行ってきました宮城へ
なぜ、宮城?
自分の目で見たかったんですよね。震災という現実を。
目で見て、耳で聞いて、心を動かして、頭を働かして、体を使って。
そうしなければ震災という現実を理解できない気がして。
で、行ってきました
なんと無謀にも、友達と二人、私の軽自動車で、100%私の運転で
神戸から宮城まで、何キロ?1000キロあるのかな、ないのかな。
遠いよ~~~、宮城
ただ被災地をこの目で見たいがための旅行だったんだけど、
一緒に行った友達が中学校の教員をしていて、勤務する中学校で女川町の中学校に少しの支援をしていたという経緯があって、女川町に行くことにしました。
仙台までは、高速道路を走っていたこともあってか、特に震災の影響は感じられませんでした。
けれど、石巻あたりから、海岸沿いを走っていると、あちらこちらに震災の爪あとが見られました。
・座礁し粉々に壊れてしまった船の残骸が積み上げてあるところ
・かつては住宅が密集していただろうに、廃墟と化してしまった集落
・火事で焼けたらしく、外壁が真っ黒になり、窓ガラスも全てなくなってしまった小学校
・津波の力によって土台から横倒しになってしまった交番
・あちこちに、「とりあえず寄せられている」といった感じのがれきの山、山、 山
・道路の舗装が壊れ、道はもはや道なき道
私は、かつての、震災前の光景を知らないので、町並みや光景がどう変わってしまったのか、はわかりません。
だから想像してみました。廃墟の前にたって。
多くの家が立ち並び、子どもたちが遊び、車が行き交っていた様子を。
今はもう、人が生活できるところではない廃墟の前で。
友達が仕事上で支援していた女川の中学校に、突然お邪魔し、お忙しい中だったにもかかわらず先生にお話を伺うことができました
その中学校は高台にあり、壊れて使えなくなった別の中学校の生徒を受け入れ、現在は二つの中学校の生徒が通っているとのことでした。
愕然とする光景だけれど、女川町は、がれきの撤去がまだ進んでいるほうなのだとお話してくださいました。
さらに、とにかく子どもたちに学校に来てもらおうと、多くの方が努力し、新年度最初から学校を再開することができたのでとてもよかったとおっしゃっていました。
ただ、現在2つの中学校の生徒が通う中学校も、体育館の天井が落ち使えなくなっていたり、あちこち壁がひび割れていたりして、本当なら安全に使える状態ではないそうです。
しかしそのような先の見えない現実にあっても、とにかく子どもたちが元気だと、それが大人の救いだとおっしゃていたのが印象的でした。
被災した各地の光景には、プラスとマイナスの両方の波動が満ちているように感じました。
自然の驚異、破壊、倒壊、無力さ、絶望、死・・・
そんなマイナスと言ってもよいものと、
復興、勇気、回復、前進、絆、そして生。
そのプラスの力。
両方あっていいのだと、私は思うのです。
プラスとマイナス。
陰と陽。
光と影。
両方あるから、人間なのですよね。
宮城に向かう高速道路の車中で、虹に遭遇しました
”行く先を必死に探す人間に、神様はきっと橋を渡してくれる”
そんなことを感じられる虹でした。
「夢だけは 壊せなかった 大震災」
訪れた中学校のある生徒さんの俳句です。
家が壊れても、学校が壊れても、夢を抱いて成長する子どもの姿。
私たち大人は、その姿から何かを学びたいですね
なぜ、宮城?
自分の目で見たかったんですよね。震災という現実を。
目で見て、耳で聞いて、心を動かして、頭を働かして、体を使って。
そうしなければ震災という現実を理解できない気がして。
で、行ってきました
なんと無謀にも、友達と二人、私の軽自動車で、100%私の運転で
神戸から宮城まで、何キロ?1000キロあるのかな、ないのかな。
遠いよ~~~、宮城
ただ被災地をこの目で見たいがための旅行だったんだけど、
一緒に行った友達が中学校の教員をしていて、勤務する中学校で女川町の中学校に少しの支援をしていたという経緯があって、女川町に行くことにしました。
仙台までは、高速道路を走っていたこともあってか、特に震災の影響は感じられませんでした。
けれど、石巻あたりから、海岸沿いを走っていると、あちらこちらに震災の爪あとが見られました。
・座礁し粉々に壊れてしまった船の残骸が積み上げてあるところ
・かつては住宅が密集していただろうに、廃墟と化してしまった集落
・火事で焼けたらしく、外壁が真っ黒になり、窓ガラスも全てなくなってしまった小学校
・津波の力によって土台から横倒しになってしまった交番
・あちこちに、「とりあえず寄せられている」といった感じのがれきの山、山、 山
・道路の舗装が壊れ、道はもはや道なき道
私は、かつての、震災前の光景を知らないので、町並みや光景がどう変わってしまったのか、はわかりません。
だから想像してみました。廃墟の前にたって。
多くの家が立ち並び、子どもたちが遊び、車が行き交っていた様子を。
今はもう、人が生活できるところではない廃墟の前で。
友達が仕事上で支援していた女川の中学校に、突然お邪魔し、お忙しい中だったにもかかわらず先生にお話を伺うことができました
その中学校は高台にあり、壊れて使えなくなった別の中学校の生徒を受け入れ、現在は二つの中学校の生徒が通っているとのことでした。
愕然とする光景だけれど、女川町は、がれきの撤去がまだ進んでいるほうなのだとお話してくださいました。
さらに、とにかく子どもたちに学校に来てもらおうと、多くの方が努力し、新年度最初から学校を再開することができたのでとてもよかったとおっしゃっていました。
ただ、現在2つの中学校の生徒が通う中学校も、体育館の天井が落ち使えなくなっていたり、あちこち壁がひび割れていたりして、本当なら安全に使える状態ではないそうです。
しかしそのような先の見えない現実にあっても、とにかく子どもたちが元気だと、それが大人の救いだとおっしゃていたのが印象的でした。
被災した各地の光景には、プラスとマイナスの両方の波動が満ちているように感じました。
自然の驚異、破壊、倒壊、無力さ、絶望、死・・・
そんなマイナスと言ってもよいものと、
復興、勇気、回復、前進、絆、そして生。
そのプラスの力。
両方あっていいのだと、私は思うのです。
プラスとマイナス。
陰と陽。
光と影。
両方あるから、人間なのですよね。
宮城に向かう高速道路の車中で、虹に遭遇しました
”行く先を必死に探す人間に、神様はきっと橋を渡してくれる”
そんなことを感じられる虹でした。
「夢だけは 壊せなかった 大震災」
訪れた中学校のある生徒さんの俳句です。
家が壊れても、学校が壊れても、夢を抱いて成長する子どもの姿。
私たち大人は、その姿から何かを学びたいですね