ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】 -16ページ目

ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。

熱中症の季節になってきた。

 

建設業は、屋外での作業が中心となることもあって、朝礼やいろんな場面で、熱中症の話題になることが多い。

 

ただ、どうも流行り言葉のように言っていて、その本質を踏まえているのかはなはだ疑問になる場面にけっこう出くわす。

 

なぜなら、飲み物のし好が代わっていないからだ。

建設業者に関わらずだが、缶コーヒーが好きな人は割と多い。

 

しかし、すでにご存じであるように、缶コーヒーが熱中症対策にはならない。

現場内には多くの缶コーヒーの空き缶に出くわす。

 

いわゆる、スポーツドリンクより圧倒的に多い。

 

スポーツドリンクとて、糖分は割と高くて、し好的要素が強いものもある。

 

私は、その道のプロであるならば、すべてのことで最高のパフォーマンスが発揮できるようにすることが大事だと思っている。

 

アスリートが、一分一秒を争うために、トレーニング、食事、睡眠、休憩、あらゆることに気を配っているように、それはアスリートでなくても同様だと思う。

 

体を資本として活動しているものならば、いや、知的労働中心の人でも、頭の回転が最高の状況であるために、どうあるべきなのか…考え行動することが必要だと思う。

 

自分の能力を最大限発揮してこそ、そのリターンを最大に享受することができる。

 

中途半端なようでは、中途半端なリターンしか得られない。

 

それは、どの世界でも共通のはずだ。

 

人生は、大きな成果を発揮するに必要な時間はそれほど多くはない。

 

一日一日を大切に生きるためにも、そのあたりにも気を使っていくべきだ。

 

 

土曜日はハチ北フェスが大盛況のうちに終了した。
そっちの内容については、

Twitterやinstagramに

#ハチ北ミュージックフェス

#ハチ北フェス

 

とか多くの人が、投稿しているので、そっちに譲るとして、今回はそれに関わった高校生の話だ。

 

昨日、フェスに関わった関係者たちが、うちあげでBBQをやっているところを通りかかったので、少しだけ参加させていただいた。

 

その中に、高校生の姿が数名あった。

村岡高校に通うHachikita U Base(HUB)の下宿生や地元の子だ。

 

打ち上げに出れなかった子もいたし、部活でなどでフェスにも参加できなかった子もいたけど、HUBの高校生たちはだいたい前夜祭か、本祭に関わったと思う。

 

HUBを運営している経緯などでも少し触れたけど、HUBは、村岡高校に通う高校生たちの下宿にもなっている。

下宿する生徒たちなのだから、当然、地元ではなく、他の場所から、村岡高校を目指してきた生徒たちだ。

 

彼らが村岡高校を目指した動機はいろいろあるのだろうが、いずれにしても親元を離れて生活している彼らにぜひ、経験してほしかったことが、地域の人たちのふれあいだ。

 

そういう面では、フェスはそういう部分でも大きな役割を果たしてくれたと思う。

 

学校生活ではいわゆる知識として教養を身に着けるところだが、人の成長がそれだけで完結されるわけではない。

 

部活、家庭生活、友人関係と同様に地域もまた重要な役割を果たしているのだ。

地域コミュニティは、実は学びという点でも非常に重要だと思っている。

 

地域の人たちは、同じ場所に住んでいるという共通点はあるにしても、年令、性別、仕事、趣味趣向はさまざまだ。

そういう多様な人たちに触れることで、そこでもまたたくさんのことを学んでいる。

 

言葉に発しなくても、いわゆる大人の背中で教えることもたくさんある。

 

私が、HUBをやって期待していることの一つがそういうことだったのだ。

ハチ北という小さなコミュニティかもしれないが、そこに出ていけばいろんな人に出会う。

 

彼らと語ることはそれだけでたくさんの学びを得るはずだ。

 

昨日の打ち上げで、楽しく談笑する姿をみて、とてもうれしく、心強く思った。

 

地域のみんなも、HUBで暮ら生徒たちを地域の一員として受け入れてくれたこともまたありがたかった。

 

お客さんであったり、住人であったり、はたまた高校生たちのように、数年ここで暮らす人も、いずれにしてもハチ北というものに触れた人たちが、お互いに何らかのいい影響を受ければ、こんなに最高なことはない。

 

 

 
昨日、Hachikita fes 前夜祭が私が管理運営しているHachikita U Base(HUB)で行われた。
 
HUBはハチ北にあるゲストハウスの名前だ。
 
HUBは、ハチ北の中でも、上位を争う規模の大きな旅館だ。
 
もう10年ぐらい前になるだろうか…
 
今の施設の元のオーナーが高齢となり、跡継ぎ問題で揺れて、結局、その方は建物を手離す決断を下した。
 
不動産屋の看板が玄関に掲げられ『For sale』の文字。
 
私自身、ずっと悶々としていた。
 
空き物件が増えることは、観光業を営むこの地域にとって決してプラスの印象を与えるものでない。
 
そして、それ以前に、数十年前バブルをおう歌し、この地域で、宿業をやることはある意味、農業やサラリーマンをやるより、はるかに大きな経済的利益を得られ、後代は、それを継承するのが当然だと思っていたのに、今は、それを継ぐことにリスクしか感じなくなってしまったという時代の変化。
 
とても閉鎖的なこの辺境の地にあって、排他的だと思われる部分もあるのだろうが、それが他所の人に購入されてしまうことによる、地域の文化を維持していけなくなってしまうということに対する不安。
 
そういうものがずっと、頭の中でうごめいていた。
 
この物件、元オーナーが辞める決断をしてから、数年間、そのまま放置されていた。
最初に元オーナーが示した金額では折り合いがつかなかったからだ。
 
地元の誰かが買ってくれれば…
最初、私はそう思っていた。
 
その数年前、地元の中学校が廃校となり、それを購入し、現在『うづかの森』という宿泊施設を営んでいるが、宿泊業は宿泊業で、厳しさがあることは身をもって知っていて、これ以上物件を増やすことは、できないと思っていた。
 
しかし、地元からの手はあがらなかった。
そうこうしているうちに、他地域の人が買うという話が入り、実際に交渉も進み、売却も済んでしまった。
 
なんとかしなければ…
そんなふうにずっと思っていたけれど、この地域の人で解決ができなかったことに悔やんだ。
 
だが、その売却されたと思われていた物件だったが、途中で交渉が決裂し、白紙に戻った…という話が再び飛び込んできた。
 
直観で、自分が買う、今度は決めるのにそれほど時間はかからなかった。

交渉をすすめて、物件を手に入れた。
本来なら、事業計画を綿密に立てたうえで、買う、買わないの判断をするのが普通だろう。
 
だけれど、それ以上にこれは地域課題だと思った。ここに住む人が解決すべき問題

周りがやらなければ自分がやるしかない…そう思った。
 
 
大学を卒業した25年ほど前。
カナダに行った。
 
当時はインターネットもまだ十分ではなく『地球の歩き方』がバイブルで、自分もバックパックで、ブリティッシュコロンビア州、バンクーバー周辺をうろついていた。
 
そのときによく利用したのが、ユースホステルつまりゲストハウスだ。
 
大部屋にベッドがならび、同じ空間に寝泊りをする。
トイレ、バス、ダイニング、ロビーは共用で、旅行者同士が、そこでコミュニケーションをとり、楽しかった場所、楽しかった体験などをお互いの情報を交換する。
 
本当に楽しかった。
そんな自分の原体験がある。そんな宿がハチ北に一つぐらいあってもいい。
 
ちょうど、世の中はインバウンドブームで多くの外国人をみかけるようにもなっていた。

大都市にもたくさんのゲストハウスを見かけるようになった。
 
私は、その宿をHachikita U Baseと名付けて、バックパッカーのようなもっと気楽に集まれる宿をつくろうと考えた。
 
自転車の車輪の中心をハブという。
羽田空港、成田空港、関西空港などはハブ空港と呼ばれているがいうあれだ。
 
人が集う場まる中心になる場所。だからハブ。
そんな場所にしたかった。
 
英語のHUBという言葉を頭文字にして、あとで『Hachikita』『Base』はくっつけた。
 
Baseも基礎とか、底辺とか、そういう意味がある。
 
Uはいろいろ考えてみたけど、なかなか妙案が浮かばない。言葉いろいろ考えてみた。
United
Unique
Universe
Unlimited
などなど…
 
どうもしっくりこない。

UはYOUとも語感が似ているし、利用する『あなた』が思いつくUでいいじゃん!とそのままにでいくことにした(笑)
 
客室は、ザ昭和な和室だ(笑)
 
だけど、ロビースペースには少しだけこだわった。
みんなが楽しく集い、語らい、お酒を酌み交わしたり、お茶を飲んだり歌ったり、踊ったり…。
そして、ここはハチ北だ!
ハチ北が山の中にあり、アウトドアアクティビティの場所であるならば、フィールドアスレチックだ!
 
人が集えるよう小さな部屋を潰して広い空間を確保しつつ、限られたスペースに、フィールドアスレチックのアイテムを再現し、しつらえた。
 
ただ全く知られてなかった。
2年前からは、地元村岡高校に通う生徒の下宿として利用し始めた。
オープンしたものの、しばらく客もなく、そんな情報聞きつけた学校関係者から、下宿として利用できないだろうか…と相談を受け、建物の一部は高校生の寮として利用している。
 
そうして今にいたる。
 
 
前置きが長くなった。(前置きかよ…って突っ込み受けそうだが)
ここからが本題である(笑)
 
みんなが集えるスペースとしてつくったものの、意図したようには人は集まらかった。
 
数年前から、Hachikita Music Fes が地元の若い人を中心に、企画運営されている。

フェスを間近に控え、メンバーは準備を進めてきていたが、ご存じのとおり、季節外れの大型の台風2号が接近していて、予報どおり雨脚が強くなってきていた。

線状降水帯も予想され大荒れの予報。
しかし、チケットを販売し、アーティストも続々とハチ北入り。

朝、実行委員長でもある弟から電話が入った。
『この台風で、外でのしつらえは厳しく、HUBを貸してもらえないか』
イベントを中止にするわけにはいかない。
 
断る理由もなく、OKを下す。
 
私がやったことは、ただそれだけ…
 
あとは実行委員のみなさんが、がんばって会場をしつらえてくれた。
 
仕事が終わり、HUBにかけてつけると、熱気むんむんのフェス会場がそこにはあった。
 
娘の用事で途中何度抜けかしたけど、音楽、食、お酒(車の運転があったので飲めなかったけど…)、笑い、語らい…
 
私がここを廃屋の危機だった場所をみんなが集える場所にしようと決めて取り組んだHUB。
 
意図してたことが、おもわないところから舞い込んで、そこにすべてがあった。
 
たった一日の出来事だったけど、自分が夢見たことが現実になった。
 
実行委員のメンバーから、感謝の言葉をかけられたが、感謝しないといけないのは、私の方だ。

みんな夢を形にしてくれて、ありがとう。


2023シーズンに入ってはじめて氷ノ山に行った。

 

氷ノ山はご存じのとおり、兵庫県最高峰なのだが、私の家からは、12キロほどのところにある。

 

鉢伏山にあがり、そこから『ぶん回し』と呼ばれる登山コースで氷ノ山まで行くのが、私の定番コースだ。

 

途中ハチ高原のところに高丸山という標高860m地点を通過するのだが、そこはしばらく草原環境が美しい場所で、私もお気に入りのところである。

 

そこには、ウスイロヒョウモンモドキという絶滅危惧種が生息している。

実は、全国でも数カ所にしか生息が確認されていない本当に貴重なチョウだ。

 

かつては、中国山地のいたるところにいたそうなのだが、自然環境の変化で、絶滅危惧種となってしまった。

 

以前、ウスイロヒョウモンモドキの保護にあたっている近藤さんにお話を伺ったことがある。

 

ウスイロヒョウモンモドキは、幼虫の時期に、オミナエシを餌としている。

オミナエシは、盆花でさして珍しい花ではないのだが、ウスイロヒョウモンモドキは、いわゆる園芸種ではなく、自生種しか食べない。

自生のオミナエシは、草原環境の中で育つ花である。

 

で、その草原環境は実は、但馬牛と深い関係がある。

但馬牛はもともと農耕用として、飼育されている牛、つまりは耕運機としてどの家でも飼われていた。

 

地域の人は、農地以外を切り開き、そこを牧場として、牛を放牧していた。

なので、草原環境は山間部にいけばいたるところにあったのだ。

 

牛が農耕で使われなくなったのは、昭和30年代の後半ごろからである。

世の中にトラクターなどの機械が入り込んできたからだ。

 

牛が農耕用として使われなくなると、牧場も不要となり、そういう場所が少なくなっていったのだ。


日本は温暖な気候なので、草原環境を放置しているとやがて灌木が生え、森に戻ってしまうらしい。


ただ、そんな中でも草原環境が維持されている場所、それがスキー場である。

スキー場として維持するために、地元の人が草原環境を守ってきたので、ハチ高原からウスイロヒョウモンモドキがいなくならなかったのである。

 

生物多様性が言われるようになって久しい。

ハチ高原でも、ウスイロヒョウモンモドキを守るために、草原環境に柵をして、シカなどに、自生のオミナエシが食べられないような保護活動が続けられている。

 

生物の多様性が失われると、その便益を受けている我々人間は、さまざまな不利益を被ると言われている。

だからゆえに、保護活動をしているわけだけれど、根本的なところは、人間の生活が大きく変化してしまったことによる。

 

生物の多様性を守るための活動は、ある意味、腫瘍の切除に似ている。

人間の体に腫瘍ができるのは、さまざまな理由があるのだろうが、根本的には、健康が失われるからだ。

 

日々、健康が維持されていれば、腫瘍などが出ることもない。

ただ、出た腫瘍は切除することで、人はその命を長らえさせることができるのだ。

 

それは、対処療法にすぎない。

やはり食事、運動、睡眠など基本的な生活習慣を良好に保つことがもっとも心がけなければいけないことだ。

 

それは地球環境も同じだ。

局所的に対応するのではなく、環境を負荷を減らし、自然の営みが健全に営まれることが、もっとも大事なことだ。

 

高丸山の草原で走りながら考えていたことは概ねそんなことだった。

 

 

 

 

 

 

ニュースでは、車の製造や販売は、バッテリー搭載の電気自動車一択な様相を呈している。

トヨタが数年前、一生懸命、水素自動車の開発に躍起になっていたけれど、この流れには、キングトヨタも対応せざるを得ず、バッテリー電気自動車のラインナップを大幅に増やす報道もされるようになった。

 

未来はいつどんな姿になるのか、予想はしていても、覆ることは大にしてあるわけだけど、なんとなく素人ながらには、電気で走る車が主流になるんだろうなという気配は感じるのだ。

 

そう考えていくと、今のガソリンスタンドとか、内燃機関メインで部品を製造しているところとか、このような報道を見ながら、自分自身の未来をどう受け止めて考えていっているのだろうと…と考えさせられてしまう。

 

おそらく、何の手も打っていないわけではないのだろうけど、例えば、ステーション建設に大きな借金をして、その返済がまだ残っているとかしているところにとっては忸怩だる思いだろう。

 

 

でも、たとえとして、EVの話をしてみたけど、よくよく考えてみると、それは私たちの周りのあらゆるところがそうだ。

 

農業、観光業、工業、商業そして、私がメインステージとしている建設業…世の中が変化する時代にあって、これまでと同様であり続けられるというものはほとんどない。

 

一つは人口が減り続けていて、日本のマーケットは縮小し続けているということ。

そして、地球の環境は、ますます悪くなっているということ。

 

この2つを掛け合わせて考えると、あらゆる業種が、これまでと同様でよいはずがないということだ。

 

後塵を拝するのか…、自らが仕掛けていくのか…。

 

いずれかの道を選択しなくてはならないのなら、過去の成功は一旦脇におき、積極的に仕掛ける方に回っていくべきなのだろうと思う。

もちろん、積極的に出るにもリスクはある。

 

しかし、後塵を拝して、どうにもならないようになってからでは、もはや座して死を待つのみだ。

 

いずれ死ぬ。

であるなら、自らを信じて、積極的に前に出て死ぬほうがよいではないか。