ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】 -26ページ目

ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。

人生の中でいろいろ衝撃的なことは数あったけど、大学生になり、キャンパスに通うようになったときの衝撃は今でもよく覚えている。

 

高校まで、部活のスポーツに打ち込むことが生活のすべてだったので、勉強が楽しいと思ったことはそれまではなかった。

 

しかし、大学生になり、キャンパスに通うようになって自分の中でおきた変化で著しかったのは、知的欲求を満たされる幸せを感じたことだった。

それは、大学に図書館があったからだ。

 

中学にしろ、高校にしろ、大なり小なり図書室があると思う。

そこには、それなりの蔵書がそろっているのだが、大学の図書館の蔵書数は半端なかった。

 

今でこそ、インターネットで検索すれば、さまざまな情報を得ることができるのだが、当時は、まだインターネットが一般化はされておらず、何かを調べるということは、本当に限られていた。

 

だが、大学の図書館に行けば、ありとあらゆる分野の図書が揃えられていて、何か知りたいことは、図書館に行けば、それに関する蔵書ををみることができたことは、もう自分の中では相当なカルチャーショックだった。

 

おそらく、都会の人ならば、そのまちなり、県立、国立の図書館があって、そこにも相当な蔵書があるのだろうけど、田舎に住んでいる自分には、まったく無縁で、そんな存在すらあることを知らなかった当時の自分にとっては、本当に衝撃的なことだったのだ。

 

そんな学生時代の思い出があるから、図書館がある場所には相当憧れる。

 

先日、養父市に行く用事があったので、そのついでに新しくできた市民会館に立ち寄ってみた。

 

文化ホールと、図書館や自習室、セミナールームなどが整えられたエリア。


 そんな素敵な場所がある養父市…。 とてもうらやましい…。

 

 ないものをねだってもどうしようもないので、時々はここを訪れてみたいと思う。 

 

ただ、少し気になったのは、養父市の人口の大きさからなのだろうか、蔵書の数は、私が思っているより少なかった。

 

 図書館は、まずは蔵書の数が命だ。 

 

人口規模の小さな自治体では財源も限られていて、抱えらえる蔵書にはそれほど多くは期待できないかもしれない。 

 

人間の知的欲求を満たせることは、とても幸せなことだ。 養父市民会館はもちろん養父市民のものだが、そんなちんけなことを言わず広く、域外の人にも開放し、蔵書をもっと抱え、知的欲求が満たせる、すばらしい場所にこれからも成長していただけることを願うばかりだ。



今朝、子どもの部活のために、次男を学校に送り届けてきた。

 

今、私が住む場所の公共交通機関は、日祝祭日は、運休しているので、休みの日の部活に参加するために、こうやって学校に送り届けている。

 

あまり合理的な答えをもらってはいないが、私の住む場所から10キロほど離れているので、自転車で通学することもできなくもないのだが、それは学校から禁じられていて、結局親が送迎をするしかないのが現状だ。

(危険という理由らしいがあまり合理的な理由だとも思えないが…)

 

親としての責任で送迎するのは当然である…という意見もごもっともだとは思うが、子どもが自分の活動をいちいち親の監督下の中で行わなければならないというのは、どうも腑に落ちないところがある。

 

バス路線の運休は、結局のところ自分たちがバス会社の収益にみあうだけの乗車をしてこなかった地元の責任なのだが、有志でお金を出し合って、有賃で送迎すれば、今度は、運送業法という規制に阻まれる。

 

私は地元が好きだし、そういう不便もある程度受け入れる覚悟もあるのだが、この人口減少社会の中で、さまざまなサービスが経済的に立ちいかなくなることで、ますます不便を生じることだけはなんとか避けたい…。

 

今、都市を中心にコンパクトシティの構想が様々動いているところがある。

拡散していく都市機能をコンパクトにまとめていき、公共交通機関、上下水道などをまとめ効率的な行政運営をしていこうというものだ。

 

しかしよく考えてみると、マチの近郊には、なんたらニュータウンなるものが多く存在するが、そもそもそういうところは、我々が住むエリアとさして変らない農村地域だったはずで、急峻な場所をムリクリ切り開いて、住宅化したところも多くある。

 

私が住むこのエリアには、5世紀ごろの古墳が存在するが、何百年も前から人は暮らしていたわけで、そこをコンパクトシティの構想でバサバサと切り捨てていくのは何ともやりきれない感じもする。

 

いずれにしても、通学難民が生み出されている現状を放置しておいても人はこの場所を離れていくだけだ。

もう一歩進んだ頭の切り替えが必要だと思う。

 

 

今年も本格的な冬を前に薪の調達ができて、ほっとしている。

 

うちの会社で、薪ストーブを使うようになって10年ぐらいはたっているだろうか…

 

事務所の主暖房として活躍してくれている。

うちは建築会社なので、材料の調達は困らない。

現場で出る端材を持ち帰るからだ。

 

昨年社屋を移転することになった。

前の社屋の倉庫の二階に大量の木材がストックされていたのだが、新しい社屋にはそれにみあう倉庫を建てなかった。なので、倉庫内に多量にストックされた木材は、倉庫解体の際に、その多くを廃材として処分した。

 

人間不思議なもので、スペースがあればあるほど、そこにものを置きたがる。ストックされていたとはいいながらも、まったく整理されていなかったので、使える状況になっていなかった。

 

ある程度は、木材をどうにか捨てずに保管した。

太さや長さがまちまちなので、薪ストーブの中に投入できるだけの長さと太さに割った。

 

 

今回調達した薪の中には、会長である父がどこかの古民家を解体したときにもらってきた、いずれ材料として使おうと思っていた梁や大黒柱などの大径木の木材も含まれていた。それらは立派なけやきだった。表面は色褪せたりしているが一皮めくればきれいな木目が現れる買えばびっくりするような値段になりそうなものだ。

 

しかし、時既に遅し…

倉庫解体のときに、作業員が、にべもなく切り刻んでしまっていて、もう焚き付け以外のものにはなりそうもない。

 

薪にしながら、とても罪悪感のような感情がわき出てくる…

 

あーどうしてもっと使える状況にできなかったのかなぁと。

 

おそらく、多くの古民家が現在も取り壊されているが、同じ憂き目にあっているものはまだまだかなりあるはずだ。

 

多くを消費する時代は終わった。

あるものを極力まで活かしきる時代にシフトしなければならない。

香美町の人口減少が著しい。

その原因は、はっきりしている。

高校を卒業して、進学でいったんマチを離れ、そのまま、地元に戻ってこないのだ。

 

彼らの多くが、戻ってこない理由に『仕事がない』を挙げている。

 

しかし、これは厳密にいうと誤りだ。なぜなら、令和3年9月の但馬管内の有効求人倍率は1.36であり決して仕事がないわけではないからだ。

 

自分がつきたい職業の選択肢が少ないというのが、正しい文脈だと思う。

 

ただ、私はずっと地元にいて、また自分が経営を担う立場にいるからなのかもしれないが、少し違った感覚をもっている。

 

いつの時代にも、地域の課題は山積している。

課題があるということは、それを解決するための『仕事』が必ずあるはずだ。

 

既存の職業の枠組では、解決できないものかもしれない。

となれば、いままでの仕事の枠から、一つ踏み出した考えや行動が必要だ。

 

いや、むしろ、このデジタル化の時代、未来学者が予測しているように、多くの仕事は機械にとって代わられる。

そうなれば、自分たちが過去に積み上げた仕事を捨てて新しい領域に踏み込むことこそが人間のなすべきことなのだ。

 

機械は、データという過去の積み上げにおいては抜群の威力を発揮する。

AIが未来予測をするといっても、それは過去のデータの積み上げの延長線上で判断するにすぎない。

 

自分たちがこんな幸せな世界を作っていくんだという意思を決して持つことはない。

となれば、人が未来をイメージし、それを膨らませて、行動し、実践していくことが人間がやるべき仕事なのだと思う。

 

そういうことは、若者が最も得意とするところである。

仕事がないと『今』を見るのではなく、自分たちがつくりたい未来はこうなのだ…と大言壮語に語り、チャレンジすること。

 

それこそが若者が行う『仕事』である。

 

そして、おっさん、おばはんは、それを邪魔しないようにすることだ。

 

このコロナによって、安泰とされていた大企業でさえ、苦境に陥った。

そこに就職すれば、安泰が保証されるところはない…ということは明らかになった。

 

つまりは、どこにいても、常に創造し、変革するものでしか生き残れないということだ。

ダーウィンの進化論である。

 

仕事がないという思いこそが衰退の始まりだ。

生きるための種はどこにだって転がっている。

 

それを目ざとく見つけ、形にしていくこと…これが将来を安泰なものにしていく知恵なのだと思う。

 

 

 

 

 

 



衆議院選挙が終わった。

 

毎度のことながら、選挙期間はほぼ選挙事務所に入り浸り、本部と連携をとりながら、選挙活動にむけてのさまざまな準備や、調整を行い、自身も手を振り、車にも乗る。

 

ときどき、

『ニシムラさんは選挙がお好きなんですね』と声をかけられる。

 

今年は特に、町長・町議会選挙、知事選挙、そして衆議院選挙と選挙メジロ押しの一年だったので、そのたびに選挙事務所に入り浸る姿を見れば、そう思われるのも不思議ではない。

 

選挙に関わるようになったきっかけは、某先輩からの半ば強引な(笑)誘いによるものだ。

 

ある人はそんな姿を見て、政治家になったらどうだと言ってくれるのだが、私自身は、政治家になる志などみじんもなく、単にあれよあれよと選挙活動の中心に引きずり込まれたというのが本音だ。

 

ただ、選挙活動を通じて、選挙事務所に多くの人が訪れ、まちづくりのこと、国家のこと、政治のことをいろいろと意見交換をすることは、とても勉強になっているのは間違いない。


一度足を突っ込んだら抜けられない…

それは、選挙には多くの人の力が必要だからだ。好きとか嫌いとかそんなことではなく、誰かが支えないと選挙は戦えない。

それを他人任せにせず、自分事と感じているだけだ。


 

選挙活動を通じて思うのは、政治と生活は一体のものであるのだが、多くの人はまったく別物と考えており、そこに多くの誤解があるように思う。

 

例えば、国防の話。

私たちの生活の中に他国の侵略とか、そういうものを感じる場面はほとんどない。だから、それは国会での話であり、自分たちの話ではないと思う人はいるだろう。

 

だけど、漁業や水産加工業などの方と話をしていると、排他的経済水域に他国の漁船が不法に操業していていて、それが自分たちの漁業にも影響を感じているという話を聞けば、自分たちのマチの問題でもあることに気づく。

 

そういう自分たちの生活の延長が、国につながっているということなのだ。

 

自分は、もっと幸せで暮らしやすい地域になりたいと願っていて、ほとんどの人がそう願っているはずだ。その延長が、たまたま選挙の応援という形になっているだけなのだ。

 

私が暮らすマチは、県内でも有数の過疎地だ。

都市、過疎地、日本という国にもいろいろなグラデーションがある。

 

ともすれば、人が集まるところに、さまざまな資源が集中し、ひいては、意識も集中してしまいがちだ。


だけれど、日本が日本らしい所以は、そのグラデーションがあるからであり、もちろん過疎地のように、人口の密度は極端に少ないが、さまざまなベネフィット…食料、水、空気、木材…をもたらし、日本という国を構成する大事な要素なのだ。

瑞穂の国と呼ばれるように田畑がある風景は日本そのものだ。

 

とかく田舎は被害者意識を持ちやすい。

しかしそうではない。さまざまなグラデーションの一つの構成要素の中に私たちは生きているだけであり、それが失われたら、日本そのものが失われてしまう。

 

だから、国にもそういう感覚を持った人を送り届け、これからも日本らしさをずっと形づくってくれるようにしていくことが必要だ。

 

そのための選挙運動や、活動なのだ。そのことを多くの人にも理解していただけるよう今後もやっていきたいと思う。