ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】 -25ページ目

ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。

 

このたび、防寒着を新調した。
 
1月もすでに半ば…
ちょっと来るには遅すぎた感があるが、社内でいろいろ調整をしていたら、こんな時期になってしまった。
 
これまでは、いわゆる作業服メーカーのものを購入していたが、今回奮発して、モンベル製のものにした。
前回のものは、確かに値段はお手頃だったけど、1シーズン目の早々に破れてしまった。
 
なので、ちょっと値が張っても、機能性や、堅牢性のあるものにしようと思って、最初からモンベルを狙い撃ちだった。
 
社内からは、少なからぬ反発もあったけど、実際モノが届いて、細部がやはり作りこまれている印象があって、まあよかったかなと思う。
 
私は、建設業は究極のアウトドアアクティビティだと思っている。
雨や雪など、過酷な状況の中でも仕事を進めなければならない時があるからだ。
 
そんな状況の中でもできるだけ快適な状況に保つには、やはりアウトドアメーカーのウェアは優れている。
 
そして、もう一つは、建設業に対するイメージを少しでも変えたいという思いもある。
 
私は、冬はスキー、夏はトレランや登山など、アウトドアアクティビティが好きだ。
アウトドアのマーケットは右肩上がりの状況を続けているし、都市部の百貨店に行けば、アウトドアメーカーが年々席捲していることが分かる。
 
なぜか、アウトドアでやることに違いはないはずなのに、建設業というカテゴリーに変わると、何となくやぼったく見えてしまうということになんとか抗いたかったのだ。
 
ジャケット一枚で、世の中の建設業に対するイメージを払拭することは不可能かもしれない。だけれど、若い人に、建設業はかっこいいな…
そんあふうに思ってもらえる一助になればとも思う。
 
モンベルさんには一切お金をもらってないけど…この際、モンベル×西村工務店ということで、今日のタイトルを締めてみた(笑)
 

前豊岡市長の、中貝さんのfacebook記事にポストされていたyoutube動画を見た。

 

 

 

 

私も以前、中貝さんがジェンダーギャップの問題を取り上げたことに対して、自分なりの思いをブログにも書いてみた。

 

 

私は建設業を営んでいるが、社員15名のうち、総務職の女性が2名いるだけで、あとは全員男だ。

 

建設業は、男性中心の職場だという固定観念があり、それを疑ったものはそう多くはないだろう。

だが、ここにきてほんとにこれは会社として正常な姿なのか?と疑問に感じるようになった。

 

いわゆる肉体労働という面で言うと男性が圧倒的に優位であることは間違いない。

しかし、私の会社では監督職をするものが多く、実際のところ業務は圧倒的に知識労働が大半を占めている。

 

そうなれば、そこには、男性とか女性などといった性別による優位性などはまったくなく、仕事ができることとはまったく関係がない。

 

これは仮説だが、もし、この田舎に有能な女性がいても、こういった社会の仕組みで埋もれた人だらけだとするならば、それは相当に問題だなと感じている。

 

人手不足が叫ばれているが、足元に多くの眠れる人材が掘り起こされれば、そういった問題も解決していけるだろう。

 

ジェンダーの問題を解決することで、田舎が抱えるたくさんの問題が一挙に片付く可能性があるのでないか…そんなことを感じる。

旧態依然の発想では、ものごとがうまくいかない時代だ。

過去を疑って、あらゆるところを変革していかない限り、田舎に未来はない。

バルト三国リトアニアはデジタル化がもっとも進んだ国として有名だが、第2次世界大戦後、ソ連という大国の中の一部に編入され、自治を奪われてしまわれた時期がある。

ソ連の崩壊によって、リトアニアは自治を取り戻し、その際に、電子の中に政府を構築することによって、たとえ同士が世界中に離散しても、サイバー空間の中で、同胞たちが、したたかに生きていけるようにするということだった。

 

その話を聞いて、これは今の地方でも同じことがいえるのではないかと思った。

 

平成の大合併を経験し、元あったまちはなくなった。

何百年と続いた、地域がなくなったが、依然として、そのアイデンティティは残り続けているように思う。

 

となれば、リトアニアよろしくサイバー空間に、その自治体を残し、日本中に散らばった人々の心のよりどころのようなものがあれば、形こそなくなっても、それは地域として存在していけるのではないか…

 

 

そんな思いがしてきた。


ふるさとから、まったく距離をおいて生きていってもそれは人の自由だ。

 

しかし、ふるさとに多少の未練やつながりのある人が、たとえ1日でも、1時間でも自分のふるさとに思いを馳せるようなそんなサイバー上の自治体があってもいいのではないか…

 

今、デジタルの世界がそれを可能にし、もしかすると、これまでとまったく異なる古くて新しいコミュニティが存在し続けるのではないか、そんな思いがしてきた。

 

地域というつながりをもった人通しがつながるサイバー空間上のふるさと。


もしかすると、おもしろいことができそうな気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

河本先生のツイートから立て続けに、いくつかのツイートをポストした。

なぜ、私が、ここまでしつこくツイートしているのか、その背景を少し話をしてみたい。

 

私の地元に、村岡高等学校がある。

昨年、私の息子がそこを卒業した。

 

村岡高校は、今は一学年2クラスの小規模高校だ。

かつては、6クラスぐらいあったらしい。この高校も、御多分に漏れず、少子化の波、そして過疎化の波で、生徒数を減らしてきた。

 

このまま何もしなければ、学校は廃校にならざるを得ない。

そして、そうなれば、地元の子どもたちは、地元では学ぶ高校がなくなってしまい、遠く離れたところに通うしかなくなる…そういう状況になっていた。

10年ほど前だったか、年々減り続ける生徒数に危機感を抱いた村岡高校は、改革に乗り出した。

 

一つは地域課題を自らが解決する能力を養う『地域創造』というクラスをつくること、もう一つは、兵庫県の公立高校ではほとんど例のない、全国募集が可能となるコースをつくることだった。そして、『アウトドアスポーツ』が学べるコースを新設し、全国から生徒を募集できるようなった。

 

アウトドアスポーツコースを新設し、各方面からも生徒が集まるようになってきたのだが、次の課題が現れた。それは下宿の問題だった。

もともと地元の子どもたちに限定した学校だったので、高校には寮はなく、学校のすぐ近くには下宿先になるところがなかった。

 

ある人がそこに名乗りをあげ、下宿をするに至るのだが、十分ではなかった。

 

それとは別の問題が私の地元ではおきていた。私はハチ北に住んでいるのだが、ハチ北も旅館経営者の高齢化の問題があり、旅館を承継できない事案がポツリポツリとでるようになってきてハチ北の中でも大きな旅館が空き家となってしまったのだ。

 

かねてから、旅館の空き家に何とか手をうたねばならないと思っていた私は、前のオーナーからその物件を譲渡してもらったのはいいが、なかなか手をつけられず、放置した状態が続いていた。

 

私は、以前、地域課題を話し合う町の諮問機関の委員を務めていた縁で、学校の評議委員に名を連ねさせていただいて時々学校に出向いてさまざまな課題について話し合っていた。

あるとき、学校の先生が私のハチ北での物件の話を聞きつけ、高校生の下宿として受け入れられないだろうかと相談を受けて、受け入れをはじめることにしたのだ。

 

一年目、募集をかけたが、全く応募がなかった。

それは、ある意味当然でもあった。私が提供している下宿は、学校から10キロほど離れているため、高校生たちは、バスなどの足を確保する必要があったからだ。

 

しかも、バス路線も実は全くの不十分な状況だ。

ハチ北の路線は、日祝日は、バスが運行されないのと、バスの本数が少なく、まして夕方以降は早々に最終便が出てしまい、部活などで遅くなってしまうと、バスに乗って帰れないからだ。

 

二年目の今年、4名の高校生が来てくれることになったのだが、この問題を解決する手段として、運転手になっている人を雇い、自分のところで送迎をすることにした。

 

これで足の問題は一応は解決されたのだが、日曜日など学校行事がないときは、送迎サービスは提供できていないし、学校に行く時間は朝だから、全員をまとめて送れるのだが、帰りはそれぞれが自分たちの部活をやっているので、誰かが誰かに合わせざるを得ず、まったく彼らの意思で通学ができないという状況になっているのだ。

 

運転手をお願いしているTさんも、高校生の希望にはできるだけ沿うよう頑張っていただいているのだが、正直、送迎サービスは経営面から言うとかなり負担になっているのは事実だ。

 

実は、この『足』の問題は、私が受入している高校生だけの問題だけではない。私の子どもをはじめ、この地域で暮らす子供たちも、自分たちで自由に行き来する手段を持っていないのだ。

 

中学に通う次男も、高校とほぼ同じ場所にあるのだが、休みの日の部活では親が送迎をしているのが現状だ。

 

路線バスの運営も自治体はかなりの助成をして、何とか地域の足を確保はしてくれてはいるものの、あまり利便性がよくないために、空で走っているバスをみかけるのは日常茶飯事だ。

 

路線バスを補助金で支えるという仕組みはもう崩壊しているといっていいだろう。

 

これから、先もずっとこのやり方が続けられるわけがない。

 

これから先、交通弱者を救う道は、ライドシェアしかないのではないか…

私はそう考えている。

 

この地域の大人たちは、だいたいがマイカーを所有しており、毎日、通勤の行きかえりをしている。

私も会社がある4キロ離れた場所に毎日マイカーを走らせているのだが、私以外が乗る座席はほぼ空いた状況になっている。

 

そこをUBERのようなライドシェアサービスを使って、自分で移動する手段を持たない人たちに利用してもらうのだ。

 

もちろん、私は、子どもたちが通学したい時間よりも早く出ているし、まして、中学校や高校の途中に事業所があるので、なかなかその対象にはなりにくいかもしれない。

しかし、私の会社の近くに住んでいて、通勤時に、その学校の前を通る人がかなりいるので、何度かはしごすれば、学校にたどりつくことができるはずだ。

 

今は、スマホの時代。子供たちが通学したい時間に最適な通勤者をみつけることができれば、こどもたちをわざわざ送り届けたり、迎えに行ったりということをしなくても、つまり私たちの日常をほとんど変えなくても、通学することが理論上は可能だ。

そして、そうやってシェアができれば、個々の経済負担も損なわれないし、利便性も増すだろう。

ライドシェアが実現できる社会というのは、そういった地域課題の解決に大きな望みをつなぐことができるのではないか…そんなふうに思うのである。

 

今、日本では、ライドシェアは、運送業界の反対もあって、まったく進んでいない。また、運送事業者出ない人に、人の命を預けたり、また自身が他人の命を預かったりすることに躊躇する人もいる。

 

しかし、持続可能な地域であるために、これまでの仕組みではまったく成り立っていかないのは明らかだ。

何かを変えないと何も変わらないのだ。

 

私も、問題提議ばかりしても何も変わらないと思い、ライドシェアサービスの一つである、nottecoのドライバー登録を先日した。

まだ知られてもいないから、利用する人はまだ現れていない。

 

これから冬シーズンを迎え、ハチ北に多くの人が訪れる。

大阪や神戸からの日帰りツアーバスは存在するが、マイカー以外でここを訪れる人はいない、というか現在の仕組みではたどりつけない。だから、誰かが私を見つけてくれて、ライドシャアしてくれれば、ハチ北にたどり着けるようになる。

 

 

今社会ではしきりにDXが言われている。シェアリングサービスがちゃんと根付き、地域の足の問題が解決されるよう願うばかりだ。

 

 

『磨く』という言葉がある。

 

これは、本来あるものを、まさに磨き価値あるものとすることだ。

 

磨く前提になっているものは、それなりのポテンシャルがあるということ。

 

一方、新しい価値を創造するという言葉がある。

 

ゼロをイチにするのは、とても難しいことだ。それができる人は確かにすばらしいが、おそらく世の中には、ほんの一握りのものしかいないと思う。

 

しかし、磨くということは、根気よくさえ続ければ誰でもできることだ。根気よく続けることそのこと自体にも才能が必要な場合もあるが…。

 

だからとにかく磨くことだ。

 

これは自戒を込めて言うのだが、とかく何かをどこからか新しい何かを引っ張ってこないといけないと思いがちだ。

そうではなく、どんなモノやコトにだってそもそも価値があり、単に表立っていないだけだ。

 

そう考えて、とりくめばだいたいのことはうまくいくはずだ。