男こそは、本当ウザい。言いたいことは分からなくもないけれども。
ばっちり、今回の内容そのままが書かれてありますねー。
これを、今回まひろの啓蒙のために持って来ているのは、中々に上手。まひろの人生ノート・源氏物語構想ノートに、新たな文言が加えられましたかねw
ところで、気になるのは、ききょうがあまりに夫や子を蔑ろにしているような発言。
『枕草子』によると、清少納言と夫の橘則光は、離縁した後も兄妹のように仲が良かったとされているのですが…。
まぁ、配役されてないどころか登場すらしてないので、その時点で結構と扱いヒドいんですけども…。
(っていうか、子供を配偶者に押し付けて自分の好きなことやるって、『平清盛』の西行かよ!って思っちゃいましたが)
◆実資の恋愛事情と新婚生活
実資に新しく奥様ができておりました。
婉子女王(つやこ)。実資の2番目の奥様にして最後の「北の方」ですねー。
劇中でも触れられていた通り、婉子女王は花山天皇の女御だった人。
夫が退位・出家したので実家に戻り、やがて実資の「北の方」に迎えられたのでした。
父は為平親王。「安和の変」の原因になってしまった、冷泉帝の同母弟にして、円融帝の同母兄にあたる人物です(ということは、婉子は花山帝とは従兄妹同士)
母は源高明の娘なので、源俊賢や明子の姪にもあたります。
天禄3年(972年)生まれなので、実資の15歳年下。藤原行成と同い年です。
実は、実資と結婚する前、他にも婉子女王を狙っていた有名人がおりました。
その人は、藤原道信。『百人一首』52番歌の詠み人です。
明けぬれば 暮るるものとは知りながら
なほ恨めしき朝ぼらけかな
藤原道信朝臣/後拾遺集 恋 672
道信は為光の三男で、斉信の異母弟(ついでに言うと、兼家の養子)
母が藤原伊尹の娘なので、行成とも従兄弟の関係です(ちなみに、同い年)
和歌の意味は「あなたと一緒に過ごした夜が明けていく。夜はまたすぐに来ることは分かっているけど、それでもこの夜明け前の時間が恨めしい」みたいなかんじ。
一説には、婉子女王のもとに通っていた時に送ったもの…とも言われるみたい。
しかし、道信は15歳年上の実資に敗れ去り、失恋。
実資は、道信の激しい恋の和歌を目にして「道信には勝てんだろうし、勝てたとしても恨みを買うのが怖い」と諦めようとしたようなのですが、従兄弟の公任が励ましケツを叩いて通わせ、結婚にまで辿りつけのだそうな(大河でやってほしかったな…)
こうして婉子女王は実資の「北の方」となり、今回に繋がってきたというわけですなw
ちなみに、為平親王は寛弘7年(1010年)没なので、この時はまだ存命。
実資と義父、どんな会話を交わしたのか、気になりますな…(大河に出て来ねぇもんかなぁ)
道隆が関白に昇ったことで、伊周が異例の出世街道を邁進。
実資が伊周の昇進についてブチブチ文句をいっているのを「明日の朝、日記にお書きになれば?」と婉子が声をかけると、「前の妻と同じことを申す…」とこぼしておりました(あんなに目って開けるんですねw)
婉子は「身分の低い前の妻と一緒にするなんて!」と可愛らしく憤慨。「似たことを言うもんだなと言っただけだ!」と取り繕う実資。そのままワヤワヤ…なんかエロくて…もとい、仲がよろしいようで、いいですねw
ちなみに「妻や彼女の前で昔の女の話をするのはサイアク」というのは、もちろん平安時代も同じで、これまた『枕草子』にも書かれていたりします。
わがしる人にてある人の はやう見し女のことほめいひ出でなどするも 程へたることなれど なほにくし まして さしあたりたらんこそおもひやらるれ されど なかなかさしもあらぬなどもありかし
「好きな人が、以前に付き合っていた女のことを褒めて口に出すのも、昔のこととはいえイラつく。まして、それが生々しい事実なら、もうサイアク。まぁ、時と場合にもよるんだけれども」
実資…今後はそういうの日記だけ書いて、口はチャックしたほうがいいですよw
◆道隆、独裁者となる
兼家と道兼が親子喧嘩をやらかした際の暴露大会で、2人が裏でやってきた汚れ仕事の存在を知ってしまった道隆。
そのせいか、急に独裁色を強めてきます。
…と、ワタクシは理解しました。実際には、そのあたりの心の機微を表すようなシーンや言葉はなく、キャラ急変と言われても仕方がない…。
道長が提案した政策は、検非違使の改革。
「検非違使庁の者は、裁きをせずに身分の低い者を殺めております」
これは直秀を死なせてしまった一件を、二度と起こさないようにするべく提案したものですかね。
しかし、道隆兄はむべもなく却下。「我らと下々の者は違う」と、兼家と同じことを道長に忠告。
後ろ盾を失ったために独裁が始まる道隆。
後ろ盾を失ったために現実逃避する道兼。
後ろ盾を失ったために空回ばかりの道長。
兼家を亡くした三兄弟が、見事に迷走を始めました。
今後は、どうなっていくんですかねぇ…。
というわけで、今回は以上。
兼家の最期と、ききょうの再登場を軸に展開された今回。
「星落ちてなお」は、兼家が世を去った後、道隆の独裁が始まる…ということなんでしょうね。
ききょうにとっても、父・元輔の急死は「巨星墜つ」の感慨が深かったことでしょう。急に宮仕えしたいと言い出したのも、父の死が影響しているのでしょうね。
ききょうが言っていた「父の赴任について行けばよかったと後悔しています」は、まひろが将来、越前へ下向することの伏線になっているのかなぁ。
父が去り、小さき者たちも成長し、世代交代の波が登場人物たちを洗っていく。
歴史はどんどん進んで行きますね。
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