2024/3/21 青春18きっぷ 春・3 | Gomarz Blog Life

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盆栽を育むような、楽しみ。(^^

列車は、おそらく定刻どおり紀伊田辺駅を出発した。
私は、いつも実家帰省するときに利用する、朝いちばんの南行きローカルに、
今日は御坊駅ではなくひとつ手前の紀伊内原駅から乗車した。
3月も後半、青春18きっぷはまだ2回しか使っていなかった。
今日は、弾丸、実家帰省

週明け、月曜日の晩、9時すぎ。
午後から勤務だった私は、実家からかかってきた電話に出た。
父親からで、用件は、母親が緊急入院したという。
先日、足膝手術後のリハビリを終え退院してからまだ幾日しか経っていない。
よくよく聞くと、今度は肺炎が悪化したのだという。
私はよく知らなかったのだけど、母は間質性肺炎という持病があったらしい。
そして、退院後、何らかの原因でカラダに無理がかかって「急性憎悪」という
形で体調悪化をきたし、月曜日の夕方に救急搬送されたらしい。
父親からの連絡と、病名でネット検索し、これはもう只事ではないと思い、
翌日、火曜日の出勤を休ませてもらい、実家へ車を走らせた
実家に行く前に搬送先の医療センターに行く。
まだ集中治療室のベッドにいることや、呼吸器を装着しているということで
面会はできなかったが、担当看護師の方から、意識はハッキリしていて
昨日に比べたら呼吸は安定しているということを聞き、ひとまずは安心し、
連絡先を知らせて一旦、実家に行くことにした。
月曜日の晩遅くまで病院に付き添い、帰宅後は一睡もできず朝を迎えたという
父は少し疲れた顔つきで私を迎えてくれた。
無理もない。
父親に、今病院に行き、面会はできなかったけれど状態は安定して
いるらしいことを伝える。
少しは安心したようだった。
前回の入院経費の振り込みと、昼食を買いにでかけて帰宅。
昼食を終え一息つくと、病院から私のスマホに電話がかかってきた。
少し緊張を覚えたが、出ると担当医師の方からのもの。
診断結果と、これからの治療方針そしてそれらのリスクなどなど。
ネットでいろんな予備知識を拾い漁っていて、語られることに驚きは無かったが、
それでも病弱になってしまったカラダが少しでも回復してくれるよう、
電話の最後には「お願いします」と話して切った。
診療方針が書かれた書類には、予定入院期間は1ヶ月となっている。
その、1ヶ月後に、母親含め家族皆の笑顔が見られますように。
電話の内容を父親に話し、もうこの日は他にできることも無さそうなので、
父親に促されるまま帰路についた。
途中、串本橋杭岩近くの干物店で自宅夕食用に干物を買い、帰宅を急いだ。
県内南部の道路事情はどんどん良くなり運転は楽になってきたが、加齢を
差し引くともう、実家への日帰りは楽なものでなくなってしまっている。

ステロイドによる治療は、2・3日後にひとつの判断時期があるという。
今日は平日休暇日
入院から3日目になるので、できるならば病院で現状を聞くことができれば、
と思って、青春18きっぷを使って実家帰省しているのである。
仕事に役立てれば、と思い、ネットのフリマサイトでWINDOWSのタブレットを
購入したものが昨日到着していたので、今日はいつも持ってくる
ノートパソコンではなくこちらを持ってきた。
8インチタブレットなので携帯性は良く今日はいつもよりふたまわりほど
小さなカメラケースでのお出かけとなった。
朝はまだ寒かったが、最寄の駅まではスクーターで移動することに。
動かすことが久しぶりで、キックによるエンジン始動にしばらくかかったが
無事始動。
駅に向かい始めたとき、マスクを忘れたことに気づきUターン。
愛車に置いてるマスクを取ってすぐ駅に向かう。
目的の列車に乗ることができた。
紀伊田辺までの乗客は、いつもより少なめ。
とりわけ学生の姿が少ない。もう、春休みに突入しているのだろうか。
今日はヘッドホンをスマホに接続し、そちらでSDに記録した音楽を聴く。
もう2時間ほど継続して聴いているが、スマホのバッテリー減りは少ない。
で、紀伊田辺を出てすぐ、今度はこのタブレットを取り出し、WINDOWSの
メモ帳アプリを起動してここまでのことを書き出した。
ずっと画面に向かい、慣れない画面キーボードと格闘しながらもうすぐ紀伊浦神駅。
自身、手が大きく8インチの小さ目な画面を横長にしても小さく並ぶキータッチの
ミスや、反応の遅さにヤキモキしながらも、堪え忍んでここまで書き綴った。
昨日は天候が荒れ、きのくに線が串本~周参見の間で強風のため始発から
夕方まで止まっていたらしいのだが、今日は一転、穏やかな車窓が広がっている。
。。。しかし今日は、この悪戦苦闘のせいで、そんな景色を楽しむ余裕無し。
昨日、春分の日の翌平日なので車内は空くと思っていたが、さすが青春18きっぷ
期間、2両目は終始10名以上の乗客がそれぞれ各駅停車の旅を楽しんでいる。
私は途中下車するが、終点新宮駅でJR東海紀勢本線のローカル列車に乗り継ぎ
一気に紀伊半島を一周してしまう強者さんも多いことであろう。
列車は紀伊勝浦駅に到着、ここで半分くらいの乗客が下車した。
京阪神を朝いちばんに出る特急列車が到着するのは2時間以上あとになる。
ローカルだけど速達便に違いない

今日はこのあと実家最寄の紀伊佐野駅で下車し、母親が入院する医療センターに
立ち寄って現状を聞き、父親や家族に知らせることができればと思っている。
そろそろテキストを上書き保存しこれを鞄に仕舞い、下車の準備にはいろう。

紀伊佐野駅で下車して2時間経たず、現在ちょうど12時すぎ。
私はもう、自宅へ向かう列車に乗り込みタブレットを取り出した。
何かしていなければもう、どうにもならない気持ちに苛まれている。

往路列車を降り、歩いて病院に行こうと考えていたのだが、とりあえず足を、
と思い実家に向かった。
実家に親父はおらず、私はスクーターを借りて病院に向かった。
病院の駐車場に親父の車が停まっていて、親父は面談を終えちょうど
車に戻るところにバッタリと出会った。
治療開始から2・3日目の節目となる頃でもあり私も気になったが、病状は
あまり改善せず、入院は長期になりそう、ということを聞いてきたそう。
親父が面会してきたということで、私はもう大丈夫かなと思い帰宅しようと思ったが、
やっぱりとりあえず現状を知りたいと思い、引き返して前回話を伺った面会受付に赴いた。
すると今日は面会してもいいと許可を貰うことができた。
3階、集中治療室のベッドで、母は少し寝苦しそうにして横たわっていた。
鼻や口にかけて継続的な呼吸ができるようなマスクをつけられて、
半分は強制的に酸素を送り込まれているような状態。
見ていてほんとうに辛かった。
私を見て、いっしょうけんめい何かを語りかけてくれているのだが、弱った体と
マスクのせいでよく聞き取れない。
私も悲しくて、訴えに応えたいのだけれど、なんて言えばいいのかもわからない。
手を握ると、まだ強く握り返してくれる。
手術した足膝が痛むというコトバが聞けたので面会中ずっとその部分をこすってあげていた。
自分が考えていた、母親の体調と現状とは大きくかけ離れていた姿に、
大きく衝撃を受けてしまった。
長居することで感情が高揚し体調悪化につながるといけないと思い、ずっとここに
居たい感情を抑え、看護師さんに謝意を伝えまた来るねと言ってそこを離れた。
気持ちが混乱していたためか、来るときお世話になった面会担当の方に
挨拶することを忘れ、実家に戻るためスクーターに自信朝に自宅から駅まで
乗ってきたスクーターのカギを差してエンジンがかからないと苛立ってしまったり、
スクーターに乗って帰る途上に何とも言えない感情に苛まれて大声を出して
叫んでしまう自分がいた。
後戻りのできない持病悪化という、もう半分はどしようもない現状だけど、
力強く握り返してくれた暖かい手が、まだ大丈夫、との望みを私に与えてくれた。

実家に戻り、親父と今後のことなども話しておかなければとも思うのだが、彼はまだ、
長期入院の末、帰宅できると信じてやまない。
あたりまえといえばあたりまえである。
しかし、私が今日この目で見た現実は、とてもそこまで落ち着いていられない状況だった。
せっかく実家に来たことだし何か親父の手伝い事でも、とも思ったが、自身の感情の
昂りを抑えられそうになかったこともあり、予定していた帰りの電車を1本、前倒しして
帰宅することにした。

で、紀伊佐野駅11:59発の紀伊田辺行きローカルに飛び乗った
出発後すぐ、タブレットを出し、さっきまでの出来事をなるべく忘れてしまわないよう、
もうすぐ見老津駅に到着する先ほどまでにまだ慣れないスクリーンキーボードで
打ち込んでいった。