恩師は昭和9年生まれ、

 

いま88歳である。

 

先日、ジムで顔なじみの老紳士が

 

恩師と同じ昭和9年と知った。

 

その方とはサウナの後に

 

顔を合わせることが多く、

 

その際にはよく挨拶を交わしてきたが、

 

初めていろいろと話を伺ったなかで、

 

こんど88歳になるんです、と。

 

 

そのほか、

 

ずっとジムに通っていること、

 

70歳まではわりと身体が動いたが、

 

それ以降は体力がガタッと

 

落ちてきていること、

 

健康維持には

 

継続的な筋力トレーニングが

 

欠かせないことを痛感しており、

 

加えて、

 

食生活には偏りがなく、

 

肉は4割で魚が6割、

 

魚は種類が多いから選ぶのに

 

飽きがこない、

 

お酒も少量毎日飲んでいること。

 

小学校1年生で戦争がはじまり、

 

4年生で終わったとも話されていた。

 

 

お人柄が伝わってくる温和な表情で、

 

その語り口もとても滑らか。

 

ジムがあるからいまの私があるんです、

 

長々とつまらない話をしてすいません、と、

 

最後まで謙虚なお話ぶりであった。

 

 

ご長寿で心身とも健康な様子に

 

私も話を聞きながら驚きとうれしさと、

 

いやあ、まったくもって

 

恐れ入りました。

 

 

そして、ふと思う。

 

自分はあんなふうに

 

トシを重ねられるものだろうか。

                                                   

受験戦争をはじめ

 

社会人になって以降も日々、

 

生き残りの競争の中にあり、

 

負けたことも勝ったことも

 

多々あるなかで、

 

進んできたあとを振り返れば

 

やはり

 

いろいろと思うところがある。

 

昭和一桁生まれの矜持を持ちながら

 

戦中、戦後を生きてきた恩師は、

 

稽古の際に力を込めて

 

よく言ったものである。

 

「人生は闘いだ」と。

 

私もつねに競争社会に身を置いてきた

 

団塊ジュニア世代というのは

 

言い訳に過ぎず、

 

自分元来の

 

性質、気質もあろう。

 

 

濁世(じょくせ)を生き抜く ―――

 

作家の五木寛之氏も指摘している

 

中国、屈原の

 

故事に登場する漢詩の様相と

 

何ら変わりのない時代にあるなかで、

 

私もいつの頃からか、

 

周辺や昔なじみの同世代などからは

 

表情が鋭くなった、

 

精かんになったと言われ、

 

ずいぶんと驚かれたもの。

 

新事業の立ち上げから拡大発展まで

 

中軸として多くの

 

成果を得ていた時期でもある。

 

ストレートな誉め言葉というよりも

 

容易には気を緩められない奴に

 

なったという、

 

私に対する警戒感にも近い

 

印象であったのであろう。

 

競争のなかで

 

実際に敵は無数にあり、

 

自分もそれなりに

 

したたかであったとも思う。

 

 

いまもそんなに

 

変わり映えはしないのか、

 

いいトシになり

 

環境も変化してきたことで、

 

少しは変わってきたのかどうか。

 

己では量るべくもないが、

 

いろいろな先輩方の

 

取り組みを伺いながら

 

なかなかに感激し、

 

グッと感動しているいまの自分は

 

そうわるい感じにも

 

なっていないのでは

 

ないかとも思う。

 

 

昭和9年では私の身近にもう一人。

 

長年にわたり手紙の

 

やりとりをしているその方からは、

 

いまも変わらずに

 

さまざまな助言、金言を

 

いただいている。

 

教えていただきたい想い、

 

自己の成長への期待、向上心、

 

学びへの望みは尽きることがない。

 

そしてそれを次の世代たちに

 

人生をよく生きること、

 

人としての強さや優しさ、

 

豊かさにつながる財産となるように、

 

受け伝えてゆきたい。

 

 

昭和9年の3人にふれるたび、

 

自然といろいろな想いが沸き起こる。

 

いま、心から感謝している。

 

 

3つ 再掲します。

 

ヨガ(源流)

 

針と糸

 

令和3年度 節目にあたり