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Gomarz Blog Life

盆栽を育むような、楽しみ。(^^

一昨日、母の葬儀が終わった。。。
ここを見ていただいている方々には申し訳ないけれど、今日は少し
辛い話も書き綴ってしまうと思うので、嫌な方はここでこの画面を
閉じていただければ、と、思います。

前回、「春3」使用時のWindowsタブレットは、やっぱり
スクリーンキーボードの使用感がイマイチで。今日は結局また、
それまで使っていたノートパソコンを持参。
いつも乗る紀伊田辺行きローカルに、少しの荷物を背負って
紀伊内原駅から乗り込んだ。
春休み真っただ中で、車内は概ね通勤客のみ。
学生の姿は、クラブ活動の着こなしをした中高生が散見される。
今日は、紀伊田辺駅で乗り換えてすぐにパソコンを取り出して
電源をつけ、画面に向かった。
これまでは見られなかったが、今日は紀伊田辺駅の電留線に
283系オーシャンアローの付属編成が停まっていた。
先月末に和歌山県のソメイヨシノ開花宣言がなされ、平地部の
桜も綺麗な花を纏いはじめている。
紀伊田辺駅から、立派なロードサイクルを載せてきた方が
私の向かいに座った。
白浜駅からは、やはり韓国系の若い外国人観光客が乗ってきて、
2両目後方でずっと、親子で理解すらできない会話を続けている。
紀伊田辺から串本駅までは、ロングシートの区切りに1・2名
着座している、そんな状況。
串本からは、新宮圏へ遊びに行くのであろう、若い層の客が
どんどん乗り込んでくる。
古座駅でも、たくさんの私服学生が2両目に移動してきて、
そのうち5人くらいの「オンナノコ」グループが楽しそうに
会話を弾ませている。
紀伊勝浦駅で、白浜から乗ってきた外国人観光客の方々は
下車していったが、それと入れ替えに今度は欧米系の、
がっしりした体格にの観光客の方々が列車に乗り込んできた。
トレッキングの恰好をしていることから、「kumano-kodo」詣で、
という感じの方々なのか。

開いたファイルの、下のほうのテキストは、「春1」の文章が踊っている。
たった1カ月の間で、このような事態になってしまうことが、
未だ信じられない。
少し気持ちも落ち着いてきたので、今日は紀伊佐野までの乗車時に、
これまで起こった身の回りの出来事を書き綴っておこう、と思っている。
記事には、中落している部分もあると思うが、そのあたりはご了解を。

・・・とはいえ、青春18きっぷを前回使ったのが3月21日。
慌ただしかった10日間ほどの記憶を遡ることは不可能っぽい。
前回使用時の帰路に、入院中の母親について今後の治療方針や回復の
見込みが無く本人の鎮痛や苦痛緩和を優先していきたいとの旨と、
家族親族との面会は急いでということを主治医さんから父親に
連絡があったことを受けた。
その日の電車を紀伊内原駅で下車してすぐに上司に連絡し、週末までの
有給取得をいただく。
翌日朝、自宅を出発し実家へ向け車を走らせる。
このあたりの出来事はもう、記憶の片鱗にも残っておらず、ただただ
弟や相方とのLINEのやりとりを見てああ、こうだったと思い出し
綴っているのみ。
実家に落ち着き、午後になって母の姉が来てくれたので、我々夫婦と
そして普段から世話になっている近所の親類の4人で面会に向かう。
面会は2人ずつの制限があったため、私たちは後からとなり先に行って貰った。
集中治療室に眠る母親の姿に動揺を隠しきれない様子。
私も、気持ちは辛い一点張りだったとは思うが反面、それまで
投与されていなかった鎮静剤や睡眠剤というものを使い、顔の表情が
楽になったような姿を見て少し安心もした。
夜になって、弟夫婦が実家に到着。遅い時間だったのでその日の
面会は叶わず、翌日に行くことに。
土曜日、弟夫婦も面会に行く。
鎮静剤とか睡眠剤の影響でおそらく意識は朦朧としているのだと思うが、
声掛けには体を反応させてくれたという。
母は、重症の身体を、それでもそのときの最大限の返事をしてくれたと思う。
「いつ、息を引き取ってもおかしくない状態」なのだそうだが、
そのときはまた、父親のところに連絡があり、そこからまた我々に
連絡してもらえるということで、弟夫婦も、そして我々も一旦帰宅することに。
翌週、火曜日と水曜日は勤務。
水曜日には弟と、その娘が病院に行き面会してきたという。
安静化のため、呼吸器のレベルを下げ、自然呼吸に近いように変更しており、
様子が気になっていたが、安静にしていたとのLINEの文字にほっとしていた。
木曜日は私の休暇日だったので私ひとりで実家に行く。
肺炎で倒れ、すでに2週間になろうとしている。
父親はその間、限られた面会の中、少しずつ弱っていく母親を看ながら
ひとり生活を続けている。
母もお世話になっていたまわりの親類の方々がほんとうに良くしてくれて、
離れて生活している私たちにかわりいろいろサポートしてくれている。
ほんとうに、頭が上がらない。
昨日、面会に行っていないので行ってくる、と言う父に、最近行ってない
ゴルフ練習場にも寄っておいで、と声をかけて見送った。
昼前になって、父は練習場に寄って帰ってきた。
午後、今度は私が面会。
血中酸素量はだいぶん低下し、呼吸も心拍も細い。
もう、カラダの反応を貰うこともためらい、私はそこで一生懸命呼吸を
続ける母親を見ていることしかできなかった。
体温は平常に戻っていて、熱くなく普通に温かい、でも反応が無い手を
少し力を込めて握り、「また来るね」と静かに耳元で囁いて、その場を後にした。
そして、実家に戻ることなく、そのまま自動車道に乗って自宅への帰路に。
自宅に戻り、仕事だった相方と夕食をとってホッとひと息ついた頃。。。
21時前、父親からの電話が鳴った。
半ベソの声を隠せない、弱々しい声の向こうで、「さっき、息をひきとったそう」と。
覚悟していた私も、困惑を隠せない。
「うん、わかった。弟には連絡しておく」とだけ言った覚えが残っている。
また後で連絡する、ということだったので、その場のスマホは会話を閉じた。
弟に一報し、連絡を待ったが、その後父親からの連絡は無く、私たちは翌朝、
自宅を出発することにし段取りをしていった。

昼前、実家に帰着すると、母はもう、実家居間の、いつも自分が寝ている部屋に
横になっていた。
昨夜のうちにいろいろ決め事をして結局、自宅に連れ戻ってきたらしい。
父親は、葬儀業者の担当者と、いろいろ打合せをしている。
ノートには、スケジュールが羅列され、悲しみよりもこのあとの繁忙さを
感じざるを得なかった。
地域の大きな曹洞宗の寺院に関係が深い父は、その寺院で「家族葬」を
することを選択したようだ。
もちろん父親の選択であり突然の出来事でもあるため他所に出てしまった
我々息子たちはその選択に反意はしなかった。
それによると通夜・葬儀という順序の前に今夜、「仮通夜」というものが行われるようだ。
自身、「現代人」というには老齢すぎるが、それでも若いじぶんから他所に
出てしまい、こちらでの冠婚葬祭などの風習には至極経験が浅い。
ここから、29日仮通夜・30日火葬・通夜・31日葬儀というシーンは、
もう書くことも辛いので、自分の記憶の中に仕舞っておくとします。
そして、2日目後半あたりから、相方の表情が冴えない。
通夜がおわって部屋に落ち着き、用事を終え部屋に戻ったとき、相方の表情に
冴えが無く、目からは涙がボロボロと流れ落ちていた。
私は、その原因がなにから来るのかよくわかっていなかった。
私を含め、葬儀運営に慣れない家族が、近所親類の手助けのおかげをもって、
なんとか進行していった葬儀だったが、その中で私たちの行動作法に違和感を
感じ身内同士で話していたことを耳にしてしまったようで、それらを含め不満が
積もり精神的に参ってしまったらしい。
後日、本人からの不満をすべて教えてもらうことでその全容を知ることが
できるのだが、なるほど、それら不満をその場ではぐっと抑え込んでいなければ
ならない状態だったことは、ほんとうにたいへんだっただろう、と思う。
いや、ほんとうの大変さや悔しさというものは、そこに居た本人でしか知る由が無いもの。
最後は、もう早くこの場を逃れたいという気持ちにまでなってしまい、
私たちは葬儀翌日となった昨日の朝に、自宅に戻る。
帰りの車中も、お互いに終始無言。
私はもう、かけてあげられる言葉すら見当たらない。
早く自宅に連れて帰ってあげたいと、運転に集中する。
昼前、自宅に到着し、それからはお互い無言で、荷物を片付けたりして時間が経過していく。
私は、父親に頼まれた、通夜・葬儀に参列した方々の名簿を持ち帰っていたので、
後日の礼状作成のためそれらをパソコンのエクセルファイルに書き写し作業を行った。
相方はシャワーを浴びたあと二階に行き睡眠をとっている。
実家にいる間、相当、寝られない時間があったのだろう。
夜になって、少しは落ち着きを取り戻してくれたのか、実家に居た間にあった
出来事をすべて話してくれた。
土地柄も環境もまったく違うところで、長男の嫁として活躍を見られていた相方が、
戸惑ってしまうことは無理もない。
そしてそれらで責めや劣等感を抱かせてしまったことは、私の不甲斐なさでもある。
今は、母親への悲しみと相方への罪悪感が交互に脳内を支配し、時に悪夢ともなって
私のココロを突き刺している。
こちらも、時間をかけて修復していってほしいし、私も努力していかなければと思っている。

不満を吐露したところで、少しだけココロに余裕ができたのか、
相方は私の今日の実家行きを了承してくれた。


ここまで、往路紀伊佐野駅に到着するまでに没頭してキーボードに向かい
書き込んでいたが、ここからは帰路の電車に乗ってパソコンを開いたため
少し時間を今に戻して、今日、実家で行った出来事を少し綴っていこうと思う。
実家に到着すると、父親は自宅にいた。
今日帰省の目的として、事後の支払いや書類関係の作成提出がどのようなものか、
そしてどこまで手伝っていけるものなのか、を知らなければならないと思っていた。
お経を詠んでいただいたお寺さんのところへ謝意とお布施を置いてきたところ
だと言っていた。
昨日までのうちに、葬儀費用も業者から請求書の提示があり、準備ができれば
支払いを済ませたいとのことだったので、私が銀行に赴き振込手続きをすることに。
キャッシュカードと通帳、そして請求書を持って銀行のATMに向かい、所定の
振込銀行の口座番号を指定し振込手続きをはじめた。
最後の完了ボタンを押してしばらくすると、「この手続きは完了していません。
窓口にお越しください」の印字紙が出てきた。
窓口に行くと、当該口座からの入出金や振込金額の上限が定められており、
葬儀費用の総額がその額を越えていて振込ができないという案内を受けた。
と、いうことは、この場で一度に全額振り込むことが不可能、という結果に至り、
ここで少額だった出金限度額を引き出しておき、残り不足分はとりあえず自身の
銀行口座から出金し、合計金額で請求金額に合わせ、それを直接請求先に
持って行って払い込み、領収書をもらって支払い完了をすることができた。
限られた滞在時間でできるだけのことをしておきたいと焦っていたのに、
初手からいろんなハプニングで結局、これだけで午前中いっぱいを使ってしまった。
おひとり様で食事をこなすようになった父親は大丈夫だが、自身の昼食は用意して
帰らないと、と思い、帰路にマクドに立ち寄ってバーガーセットを購入し自宅に戻った。
すると昼食をとっているテーブルの向かいに、私のためにゴハンと野菜汁物を
用意してくれている。
これは食べておかないと、と思い、完食。
そのあと、バーガーセットを食べ、少し食べすぎ。(^^;

午後は、年金支払いを停止する手続き。
年金事務所が新宮市内に支所があって、そこを訪れ手続きについて相談する。
必要書類を揃えてもういちど、手続き完了させるために予約して事務所を訪れることになった。

その際、戸籍謄本が必要になるということだったので、年金事務所からの帰りに
市役所支所に寄って今後必要な手続きにはどのようなものがあるのか相談に向かった。
窓口に行くと、親切にも現在の進捗状況から後に要す書類と書式一式を手渡してくれた。
戸籍謄本もその場で発行してくれたことで、ひとつ必要書類が少なくなった。
それでも、提出しなければならない書類は増える一方で、しばらくは休日返上で実家
帰省し、すべての手続きが一段落することを優先させなくては、と、改めて感じた。
帰宅前に100円ショップに行ってクリアファイルと帰路車内で喉を潤すコーヒー飲料を
購入し、今日いただいた書類を順番にファイリングしていく。
書類の記入事項はそんなに難しくないと私自身は感じているが、齢80をこえた
父親にとっては書類ひとつひとつの意味を理解し記入していくことは困難らしく、
親類の助けも借りてなんとか作成しておくと言っていたけど、これらも何とかして
あげたいと思った。

次回、これらの手続きに行くのがいつになるかは不明だが、また同伴できればと思っている。

そんなこんなで帰宅後、書類をファイリングしてまとめあげ、必要となる、または実家内で
探し出さなくてはならない書類を一覧にメモ書きし終わると、早くも帰路につく予定に
していた電車に乗るため実家を出発しなければならない時間が迫ってしまった。
思い返してみると、今日は実家に行ったのに、母親の位牌前に行き線香をあげることも
忘れてしまっている自分に今頃気付いて、後悔しかり。。。

午後4時すぎ、紀伊佐野駅には紀伊田辺行きと新宮行きのローカルが狭いホームの両側に
到着し、列車と乗降客で一時だけの賑わい。
朝、串本駅や古座駅から乗車してきた「オンナノコ」たちも、この列車で帰宅するらしく、
紀伊佐野駅で同乗し、それぞれが乗車してきた駅で下車していった。
串本駅を出発した時点で、2両目車内は往路と同数ほどの乗客が着座している。
今日もいい天気が続くとの予報だったが、蓋を開けてみると薄曇りが続き、それは今も継続中。
このまま明日は更に天気が崩れていくのであろう、雨予報となっている。
間もなく列車は田並駅に到着。
100円ショップで購入したコーヒー飲料で一息つくことにする。

コーヒー飲料で一息つきながら、相方からのLINEを一読し、返事を送る。
紀伊日置駅を出発して再度、パソコンをつけキーボードに向かう。
紀伊日置駅と日置川の鉄橋の間にある桜の木には満開の桜が咲き、見事。
シーズンで乗客が多いため車窓の撮影は控えたが、一瞬の風景の移ろいに酔う。

気持ちの混乱が続いていたが、ようやく一段落してきた。
母親の法要は今後、四十九日・百日・初盆・一周忌・・・と数珠つなぎに
おこなっていかなければならない。
そういった意味でもほんとうの落ち着きを取り戻すためにはまだ長い時間が
必要だと思うが、ひとつずつ、気持ちと行動を整理していかなくてはならない。
春の青春18きっぷは、てっきり3月末までの有効期間だと思い切っていて、
よくよく見なおして4月10日まで使えるということを知り、今日の実家帰省にも
有効利用することができた。
もう1回ぶん、これもまた、実家帰省に使うことができるだろう。
そういったことを考えながら、今、キーボードに向かっている。

気付けば、列車は紀伊新庄を出発し、車内放送は紀伊田辺駅到着を伝えていた。
私はあわててテキストを上書き保存し、今回は電源を落とさず画面を閉じて
一旦カバンに仕舞った。
紀伊田辺駅では、半数以上の乗客が跨線橋を渡り後続の御坊行きローカルに乗り換える。
私もその集団の中に入り、3番ホームに停車する、これまでと同じ227系
1000番台2両編成の、2両目後方の座席に着座することができた。
車内は、紀伊田辺から乗車する、おそらくは通勤帰りであろう乗客と、
乗り換えてきた乗客で座席はほとんど埋まった。
座席についてすぐ、カバンからスリープ状態だったパソコンを取り出し、
続きを書き始めた。
出発前に相方に伝えておいた、午後7時すぎには、自宅に帰ることができるだろう。

5日間あった会社の忌休があけ、明日からはまた、日常が再開される。
気持ちを切り替えなければならない。
車窓はもう、街あかり以外は闇の中。
もうすぐ、切目駅到着のアナウンス。そろそろ今日の記事書きを終え

パソコンを閉じることにする。

いろんな意味で、今シーズンの青春18きっぷは、思い出深い5日綴りの1枚となった。
 

列車は、おそらく定刻どおり紀伊田辺駅を出発した。
私は、いつも実家帰省するときに利用する、朝いちばんの南行きローカルに、
今日は御坊駅ではなくひとつ手前の紀伊内原駅から乗車した。
3月も後半、青春18きっぷはまだ2回しか使っていなかった。
今日は、弾丸、実家帰省

週明け、月曜日の晩、9時すぎ。
午後から勤務だった私は、実家からかかってきた電話に出た。
父親からで、用件は、母親が緊急入院したという。
先日、足膝手術後のリハビリを終え退院してからまだ幾日しか経っていない。
よくよく聞くと、今度は肺炎が悪化したのだという。
私はよく知らなかったのだけど、母は間質性肺炎という持病があったらしい。
そして、退院後、何らかの原因でカラダに無理がかかって「急性憎悪」という
形で体調悪化をきたし、月曜日の夕方に救急搬送されたらしい。
父親からの連絡と、病名でネット検索し、これはもう只事ではないと思い、
翌日、火曜日の出勤を休ませてもらい、実家へ車を走らせた
実家に行く前に搬送先の医療センターに行く。
まだ集中治療室のベッドにいることや、呼吸器を装着しているということで
面会はできなかったが、担当看護師の方から、意識はハッキリしていて
昨日に比べたら呼吸は安定しているということを聞き、ひとまずは安心し、
連絡先を知らせて一旦、実家に行くことにした。
月曜日の晩遅くまで病院に付き添い、帰宅後は一睡もできず朝を迎えたという
父は少し疲れた顔つきで私を迎えてくれた。
無理もない。
父親に、今病院に行き、面会はできなかったけれど状態は安定して
いるらしいことを伝える。
少しは安心したようだった。
前回の入院経費の振り込みと、昼食を買いにでかけて帰宅。
昼食を終え一息つくと、病院から私のスマホに電話がかかってきた。
少し緊張を覚えたが、出ると担当医師の方からのもの。
診断結果と、これからの治療方針そしてそれらのリスクなどなど。
ネットでいろんな予備知識を拾い漁っていて、語られることに驚きは無かったが、
それでも病弱になってしまったカラダが少しでも回復してくれるよう、
電話の最後には「お願いします」と話して切った。
診療方針が書かれた書類には、予定入院期間は1ヶ月となっている。
その、1ヶ月後に、母親含め家族皆の笑顔が見られますように。
電話の内容を父親に話し、もうこの日は他にできることも無さそうなので、
父親に促されるまま帰路についた。
途中、串本橋杭岩近くの干物店で自宅夕食用に干物を買い、帰宅を急いだ。
県内南部の道路事情はどんどん良くなり運転は楽になってきたが、加齢を
差し引くともう、実家への日帰りは楽なものでなくなってしまっている。

ステロイドによる治療は、2・3日後にひとつの判断時期があるという。
今日は平日休暇日
入院から3日目になるので、できるならば病院で現状を聞くことができれば、
と思って、青春18きっぷを使って実家帰省しているのである。
仕事に役立てれば、と思い、ネットのフリマサイトでWINDOWSのタブレットを
購入したものが昨日到着していたので、今日はいつも持ってくる
ノートパソコンではなくこちらを持ってきた。
8インチタブレットなので携帯性は良く今日はいつもよりふたまわりほど
小さなカメラケースでのお出かけとなった。
朝はまだ寒かったが、最寄の駅まではスクーターで移動することに。
動かすことが久しぶりで、キックによるエンジン始動にしばらくかかったが
無事始動。
駅に向かい始めたとき、マスクを忘れたことに気づきUターン。
愛車に置いてるマスクを取ってすぐ駅に向かう。
目的の列車に乗ることができた。
紀伊田辺までの乗客は、いつもより少なめ。
とりわけ学生の姿が少ない。もう、春休みに突入しているのだろうか。
今日はヘッドホンをスマホに接続し、そちらでSDに記録した音楽を聴く。
もう2時間ほど継続して聴いているが、スマホのバッテリー減りは少ない。
で、紀伊田辺を出てすぐ、今度はこのタブレットを取り出し、WINDOWSの
メモ帳アプリを起動してここまでのことを書き出した。
ずっと画面に向かい、慣れない画面キーボードと格闘しながらもうすぐ紀伊浦神駅。
自身、手が大きく8インチの小さ目な画面を横長にしても小さく並ぶキータッチの
ミスや、反応の遅さにヤキモキしながらも、堪え忍んでここまで書き綴った。
昨日は天候が荒れ、きのくに線が串本~周参見の間で強風のため始発から
夕方まで止まっていたらしいのだが、今日は一転、穏やかな車窓が広がっている。
。。。しかし今日は、この悪戦苦闘のせいで、そんな景色を楽しむ余裕無し。
昨日、春分の日の翌平日なので車内は空くと思っていたが、さすが青春18きっぷ
期間、2両目は終始10名以上の乗客がそれぞれ各駅停車の旅を楽しんでいる。
私は途中下車するが、終点新宮駅でJR東海紀勢本線のローカル列車に乗り継ぎ
一気に紀伊半島を一周してしまう強者さんも多いことであろう。
列車は紀伊勝浦駅に到着、ここで半分くらいの乗客が下車した。
京阪神を朝いちばんに出る特急列車が到着するのは2時間以上あとになる。
ローカルだけど速達便に違いない

今日はこのあと実家最寄の紀伊佐野駅で下車し、母親が入院する医療センターに
立ち寄って現状を聞き、父親や家族に知らせることができればと思っている。
そろそろテキストを上書き保存しこれを鞄に仕舞い、下車の準備にはいろう。

紀伊佐野駅で下車して2時間経たず、現在ちょうど12時すぎ。
私はもう、自宅へ向かう列車に乗り込みタブレットを取り出した。
何かしていなければもう、どうにもならない気持ちに苛まれている。

往路列車を降り、歩いて病院に行こうと考えていたのだが、とりあえず足を、
と思い実家に向かった。
実家に親父はおらず、私はスクーターを借りて病院に向かった。
病院の駐車場に親父の車が停まっていて、親父は面談を終えちょうど
車に戻るところにバッタリと出会った。
治療開始から2・3日目の節目となる頃でもあり私も気になったが、病状は
あまり改善せず、入院は長期になりそう、ということを聞いてきたそう。
親父が面会してきたということで、私はもう大丈夫かなと思い帰宅しようと思ったが、
やっぱりとりあえず現状を知りたいと思い、引き返して前回話を伺った面会受付に赴いた。
すると今日は面会してもいいと許可を貰うことができた。
3階、集中治療室のベッドで、母は少し寝苦しそうにして横たわっていた。
鼻や口にかけて継続的な呼吸ができるようなマスクをつけられて、
半分は強制的に酸素を送り込まれているような状態。
見ていてほんとうに辛かった。
私を見て、いっしょうけんめい何かを語りかけてくれているのだが、弱った体と
マスクのせいでよく聞き取れない。
私も悲しくて、訴えに応えたいのだけれど、なんて言えばいいのかもわからない。
手を握ると、まだ強く握り返してくれる。
手術した足膝が痛むというコトバが聞けたので面会中ずっとその部分をこすってあげていた。
自分が考えていた、母親の体調と現状とは大きくかけ離れていた姿に、
大きく衝撃を受けてしまった。
長居することで感情が高揚し体調悪化につながるといけないと思い、ずっとここに
居たい感情を抑え、看護師さんに謝意を伝えまた来るねと言ってそこを離れた。
気持ちが混乱していたためか、来るときお世話になった面会担当の方に
挨拶することを忘れ、実家に戻るためスクーターに自信朝に自宅から駅まで
乗ってきたスクーターのカギを差してエンジンがかからないと苛立ってしまったり、
スクーターに乗って帰る途上に何とも言えない感情に苛まれて大声を出して
叫んでしまう自分がいた。
後戻りのできない持病悪化という、もう半分はどしようもない現状だけど、
力強く握り返してくれた暖かい手が、まだ大丈夫、との望みを私に与えてくれた。

実家に戻り、親父と今後のことなども話しておかなければとも思うのだが、彼はまだ、
長期入院の末、帰宅できると信じてやまない。
あたりまえといえばあたりまえである。
しかし、私が今日この目で見た現実は、とてもそこまで落ち着いていられない状況だった。
せっかく実家に来たことだし何か親父の手伝い事でも、とも思ったが、自身の感情の
昂りを抑えられそうになかったこともあり、予定していた帰りの電車を1本、前倒しして
帰宅することにした。

で、紀伊佐野駅11:59発の紀伊田辺行きローカルに飛び乗った
出発後すぐ、タブレットを出し、さっきまでの出来事をなるべく忘れてしまわないよう、
もうすぐ見老津駅に到着する先ほどまでにまだ慣れないスクリーンキーボードで
打ち込んでいった。

昨日、水曜日は平日休暇日。

そろそろ、朝晩の最低気温がマイナスにならなくなったため、

タイヤをスタッドレスから夏タイヤに交換作業。

 

 

まぁ、スタッドレスが役に立つような日が少ないこの地方だが、気休めと

タイヤの減りを少なくすること、そしてイメチェンくらいに感じながら

季節の変わり目に交換作業を行っている。

作業も、車両付属のパンタジャッキを使って1か所ずつ。

なかなか大変に思えた作業も、回数をこなしていくと

要領をつかんできて作業時間は短くなってきた。

 

 

しかし、それに反比例して加齢によりタイヤ自体の重さが負担となりつつ・・・(T_T)

 

昨年から先日まで、南紀方面で活躍したWESTEXPRESS銀河。
このあと山陰地方で運転されるそうだが、その前に京都鉄道博物館で先頭車を

展示するということをネットニュースで知った。
展示期間が短かいこともあり、明日の日曜出勤のかわりに休みだった今日、

青春18きっぷを使って見にいくことにした。
目的地は、そこだけ。
せっかく京都に出掛けてそれだけ、というのも勿体ない気もしたが、人出多い土曜日に

あちらこちら行く気分にならなかったし、体力精神的にもなかなか行動力に

拍車がかかることがなかった。
青春18きっぷなので、朝いちばんの・・・というわけではなく今日は朝に御坊から

大阪へ向け土日祝日に直通運転するラストとなる、午前7時すぎに

御坊駅を出発する快速列車をチョイス。
今日出勤だった相方のクルマに乗っかって御坊市内に行き、紀伊御坊駅から

紀州鉄道に乗ってJR御坊駅まで行き、JR線に乗り換えた。
ちょうど朝7時すぎなので、先日までは南向きに走る2両編成の電車に

乗っていたが、今日は逆向き。
紀州鉄道からの乗り換えだったので、青春18こっぷの日付印は快速列車の

電車内で巡回してきた車掌さんに押してもらう。
4両編成の電車の1人掛けシートに座り、大阪までの時間は、読みかけ

喜多嶋隆の最新著書小説を読破した。
今日は混雑する区間ばかりを乗車するのでノートパソコンは持ってこず。
この記事は帰宅した晩に自宅で思い出しながら書き始めている。
土曜日の車内はずっと混雑し、和歌山からは立客も目立ち始めてきたが、

大和路線列車の遅れ事象があって天王寺からはぎゅうぎゅう詰めの状態が続いた。
大阪駅で下車。
乗り継ぎ時間わずかの新快速列車に乗り換えたかったが、乗り換え階段を

上がったところで乗車ホームドアが降りはじめて乗車できず。
まぁ急ぐ旅でもなかったので、次に来た快速列車に乗り、着座することができた。
前回、リニュアル開館したときに見に行ったときは京都駅から歩いて訪れた京都鉄道博物館。
近年、嵯峨野線に梅小路京都西駅が開業し、ココへのアクセスが至極便利になった。
もちろん私も京都駅で嵯峨野線電車に乗り換え、この駅を目指す。
乗った電車は、混雑する阪和線カラーの223系電車。駅間は短く、すぐに駅到着。
アソビューというネットの予約サイトで事前購入していたチケットレス。

 


はじめての使用だったので提示してゲートを通るまではハラハラドキドキ。(笑)
受付の方は慣れたもので、スマホ画面を見てさっと入場券を手渡し「どうぞ」と笑顔を見せてくれた。
リニューアルしてから2度目の訪問だったが、今日の目的はあくまで117系の並び。
途中の展示物は飛ばし飛ばしで、展示されている場所に向かう。
博物館のいちばん奥にある展示スペースは線路が本線ともつながっていて、

現役のいろんな車両などを適時交換して展示している。
今回は現役のWESTEXPRESS銀河の先頭車と、博物館所蔵となった117系先頭車両、

クハ117-1を並べての公開となった。
家族連れも多くたくさんの入場者で賑わう館内。
自身勇み足で向かった先も例外でなく、これから銀河が運転される

山陰地方の街PRなども出展していたりして賑わっていた。
見学者さんの動きをじっと眺めながら、撮影構図になるべく人が入らないよう

気を遣いながら撮影を楽しむ。

 


ひととおり撮影を楽しむと、やっぱり動かない電車は動かない。
30分ほど撮影に夢中となったが、あとは館内所蔵の車両やSLを少し撮影して回る。

 

 


帰路は午後3時すぎに京都駅を出て帰宅する予定でいたが結局、

京都駅午後1時には姫路行き新快速電車に乗って大阪駅を目指していた。
大阪駅ですぐ紀州路快速に乗り換え、和歌山駅に午後3時すぎには到着していた。
ここで、きのくに線電車に乗り換えるのだが、次の列車は手前の湯浅止まり。
御坊行きのローカル列車は50分以上待たされる。
結局、湯浅行きに乗り湯浅駅で時間待ちをして御坊行きに乗り換えた。
午後5時すぎ、相方が迎えにきてくれる紀伊内原駅で下車した。
 

足膝の手術とリハビリで約1カ月ちょっと入院していた母が、この月曜日に退院した。
すぐには見舞いに行けなかったが、平日休暇である今日、顔見せと退院後の

不便など無いか話を聞くため実家に行くことに。
折りしも春の青春18きっぷの有効期間でもある。
今朝はそれを御坊駅の券売機で購入し、改札で1つめの日付印をもらってホームに出た。
往路は、これまでにも何度も使っている、紀伊田辺行き始発のローカル電車。
朝、愛犬の散歩などで少しバタバタしたこともあり出発時の用意段取りが悪く、

ノートパソコンの充電はしていないし、乗り鉄用の小説本を持ってこず仕舞い。
白浜駅を出発したところで、いつもどおりヘッドホンをかけパソコンの電源を入れ

河合奈保子の楽曲を聴きながらキーボードを打ち始めたのはいいが、

バッテリー残量はすでに1/3程度しか残っていない。
ここで今日の乗客は2両目に私を含め10名。ドア間のロングシートに2・3名ずつ座っている。
多めの乗客がいるということはやはり、青春18きっぷ効果、というところか。
紀伊富田駅で列車交換する特急くろしおが10分ほど遅れていたようで長めの停車。
昨日からの雨が長引いて、今日もまだ空の雲は低く、路面がぬれている。
山間部に駅がある紀伊日置あたりでは雨脚も強そう。
椿駅で1名、1両目からひとり乗客が移動してきて、私の前の席に陣取った。
ちょっと気分を変え、楽曲をMAN WITH A MISSION のベストアルバムに切り替える。
早咲きといわれるクマノザクラの花がちらほら、咲き始めている。
白浜駅から乗ってきた、大きなリュックを背負った女性客さん、見老津駅で

下車したかったようで、長いトンネルを出てもうすぐ駅に到着するというところで立ち上がりだした。
そのシートにペットボトルの水が落ちた。
気付いたまわりの客が声掛けし気付いたその人は拾い上げたのは良かったのだが、

列車が停車したあと、ワンマン運転のためローカル駅では開かない2両目の

「あける」ドアボタンを押している。
またまたまわりの乗客から「1両目に行かなければ」という声。
それを聞きその女性客は1両目に向かっていったが、彼女が1両目と2両目を仕切る

ドアを開けるあたりでもう、電車は動き始めてしまっていた。
・・・という、ちょっとしたハプニングがあって、一旦閉じていたパソコンを再び取り出して

出来事を書き足していく。
午後にかけ、少しずつ天気が回復していくという予報だったが、まだまだ雲は厚く雨粒が

車窓に斜めに筋模様をつけていく。
そして車窓に海の景色が広がり始めた太平洋はおおきなうねりがあり、和深駅前の

海岸では、サーファー2名が押し寄せる波と戯れていた。
紀伊有田~串本間の車窓からは「咲きはじめ」と感じていた山々のクマノザクラが

もう綺麗に咲き誇っている姿を確認することができた。
列車は、少し運転時間が遅れたまま、串本駅に到着した。
いつもはこの駅で対向する特急くろしおを待ち長時間停車するのだが、今日はもう

すでに1番ホームに283系編成が停車していた。
時間を見るとこちらの列車が定時出発の1分前。
わずかな停車でこちらも定時運転に戻ったのかもしれない。
串本を境に、東側と西側で沿岸の風景がかわることが多いのだが、

今日はこちら側の海岸も波が荒い。
晴天ピーカン、静かな海の景色もいいが、荒れて色をなくした海の

自然風景もまた、見ごたえある。
古座駅を出発し、紀伊田原駅までの海岸風景をまた、カメラにおさめていった。
下里駅に到着したところでみたびパソコンを開く。
車窓の海岸風景をコンデジで撮影していると、車掌さんの検札。
これまでは、車内を歩いて巡回していくことばかりであったのだが、今日は

乗客全員の切符を見てまわっていた。
横目で見ていると、紀伊田辺、あるいは白浜駅から乗りとおしている乗客の

方々が手に持ち示しているのはやっぱり青春18きっぷ。
100円ショップで購入できるような、透明のソフトビニール製の小さなパック袋に入れ携行している。
小さな財布やポケットなどに入れ使うたびに擦り切れていくことを考えれば、

このような持ち方はいいかもしれない。
私も実践してみよう。
私を含め、青春18をすでに3倍もあるいは4倍くらいも歳を召した方々が、活用している。
まぁ、この切符自体、その誕生からもう30年以上の歴史があるのだから、人気商品に違いない。
これまであった周遊券など国鉄時代以後の「トクトクきっぷ」という類のきっぷが

次々と廃止される中、ロングセラーとなっている。
列車は、紀伊勝浦駅に到着、時間は定時に戻ったよう。
いつの間にか、すっかり雨はやんでいる。
紀伊天満駅出発。さて、そろそろ下車の準備をしなければ。

まだまだ、歩行や立ち上がりが不便であろう、母親の生活が少しでも楽になれるよう、
今日はとりあえずの不便事を聞き、そしてできるならば、そのひとつだけでも

解決して帰途につければ、と考えているが。。。
今日の帰路はWE銀河でなく特急くろしおでもない、また3時間のローカル電車の旅である。
狗子ノ川の海岸線を走るあたりでパソコンから充電容量が減ってますとの警告が出た。
ACアダプタは持ってきているので、帰路の使用には問題ないだろう。
・・・ここで突如パソコンの電源が落ちた。書いていたことが少しだけ記録されなかったが、

仕方なかったのでパソコンを閉じて列車を降りる準備をした。

紀伊佐野駅に到着、青春18きっぷを提示して列車を降りた。
実家までの、いつもの道程を歩く。雨が上がっていてくれたのが良かった。
実家手前から見られる、父親が契約している駐車場に車が無い。
事前に帰省することを伝えていなかったため、これはもしや留守か?と思ったが、
実家前に車が停めてあった。
玄関を開けると、そこに少しびっくり顔の、両親の姿。
ちょうど、お世話になった親類への挨拶回りに出かける、という。
それなら、と、私は運転手役を買ってでる。
母親の姉にあたる親類のところに行き、そのあと太地町の漁港スーパーへ買い物と、

ご近所さんへのお礼品を買いに勝浦町内の肉屋さんを経由して帰宅した。
昼食は、漁港スーパーで買った弁当。
午後になって、お世話になったご近所さんや親類の方が退院快気祝いにと顔を見せにきてくれた。
離れて生活しているため、手術して1カ月ほど入院、その間は顔を見られなかった

のだが、それよりずっと長い期間実家帰省せず顔を合わせていないことも多く

あったため、歩行は不便そうだが顔色も良く話の口調も元気な母親の姿に安心していた。
もうしばらく、自宅リハビリしながら月1程度の通院が必要であるということで、

しばらくは様子見、ということになった。

WE銀河に乗車する帰省時に使っていた紀伊佐野駅午後1時すぎのローカル

列車に乗ることは諦め、その次に紀伊田辺まで走る午後4時すぎのローカル列車に乗る。
往路下車時には気付かなかったのだが、紀伊佐野駅の駅切符販売機が

新たにバージョンアップしていた。
今日は列車に乗るため時間が無く詳しく見ることができなかったが、イコカの

チャージなどもできるようになっていた。

帰りの列車は、学校帰りの高校生で混雑。
ゆっくり座りたかったので空いているだろう、2両目に移ったが、こちらのほうが着座率が高かった。
立席者はおらず、優先座席が空いていたので、紀伊勝浦駅あたりで

空いてくるだろう、と、そこまでこの座席にお世話になることにした。
紀伊勝浦駅で半分以上の乗客が下車し、車両中間あたりの席が空いたので、移動。
駅を出発したあたりでノートパソコンを取り出し電源を入れた。
実家で充電していたため、バッテリ容量は満タン。
実家での出来事と、ここまでの記事を、やはり河合奈保子の楽曲を聴きながら書き始めた。
湯川駅で、1両目から移ってきた、たぶんこの駅で乗ってきたのであろう

乗客が私の座る席の対面に座った。
朝、往路の列車で椿駅から私の席の向かいに座った初老の乗客さん、その人である。
ローカル区間の列車だから、こんな偶然が起こる確率も高い、のかもしれない。

ここまでの事を書いているうちに、列車は串本駅に到着。
ここでまた、それまで2両目に乗っていた乗客が半減してしまう。
新宮にある高校から通学している学生さんも少なからずいるようで、学生服姿の

通学客も数名、ここで下車し高校生の姿は見られなくなった。
時刻は、午後5時。曇り空の車窓は少しずつ暗くなってきた。
文庫本を忘れたので、読書に没頭することができない。
ちょっとパソコンを閉じて、そして瞳も閉じてひとやすみ、することにする。
・・・と書いて扉横の少しひじ掛けが高いところに移動し、少しウトウトした。
周参見駅手前、旧信号場をすぎたあたりで運転士さんが少し長めの警笛を鳴らす。
そしてそれとほぼ同じく車内に「足元にご注意ください、急停車します」のアナウンス。
少しびっくりし気付くと列車が急ブレーキをかけそこに停車した。
運転士さんのアナウンスで、列車が鹿と接触し車両と線路の確認を行うという。
あまり、まわりの状況は確認したくないので私はパソコンを取り出し、ヘッドホンは

かけずにこの事態をキーボードで打つ。
列車が停車し、もう何分か経つだろうか、ワンマン運転なのでおそらく運転士さんが

外に出て周辺の状況を確認して回っているのだろう。
・・・こう、書いていると車内アナウンスで「お待たせいたしました、発車します」

とあり、急ぐように列車が動き出した。
ここ、きのくに線南部に限っても、ほぼ毎日のようにこのような事態が発生し

ネットの運行状況に示される。
いろんな対策は施されているのだろうとは思うが、運転士さんも

気持ちいいものではないはず、である。
列車は周参見を出発。運転士さんのアナウンスで12分の遅れだそう。
ダイヤ上では椿駅で列車交換するはずの上り特急くろしおが、ひとつ前の

紀伊日置駅で、そして紀伊富田駅で交換するはずの上り周参見行きローカル列車は

その次の椿駅で交換し、上り列車の運行遅れを回避していた。
朝、椿駅で乗ってきた初老の乗客の方はやはり、この駅で下車していった。
この列車の終着である紀伊田辺駅で、御坊駅行きローカルに接続しているのだが、

列車の遅れにより果たしてどうなるのか、
紀伊田辺から先は複線区間で上下線での列車干渉が少ないため、

遅れて発車し接続してくれることを期待したい。
車内でウトウトして、列車が白浜駅に到着。
ここで、2両目乗客はほとんど下車してしまい、私ともうひとりとなり車内は閑散。
結局、紀伊田辺駅にはそおのまま12分遅れで到着した。
乗り換える列車はまだ待ってくれていて、乗り換えの乗客を乗せ8分遅れで紀伊田辺駅を出発。
通勤帰りの乗客で混んでいたが、それでも着座することができた。
その遅れも、長時間停車する印南駅で時間短縮され、結局、御坊駅には定時に到着した。
青春18きっぷ1日目、有効利用させていただきました。(^^