ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】 -27ページ目

ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。



いよいよ選挙戦も終盤を迎えた。

 

私は、地元出身の立候補者の支援のため、毎日選挙事務所を訪れている。

昨日からは、沿道での朝立ちもはじまった。

 

通勤途中の人に、少しでも気持ちよ届け…

 

そんな思いで、手を振る。

 

右に左に、通勤の車がひっきりなしに往来する。

そんな光景を見ながら、ふと思った。

 

通勤の乗用車に乗っているのは、一人が多いが、たかだか50~70㎏ぐらいの人を乗せるのに、1tぐらいの鉄の塊が通り過ぎていく。

 

間もなく、イギリスでは、地球温暖化防止会議が行われるらしいが、確かにこれらの移動に使われるエネルギーは半端ない…。

 

普段見慣れた当たり前の光景なんだが、今日は、不思議とその光景が異常に思えてきた。

 

コロナウイルスの蔓延で、私自身もリモートでの会議やワークが増えてきた。

まだまだ世間でいうほどの活用ではないけど…。

 

製造業や、建設業など多くの業種では、その場に行かなければ仕事にならないことは多い。

でも、打ち合わせや事務仕事では、パソコンを前にすればできることも多くなってきた。

これまでは出勤することが当たり前で、打ち合わせのためには、移動することが当たり前だった。

でも行動が変容し、そうでないことが増えてきたことは、時間の節約するためにありだと思う。

 

しかし、この車社会の中で、相当のエネルギーを消費して生きていく世の中は、やはり時代にそぐわないのだろう…。

エンジンのかからない車を人の力で押すときに、ちょっとやそっとでは動かない。

 

それが、エンジンをまわせばいとも簡単に動いてしまうのだ。

そのエネルギーの大きさたるや。

そんな思いがもたげてきた。

 

国道9号線の端で考えたことはそんなところだ。

 

 

 

私は、日経のスポーツ欄のカズこと三浦知良さんのコラム『サッカー人として』を毎回楽しみにしている。

 

カズさんならではの心境なのだろう。日本代表が批判されると自分自身が批判されているように感じるらしい。

 

ずっと、日の丸を背負ってきたキングにとっては、そうなのかもしれない。

 

 

いつの時代でも世の中は、批判で渦巻いている。

 

今回だって、コロナウイルス禍での政府の対応は特に顕著だ。

 

ワクチン接種は、医療従事者が主体となって進めていただいているから、それと直接な関係を持たない人にとっては、自分とはかけ離れたところで進んではないかと思えば、それは批判の対象になるだろう。

 

しかも今はSNSの時代だ。そういうことが、嫌が上でも目に入る。

 

しかし、カズさんのように、今はサッカー代表とは距離を置いていても、自分ごとだと思えば、そうやすやすと批判をすることはないはずだ。

 

カズさんはこう付け加えている。

『もしも(サッカー日本)代表が最低と言われるなら、招集されない僕らはそれ以下で最低だ』と。

 

そう、サッカー界の批判は自分事だととらえていて、もっと自分ががんばって、日本サッカー界の底上げをするのだと。

 

日本で渦巻く批判は、自分たちに投げかけられたと思えば、あんなに腹立たしく思うことはないだろう。

自分たちが、もっと努力をすれば、コロナ対応もスムーズに行き日本は世界をけん引できるはずだ。

 

そう考えてみようではないか。

 

 

 

 

 

美方青年会議所40周年が挙行され、OBが招待されその一人として参加してきた。

 

今年は、コロナ禍の中にあり、現役メンバーも実施するかどうかで随分と迷ったようだが、来賓をまったく呼ばず、OBだけの出席となった。

 

私はJCに18年間在籍した。

まさに自分自身の青春はJCと共にあり、それだけ特別な思い入れのある組織だ。

 

中村理事長をはじめ、コロナという見えない敵を前に、本当に苦しい一年だったと思う。

それだけに、この式典にかける意気込みはすさまじく、所作を含め一生懸命に練習したことが感じられ、心から感動した。

 

式典の最後にプレゼンテーションがあり、2030年に向けてのビジョンを語ってくれた。

 

『誰にも未来はわからない、でもたどり着きたい未来がある』

 

世界中が新型コロナウイルスによって、蔓延する姿など誰が想像しただろう。

しかし、その中でも一筋の未来を見つけ、今日、私たちの前で見せてくれた姿は、まさにたどりつきたい未来の一つだ。

 

持続可能な地域をつくる…。そこに生きる人が生き生きと暮らす社会。

彼らからの勇気を受け取り、私たちも持続可能な地域をつくる一人として努力したいと思う。

 

 

 

 

 

 

よく災害などへの対峙するとき、自助、共助、公助が大事だとよく言われる。

 

まずは自らが解決をする。

それがかなわなければ、近しい人たちで、助け合う。

それでも解決しないことは、国などの公の仕組みなどで解決していく。

 

そんなふうに教えてもらった。

 

しかし、今の世の中は、自助が抜け、共助も抜け、公助だけに頼り切っている気がする。

 

行政サービスの向上の名のもとに、さまざまなことが公の力でやってくれる世の中になり、また社会の進展に伴い、お金を出せば、あらゆることがしてくれる時代になった。

 

ずっと昔、人は自らが食料を手に入れることで生きながらえた。

それができないものは、飢え死にするか、野垂れ死にするか…そういう時代があった。

 

これからどんな社会が待ち受けているかわからないが、どんな時代がやってこようとも、そういった社会の変化に機敏に対応できるのは、やはり自助できる人間だと思う。

 

だから、どんなに社会が便利になっても、その精神は持ち続けなければならないと思う。

 

 



建築の仕事に携わっている中で、日に日に思いが強くなっていることがある。

 

それは『建物は建物だけにあらず』ということだ。

理想の家、理想のお店…

日々向き合う顧客は、そのことで頭がいっぱいだ。

 

もちろんそれは当然のことだ。

だけど、いかにして美しい建物ができあがっても、それが周囲と調和していなければ、その価値は半減する。

 

建物はできあがった瞬間から、古びてくるものであり、5年、10年すれば、目新しさもなくなっていく。

 

でも、経年変化していく中で、それでもやはり美しさを醸し出すのは、雑草が生えず、丁寧に整えられた周囲の庭先であったりするのだ。

 

私は、何も周囲に庭をつくれと言っているのではない。もちろん経済的に余裕があれば、しないよりしたほうがいい。

だが、それよりも何よりも大事なのは、歩道の端から伸びきっている雑草を放置しないことだ。

 

そうやって手入れするだけで、そこはすごく輝く。

 

私は、会社の前の道路敷地も草を刈る。目の前を通るのは、県道や、町道であるにもかかわらずだ。

夏に一度だけ、県土木が草刈りをしてくれるが、その一回ではやはり不十分なのだ。

 

会社内の敷地にあわせ、年に4回から5回ぐらい行う。

そうすると、不思議と建物と周囲になんともいえない雰囲気が醸し出されていく。

 

地域の人みんながそこを意識できるようになると、家はおろか、地区に美しさが醸し出され、それがどんどんと広がっていく。

 

『なんだかしらないけど、ここの地域は居心地がよい…』

 

そう思わせるのだとしたら、道の前の雑草の生え具合を見るといいだろう。