夏日になった年度末最終日の午後に、

 

「6年間、見守りをありがとうございました」と

 

ふいに声をかけられました。

 

この3月に小学校を卒業した男の子の

 

お母さんでした。

 

私としては小学校の朝の登校班に

 

長年、顔を出しているだけですが、

 

そのように思っていただいていたことに、

 

卒業のお祝いとともに

 

こちらこその思いでお返事をしました。

 

地域の防犯推進委員の方々など、

 

私以上に午前午後と見守りをしている先輩方が

 

たくさんいますので、

 

私としては、特段、

 

たいしたことはしていないのです。

 

 

思い返せば。

 

私も、多くの大人たちの見守りのなかで

 

いまに至っており、

 

それは、このような地域や

 

学校の先生などはもちろんそうですが、

 

道場の恩師の存在はやはり大きい。

 

 

道場の内外で厳しくもあたたかい目で

 

長年、見てきていただいたのだと

 

改めて思います。

 

どこかのお店で買えるものではなく

 

お金を出せばいいというものでも、

 

自分を装い取り繕って

 

指導を仰げるものでもない。

 

すべては、人と人とのつながり

 

なのだと思います。

 

 

 

           恩師とともに(2019年)

 

 

これがどれほどに大切なものか。

 

亡き母は当初から気がついていたのだと

 

いま、よく理解することができます。

 

長きに渡っての見守りと指導を願う気持ち...

 

これがなくても、

 

いまに至る道は

 

偶然でもあり必然でもあったのでしょう。

 

 

ふいに掛けられた冒頭の一言に

 

一気に来し方が思い起こされました。

 

本日はこれにて。

 

 

3つ、再掲します。

 

たしかな道を築く

 

自己顕示から支える側へ

 

百子さんの「紙一重」という一言から思い起こす