超スピリチュアル体験記 ~奇跡への階段~ -65ページ目

3、明智光秀は生きていた 真相を霊視   明智光秀の霊視的な最期?



明智光秀 対 秀吉の山崎の戦いでは、双方何万という兵を出して時の智将と名高い両雄が戦力に差があるとはいえ世紀の大決戦です。そんな歴史的な武将の戦いがたかだか2時間で決着が着くなんて、誰が予測が出来たでしょうか?


歴史書的な内容からすると


光秀は山崎の戦いで秀吉の軍に圧倒されて勝竜寺城にて籠もり、秀吉連合軍3万人に完全包囲されました。しかし不思議なことに光秀は、夜陰にまぎれて深夜、城外への脱出に成功しました。まことに不可解ですが成功したらしいのです。これって、どういうことなんでしょうか?


光秀が逃げ込んだ勝竜寺城という城を秀吉率いる3万人もの兵に包囲されて、夜陰にまぎれて光秀は脱出に成功したと言うのです。そんな事って物理的に可能なのでしょうか?今で言ったらカッパーフィールドのマジックのようですよね(汗)


そしてこれも歴史的に伝えられている事として、その後すぐに、光秀がいつの間にか脱出して逃亡したと言う知らせが秀吉の元に伝わりましたが、秀吉は一言、「光秀を・・・追うではない・・・。」と言って家臣団を驚かせたと言うのです。これが歴史的な真実であるとしたなら、この事実に関しても秀吉はいったい何を考えてそう言ったのでしょうか?山崎の戦いでは秀吉は何万人もの兵を自分が将として指揮し、織田信長の仇討的な本能寺の変の騒動を納めるための戦いだった事は確かな事なのです。山崎の戦いのあった当時の戦国の世は、自分の殿様である織田信長の謀反者を取り囲むまで行って、逃げたから首も切らずに逃がすということは、許される事なのでしょうか?山崎の戦いの織田家代表のそのほかの将方より、秀吉の光秀を追うでないという命令指示は秀吉自身の責任の追及にならないのでしょうか?(私は歴史の事に詳しくはないですが、秀吉の行為は戦国時代ではなくても 切腹ものの話なのではないかと勝手に考えてしまいます。)そして歴史書よりせっかく脱出に成功した光秀でしたが、間もなく逃亡途中の京都伏見の竹藪で落ち武者狩りの土民の餌食となり殺されてしまいます。小栗栖の明智藪といって今でもその場所は寂しげな竹藪に石碑が残っているそうです。


私の霊視的な秀吉のイメージは気が小さくてとてもズル賢い頭のいい方というイメージです。

1、光秀は勝竜寺城にて籠もり、秀吉軍3万人に包囲されたが夜陰にまぎれて深夜、
  城外への脱出に成功。

2、光秀の逃亡を聞いた秀吉は「光秀を追うではない。」と家臣団を驚かせる

3、光秀の最後が刀を持って前向きに闘った武人として、武将としての最後ではなく、
  落ち武者狩りの名もない土民の餌食となる。

これらの3つの部分が意図的に秀吉が歴史的に一目置かれるために作られた話ではないかと霊視的なイメージを通じて私はそう考えます。光秀は謀反を犯した裏切り者の武将とし、秀吉から見たら自分とは比べ物にならないほどの、小さい武将として伝記に残そうとしている、意図的なイメージが強く伝わって来ます。光秀は秀吉よりも位は上、またはそんな扱いをされた事に、秀吉の一方的な感情イメージが伝わって来ます。(手柄の数の多さでは群を抜いていた秀吉にとっては、何故自分だけ評価されない?的な 妬みに近いイメージが強くあったのではないか秀吉のイメージを通じて私はそう思います。)秀吉から見たら武将としての力もないのに、自分よりもいつも高い位置に居る光秀を、信長暗殺という歴史に残る大謀反を犯して天下を取ろうとして失敗した、自分とは比べ物にならない、天下の武将には絶対に当たらない歴史的な裏切り者として自分の記憶に残したいイメージのようです。

そして、そんなどうしようもない裏切り者でも、逃がせる懐の広さ。「光秀なんて、私の手のひらでどうにでも出来るほどのうつけ者よ。」的なイメージで、後から話を勝手に作っているイメージです。そしてあろうことか光秀の武士としての最後を、武士でもない農民に竹やりで殺されたなどと、本当に情けないばかりの感情論的な終わり方を、自分の都合だけで勝手に作り上げているものであると、霊視的なイメージでそう思います。(最後は秀吉との一騎打ちでギリギリ秀吉が勝って、光秀は本能寺の変では間が差したがあっぱれな武将だった位の歴史を残してくれたなら、歴史的な戦いの大天才でもある秀吉を、もっと尊敬する所だと私は勝手に思います。)


では、私の霊視的なイメージに伝わって来ます光秀の最後はどうだったのでしょうか?


光秀は、やはり山崎の戦いでは戦う気持ちがなかったようです。智将光秀は、すべてを天の意向に任せて、全責任は自分にあると山崎の戦いの前に自害しているイメージです。そのイメージに深く入ってみますと、光秀直属の家臣が光秀の自害後の首を持って、山崎の戦いが始まる3時間ほど前に、秀吉に対して降伏しているイメージですが、その家臣の者を偽物の首を持って来て戦いをかく乱するという、うそつき的な扱いで秀吉は家来に指示を出し、光秀の首を涙ながらに持って来た家臣を何の温情もなく斬ってしまったようです。明智軍はそれでも戦っているイメージですが、総大将の姿もなく統率力もない状態で、鉄砲隊なども戦術に欠け、兵の数も圧倒的で、内部かく乱などもあり、まともに戦う術もなかったイメージです。そのため、方々に散らばったりして、スポーツ観戦並みの2時間という短時間の戦いとなってしまい、戦いという戦いには全くならなかったのではないかとイメージは伝えてきます。もちろん、城に逃げた兵はいた事は確かですが、秀吉の性格的なイメージではアリの子一匹逃さないイメージです。

光秀は家に帰れば家族もあり同じ将(信長)を持った武人としての、一万3千人もの信長や自分の家臣を守ろうと、自らの命を持って天にその答えを委ねました。しかし、秀吉の事を戦力最強の武将として尊敬もしていましたが、降伏と言う武士の温情を持って家臣の命を守ろうとした我が首を持って行った何も罪のない家臣が何の温情もなく斬られる様に、自害して魂となったその時も激高しているイメージです。光秀の魂は戦国時代の虫けらのように扱われる人の命の大切さを、そして、人の命を虫けら以下に考える人の心の儚さに激高しているのです。

光秀のイメージは

「仮にも我が将、信長の家臣。 光秀、そして御秀吉公直属の家臣なるぞ。謀反を犯したおん責任は我にあり、降伏したおん家臣を温厚もなく斬りつけるとは何事ぞ。武士としての慰み者にもならぬやつ」と怒り、そして怨念に近い不動の怒りをそのまま伝えてきます。(慰み者とは一時の慰みにもてあそばれる者という意味だそうです)


一時は、天は秀吉にその意向を示したと自分の身を委ねれば、自分の損得のために将の首を差し出す信長の家臣は自分の家臣でもある者を、何の温情もなく斬りつけるとは、光秀、武士としての生涯を捧げようとした甲斐もないやつと、怒りのエネルギーに代わっているイメージです。光秀の身体は山崎の戦いの前に自らの心で亡骸となりました。しかし、光秀の魂は、人の命を、そして人の心を我が人生の都合として無下に見下す時代に、そして、その心に、絶対に折れない甘んじない不動の心として、霊界に戻ることなく、この世に不浄化エネルギーの道として残ったのです。


そして、これが徳川家康の生涯の力、江戸幕府の未来永劫に繋がる今回のテーマでもあります

大僧正「天海」その伝説に繋がって行くのです。


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