12月25日のクリスマスの夜、

 

先月ご紹介した桶川市の平和祈念館の

 

夜間特別開館に参加してきました。

 

真冬の空気は澄み、

 

建物はランタンで

 

ライトアップされていました。

 

 

来館者は30人近く。

 

順次、展示品の説明を受け、

 

特別企画展では与那覇師範のお母様、

 

百子(ももこ)さんの

 

記録映像を拝見しました。

 

その中で特に印象に残ったのが

 

百子さんの「紙一重」という一言。

 

まさに奇跡的に生き残った百子さんに

 

沖縄戦の総婦長さんが掛けた言葉とのこと。

 

現代の私たちにこれに比類するような

 

軽々な例えはできませんが、

 

ただ、これまでを振り返れば

 

小さな何かの積み重ねで

 

いまに至っているというのは

 

誰しもあるものと思います。

 

 

自分の力だけではない、

 

当然とは思わないが、

 

とはいえ、

 

まったくの偶然というだけでもない、

 

そのようなことを考えていると、

 

何かを感じることが

 

できるのではないかと思うのです。

 

説明できない事象や現象を

 

ユングは「意味ある偶然」と呼び、

 

一方、池田晶子さんは

 

「偶然とは、意味ある必然」と

 

表現しました。

 

偶然も必然もその捉え方ひとつで

 

変わるものであり、

 

いずれの側面もあるなかで、

 

両者の見方が

 

すべてを合点させるものでも

 

ないのだと思います。

 

 

百子さんの「紙一重」という言葉から

 

思い起こすことがたくさんあり、

 

今回、どうも迷い

 

まとまりきれないものとなっていますが、

 

大事なのは、答えを持つこと、

 

答えを出すことではなく、

 

他者に答えを求めにいくことでもなく、

 

たくさんの問いを持つことである、

 

というのは真に的確な指摘だと思います。

 

つまり「考える」という点で、

 

迷いも意味あることなのだと

 

理解できます。

 

そして、このようななかにこそ

 

若松英輔さんの

 

「豊かな内実がある」という

 

言葉を感じとることもできるのです。

 

 

年の瀬もいよいよ大詰め。

 

今年一年、

 

みなとともによい時間を過ごす

 

ことができました。

 

新しい年を新たな気持ちで

 

一歩一歩、

 

進んでいきたいと思います。

 

 

追記

 

当会に縁を持つこと一つをとっても、

 

私は同級生に誘われて入会し

 

恩師に出会いましたが、

 

ずっと続けると決めて

 

始めたわけでもなく、

 

それ以後も、

 

何年、何十年と続くことを

 

目標としたわけでもありません。

 

当会にとどまらず、

 

いまに至る道は偶然とも言えますが

 

たまたまということでもない、

 

必然とも捉えることができる、

 

そのような日々のつながりでも

 

あると思います。

 

 

   

 矢部師範(1983年市民まつり、旧南小学校にて)

 

 

いろいろと

 

もっともらしく語ることも

 

ありますが、

 

試行錯誤の連続です。

 

ただ、

 

一日一日は過去とつながっていて、

 

これからの未来とつながっている

 

というのは確かなこと。

 

 

この12月には、

 

小学生の男の子とお父さんが

 

一緒に入会されました。

 

新しい一歩を踏み出す気持ちを持つことは、

 

そう簡単なことではありません。

 

当会の意義や役割を改めて

 

思い返すとともに、

 

私も感じるところがありました。

 

 

自己と向き合うこと、

 

自分を深めていくということは、

 

同時にその「個」の枠を超えて

 

外に開かれ、他者にもつながり

 

広がっていくものとなる。

 

この哲学の本質は考えるということ、

 

武道の本質にも通じています。

 

ともに頑張ってまいりましょう。

 

 

< 与那覇百子さんに関するコラムです >

 

「ひめゆり学徒」与那覇百子さん

 

「ひめゆり学徒」与那覇百子さん(続報)

 

 

3つ、再掲します。

 

理念

 

白帯

 

黒帯