武道は、段級によって締める帯の色が
異なります。
入門時には、白帯から始まり、
橙色や黄色、水色などの薄い色から、
修養を重ねるにしたがって、
青色や紫色、茶色などの濃い色に移り、
最後には黒色に至ることとなります。
なぜ、黒なのかということには諸説あり、
どれか1つだけが正しいということはありませが、
私は、関心を持って尋ねてくる人々、
もしくは外国人から問われた際には、
次のように答えています。
入門する際には、
誰しもが心、技、身体ともまっさらであり、
何も修練を積んでいない状態では、
身に着けている衣も、
汗、土や埃で汚れていることはありません。
そこから考え方や心身、技術的な面を
少しずつ磨いていき、
これまでの自分にはないものを身につけて
いくこととなります。
そこで、さまざまなことを経験し、
多くのことを吸収していく過程で、
何かが形づくられていくはずです。
身に着けてきた衣も、
修練と時間の経過とともに
最初の真っ白な状態から
だんだんと変化していきます。
それを長年にわたって継続した結果、
最も濃い色、
つまり黒へと変わっていく―――。
これが白帯から始まり黒帯に至る背景です。
一言でまとめると、
長年の修練の結果を表したものと言えます。
武道の種類や流派、道場によっては、
基本の確認、型の水準、十人組手があり、
または総当たり戦での勝ち星の数を
求められるケース、口頭試問があるなど、
全国で統一された明確な基準があるわけでは
ありません。
これが良いことか否か議論しませんが、
いずれにおいても、相対的な強さだけを
昇段の基準として位置付けることは
ありません。そうであるならば、
国体出場や大会での入賞等を
分かりやすい基準として設定すれば
よいことになります。
そうでない理由は誤解を恐れずに言えば、
武道は投げ締め、抑え、剣さばき、
突きや蹴りなど、その技術の習得に
最も重きをおいているものではない
ということです。
私にはまだ言葉に発しづらい、
大上段に構えた表現になりますが、
武道は人格形成につながるものでなければ
ならないのです。
背負い投げや大外刈り、肘固め。
面打ち、こて打ち。
人の顔(じんちゅう)やお腹(みぞおち)を
正確に打ち抜いて倒す突き技、
急所や延髄を打ち抜く蹴り技を、
誰よりもうまく、つよくできること、
格闘術や逮捕術、
人を制圧する技術を身につけたい人には
また他の道があるのでしょう。
武道を学び、黒帯を取得し、
その進んでいる道の向上に取り組むこと、
その長年の取り組みにこそ、
人生をよく生きるために培われるものがあると
信じています。
定まった信念や理念が
得られているわけではありません。
いまもって試行錯誤の中にありますが、
自分が先生、先輩、仲間たちから
教わってきていることを、
自分の想いも交えながら、
これからもともに学んでいきたいと
考えています。