ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】 -28ページ目

ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。

 

 
前豊岡市長の中貝さんが、ジェンダーギャップの解消を重要な政策として掲げていて、テレビのニュースでも取り上げられて話題になったことを思い出した。
 
地方の人口減少は著しいのだが、豊岡市が調査した結果によると、高校を卒業し、次の進路を選択するとき、大学や専門学校で、一旦自分の町を離れる人は多いのだが、その後学業を終えたときに、男性に比べ女性のUターン率が極端に少ないということがあって、その原因は、田舎が男性中心の社会でなりたっているということにあるからだと確か結論づけていたように記憶する。
 
私のまわりでも、コミュニティが男性中心の社会であることは間違いなく、それが人口減少の原因なら大きな問題だなと感じるようになってきた。
 
私は、うづかの森という宿泊施設を経営していて、その運営の中心は妻が担ってくれているのだが、昨年からコロナ禍の影響で宿泊が壊滅的なダメージを受けるようになり、その打開策として、パンを製造販売することになった。
 
水曜日から土曜日までの週4日の営業をすることになり、製造と、販売のリーダーである妻はパンを販売するようになってしまってから、帰宅がだんだんと遅くなってしまって、夕食も準備ができない日もたびたび出るようになってしまった。
 
私はそれまで、亭主関白を貫き、家事の一切を妻に任せていて、ほんとに家では何もしてこなかったのだが、さすがに、それでは家が回らなくなり、週のうちの何日かは、私が夕食、洗濯、掃除などをする時間が増えてきた。
 
これまでまともに家事をしてこなかった私にとっては、毎回あたふたするばかりだし、今までは会社で働くことだけを考えてきたので、家事をやってもまともにできたためしはなく、女性の大変さの、ほんの一部分だけを理解したような気分になっている。(妻に言わせれば、まったくのダメなのだが…)
 
身内で言うのも何だが、その新しくはじめたパンの事業に精力的に取り組む姿をみて本当に頭がさがる思いだ。
 
同時に、家事をする機会が増えて、時々妻の帰りを待ったりしながら、あーー、これが世間でいうところの男女平等な社会なのかなと思うようになってきた。
 
女性を解き放つとこんなに力を発揮するのかなぁと感心している。
 
もしかすると、主夫に徹して、会社を回すのは全面的に妻に移行いたほうがよいのかも…と思うこともあったりする。
 
田舎の男性中心社会を切り崩すのは、なかなか一筋縄ではいかないが、一番身近な家庭からがまずは最初の一歩なのだろうと身を持って感じている。
 
若い人たちが自分のふるさとで生活をしたいと思える地域をつくるためにジェンダーギャップを壊すためには先ずは男の意識の変化というのを肌身で感じている今日この頃である。
 
 

先日、2年目を迎えた田んぼの収穫を終え、今朝、籾摺りを行い、ようやく新米を手に入れた。

うちには、籾摺りの機械がないので、地元のN氏の機械をお借りて作業を行った。

 

作業をN氏に手伝ってもらいながら、彼がぽつりとつぶやいた。

「あと、5年もすると、このあたりの田んぼはどうなっちゃうんだろうね…」

そんな投げかけがあって、うちの村で稲作をしている人を頭に描いていると、あることに気づいた。

 

うちの村で、田んぼをやっている最年少が45歳だということだった。

その次が、49歳、54歳…若い人で稲作を誰もやっていないという事実。

 

私の村は典型的な中山間地にあり、小さくしかも、法面が広いので、草刈の量も膨大だ。

自分のところで食べる米ぐらいは自分で作ろう…というのが、このあたりの百姓のモチベーションで、それで稼ごうという人はほとんどいない。私も、自分で米作りをし始めて分かったのは、ビジネスとしてのコメ作りでは、驚くほどもうからないということだ。(もちろん、知恵や工夫で儲けている農家もいるのだが、この地域ではそれは本当にわずかだ)

 

だから、普通に考えれば、今作っている人が引退すれば、その場所を引きつぐのは、自分の家族ということになるが、それを引き継げる人がどれだけいるかというと、儲からないのに子どもが引き継ぐということにはなっておらず、それを近所の人が補ってくれることもない。5年後の姿は、今のままでいけば、耕作放棄地だらけになり、極端な話、この村から農業がなくなってしまうかもしれない…

 

そんなふうに想像してしまった。

 

実はその前日、中田敦彦のyoutube大学で、『google式仕事術「やらないことリスト」』編を夜な夜なみていた。

 

 

中田氏はyoutubeの中で、成功するためには、「やらなければならない」ことをとにかく減らせ…とその著書を引用して語っていた。

 

おそらく、それは真実だろう。

 

では、この村でがんばることなく続けることができるのか…つまりは、自分の気持ちを奮い立たせることなしに、この景観を守り、この地で暮らしていけるのか…

 

そんなことが頭をもたげた。

 

googleといえば、世界で最も株式時価評価の高い企業の一つであり、世界の最先端を走っているところであることは周知の事実だ。

そういうところは確かに、やらないことを決め、最も価値があると思われることだけに集中しなければ、競争優位を保てない。

 

しかし、それが、この辺境の地にまったく当てはまるのか…というとそれは違うと思う。

ローカルの経済、文化というのは、ある意味その対極にある場所だと思う。

 

むしろ、やらなければならないことだらけだ。

草刈りや田んぼの維持などは、やらなくてもいいのであれば、やりたくないと多くの人は思っているだろう。

 

やりたくないことを受け入れつつ、その中から喜びや楽しみを見出して、地域を回す…そういうことなんだと思う。

 

日本の多くの地域は、危機に瀕している。

地域が滅びれば、いずれ国は亡びるだろう。東京や大阪だけの都市部だけで世の中が回るつづけることはない。

世界の中心とはまた異なった世界観をもちながら、もう一つ高い何かをみつけなくはならない気がする。

 

 

 

 

 

私が住む田舎には、会社組織ではないさまざまな組織がある。

 

代表的なのは、業界の団体だ。

また、JCなどに代表される社団法人的な組織もある。

 

私の経験を一つお話したい。

私はJCに20年間在籍したが、入会した当時、40名ほどのメンバーだったが、私が卒業する数年前には、存続が危ぶまれると事態まで人数が減少した。

 

当初は、人数が多いこともあって、事務局員をおいていて、その方が会議の案内などの事務を担ってくれていたし、また、物理的な事務局があったことで、会議はそこで行われていた。

 

JCは、補助金などを一切得ず、会員だけの会費だけで成り立っている。そうなれば、当然、事業費は会員の会費からのみで運営されることになる。

 

人数の減少に伴い、事務局員などを雇う費用の割合が増えて、事業費が減少していった。

そして、あるとき事業費がまったくないという状況に陥ることとなった。

 

それを機に非常に優秀な事務局員さんだったが辞めていただき、事務局の賃貸もやめた。

そうなれば、当然事務局機能は、メンバーの誰かが担わなければならなくなった。


10年前ぐらいの話だ。

しかし、インターネット環境が整っていたことで、なんとか事務局機能を維持することができるようになった。

 

今はどうかというと、さらにオフィス環境は進化し、会議は、リモートでできるようになり、資料はクラウドで保存できるなど、いわゆる物理的な事務所というものが不要でもことがすすめられるようになっている。

 

先日、美方JCの現役たちに聞くと、年会費は、6万円ほどだという。

私のころは、12万円だったが、さきも述べたように、事業費が捻出できなかったが、今は固定費がなくなり、年会費が少なくてもさまざまな事業ができる状況にある。

 

私の身の回りを見渡してみると、特に地方は、人口の減少が激しく、諸団体が固定費の圧迫て存続できなく、本来の機能が果たせていない組織はけっこうあるように思う。

 

もちろん、事務局すべての存在を否定するものではないが、オフィス環境が劇的に変化しているという事実は大いに認識すべきだ。

 

先日、私の住む兎塚(うづか)地区で、避難指示が発令された。

私の認識では、この地域で避難指示が出されたのは初めてではなかったかと思う。

 

私はyahooの天気予報をよく利用していて、雨雲レーダーの画面や、天気図は天気予報を同時に確認するようにしている。

yahooの天気予報では、位置情報と連動していて、私の地元は香美町として表示される。

もちろん、それは間違いはないのだが、香美町は南北に約40キロと広く、香美町とは言っても、最も南部に私の住むハチ北は位置しているので、数キロ行けば養父市になる。

だから私は、通常天気予報は、香美町と養父市の両方を確認し、そしてなおかつ雨雲レーダー、天気図などから、最終的に自分自身の経験や勘も総動員しながら天気を予測している。あの天気予報だけを鵜呑みにはできないのだ。

 

さて、避難指示がだされた当日、ときおり雨雲レーダーを見ていると線状降水帯というやつだろう、真っ赤(極度の降雨)に表示された雨雲が、島根あたりから鳥取にかけて分布し、その雨雲が東に移動しながら、ちょうど山を越えて私たちの住むハチ北周辺にもときおりさしかかるようになっていた。

 

だから、このあたりにかなり激しい雨が降ることは自分でも想像できた。

実際、時折、バケツをひっくり返したような雨が降り、普段ほとんど水のない谷筋からどっと水が流れていることもあった。

 

なので、おそらく避難指示を発令した行政などもそういったデータをもとにした判断だったのだろう。

 

では実際に、それによって行動をうつした人がいたのかというとそれはほとんどなかった。

なぜなら、その日ある団体の総会が開催され、みんなそこにいたし、何より、その総会会場が避難場所に指定されてる公民館だったのだ。

 

私たちが、実際に危険な状況にあったのは間違いはないのだが、私たちが住むハチ北は山間にある集落でもあるため、そのほとんどが、土砂災害警戒区域に指定されて、皮肉なことに、避難場所とされている地区の公民館も土砂災害警戒区域内だ。

 

私の認識では、公民館は安全を担保される場所ではないのだ。


ハチ北の多くの家は民宿旅館をやっていて、鉄骨3F、4F建ての建物がざらにあるので、土砂災害からの一次被害をさけるのであれば、外から直接土砂の被害を受けるであろう1階を避けて上階に逃げ込むのが最も安全な方法だと私は思っている。

 

それが正しいかどうかは専門家の判断を仰ぎたいところだが、どうすれば安全なのかということをしっかりと認識し、本当に必要な手段を講じていくべきだと私は思っている。

 

今回、行政の避難に対する情報の伝達も変更され『避難勧告』という言葉は使わなくなったと聞く。またレベル1~5までの重要度で表示するようにもなった。

 

私の村でそれが何を意味しているのかということを理解していた人はほとんどいないだろう。私も実際よくわかってはいない。

 

今後いつどのような災害に見舞われるかは誰にもわからない。

 

今回の避難指示によって、われわれはどう行動したのか…


世の中の防災意識は確実に高まっているが、まだまだ他力本願的だ。


自分の命は自分で守るのが原則だ。しかし、一人の力には限界があり、地域で協力してやることで、一人ではなし得ないレベルの安全が確保できることが多いのが現実だ。


しっかりと検証し、次の有事に機動的に対応できるようにしたいものだ。



 

 

緊急事態宣言5回目が発令された。

今回のデルタ株というのは相当に手ごわいらしく、さらには、これまでの感染と異なり、30代、40代の重篤化が増えているそうだ。

 

 

緊急事態宣言で行動の制限を行っていく中である程度すると、感染者数も下がり基調がくることだろう。

そして、緊急事態宣言を解除し、人の行動も少し活発になる。また数カ月すると、感染者はまた増え、政府は緊急事態宣言を発する。

 

こんなことがしばらく続くのではないかと思う。

結局のところ、ワクチン接種がある程度進んで、集団免疫が獲得できる数年後にならなければ、本当の感染終息にはならないような気がする。

 

となれば、もはや、コロナと共に生きていく社会をつくっていくことしかないような気がする。

これまでどおり、中止中止とするのではなく、感染症対策をさらに強化した対応をスタンダードとし、そういった中でさまざまなことを行っていく…。

 

そういう社会だ。

飲食店も営業停止にするのではなく、飛沫防止対策がさらに強化されるような措置、例えば強制換気の取り付けやを義務づけるとか、個室だけで食事をするとか…営業はできる前提でさらなる強化をはかるるというやり方をさぐっていく。

 

人が集まるイベントも、禁止にするのではなく、感染対策のレベルをさらにあげて、イベントは実施する。

 

『中止』という選択肢を除き、できるとすればどういう方法があるのか…そのことを考えて実施する。

 

逆に、かつてやっていた会議などの類は、コロナだから中止するのであれば、そもそもそれをやる意味があったのかということでもある。

そんなものはとっくに廃止したらいい。

 

そうやって、本当に必要なことを取捨選択していく。

そういう社会に舵切をしなくてはいくべきではないか…