香美町の人口減少が著しい。
その原因は、はっきりしている。
高校を卒業して、進学でいったんマチを離れ、そのまま、地元に戻ってこないのだ。
彼らの多くが、戻ってこない理由に『仕事がない』を挙げている。
しかし、これは厳密にいうと誤りだ。なぜなら、令和3年9月の但馬管内の有効求人倍率は1.36であり決して仕事がないわけではないからだ。
自分がつきたい職業の選択肢が少ないというのが、正しい文脈だと思う。
ただ、私はずっと地元にいて、また自分が経営を担う立場にいるからなのかもしれないが、少し違った感覚をもっている。
いつの時代にも、地域の課題は山積している。
課題があるということは、それを解決するための『仕事』が必ずあるはずだ。
既存の職業の枠組では、解決できないものかもしれない。
となれば、いままでの仕事の枠から、一つ踏み出した考えや行動が必要だ。
いや、むしろ、このデジタル化の時代、未来学者が予測しているように、多くの仕事は機械にとって代わられる。
そうなれば、自分たちが過去に積み上げた仕事を捨てて新しい領域に踏み込むことこそが人間のなすべきことなのだ。
機械は、データという過去の積み上げにおいては抜群の威力を発揮する。
AIが未来予測をするといっても、それは過去のデータの積み上げの延長線上で判断するにすぎない。
自分たちがこんな幸せな世界を作っていくんだという意思を決して持つことはない。
となれば、人が未来をイメージし、それを膨らませて、行動し、実践していくことが人間がやるべき仕事なのだと思う。
そういうことは、若者が最も得意とするところである。
仕事がないと『今』を見るのではなく、自分たちがつくりたい未来はこうなのだ…と大言壮語に語り、チャレンジすること。
それこそが若者が行う『仕事』である。
そして、おっさん、おばはんは、それを邪魔しないようにすることだ。
このコロナによって、安泰とされていた大企業でさえ、苦境に陥った。
そこに就職すれば、安泰が保証されるところはない…ということは明らかになった。
つまりは、どこにいても、常に創造し、変革するものでしか生き残れないということだ。
ダーウィンの進化論である。
仕事がないという思いこそが衰退の始まりだ。
生きるための種はどこにだって転がっている。
それを目ざとく見つけ、形にしていくこと…これが将来を安泰なものにしていく知恵なのだと思う。