ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】 -35ページ目

ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。

世の中で成功した人を見ていると、その成長の過程においては、決してベストの環境ではなかったということがあるように思う。

 

むしろ、そういう何らかの条件の欠如を補うために、知恵を出し、工夫をし、乗り越えたことが、後々その人の強みとなったりして、他にはない圧倒的な個性につながっていることが多いように思う。

 

もっと、こうだったらいいのに…。

条件の欠如をみて、嘆いてみてもきりがない。

 

スポーツ選手であれば、恵まれた練習環境かもしれないし、企業であれば、資金や人脈かもしれない。

 

成功をつかんだ人というのは、どんな条件であれ、まずはそこで最善を尽くし、決して不満を吐き出さない人だ。


むしろ、どんな状況であれ、ポジティブにとらえられる人だけが成功をつかむ。

 

うむ。

昨今、働き方改革が叫ばれ、定時帰宅とかがだんだんと定着してきている。

 
働きやすい職場が猛烈に推進されており、それを逸脱するとブラック企業だと叩かれる…
 
古い考え方と言われるかもしれないが、思うことを一つ。
 
私が以前経験した現場のことだ。
それは某ショッピングモールの島状になっている店舗の改修をすることになった。
 
島状というのは周囲4周にすべて通路になっている場所である。だから、営業時間にその現場に資材をいれたり、現場の準備すらできない。
そのショッピングモールは年中無休だったので、現場に入るのは営業が終了した22時以降、明け方の8時には現場作業は止める必要があった。
 
工期は2週間…、がんじがらめの時間制約があった。
 
他の現場も掛け持ちしていたので、日中仕事をし、わずかな仮眠をとって、またその現場に入るという感じだった。
 
ちょっとの作業遅れがすべての計画狂わせしまうので、失敗も許されなかった。
 
工事に入るまでに綿密な打ち合わせを業者と行い、何度も何度も工程を作り直す。
 
改修工事ということもあり、解体をはじめれば、当初想定されたこととは状況が異なっていたりして、そこで即座に判断し、代替え案を構築する。
 
体力的にも精神的にもホントに限界な仕事だった。
 
ただ、その体験を経て、自分にとっての『普通』のハードルはずいぶんと下がった。
もし、自分の実力の範囲の中だけでやっていたら、確かに失敗はしないかもしれないが、成長はしたのだろうか…と今でも思う。
 
スポーツなどが特にそうだが、自分を成長させるために、限界を超える体験ということが必要なときもある。
 
根性論を称賛するつもりはない。
だけれど、人が大きく成長するために必要な経験は、ありきたりの状況でできるものではないと思うがいかがだろうか?

日本電産という会社を知っている人は多いと思う。

 

京都に本社のある、あらゆるモーターをつくっている、売上1兆円越えのすごい企業だ。

 

そのCEO永守重信さんは、猛烈に働くCEOとして有名なのだが、一方で、私財百億以上を投入し、京都先端科学大学の理事長も務める。

 

永守さんが京都先端科学大学の理事長に就任する前、京都学園大学という大学だった。

 

『日本が国際的な競争に勝つためには、世界水準の実戦力を備えた人材を育てる教育機関を自分の手で作らなければならない』という考えのもと大学改革に乗り出しそして改名までしたのだが、そのときに京都学園大学をつぶさに見学して回っていたらしい。

 

学生が授業中に居眠りをする風景をみて永守さんは

 

『教授の授業がつまらないから学生は寝てしまうのだ』

と思ったのだそうだ。

 

私は、はっとした。

私が、同じ立場で学校をみてまわったら、きっとこう思うだろう。

『学生は何やってるんだ、しっかりと授業を聞け!』


 

会社の業績があがらないのも、地域が生き生きしていないのも、家庭がうまくいっていないのも、すべては自分。

人に責任をなすりつけた時点で、言い訳しか出てこなくなる。

 

しかし、すべてが自分の中にあれば、どうすれば業績があがるように努力できるのか、どうして地域が生き生きとできるようにできるのか、家族が円満にいくのか…

 

解決策は自分の中にあり、努力をするだろう。

 

 

その違いに、私自身の情けなさに愕然とした。

 

 

 

 

 

 

 

日曜日、テレビを見る時間ができて、子供たちとみていた。

 

こどもたちのお気に入りは、鉄腕ダッシュとイッテQなのだが、コロコロと変えるチャンネルで僕の目にとまったのは、『坂上&指原のつぶれない店』で親のパワハラで、その番組をしばらく固定させた。(こどもたちよごめん…)

 

 

ちょうど画面には、吉野家の裏側を見せるという内容だった。神業的な二人の店長さんに密着取材したものだった。

 

何度も行ったわけではないが、吉野家を利用したことがある。

 

 

日本中どこに行っても、同じ値段で、しかも同じ店構えであるのが、ナショナルチェーンのすごさなのだけれど、やはりそれを支える人には、それぞれのドラマがあるのだなぁと感心しながら見ていた。

 

結局、商品の力といってもそれを支えるのは人だ。
 

人の魅力で、同じ商品を何倍もの売り上げに変えることができる。

おそらく、二人のカリスマ店長も、自分に自信があり、誇りを持ち、そして努力を重ね…

だから人と圧倒的な差を生んでいる。

 

商品の力も、それを支えている人の情熱、努力がつくりだしていくものだ。

こどもには申し訳なかったけど、いい勉強になった。

 

こどもの時間を奪った分だけはさらなる努力をしないとな…。

 

 

 

 

昨日の日経新聞に、花を飾ることで、人々が癒される…そんな記事に目にとまった。

 

確かにそうだと思う。

 

ただ、私が持つ感覚は少し違っている。

私の周囲は、山に囲まれており、いつもどこかで花が咲いている。

それは、世間では雑草と呼ばれている類のものでもあったりする。

 

花を愛でる気持ちが少しぐらいはあるけど、自分自身がそれらをまじまじとみつめることはあんまりないし、むしろ、そういう環境の中に身を置いているというイメージに癒されているというのが正直なところだ。

 

都会の暮らしというものをしたことがないから、どれだけ周囲に花が少ないのかはよく分からない。

 

花屋に行き、買い求めることでしか手に入れることができないものなのかな…

 

いくら都会でも、空き地があって、そこにすこしばかりの花ぐらいは咲いているだろう。

 

要は、日々の忙しさにかまけて周囲を見失うのではなく、自分がそんな環境の中にあることを意識することが大事なのだと思う。

 

さきほど、山にはどこかで花は咲いていると言った。

しかし、学んだり、意識をしないと単なる緑の中に埋もれてしまい、その存在には気づかない。

 

僕の師匠とでもいうべきWさんは、一緒に山に入るとものすごい感度で花を見つける。

 

 

 

花屋で買ってくる花も素敵だけれど、そこにあることを愛でる気持ちになれる自分でありたい。