ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】 -34ページ目

ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。

人がチャレンジするとき、必ず何かの壁にぶちあたったり、失敗をしたりする。

 

逆に失敗をしないということは、自身のチャレンジのハードルが低いからだともいえる。

 

本当はある区切りの中で成功という結果を導きたい。

 

受験であれば、合格という成功を勝ち得なければ、浪人生として1年を過ごさなければならないかもしれないし、高校野球において、成功の一つが甲子園への出場だとすると、失敗をすれば、卒業後には、高校野球の甲子園は、もはやかなわない夢となる。

 

しかし、浪人で得た1年の経験は、それを次なる成功へのステップととらえるならば、必ず意味ある1年になる。

 

甲子園に出れなくても、プロ野球という頂点で活躍できる人だっているわけで、その人は高校時代に成果を残せなかったという意味では失敗だったかもしれないけれど、甲子園に出れなかった3年間は無意味かというとそうではない。

 

成功の定義というのは人それぞれだけど、結局のところ死ぬまでチャレンジであり、そこから何かを得て、次に生かされるのであれば、それは成功のための重要なプロセスなのだ。

 

最近、ある重大な失敗を犯した。

まわりは、かなり冷ややかだった。

 

ほらみろ…

とでも言わんばかりに…。

 

でも、私は、そこから多くのことを学んだ。

学んだ代金は相当高額なものになったけど…

 

ただ、今はまだ学びの段階でしかなくて、成果につなげていないから、まだ道半ばだ。

 

しかし、この経験を必ず活かさなければいけないと思っている。

そうやって生かし切れば、代金を補ってあまりある成功を勝ち取っているはずだ。

 

 

と自分に言い聞かせてみる。うむ。

 

昨夜、美方JC12月例会が実施されました。

 

今回、OBとして招待を受けたので、参加させていただきました。

 

とは言っても、コロナウイルス禍での例会、

 

オンラインにて、参加させていただきました。

 

 

メンバーも全員が一同に介さず、数名のメンバーが会場に集まり、そのほかのメンバーは、画面越しというハイブリッド例会でした。


 

 

この写真は、新旧理事長の引継ぎ式の様子。

 

次年度中村せいいちくんにバトンが渡されました。

 

一度消滅しかかった美方青年会議所。

全国からの救いの手があちらこちらから差し伸べていただき、なんとか復活を果たしました。

 

あれから、6年。

 

こうやって来年も会を引き継いでくれる青年がいることにしみじみありがたみを感じます。

 

継続は力なり…

使い古された言葉ですが、その言葉の意味を深くかみしめています。

 

 

おそらく、今香美町は、メディアであることで世間にかなり有名になってしまった。

教育界で発生した事件のことである。

 

もちろん、本人の問題であることは間違いないのだが、私は、少し違った視点でこの事件をとらえている。

 

それは、なぜそんな事件を起こすにいたってしまったのかという背景の部分だ。

 

昨今、教育の現場において先生は過度なプレッシャーの中で生きているように思う。

それは保護者である。

 

自分の子供がきちんとした教育を受けていないという批判をことあるごとにぶつけ、先生は保護者におびえながら生きているのではないか…

そんな気がしてならない。

 

末の娘が小学校に通っているのだが、学校側の親に対する気の使い方が尋常ではない気がするのだ。

 

その責任の一端は我々にもある。

PTAは、parent‐teacher associationの略だ。

 

親の中にあるさまざまな意見をparentが一元的にとりまとめ、その代表がteacherの代表である校長と対峙し問題を解決していく…

というのが本来あるべき姿なのだろうと思う。

 

国会が、国民の代表である議員が集まって法律をつくっていくようになっているのは、それが1億人という国民の意見を束ねるために合理的なわけで、もしこれが直接民主主義のように1億人すべての意見をくまなく聞いてしまうと、とてもではないが収拾がつかなくなってしまうだろう。

 

それと同様で、意見の集約を見ることなく、思い思いに親が直接的に学校側にぶつけていくので、それを収拾させるために、精神的にズタズタになっている面があるのではないか…。

 

だから、親は親どおしでしっかりと意見を重ね、行き過ぎなところはそういった親たちを揶揄したり、議論を重ねて導いたりすることをもっとしなくてはいけないのでないか…

 

そういう機能不全な状況が、もしかしたら、今回の事件の背景にあるのではないか…そんな気がしてならないのだ。

 

私たちが完璧にものごとがすすめられないのと同様に、教員とて完璧であるはずがない。

お互いに信頼しあい、そして、お互いに学びあいながら、成長を続けていくことが今の教育に必要なことなのだと思う。

 

そうであるならば、単なる批判に終始するのではなく、自分たちの足元を見て、まず自らが襟を正さなければならないのではないか…

そう思うほうが、解決の糸口をみつけられるような気がする。

 

子どもたちのケアのために、スクールカウンセラーを置くということだ。
しかし、この問題を親が家庭内で、『あの先生は…』『今の教育は…』そんなふうにして会話してしまったら、子供はそれこそ学校に行くことが不安でしかない。

 

まずはそんな話題を家でしないことが最も大事なことだ。

信頼できないのではなく、信頼するために私たち親に何ができるのか…。

 

そういう話し合いのほうが建設的で前向きな気がする。

 

 

 

 

だんだん年齢が上がるにつれ、自分でもゾンザイになっていることに気づく。

 

昔自分が若かったころ(いや今でも若いと思っているのだけれど…)そういったおっさんたちを疎ましく思っていたが、自分がその立場になってくると、ついついそんなことを忘れてしまう。

 

近所の知った連中にさすがに、敬語で話しかけることはしないけど、だけれど、やはり心の中では若者をきちんとリスペクトできるようにしなくてはいけないと思う。

 

今、デジタル時代の申し子と呼ばれる彼らは、とても優秀だ。

 

おっさんたる我々はやはり、能力は低い。

ただただ長く生きて、たまたま経験値は少しだけ高いのかもしれないけど、人間的なトータルの能力ということでいえば、やはり彼らは優秀である。

 

そして、SDGsとかそういう社会問題への関心も高く、崇高だ。

自己欲求の塊みたいな我々とは雲泥の差である。

 

もう少し自分の身をわきまえ、キチンと対峙できるおっさんにならねばと思う今日この頃。

 

 

ここ数日の世界中の話題は、バイデン氏当確ということだろう。

 

それと同時に、トランプ大統領の動きもメディアは頻繁に取り上げている。

 

集計やり直しとか、提訴するとか、確かに不正がもしあったとするならそれは大きな問題だけれど、それにしても凡人の私がみても、ふるまいとしてどうなのかなぁと思ってしまう。

 

最近のツイートでみつけた記事に私自身は大いに共感をした。

 

 

選挙だけにとどまらず、世の中には多くの勝負事が存在する。

 

オリンピックなどは、平和の祭典だとは言うものの、突き詰めれば勝負の世界である。

 

一つの競技種目には数十人の選手がノミネートされ、そして勝つのは一人である。

だから、ほとんどの人は『勝負』ということで言えば、敗者である。

 

今回の大統領選挙にしても、拮抗した結果だというのだから、それを支持しなかった半分は敗者ということになる。

 

勝負ごとということだけを言えば、一握りの勝者と大多数の敗者でなりたっているのがこの世の中なのだ。

 

しかし、負けたものがグチをまき散らしたり、ましてや暴力などをふるって怒ってみるなどというのは、愚の骨頂である。

 

負けたものは勝者をたたえ、素直にその事実を受け入れ、なぜ負けたのかの敗因をしっかりと分析し、次なる人生にむけて一歩を踏み出す。

それが負けた者の正しいふるまい方だと私は思う。

 

確かに人生をかけて臨んだことへの失望は大きい。

しかし人は生きている限り、いや本当にそれで死んだとしても、次なる世界へ一歩踏み出すことが、世の中をすばらしいものに変えていく。

 

私はそう信じている。