結論から言うと、もっと歴史学勉強しときゃあよかったなあ、という悔恨の記事です。

以前に書いたものとはちょっと違う切り口から。


今、中学校の歴史の期末試験の問題を考えています。

前にもお話しましたとおり、四観点で評価するための問題を作成中です。

そのなかで最後の一問がなかなか考えつきません。

「技能・表現」にかんする問題です。


できれば、なんらかの史料を読み取らせ、そこから当時の社会の姿を描き出すような、そんな問題を作りたいと思っています。

しかし、私自身が史料から歴史的事実を明らかにするという作業を(論文というかたちで)きちっとやったことがないので、どうしても文献から史料と解説を探すことになってしまいます。

となると、もちろんそうそう私の意図に沿った史料や文献が見つかるわけがないわけです。


もし史料から明らかにする作業を日常からやっていれば、自分で史料を見つけることもできたのかなぁと思います。

一度だけ古代史で史料を見つけてきて報告をしたことはありますが、それも十分なものではありませんでした。

ふだん歴史は勉強していましたが、その実証過程はすっとばして、研究の概要と結論だけを常に読んでいたような気がします。

その結果、ふだん論文や報告を聞いていても、その語りたいポイントを探り当てるのは得意なのですが、緻密に史料に基づいて実証するということは歴史学者に任せて考えない、という思考方法が身についてしまいました。


結果として、今子どもたちの前に立っていて、そういった部分での自分の能力の未熟さを感じます。

もちろん自分の専門である社会科教育という立場の選択が間違っていたとは思いませんが、もっともっと歴史学を学問として、特に手続きの面で学ぶべきだったと後悔しています。

まだもう半年は大学にいる身、少しでも歴史学を学んでいる人からそういった面を吸収したいと思っています。

今日の授業終了後に子どもに言われたヒトコト。


生徒A 「先生、日本史と世界史どっちが好き?」

goforward 「う~ん、世界史かな。」

生徒A 「やっぱり。こないだの中国の授業のときのほうが楽しそうだったよ。」


完全にバレてますな(汗)


もともと私は世界史を中心に勉強していたので、実は日本史のことを一から勉強するのは今回が初めてなんです。

一生懸命授業はするのですが、自分でしゃべっててよくわかっていないことがわかってしまうことがあります。

そういったときの戸惑いの表情や、うまく噛み砕けていないときにスムーズに説明できなかったりというのが伝わってしまっていたのですね。

逆に中国の話は世界史でやっていたのでうまく伝えられたというのもあり、一方で世界史の話をするのが楽しかったというのも無意識のうちにあったのかもしれません。

子どもはよく見ているなぁと思って、あらためてしっかりしなければ、と思いました。


私自身は、教師は若いうちはある程度子どもとフラットな関係でもいいのかな、と思わないでもありません。

ですが、教師と子どもの最大の違いは、教育内容にかんする知識の豊富さ、思考の深さだと思っています。

「先生はこんなことも知ってるんだ」「こんなこと考えてるんだ」と思わせることが、そのまま教師と子どもという関係にも反映するのかなと感じています。

教師も間違えるということを前提にして授業をともに作り上げていくというような授業観もあるのかもしれませんが、私はそうは思いません。


だからこそ、日本史にかんしては特に、しっかり自分なりの歴史像を描かねば、と思います。

そのためにもたくさん本を読まなければ、と思います。

うぇ~ん…。


修士論文の指導会が明日予定されていたのですが、先生方のご都合で来週に延期になってしまいました。

がんばって準備してたのに…。

というか問題は、延びたら延びただけ研究成果を積み重ねなければいけませんから、かえって大変なことになってしまいそうです。

明日が終わったら教採の準備しようと思ってたのになぁ…。


まぁ嘆いてもしかたない、がんばっていっちょやってみっか!!

先日、私が勤務している中学校でも「授業参観」がありました。

でも、ただの「授業参観」ではありません。

来年進学してくる小学校6年生の親御さんたちが中学校のようすを見にくる、という授業参観です。


いやぁ、人に授業を見られるのってやっぱり緊張しますね。

今回の場合は、自分の勤務校の名前を背負っているのでなおのことです。

この程度の授業ならわざわざこの学校じゃなくてもいい、なんて言われるわけにはいきませんからね…。

いちおう相応の準備をしてから授業に臨んではいるのですが、ちょっとしたことでも間違いや解釈の相違があったらまずいなぁという思いが、普段以上にあったので緊張してしまったのだと思います。


ちなみに、となりの英語のクラスのほうがずいぶん盛況なようでした(笑)

私の授業がどうこうってよりは、そもそも社会科に対するいいイメージがあんまりないのかなぁ、と思いました。

勤務校は一般の区市町村立中学校ではないので、親御さんは教育に対して熱意があるのだと思います。

その期待にどう応えていくか、考えなくてはいけません。


でも、いま、公立校でも学校選択制が導入されている地域があります。

これは賛否両論ありますが、確かに問題が多いのも事実です。

そんななか、こうやって地域に授業を公開する学校も多くなっていると聞きます。

地域との連携ももちろん大事なことですが、それを最優先することが学校を良くする最良の手段だとは思いません。

一方で教師が教育の専門家としての意見を持っていることも大事なことです。

私の大先輩の小学校の先生は、教師の専門力量が今こそ問われている、とおっしゃっていますが、そのとおりだと思います。

地域や学校のなかで、協働しつつ、教師の専門的な力量を高めていかなくては、と思います。

ここのところ、ブログの更新が遅れ気味になってしまっています。

大変申し訳ありません。

いろいろとやらねばならないことが増えてきて、それに追われている毎日です。


無理に毎日やらねばと思うより、細く長く続けていく方がいいのかな、とちょっと思い直しました。

無理のない程度にがんばっていきたいと思います。


今後とも、よろしくお願いいたします。

今日はある勉強会に出席してきました。

そこは私以外はみなさん現場の先生やそのOBの方たちで、現場の実践に即したお話を聞くことができます。


今日報告された先生は、高校の先生なのですが、ある程度自由に学習内容を決めることのできる学校で、子どもが疑問に思ったことから授業が始まり、それに教師が応えながら進んでいく、という授業を実践されていました。

いわば、授業の指針は教師が決めるのではなく、子どもが決めるということになります。

学習意欲がきわめて低い子どもが授業に興味をもっていくようすがよくわかりました。


その先生の語り口は非常に独特なので、この場でうまく表現することができないのが残念です。

授業を見させていただいたこともありますが、非常にパワフルな授業でした。


ひるがえって自分の授業を振り返ってみると、いかに子どもの疑問に応えていないかがよくわかります。

教科書の内容をある程度こなさなければいけないという制約はあるものの、それはいいわけに過ぎません。

がんばって子どもが頭を使うような学習活動を授業のなかに組み込んではいるのですが、それが結局うまく機能せず、逆に子どもの頭のなかを混乱させる結果になってしまっているような気がします。

どんな内容の発問をしているのか、近いうちにご紹介しますね。


子どもの疑問に応え、学習意欲を喚起しながら、系統的な知識を与え、深い思考をさせる、これらがバランスをとりながらできるような夢を、いつかかなえられるようにがんばらねば、と思います。

現在、朝5:45分。

がんばって起きて見てた甲斐がありました。

日本-ブラジルは2-2の引き分けでした。


お互い決定的なチャンスが何度もありました。

サッカーのことはよくはわかりませんが、ボールがよく動いておもしろい試合だったように思います。

ワンタッチで的確なパスを回すブラジルは本当にすごい。

けど、日本もよくがんばったなぁ、と思います。

ジーコは前半開始すぐの加地のオフサイド判定のゴールがご不満なごようすでしたが(笑、でも確かにオフサイドじゃないようにも見える)


なんだか、来年のワールドカップも期待できそうな気がしてしまいます。


以上、国家にとらわれない思考を主張しながらナショナルチームを応援しているgoforwardでした。(汗)

自分の勉強不足を悔いる毎日が続いています。

どんな授業を展開しようとも、教師に「歴史像」がなければ授業ができない、ということです。


授業の方法論としては、史料を読み取らせたり、人物に共感させたり、政策の是非を問うたり、討論をしたり、新聞を作ったり、さまざまな方法があるのだと思います。

そういった教育方法論は、教科の目標論と連動しながら、適切な方法を選択していく、それが授業作りの根幹になると思います。


…なる、と思ってきました。

思ってきたからこそ、今私が専門に勉強しているのが、「社会科教育学」という聞き慣れない領域であるわけです。


しかしその一方で、そういった理念を具体化するためには、基礎科学をしっかり勉強しておかないと話にならないのですね。

当たり前のことといえば当たり前のことですが、私はこれまで、ちょっと甘く見ていたような気がします。


自分なりの社会科教育ないし歴史教育の理念、目標、などはだんだん確立できてきていると思うのですが、いかんせん、それらを達成するための歴史認識自体がまだまだ浅いと自分では思っています。

特に自分が高校で世界史を中心にやってきたこともあって、案外日本史の通史的な認識がないのです。

勉強会などであるひとつのテーマについて深く学ぶ、ということは大学でも多かったのですが、それが通史的にどのような意味を持たせるべきなのか、ということに悩んでしまうのです。


今、中学校の授業では奈良時代に入りつつあります。

聖徳太子から大化の改新、壬申の乱、大宝律令、などという流れで教科書は記述されていますが、

それらをどのように評価し、「歴史の流れ」としてのストーリーを作っていくかということは、やはりきちんと歴史を勉強していないとできないことなのですね。

そのような前提があってはじめて、今私が学んでいるような「社会科教育学」を役立てることができるように思います。


しばらくは日本史の概説書とテーマごとに書いてある論文とにらめっこをしながらの授業作りが続きそうですが、今まで自分がさぼっていた罰だと思って、必死に勉強したいと思います。

前にもちょっと書きましたが、月曜日締め切りの原稿を抱えておりまして、ブログ書く時間がありません。

今日、明日と、更新おやすみさせてください。

見にきてくださった方、申し訳ありません…。