超スピリチュアル体験記 ~奇跡への階段~ -76ページ目

本能寺の変 歴史の真相を霊視 その2 戦国の世を統一出来る信長の直感力


次に織田信長の霊視的なイメージはですが

(過去ブログその2より)


信長に明智光秀の頭をはたいた件について聞いてみますと

そんな事はないと伝えてきます。

 

では、どんないきさつがあったかについてですが、

家康の接待を光秀に命じたのは、光秀はとても知識が豊富で、

家康をもてなす上での気配りがあって、信用がおける部下で

 あった事を強く伝えてきます。
 
(家康はとても大切な客人のイメージで、信長にとっても特別な
 人物のイメージです。そんな特別の人物の接待役を任せられるくらい
  光秀には信頼を持っていたイメージです。)

 

では、光秀に対して厳しい言葉をかけたかについてはですが、

手柄を立てた家康に最高のもてなしをして、絶対に失礼(落ち度)が

ないようにと強く命令しているイメージを伝えてきます。

 

それに対しての明智光秀の信長の命令に対してはですが

家康にもいいイメージを持っているようで、いいもてなしをしようと

きちんと受け止めているイメージです。

 
では、明智光秀が本能寺の変の主犯者じゃないといたらいったい誰が
犯人なか?

 

この部分は、いろいろな方々の思いやイメージが長い歴史の間に

交錯しているイメージで
 

霊視的にはいろいろな事が伝わって来るため、

その真相について入って行くのはとても困難なイメージです。


そのため、信長のイメージに入って推理という形から、

深くその真相について入ってみたいと思います。

 

当時の時代に織田信長の存在が一番邪魔で、信長が居なくなったら

誰が得をするのか?
 

そこに答えがあると、イメージを伝えてきます。

 

結局、本能寺の変後に誰が何も苦労もなく得をしたかですが、

それは、 豊臣秀吉ただ一人であったのではないかと思います。

信長の言葉を借りますと、サルめというイメージを伝えてきます。
 
(当時、信長が秀吉をサルと呼んでいたかは定かではありんせんが
 そんな、こんちきしょう的なイメージを伝えてきます。)

 信長はあまり秀吉の事が好きではなかったイメージです。


 信長の秀吉に対するイメージでズル賢いというイメージを
 私がそのまま通訳として書こうとしますと
 「賢いのではなく陰でコソコソとズルい」という少し感情的な

 イメージが信長のイメージより返って来ます。

 あくまでも私の霊視的なイメージではありますが
 信長が秀吉に対して無意識的な表には出せない対抗心的な
 感情イメージが強くあったのではないか?と思います。

 その理由として

 信長の戦国の世を勝ち抜く力はやはり
 行動力やその結果に目を向けられがちのようですが
 
 信長の本当の才能は直感力と揺るぎない精神が
 他の武将に比べてずば抜けていた方なのではないかと
 信長のイメージを通じて私はそう思います。

 信長自身、その実力をやはり理屈ではなく
 戦国の世、戦場を生きる感覚として解っていたのでは
 ないのでしょうか?

 ですから、同等以上の才能を持っている賢く天武の才能の
 ずば抜けた秀吉に対してその力を認めたら
 自分が飲まれる的な直感力として
 
 賢いという褒め言葉や例えば褒美的な部分で
 他のものと差をつけていたのではないかと
 信長のイメージを通じて私はそう思います。
 
 
 信長は秀吉の忠誠をまったく信じていないイメージです。

 (秀吉の実力を感覚的(直感的)に解っているイメージです。)

 秀吉に対しては、秀吉がどんなに実力をつけても所詮、
 秀吉程度のイメージで、秀吉を下げてみると言うよりも
 いつでも捻り潰してやる的なイメージです。

 (このイメージは秀吉にとってもかなりの
  脅威があったものと思います。)

 それに対して、信長から見た明智光秀は
 秀吉のイメージはまったく正反対のイメージです。
 (従順的な家臣のイメージです。)
 
 
 本当に信長のカリスマ性はその当時の脅威に
 近い存在だったのではないかと思います。

 誰も信長に謀反を犯すなどと言う事は
 考えもしなかったものと思います。

 そんな信長の実力と内面の感情を踏まえたオゴリに近い誤算として
 誰にも絶対に負けないという思いが行き過ぎて
 自分の周りを守る細かい配慮が足りなかったようです。

 そして信長のイメージより祭りごとというイメージが
 伝わって来ますので、戦国の時代に武の視線から
 天下統一のための武と離れた儀式に気持ちが向いて
 いたのではないかと思います。

 「我が力を自負し我が力の限り(限界点)といえる
  天下統一に目が眩んだ愚かな武将。

  戦乱、戦国の世とはいつ何時も我が命を
  投げ捨てる覚悟があっての天下統一。
 
  運も天も、我が武の将としての才に武将としての
  力を授けた訳でもなく

  母から血を受けた我が自身を曲がらぬ覚悟で
  捨て命として前に前に
 
  繋いで来た我が人生の振り返り見の道のりが、

  天下統一であった事。
 
  天下統一を夢見るのでは所詮、

  天下を生きる武将としての器にあらず

  光秀いわく、心あっての天下統一の向こうに
  我が人生の向かう道があったものか。」
 
  信長のイメージは

  過信ではなく慢心であったと信長のイメージは伝えて来ます。


 
 


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