自分の勉強不足を悔いる毎日が続いています。
どんな授業を展開しようとも、教師に「歴史像」がなければ授業ができない、ということです。
授業の方法論としては、史料を読み取らせたり、人物に共感させたり、政策の是非を問うたり、討論をしたり、新聞を作ったり、さまざまな方法があるのだと思います。
そういった教育方法論は、教科の目標論と連動しながら、適切な方法を選択していく、それが授業作りの根幹になると思います。
…なる、と思ってきました。
思ってきたからこそ、今私が専門に勉強しているのが、「社会科教育学」という聞き慣れない領域であるわけです。
しかしその一方で、そういった理念を具体化するためには、基礎科学をしっかり勉強しておかないと話にならないのですね。
当たり前のことといえば当たり前のことですが、私はこれまで、ちょっと甘く見ていたような気がします。
自分なりの社会科教育ないし歴史教育の理念、目標、などはだんだん確立できてきていると思うのですが、いかんせん、それらを達成するための歴史認識自体がまだまだ浅いと自分では思っています。
特に自分が高校で世界史を中心にやってきたこともあって、案外日本史の通史的な認識がないのです。
勉強会などであるひとつのテーマについて深く学ぶ、ということは大学でも多かったのですが、それが通史的にどのような意味を持たせるべきなのか、ということに悩んでしまうのです。
今、中学校の授業では奈良時代に入りつつあります。
聖徳太子から大化の改新、壬申の乱、大宝律令、などという流れで教科書は記述されていますが、
それらをどのように評価し、「歴史の流れ」としてのストーリーを作っていくかということは、やはりきちんと歴史を勉強していないとできないことなのですね。
そのような前提があってはじめて、今私が学んでいるような「社会科教育学」を役立てることができるように思います。
しばらくは日本史の概説書とテーマごとに書いてある論文とにらめっこをしながらの授業作りが続きそうですが、今まで自分がさぼっていた罰だと思って、必死に勉強したいと思います。