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ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。

最初のパートから、いきなりUTMBの厳しい洗礼を受けたと思ったが、コースもかなり初盤からやばかった。

 

標高差1400mをほとんど平坦地なしで登った。

 

一つ目のピークは標高2200mほど、そこはすでに森林限界を超えて、草原が広がる場所だったが、雷鳴がとどろき、雨が容赦なく降ってきて、さらには、直径1㎝ぐらいの雹(ヒョウ)までバシバシ降ってきた。

 

ピークを越えて、第1エイドに向けて、今度は一機に下った。

 

ただ、さきほどの雨と、数百人通ったであろう道はズルズルな状況だった。

 

廻りの選手も次々に転ぶ始末。

 

自分も同様に転げ落ちていった。

 

ただでも厳しい下りに、そういった悪条件も重なり、おそらくかなり余計な体力を奪われたのだろうと思う。

 

ほどなくして、雨は収まったが、濡れた路面はずっと続きドロンコ祭りの様相だった。

 

 

第1エイドはスタートから10.9キロとそれほどの距離ではなかったが、体力がずいぶん使ってしまったような気がした。

 

序盤ということもありおなかもすいてはいなかったので、ここではコーラを数杯のみ、水分をボトルに補給し、早々に次に向かった。

 

1エイドから、2エイドは、今回のコース設定の中では比較的穏やかな高低差、ただ、まだまだ序盤には変わりなく、本当にゆっくりとゆったりと走ることをこころがけた。

 

ときおり雨が降ってはきたものの、第1エイドまでの雨ではなく、このまま雨は収まるのかな…と思いながら道を進んでいった。

 

第1エイドから第2エイドまでは14キロと比較的長い距離だったのだが、思ったよりも到着するまでに長く感じた。

すでに体が相当に消耗していたからかもしれない。

 

第2エイド手前2キロにさしかかったあたりで、再び激しい雨が降ってきた。

すでに汗でかなり濡れていて、その上からレインウェアを着ても何の足しにもならない感じでもあったが、雨の激しさから少しでも体を守るために上を着て走る。ちなみに下はスタートしてから、ずっとランニングパンツのままだったし、足をつたって入ってきた水で、靴の中もすでにぐっちょりな状況だった。

 

登り基調なところを通過し、2エイドにさしかったころ。

 

そこで、異変が起きていることに気づいた。

 

 

つづく

大会当日、スタートは16時である。

 

100マイルレースというのは、トップ選手でも24時間はかかるぐらいだから、どんなに速い選手でも一晩を山で越さなければいけない。

 

おそらく、これも演出の一つなのだろうと思うが、トップ選手がゴールに戻ってくるときに、もっとも盛り上がる時間を設定し、そこから逆算してのスタート16時ということなのだろう。

 

正直言うと、この夕方スタートというのが、私にとっては悩ましいところ。

 

国内の通常のレースは、だいたいが、朝の早い時間に設定されていることが多く、だいたいスタートの時間から逆算して3時間ぐらいにおきて、準備をすればそれで事足りる。

 

身支度を整え、朝食をとり…という一連のルーティンがある程度決まっているので、手持ち無沙汰にならないのだが、16時スタートだと正直、かなり時間が余りまくって、どう過ごしていいのかわからない…。

 

朝は普通に目が覚めてしまって、夕方まで体力を整えておとなしくしておこうとは思うものの、緊張というかテンションの高くなっていく気持ちを静めるのに必死だった。

 

ホテルの部屋でひたすら籠ってスタートを待っているが、実はかなりつらい時間だった。

 

15時…ドロップバックといって、途中のエイドに着替えとか、自分が用意しておきたい補給食などを預ける袋を、大会受付にもっていく。

 

vielhaの標高は、約900mぐらいだと聞いているのだが、気温がぐんぐんとあがっていって、スタート付近にあった温度計は36度を指していた。

 

標高の高いレースということで涼しさを想像していたのだが、この暑さにも参った。

 

トレイルランニングのレースでは、携行品が決められている。

 

今回のレースでも、ゴアテックス素材のような高強度なレインウェア、1.5㍑以上の水、ヘッドランプなどが決められていた。

だいたいすべての装備品を持つと、3~4㎏ぐらいはあり、この重さは結構つらい。

 

だから、少しでも減らしたい気持ちにかられて、実のところ迷いが生じた。

レインウェアも実はゴアテックス以外の少し軽微なものも準備したりしていたが、ここは正直に大会規定に沿った荷物をフルスペックでもつことにした。あとで、それは正解だったことに気づく。

 

しかし、やはり重い。

 

15時30分ごろ、スタート付近に陣取って、スタートまでの時間を過ごす。

この暑さ…無駄な体力を使いたくないし、日影に腰掛けとにかく時間を待った。

 

スタート10分前、日本にいる息子よりLINE入る。

『頑張って!!』のメール。

 

ちょっと泣きそうになった。

事前にUTMBのオフィシャルのURLを送っておいた。

 

youtubeliveを見て応援してくれているらしい。

おやじだけ、一人のん気に(実はけっこう必死のバッチなんだけど…)海外まで来ている。
(ただ、息子たちは、そんなバカおやじを見習ってか、長男はアメリカに、次男も海外での留学を決意してる…)

 

ちょうど、スタート前に大型のモニターが映し出されているが、それと同じものを息子も見ているのだろう。

10分前の風景は、ドローンからの空撮だった。

 

これから100マイル、あまり勢い込んで飛ばしてみても失速するのは目にみえてるから、後方に陣取った。

 

群衆の中に、自分がいるのだが、息子は見つけてくれてるだろうか…

 

 

時間が近づいてくるにつれて、DJが巧みに場を最高潮に盛り上げてくれる。

 

16時スタート。

スタート前から汗が噴き出していたが、スタートしたらさらに噴き出してきた。

 

こんな暑さが続くレースで、体力もつんだろうかとの不安もよぎりながらのスタートだった。

 

スタートしてから、500mぐらいは、Vielhaのまちを軽く巡回するような形でコースが展開されたが、すぐに山間部に突入。

 

しかもけっこうな激坂。

 

レース前にコースマップは一通り確認していたので、すぐに坂が来るのは知ってはいるものの、最初からずっとこんな急坂とは…。

 

UTMFで、100マイルの経験はある。

UTMFは序盤10キロほどは、ほとんど坂もなく、平坦なところを走るのと比較してしまう。

 

同じ100マイルレースだが、val d'aranは、累積標高が、10,000mを越える。UTMBは累積標高は、8000mぐらいだから、通常の山を二つ分ぐらいさらに過酷だ。

 

やはり、UTMBメジャーと名がつくのは、そういう過酷さにもあるのかなとも思ったりした。

 

1時間ほどしてくると、雲行きがいっきに怪しくなり、パラパラと雨が降ってきた。

 

30度越えの暑さのスタート、そしてずっと続く登りにあって、少しぐらい体のほてりを冷やしたいがな…そんなふうに思っている矢先の雨だったので、恵みの雨かとも思われた。

 

ところが、標高をあげていくにしたがって、どんどん天気は悪化していった。

そして、かなり激しく雨が降り始めた。

 

夕立ちぐらいかなと思って、最初は見過ごそうと思ったけど、あまりに続くので感じで、レインウェアに袖を通した。

 

雨は止むどころか、雷もなりはじめ、恐ろしいぐらいな状況になるつつあった。

現地の天気予報では、今日は曇り時々雨、明日明後日は晴れと出ていたので、単なる夕立と思って軽くみていたが、しばらくやむ気配がなかった。

 

先に、装備品をどうしようか迷ったと言ったが、こんなに激しく降ると予想もしていなかったので、ゴアテックスのレインウェアをもっていってよかったと思った。

 

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

到着の翌日、

 

この日は、受付(申し込んだ大会のビブの受取)があった。

 

どこのトレラン大会でもそうなのだが、単にイベントがイベントで終わらないような工夫をしている。

どういうことかというと、イベントが経済活動につながっているか、つまりどれだけお金をイベントで地域に落とさせるかということである。

 

マラソン系のイベントは、前日受付というところが多い。

この大会もご多分に漏れず、前日受付だった。

 

前日疲れすぎていたのか、3秒ぐらいでノックアウトだったが、翌朝は、日本にいるのと同様、割と早めに目が覚めた。

 

私自身のライフワークでもあるのだが、まちについたら、まち歩きである。

 

どんな町なのか、自分の足で歩き、目で確認する。

それで何が分かるわけでもないのだが、自分にとっては大事なルーティンの一つ。

 

歩いて、30秒、今回のゴールゲートに出くわす。

 

今回、宿泊先を選ぶのに、確かにスタートゴールの会場に近いところを選んだ自負はあったのだが、これほどまでに近いとは自分でも驚きだった。

 

前回のUTMBでもずいぶんと感心したのだが、スタートゴールをまちの中心に置く…というのはとても大事だなと思った。

 

自分自身、マラソンイベントにも、主催者側でいる立場でいたりすることもあるのでよくわかるのだが、このスタートゴールを中心に据えるのって、実はけっこう大変だ。

 

まずは道路使用の問題。

道路は本来、車両などの通行のためにあるのだから、それを規制するにはさまざまな許可が必要だ。そのために、行政、警察などの機関と折衝しなくてはならない。

 

ゴールポストは、水曜日にはすでにたっていたので、すべての日程が終わる日曜日まで道路を規制するとすると、約1週間ぐらいは規制をしなくてはならないことになる。

 

 

道を規制すれば、迂回ルートの問題や、警備員などの誘導係の問題、標識の問題、さまざまな準備が必要となる。

 

それらをすべてクリアにしている組織委員会の見えない苦労が見えてしまう…のは私の悲しい性かもしれない。

 

このゴールをどこにおくのかという課題はイベントを盛り上げる意味ではものすごく重要だなと改めて感じている。

これは、選手側にとっては、スタートゴールにたくさんの人が来て盛り上げてくれるという点ですごくモチベーションがあがるし、それをとりまく人、家族であったり、応援する人であったり、そういう人が多く集まれるも一体感も大事なのだ。

 

 

val d'aran by UTMB

VBA(160キロレース)の姉妹レースPDA(50キロレース)のトップ選手ゴールの様子

 

 

また、選手は、そこを離れても、ずっとレースは続くが、それ以外の人は、選手が去ってしまったら、手持ち無沙汰になる。しかし、まちの中心にあることで、その前後にカフェやレストランで時間を過ごすこともでき、観光客を目当てにしているお店側も相互にメリットが生まれるという効果があるのだ。

 

 

 

この大会の主催者は、UTMBというフランスシャモニーに拠点を置く団体だが、vielhaというまちがこの大会で経済的な効果も含めてよく理解している賜物なのだなぁと思った。

 

UTMBでもう一つ感心するのは、選手以外の応援者にもこのイベントを楽しんでもらおうという数々の工夫である。

 

スタートからほど近いところに、横幅3mぐらいのモニターが用意してある。

 

 

レース中、選手は山の中に消えてしまって、容易には応援することができない。

 

レース中は、実況中継がしてあって、モニターには、選手が活動する様子をある程度その画面でも、伝わってくる。また、選手がつけているタグによって、選手がどのあたりを走っているのかをあるかをUTMBのHPで確認することができるし、コースの何カ所にもyoutubeライブの仕組みを使って、自分のが応援している選手が移動する姿を確認することもできるのだ。

UTMBの公式ページ

 

 

こうやって、選手とそれをとりまく人たちが一体になれる仕組み。

もちろんこれらはITに支えられていて、これらを開発するのには相当な費用も掛かっているのだとは想像できる。

 

だからこそ、この大会は多くのスポンサーに支えられており、参加者以外にも協賛を集めて、運営されているんだろうが…。

 

もう一つ、UTMBではUTMBビレッジという露店が用意してある。シューズやウェアのメーカーなど、この大会を協賛するメーカーに限られているのだが、グッズの購入をしたりできたりして、まるで地域のお祭りな雰囲気だ。

 

 

大会をただ選手だけのものにしないということが何より大事なのだと思う。

 

大会を長期間にわたって開催するという工夫も特徴だ。

 

これは、UTMBシリーズというある意味、メジャーなレースだからできることでもあるのだが、大会期間が5日と長い。

val d'aran でも短い距離から長い距離まで、合計5つも期間中にレースを行っている。

 

こうすることで、大会参加者を増やし、宿泊や、飲食に相当なお金が地元にもたらせれるというプラスの部分、会場の演出にかかる費用を共有化して圧縮させるというマイナス部分の両方を巧みに使い分けている。

 

特に、ヨーロッパのリゾートはおしなべてそうなのだろうが、ホテル以外にもたくさんのバー、レストラン、カフェが存在し、また道路脇に、イスやテーブルをならべて、みんなけっこうな量のお酒を消費していた。

夕方たくさんの人が行きかうメイン道路。

 

 

ちなみに、これほどの町だったから、スーパーマーケットなどもあり、店にはワインはみかけたけど、ビールは見なかった。

 

路上のバーみたいなところでは、けっこうな人がビールも飲んでいたけど、これらも地域でお金を消費させるための戦略なのかもしれない。

 

 

運営面での工夫としては、日本トレランの大会に比べて、圧倒的にコース誘導に人をおいていないということである。

 

マラソン大会には相当数のボランティアスタッフが必要だ。

まちづくりを兼ねてやっているマラソン大会は日本でも数多いが、少子化の問題で、それらの人が集められない状況が発生しつつある。

 

トレイルランニングは、山の中を走ることもあり、ロードでのマラソン大会に比べると、交通誘導などのボランティアスタッフは、かなり減らすことができる。

 

ただ、マラソン大会の名残もあってか、コース誘導にはかなりの人員を配置している部分もまだ多いように思う。

 

コースのマーキングなどの工夫でこのあたりはまだまだ改善ができる部分なのだと思う。

 

もし、仮にまちづくりを目的として多くのボランティアスタッフに関わらせたいのであれば、もっと違う部分に人を回すべきなのだろう。

 

 

環境への配慮の部分も、工夫が感じられた。

一つは、選手への情報伝達手段は、すべて、デジタルで行われるというものだ。

 

選手は必須携行品として、スマホの所持が求めらている。

 

これは、大会の公式案内は、すべてメール等で行われるのに加え、GPSデータを利用した選手の安否確認も含めての安全管理など、あらゆることがデジタルを前提にした運営となっている。

 

公式パンフレットもつくられていたが、オンラインからのダウンロードだった。

公式パンフレット

 

公式パンフレットも1回見れば、あとはゴミ箱行きになるのがほとんどだ。

デジタルパンフレットの中身そのものは相当充実しているので、単に手抜きをしたわけではないことは明らかだ。

 

 

そして、もう一つは、選手に提供されるエイド物品の容器はすべて自前持ちということだ。

 

昨今のレースでは、コップ類の携行を求められることが主流になっている。

 

トレイルランという競技特性もあるのだが、普通のマラソンよりもスピードが遅いこともあり、エイドでは多くの選手が立ち止まる。

 

ドリンク類は、自前のコップにボランティアスタッフが注いでくれたり、あるいはタンクがあって、自身でくみとるようになっているので、ゴミが出ないのだ。この点はよりスピードが要求されるマラソン大会では難しいのかもしれない。

 

今回UTMBで驚いたのは、そういったコップ類に加え、エイドの食事関係も自身で器を用意してください…というものだった。

 

日本でもかれーや麺類などの提供を行っているエイドはみられるが、紙容器などで提供されていることも多い。

容器やカトラリーも自身で準備されるように求められ、さらにゴミが出ない大会になっていることも驚きである。


つづく

 

昨年、世界最高峰のトレイルランニングレース、ウルトラトレイルデュモンブラン(UTMB)の姉妹レースCCCにエントリーしたら幸運にも抽選が当たって、シャモニーを走らせてもらう栄誉を得た。CCCについては過去ブログをどうぞ

 

もう、ここまで来てしまったら、これは最後までいくしかあるまい…

つまりは、UTMBファイナルに行くしかない…そう思って、さまざまな作戦をたてている今日この頃。

 

なぜ、作戦をたてているのか…という表現になるのかは少し説明が必要だ。

 

2022年UTMBは大きな制度変更を行った。

 

これまでもUTMBに出場するには、出場資格というものが必要だった。

 

世界トレイルランニング協会(ITRA、International trail running association)という団体があって、そこが認定する大会に出場し、完走をすると得られるポイントがあって、その基準を満たすと出場資格が得られた。

 

国内のいくつかの長距離レースでもこのITRAのポイント制度を使って、出場資格を規定しているものがいくつかある。

 

トレイルランニングレースと一口に言っても、20キロぐらいのレースから、100マイル(160キロ)を超えるものまで、国内外問わずでさまざまなレースが行われている。

 

当然だが、距離の長いレースは、過酷さが増す。

トレイルランニングは、気象状況、標高の高い場所など、日常とは全く異なる中で行われる競技でもあるので、ある程度の実績を求めるのも当然と言えば当然だ。

過去のレースでは、大人数が死亡するという事故も起きている。

 

例えば、日本でも最高峰レースに位置付けられているウルトラトレイルマウントフジ(UTMF)では、2レースの合計で10ポイント以上獲得した者という規定となっている。

 

ITRAの認定する各大会では、距離と、標高差に応じて、1~6のポイントがつけられていて、例えば、私の地元で行われるOSJ KAMI100というレースは、距離は111キロ、累積標高差は6500メートルで、完走すると6ポイントを得られるようになっている。

 

UTMFの出場資格は、OSJKAMI100に相当するレースを過去に2レース完走すれば、6ポイント×2レース=12ポイントということで10ポイントを上回り、出場資格が得られることになる。

 

UTMBも2022年までは、ITRAの仕組みでエントリー資格が得られるようになっていた。

昨年、私がCCCに出れたのは、私が過去に出場して獲得したITRAのポイントでエントリー資格を満たし、それで申し込んだら当選したということだ。

 

昨年、私がUTMBに出ていないのは、UTMBに出るための資格は得られなかった(つまりはもっと出場基準が厳しいということ)ということでもある。

 

その仕組みが2023年から変わったのだ。

 

UTMBは、世界で30ほどの予選レース(UTMB qualifing race)というものを設け、ITRAのポイントとは別に、その予選レースにランニングストーンという独自のポイントを設けた。

 

このランニングストーンというのは、いわゆる抽選権のためのポイントである。

 

UTMBは世界中のトレイルランナーのあこがれの大会で、エントリーしてもなかなか抽選であたらない。

 

なので、ランニングストーンという制度を設け、そのポイントに応じて、UTMBの当選倍率を与えるというふうに変更した。しかも、UTMBの予選レースに出て、少なくともランニングストーンを1ポイントでも獲得しないと、エントリーすらできないように変更したのである。

 

 

 

残念ながら、日本では、その予選レースが存在しない。

なので、UTMBに出るためには、必ず海外のどこかの予選レースに出場しておかなければならないようになったのである。

 

先に、作戦を立てている…と言ったが

 

この仕組みでUTMBが動いているので、①海外のUTMB予選レースに出ること、②予選レースを完走し、ランニングストーンをたくさん獲得すること(例えば、ランニングストーンが1つの人と、8つの人とは、8倍の当選確率が代わるという仕組みになっている)

 

この2つを満たすことが、UTMBへの道につながるということなのである。

 

さて、UTMBへの道に進むにどうするか…

 

いろいろ考えた結果、スペイン、ピレネー山脈で行われる val d'aran by UTMB(以下val d'aran)を選ぶことにした。

 

UTMBファイナルへ出場するために、世界30の予選会に出る必要があるとは先に述べたのだが、ランニングストーンの獲得は、少し複雑な制度にしている。

 

UTMBは、世界で3つの大会をUTMBメジャーという、通常の予選レースの2倍のランニングストーンを獲得できるようにした。

 

ヨーロッパ、アメリカ大陸、アジアオセアニアにそれぞれメジャーレースをつくって、そこのレースのポイントは通常の倍のポイントにして、より格をあげることにしたのだ。

 

近くで言うとアジアオセアニア地域で、12月のDoi Inthanon by UTMBというメジャーレースがあるのだが、年末かつ、私の仕事の都合などもあり、この期間長期に開けることは難しい。

 

UTMBの予選シリーズを複数出るということも選択肢としてはあるのだが、金銭や、時間の問題で、それも厳しい。

 

自分の置かれている状況を考え、一回のエントリーで最大限ランニングストーンの獲得できるヨーロッパのUMBメジャーに位置づけられているval d'aran を選んだのである。

 

ちなみに、一つ言い忘れたけれど、大会で上位を狙えるような人は、先ほど私が述べたような複雑なことはなくて、純粋に、UTMBメジャー上位10名に入った人は、自動的にファイナルへの出場権が得られるようになっているので、私の作戦というのは、あくまで、実力が乏しいヘッポコランナーに限られていることは補足しておく…。

 

さて、日本からの出国、使える時間、出せるお金の総合的な判断で選んだのが、

 

行き 関空⇒シンガポール⇒バルセロナ 

帰り バルセロナ⇒ソウル⇒関空

 

というルートだった。

 

 

移動はシンガポール航空。

 

今回行くのは、ヨーロッパでも西方の国スペインである。

地球儀を見たらよくわかるが、シンガポールは、ただ、緯度を南下するだけで、ほとんど西には移動しない。

 

頭では理解しているつもりだったが、実際に移動してみて、このルート選択が正しかったのかは、自分でも疑わしい…。

 

関空から、5時間のフライトでチャンギ空港に到着。

チャンギ空港のターミナル間移動で眺めた外の様子。

 

もちろん、単に移動するための通過点に過ぎないので、外に出られることはない。

まさにかごの中の鳥状態。

 

ただ、アジアでも有数のハブ空港。スケールのでかさを実感する。

(あとで調べたら、旅客数でいえば、羽田よりもすくなかった…)

 

6時間の待ち時間のあと、バルセロナ行きへ。

これもあとで知ったのだが、バルセロナ行きはチャンギからの直便ではなく、ミラノ経由であった。

 

13時間のフライトで、ミラノマルペンサ着。

 

 

ここでは、機内からも出れず…。

ミラノへの降客、ミラノからの乗客で、1時間ほど経過する。

 

 

さらに1時間30分ほどのフライトを経て、バルセロナ着。

 

バルセロナ空港からは、直接現地へのバスが出ていたので、予め日本で予約しておいたのだが、空港到着から、5時間後の出発で、ここでもかなりの時間待つことになった。

 

ようやくバスに乗る。

空港からはさらに6時間。

 

結局、待ち時間やそれぞれの乗車時間をあわせると、家を出てからまる2日間ほど、移動に費やした。まあ、時間の節約と引き換えに安いキャリアを選択しただから、自業自得なのだが相当疲れた…。

 

 

滞在先のVielhaに21時30分頃到着。

 

向こうの夏時間設定の関係もあってか、21時をまわっているのに、まだ薄明るかった。

 

バス停からホテルまでは5分とかからない場所にあり、チェックイン。

ほとほと移動で疲れていたこともあり、シャワーをあびて、速攻でベッドに入って寝ることにした。

 

つづく

 

 

 

土曜日、道路の草刈があった。

 

地元では、道路の草刈を『道路愛護』と呼んでいる。

 

これまであまり意識してこなかったけど、道路を愛でるための活動というわけだ。

 

土建屋をやっているとよくわかるのだが、道路インフラの整備は過去からずっと、地域の願いだ。

 

ここ最近で言うと、笠波バイパス(トンネル)の整備、山陰近畿自動車道の整備、北近畿豊岡自動車道の整備などなど…

 

但馬内のビックプロジェクトが現在進行中だ。

首長も、政治家もその重要性を幾度となく語る。

 

また、それに呼応するように、地域の住民もうなずき、そのための協力は惜しまない。

 

実際、道路があればこそ、人が交流し、モノが流通し、経済活性化の源となる。

 

そんな愛すべき道路なのだから、今ある道路を愛でることに何ら異論はないはずだ。

 

いつも言っていることだが、道路の草刈ほど、地域の人が一体になれる行事もないような気がする。

道路はみんなものであるが、一人一人のものでもある。

 

だから、みんなが少しづつ労力を提供し、きれいに維持しつづけることで、自身が地域の一員であるということを自覚するし、そういった公共インフラの存在が自分事に近づいていく気がする。

 

実際、そういった活動を怠る住民は、村八分にあったりもするし、その逆もしかりだ。

地域の一員に溶け込むためには、草刈をやれば、一発だ。

あいつは草刈をがんばってやってくれているから信頼できるやつだ…。

 

 

きれいに草が刈られた道路は、うっとりするほど美しい。

手入れの行き届いた道路は美しく、それが農山村の美しさにつながっていく。そして、美しいムラに住めば、地域に対する誇りが生まれる。