2024/4/2 青春18きっぷ・春4 | Gomarz Blog Life

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盆栽を育むような、楽しみ。(^^

一昨日、母の葬儀が終わった。。。
ここを見ていただいている方々には申し訳ないけれど、今日は少し
辛い話も書き綴ってしまうと思うので、嫌な方はここでこの画面を
閉じていただければ、と、思います。

前回、「春3」使用時のWindowsタブレットは、やっぱり
スクリーンキーボードの使用感がイマイチで。今日は結局また、
それまで使っていたノートパソコンを持参。
いつも乗る紀伊田辺行きローカルに、少しの荷物を背負って
紀伊内原駅から乗り込んだ。
春休み真っただ中で、車内は概ね通勤客のみ。
学生の姿は、クラブ活動の着こなしをした中高生が散見される。
今日は、紀伊田辺駅で乗り換えてすぐにパソコンを取り出して
電源をつけ、画面に向かった。
これまでは見られなかったが、今日は紀伊田辺駅の電留線に
283系オーシャンアローの付属編成が停まっていた。
先月末に和歌山県のソメイヨシノ開花宣言がなされ、平地部の
桜も綺麗な花を纏いはじめている。
紀伊田辺駅から、立派なロードサイクルを載せてきた方が
私の向かいに座った。
白浜駅からは、やはり韓国系の若い外国人観光客が乗ってきて、
2両目後方でずっと、親子で理解すらできない会話を続けている。
紀伊田辺から串本駅までは、ロングシートの区切りに1・2名
着座している、そんな状況。
串本からは、新宮圏へ遊びに行くのであろう、若い層の客が
どんどん乗り込んでくる。
古座駅でも、たくさんの私服学生が2両目に移動してきて、
そのうち5人くらいの「オンナノコ」グループが楽しそうに
会話を弾ませている。
紀伊勝浦駅で、白浜から乗ってきた外国人観光客の方々は
下車していったが、それと入れ替えに今度は欧米系の、
がっしりした体格にの観光客の方々が列車に乗り込んできた。
トレッキングの恰好をしていることから、「kumano-kodo」詣で、
という感じの方々なのか。

開いたファイルの、下のほうのテキストは、「春1」の文章が踊っている。
たった1カ月の間で、このような事態になってしまうことが、
未だ信じられない。
少し気持ちも落ち着いてきたので、今日は紀伊佐野までの乗車時に、
これまで起こった身の回りの出来事を書き綴っておこう、と思っている。
記事には、中落している部分もあると思うが、そのあたりはご了解を。

・・・とはいえ、青春18きっぷを前回使ったのが3月21日。
慌ただしかった10日間ほどの記憶を遡ることは不可能っぽい。
前回使用時の帰路に、入院中の母親について今後の治療方針や回復の
見込みが無く本人の鎮痛や苦痛緩和を優先していきたいとの旨と、
家族親族との面会は急いでということを主治医さんから父親に
連絡があったことを受けた。
その日の電車を紀伊内原駅で下車してすぐに上司に連絡し、週末までの
有給取得をいただく。
翌日朝、自宅を出発し実家へ向け車を走らせる。
このあたりの出来事はもう、記憶の片鱗にも残っておらず、ただただ
弟や相方とのLINEのやりとりを見てああ、こうだったと思い出し
綴っているのみ。
実家に落ち着き、午後になって母の姉が来てくれたので、我々夫婦と
そして普段から世話になっている近所の親類の4人で面会に向かう。
面会は2人ずつの制限があったため、私たちは後からとなり先に行って貰った。
集中治療室に眠る母親の姿に動揺を隠しきれない様子。
私も、気持ちは辛い一点張りだったとは思うが反面、それまで
投与されていなかった鎮静剤や睡眠剤というものを使い、顔の表情が
楽になったような姿を見て少し安心もした。
夜になって、弟夫婦が実家に到着。遅い時間だったのでその日の
面会は叶わず、翌日に行くことに。
土曜日、弟夫婦も面会に行く。
鎮静剤とか睡眠剤の影響でおそらく意識は朦朧としているのだと思うが、
声掛けには体を反応させてくれたという。
母は、重症の身体を、それでもそのときの最大限の返事をしてくれたと思う。
「いつ、息を引き取ってもおかしくない状態」なのだそうだが、
そのときはまた、父親のところに連絡があり、そこからまた我々に
連絡してもらえるということで、弟夫婦も、そして我々も一旦帰宅することに。
翌週、火曜日と水曜日は勤務。
水曜日には弟と、その娘が病院に行き面会してきたという。
安静化のため、呼吸器のレベルを下げ、自然呼吸に近いように変更しており、
様子が気になっていたが、安静にしていたとのLINEの文字にほっとしていた。
木曜日は私の休暇日だったので私ひとりで実家に行く。
肺炎で倒れ、すでに2週間になろうとしている。
父親はその間、限られた面会の中、少しずつ弱っていく母親を看ながら
ひとり生活を続けている。
母もお世話になっていたまわりの親類の方々がほんとうに良くしてくれて、
離れて生活している私たちにかわりいろいろサポートしてくれている。
ほんとうに、頭が上がらない。
昨日、面会に行っていないので行ってくる、と言う父に、最近行ってない
ゴルフ練習場にも寄っておいで、と声をかけて見送った。
昼前になって、父は練習場に寄って帰ってきた。
午後、今度は私が面会。
血中酸素量はだいぶん低下し、呼吸も心拍も細い。
もう、カラダの反応を貰うこともためらい、私はそこで一生懸命呼吸を
続ける母親を見ていることしかできなかった。
体温は平常に戻っていて、熱くなく普通に温かい、でも反応が無い手を
少し力を込めて握り、「また来るね」と静かに耳元で囁いて、その場を後にした。
そして、実家に戻ることなく、そのまま自動車道に乗って自宅への帰路に。
自宅に戻り、仕事だった相方と夕食をとってホッとひと息ついた頃。。。
21時前、父親からの電話が鳴った。
半ベソの声を隠せない、弱々しい声の向こうで、「さっき、息をひきとったそう」と。
覚悟していた私も、困惑を隠せない。
「うん、わかった。弟には連絡しておく」とだけ言った覚えが残っている。
また後で連絡する、ということだったので、その場のスマホは会話を閉じた。
弟に一報し、連絡を待ったが、その後父親からの連絡は無く、私たちは翌朝、
自宅を出発することにし段取りをしていった。

昼前、実家に帰着すると、母はもう、実家居間の、いつも自分が寝ている部屋に
横になっていた。
昨夜のうちにいろいろ決め事をして結局、自宅に連れ戻ってきたらしい。
父親は、葬儀業者の担当者と、いろいろ打合せをしている。
ノートには、スケジュールが羅列され、悲しみよりもこのあとの繁忙さを
感じざるを得なかった。
地域の大きな曹洞宗の寺院に関係が深い父は、その寺院で「家族葬」を
することを選択したようだ。
もちろん父親の選択であり突然の出来事でもあるため他所に出てしまった
我々息子たちはその選択に反意はしなかった。
それによると通夜・葬儀という順序の前に今夜、「仮通夜」というものが行われるようだ。
自身、「現代人」というには老齢すぎるが、それでも若いじぶんから他所に
出てしまい、こちらでの冠婚葬祭などの風習には至極経験が浅い。
ここから、29日仮通夜・30日火葬・通夜・31日葬儀というシーンは、
もう書くことも辛いので、自分の記憶の中に仕舞っておくとします。
そして、2日目後半あたりから、相方の表情が冴えない。
通夜がおわって部屋に落ち着き、用事を終え部屋に戻ったとき、相方の表情に
冴えが無く、目からは涙がボロボロと流れ落ちていた。
私は、その原因がなにから来るのかよくわかっていなかった。
私を含め、葬儀運営に慣れない家族が、近所親類の手助けのおかげをもって、
なんとか進行していった葬儀だったが、その中で私たちの行動作法に違和感を
感じ身内同士で話していたことを耳にしてしまったようで、それらを含め不満が
積もり精神的に参ってしまったらしい。
後日、本人からの不満をすべて教えてもらうことでその全容を知ることが
できるのだが、なるほど、それら不満をその場ではぐっと抑え込んでいなければ
ならない状態だったことは、ほんとうにたいへんだっただろう、と思う。
いや、ほんとうの大変さや悔しさというものは、そこに居た本人でしか知る由が無いもの。
最後は、もう早くこの場を逃れたいという気持ちにまでなってしまい、
私たちは葬儀翌日となった昨日の朝に、自宅に戻る。
帰りの車中も、お互いに終始無言。
私はもう、かけてあげられる言葉すら見当たらない。
早く自宅に連れて帰ってあげたいと、運転に集中する。
昼前、自宅に到着し、それからはお互い無言で、荷物を片付けたりして時間が経過していく。
私は、父親に頼まれた、通夜・葬儀に参列した方々の名簿を持ち帰っていたので、
後日の礼状作成のためそれらをパソコンのエクセルファイルに書き写し作業を行った。
相方はシャワーを浴びたあと二階に行き睡眠をとっている。
実家にいる間、相当、寝られない時間があったのだろう。
夜になって、少しは落ち着きを取り戻してくれたのか、実家に居た間にあった
出来事をすべて話してくれた。
土地柄も環境もまったく違うところで、長男の嫁として活躍を見られていた相方が、
戸惑ってしまうことは無理もない。
そしてそれらで責めや劣等感を抱かせてしまったことは、私の不甲斐なさでもある。
今は、母親への悲しみと相方への罪悪感が交互に脳内を支配し、時に悪夢ともなって
私のココロを突き刺している。
こちらも、時間をかけて修復していってほしいし、私も努力していかなければと思っている。

不満を吐露したところで、少しだけココロに余裕ができたのか、
相方は私の今日の実家行きを了承してくれた。


ここまで、往路紀伊佐野駅に到着するまでに没頭してキーボードに向かい
書き込んでいたが、ここからは帰路の電車に乗ってパソコンを開いたため
少し時間を今に戻して、今日、実家で行った出来事を少し綴っていこうと思う。
実家に到着すると、父親は自宅にいた。
今日帰省の目的として、事後の支払いや書類関係の作成提出がどのようなものか、
そしてどこまで手伝っていけるものなのか、を知らなければならないと思っていた。
お経を詠んでいただいたお寺さんのところへ謝意とお布施を置いてきたところ
だと言っていた。
昨日までのうちに、葬儀費用も業者から請求書の提示があり、準備ができれば
支払いを済ませたいとのことだったので、私が銀行に赴き振込手続きをすることに。
キャッシュカードと通帳、そして請求書を持って銀行のATMに向かい、所定の
振込銀行の口座番号を指定し振込手続きをはじめた。
最後の完了ボタンを押してしばらくすると、「この手続きは完了していません。
窓口にお越しください」の印字紙が出てきた。
窓口に行くと、当該口座からの入出金や振込金額の上限が定められており、
葬儀費用の総額がその額を越えていて振込ができないという案内を受けた。
と、いうことは、この場で一度に全額振り込むことが不可能、という結果に至り、
ここで少額だった出金限度額を引き出しておき、残り不足分はとりあえず自身の
銀行口座から出金し、合計金額で請求金額に合わせ、それを直接請求先に
持って行って払い込み、領収書をもらって支払い完了をすることができた。
限られた滞在時間でできるだけのことをしておきたいと焦っていたのに、
初手からいろんなハプニングで結局、これだけで午前中いっぱいを使ってしまった。
おひとり様で食事をこなすようになった父親は大丈夫だが、自身の昼食は用意して
帰らないと、と思い、帰路にマクドに立ち寄ってバーガーセットを購入し自宅に戻った。
すると昼食をとっているテーブルの向かいに、私のためにゴハンと野菜汁物を
用意してくれている。
これは食べておかないと、と思い、完食。
そのあと、バーガーセットを食べ、少し食べすぎ。(^^;

午後は、年金支払いを停止する手続き。
年金事務所が新宮市内に支所があって、そこを訪れ手続きについて相談する。
必要書類を揃えてもういちど、手続き完了させるために予約して事務所を訪れることになった。

その際、戸籍謄本が必要になるということだったので、年金事務所からの帰りに
市役所支所に寄って今後必要な手続きにはどのようなものがあるのか相談に向かった。
窓口に行くと、親切にも現在の進捗状況から後に要す書類と書式一式を手渡してくれた。
戸籍謄本もその場で発行してくれたことで、ひとつ必要書類が少なくなった。
それでも、提出しなければならない書類は増える一方で、しばらくは休日返上で実家
帰省し、すべての手続きが一段落することを優先させなくては、と、改めて感じた。
帰宅前に100円ショップに行ってクリアファイルと帰路車内で喉を潤すコーヒー飲料を
購入し、今日いただいた書類を順番にファイリングしていく。
書類の記入事項はそんなに難しくないと私自身は感じているが、齢80をこえた
父親にとっては書類ひとつひとつの意味を理解し記入していくことは困難らしく、
親類の助けも借りてなんとか作成しておくと言っていたけど、これらも何とかして
あげたいと思った。

次回、これらの手続きに行くのがいつになるかは不明だが、また同伴できればと思っている。

そんなこんなで帰宅後、書類をファイリングしてまとめあげ、必要となる、または実家内で
探し出さなくてはならない書類を一覧にメモ書きし終わると、早くも帰路につく予定に
していた電車に乗るため実家を出発しなければならない時間が迫ってしまった。
思い返してみると、今日は実家に行ったのに、母親の位牌前に行き線香をあげることも
忘れてしまっている自分に今頃気付いて、後悔しかり。。。

午後4時すぎ、紀伊佐野駅には紀伊田辺行きと新宮行きのローカルが狭いホームの両側に
到着し、列車と乗降客で一時だけの賑わい。
朝、串本駅や古座駅から乗車してきた「オンナノコ」たちも、この列車で帰宅するらしく、
紀伊佐野駅で同乗し、それぞれが乗車してきた駅で下車していった。
串本駅を出発した時点で、2両目車内は往路と同数ほどの乗客が着座している。
今日もいい天気が続くとの予報だったが、蓋を開けてみると薄曇りが続き、それは今も継続中。
このまま明日は更に天気が崩れていくのであろう、雨予報となっている。
間もなく列車は田並駅に到着。
100円ショップで購入したコーヒー飲料で一息つくことにする。

コーヒー飲料で一息つきながら、相方からのLINEを一読し、返事を送る。
紀伊日置駅を出発して再度、パソコンをつけキーボードに向かう。
紀伊日置駅と日置川の鉄橋の間にある桜の木には満開の桜が咲き、見事。
シーズンで乗客が多いため車窓の撮影は控えたが、一瞬の風景の移ろいに酔う。

気持ちの混乱が続いていたが、ようやく一段落してきた。
母親の法要は今後、四十九日・百日・初盆・一周忌・・・と数珠つなぎに
おこなっていかなければならない。
そういった意味でもほんとうの落ち着きを取り戻すためにはまだ長い時間が
必要だと思うが、ひとつずつ、気持ちと行動を整理していかなくてはならない。
春の青春18きっぷは、てっきり3月末までの有効期間だと思い切っていて、
よくよく見なおして4月10日まで使えるということを知り、今日の実家帰省にも
有効利用することができた。
もう1回ぶん、これもまた、実家帰省に使うことができるだろう。
そういったことを考えながら、今、キーボードに向かっている。

気付けば、列車は紀伊新庄を出発し、車内放送は紀伊田辺駅到着を伝えていた。
私はあわててテキストを上書き保存し、今回は電源を落とさず画面を閉じて
一旦カバンに仕舞った。
紀伊田辺駅では、半数以上の乗客が跨線橋を渡り後続の御坊行きローカルに乗り換える。
私もその集団の中に入り、3番ホームに停車する、これまでと同じ227系
1000番台2両編成の、2両目後方の座席に着座することができた。
車内は、紀伊田辺から乗車する、おそらくは通勤帰りであろう乗客と、
乗り換えてきた乗客で座席はほとんど埋まった。
座席についてすぐ、カバンからスリープ状態だったパソコンを取り出し、
続きを書き始めた。
出発前に相方に伝えておいた、午後7時すぎには、自宅に帰ることができるだろう。

5日間あった会社の忌休があけ、明日からはまた、日常が再開される。
気持ちを切り替えなければならない。
車窓はもう、街あかり以外は闇の中。
もうすぐ、切目駅到着のアナウンス。そろそろ今日の記事書きを終え

パソコンを閉じることにする。

いろんな意味で、今シーズンの青春18きっぷは、思い出深い5日綴りの1枚となった。